第16話

 父親を目の前で殺された。

 この少女、ティアフ・ケイ・エコンという人間と、彼女を擁する反光聖派が今も変わらず反発を止めない理由が、……光聖を潰すと強い言葉を使い怒りの原点が、俺にはそれで理解できたのだった。

 もしティアフが生き残っていなければ、ケンズやエスイーズの死はフォウリィの発表通り“単なる事故”として片づけられていた。中心人物を含めて九人の仲間を失った反光聖派は、勢いを失い、フォウリィ支持の世論に溶けて消えていっただろう。

 しかしそうはならなかった。ティアフは生き残ってしまった。ケンズやエスイーズの死が事故ではなく、仕組まれた事件であると知る証人として、卑劣な裏工作から生き延びてしまったのだ。

 隠れ潜んでいた彼女を発見し真実を聞かされた反光聖派が、どす黒い思惑のために仲間を殺されたと知った彼らが、その上でフォウリィの支持に回ることはむろん有り得ない話だった。

「皮肉なことに、そうするとフォウリィが偉そうに“事故”と結論した公式の発表が、裏返ってあたしたちの味方になる。話を少し戻すが、死体が焼かれてしまって、“魔者に殺された不幸な事故”と決めつけるための肝心の遺留品が現場にはほとんど残らなかった。残らなかったってのは、少なかったって意味じゃない。そもそも足りていなかった。“人数分の遺留品が出なかった”んだ。分かるか? あの場にはあたしを含めれば九人の人間がいた。でも、実際に遺留品が出てきたのは五人だけで、後の四人の遺留品は見つからなかったんだ。ってことはだ、“その四人は生きているかも知れない”って話になる。魔者に殺されたのなら証拠として残らなきゃいけないはずのものが残っていなかったんだから、そこには焼き尽くされた可能性と