第20話
まずは、裏通りをなぞって光聖支部を目指す。表通りを行かないのは、反光聖派の間者が逃げてくる時は、追手を撒きやすい裏通りを使うとあらかじめ決められていたからだ。無事に逃れてくるのなら、表通りを行くよりも合流しやすい。もし、支部に着くまでに全ての生き残った間者と出会えれば万々歳だ。もちろん、そんな奇跡には期待などしていなかったが。
光聖支部とフォウリィの屋敷は、おおよそ都市の中央にある。マイナーが暴れているのは更にその向こうと見えた。支部に着いた辺りで間者の救出が済めば、件のマイナーと鉢合わせにならずに済むことも有り得た。
個人的には、同族に会ってみたいと思う気持ちもあったが、たくされたティアフをないがしろにしてまで、というほどに強い気持ちでもなかった。所詮、化け物同士である。感慨などあったものではないだろうと、諦めるような気持ちもあったのだ。
「あんたを外に出した日」
ティアフの案内で曲がりくねった路地裏を駆け抜けながら、彼女がこちらも見ずに話を始めた。結構な速度で移動しているから、その声は風に流されて消えそうだった。
「マイナーを感知できるレベルのセイバー、あのカナタ隊長は、南側の門を見ていた。覚えてるか?」
「覚えてる。それで俺は、マイナーと感知されずに済んで、外に出れたんだ。すごい偶然だよな。決行その日に、丁度いなかったんだから」
たまたま、そういうローテーションだった。運が良かったには違いないが、例えばカナタが北門にいたとしても、彼が退くまで待っていれば良かったんだから、運が悪くても不都合はなかった。
どうでも良い幸運に恵まれたわけだ。
「それが実は、幸運ってほどの幸運じゃない。やつはかなりの確率で南門にいたはずだから、その分、北門の警備が空くのはおかしな話じゃなかった。五分五分の当たりを引いたってわけじゃないのさ」
「何だ、そうだったのか。幸運じゃないって言うのも寂しい話だ」
「大切なのは、北門の警備の薄さじゃなくて、南門の警備の厳重さにある。都市に残る唯一のセイバーを、昼日中は南門に張り付かせていたのはなぜか、って話だ」
「南の方が魔者が出る、とかか?」
「いいや。アルマリクは大陸最北の都市で、こっから北には人が住んでいない。けど、南側にはもっと大きな王国なんかを含めて、多くの都市がある。だから単純に人通りが多いんだ」
「マイナーが紛れて入って来る可能性が高い、ってことか」
「マイナーに限らず悪いやつが、な。ただ、ここ最近はそればっかりが理由じゃなかった。普通とは思えない人や物の流入が、最近は殊更に多かったんだ」
初めて聞く話だった。恐怖や緊張を紛らわせるつもりで話しているだけなのか、俺の返答をろくに待たずに続ける。
「そのほとんどは、あたしたちには意味の分からないものだった。へんてこって意味じゃなく、例えばどこかの学士や、食べ物か何かが入った箱なんかさ。危険な武具や道具、ワイロになりそうなもの、そういう分かりやすく真っ黒な物品、やり取りは、あまり見当たらなかった」
「じゃあ、何で重要だって分かったんだ?」
「隠したり、偽装したりして運び込んでいたからさ。夜だと逆に怪しまれると思ったのか、白昼堂々とね。その中には、殺し屋もいた」
“あの”殺し屋がいた。
至って冷静に……そう装っているだけなのか、本当に気持ちを抑えられているのかは伺えないが、ティアフはまるで、自分のつまずいた方を見て「何だ、石か」とぼやくみたいに感情を込めずに、殺し屋、の“名”を口した。
「普通に、フォウリィの屋敷にも光聖支部にも出入りしていたらしい。それが、一週間ぐらい前。あたしたちは気が気じゃなかった」
だって、何にもないのに殺し屋が都に入って来るわけないだろ?
ぐねぐねと走り続けていると、いずれ火の手に近づいて来る。熱気が少しずつ肌にまとわりついて来る。夜の街並みが赤く乾いて来る。石が焦げる臭い、少しだけ煙たい。いよいよ渦中に足を踏み入れたようだと緊張感が湧いて来る。
ひたと、中央大通りに抜ける直前で、ティアフが足を止めた。顔だけ出して外の様子を伺う。人の気配はなく、姿もない。火の手はいまだ遠く、光だけがかすかに届いて商店街を薄く赤く染めている。しかし、砕けて凹んだ石畳や看板の欠けた商店が、この辺りで小規模な戦闘があったことを物語っていた。
「これは、どっちだ?」
「どっちにしても、悠長にしてる時間はなさそう、だよな」
大通りを進む最短ルートを採るべきか。このまま裏路地を辿って間者との合流を優先するべきか。少し迷って、ティアフは最短ルートを選んだ。
戦闘の跡は更に東、都の中央方向へと続いている。ここから遠くない地点で戦闘が始まり、徐々に東へと戦場を移しているのだ。つまり、俺たちが大通りの様子を伺った辺りから西側は、既に戦闘区域からは外れている。
安全圏だと言って良い。
ならば、間者がこの付近まで逃げ切れたなら、わざわざピックアップして守ってやる理由がなくなる。回りくどく避難経路の裏路地をなぞる理由が、それでなくなったとティアフは判断した。
むしろ、この移動する戦況に巻き込まれて死傷する可能性の方が、今は濃厚だった。
……口には出さないが。
ここまで、誰一人ともすれ違わなかったことも、ティアフの判断を助けていたはずだ。
裏路地を通って逃げて来る仲間は……逃げられた仲間は、きっと。
ティアフは一層険しい表情を浮かべ、ひたすらに大通りを走った。
少しずつ、戦闘の跡が顕著になって来る。倒壊した建物や凹んだ地面、街灯が折れ、石像が砕け、火種がくすぶり、黒煙が昇る。まるで嵐でも通り過ぎていったみたいだ。それも段々と、強さを増していったかのように、景色が破壊されている。ただ、救いというべきか、俺たちが発見したのは瓦礫ばかりだった。
人の死体はない。
セイバーだけでなく、
まるで最初から無人だったみたいに、きれいさっぱり。
事前の避難がよほど的確かつ迅速に行われたのか、そうでなければ“一様に死体も残らない殺され方だったのか”。しかし、それは考えすぎのように思われた。もし本当に徹底的な殺しが行われたのだとして、ここまで痕跡を消すことが可能なものだろうか。俺には、人を人と分からないほどに壊すことはできても、“いなかったみたいに”消すことはできなかった。正確にはやらなかっただけ、なのだが、実際にできるかと言えば首を横に振らざるを得ない。今のところ、俺の身体を使っての有効な方法は思いつかなかった。
鉄と石の臭いばかりで、有機的なそれも嗅ぎつけられないし、本当に人は死んでないか、あるいは死んでいたとしても極端に少ないのだろう。
ティアフは、この奇妙な光景をどう見ているのか。その小さな小さな背中からは伺えない。
足を止めていないから絶望はしていないはずだが、俺にはそれで十分だとも言えた。仲間を救う気力がある。俺のすべきことは、彼女の盾になり、剣になり、それを手助けしてやることだ。
向こうの方に、大きな影が見えてきた。商店や民家などは屋根の高さが一様に揃えられており、この中で背が高いのは特別な意味を持つ建物だけ。例えば、時計塔がそうだし、フォウリィの屋敷もそうだし、聞けば教会もそうだという。
どおおおおおん、と。
一際大きな爆発があった。
地面が揺れ、一歩遅れて熱風、“恐れていた悪臭”が吹きつける。爆心地が近い。即ち、移動していた戦場に追いつきつつある。姿勢を崩しながら、俺もティアフも何とかこらえ、足を止めなかった。
爆発は、その大きな建物の足元で起こったようだった。黒煙をまとうようにして、掲げる旗がたなびいている。青地に白で“顔の半分を失くした猫”が刺繍された、象徴的で印象的な旗だ。
「そん、な……」
駆けつけた時にはもう、誰もいなかった。戦場は移動した後で、無残に破壊し尽くされた開けた広場だけがあった。
彼女が絶句したのは、戦闘に追い付けず、そこに誰もいなかったから、ではない。さぞ美しかったであろう広場が瓦礫の山と化していたことに落胆したからでもない。
「光聖支部。じゃあ、こいつらは……」
爆発の被害者か。それとも、散々殺された挙句に爆破されたか。何ともつかないが、けれど悲惨には違いない赤銀の海が、目の前に広がっていたからだった。
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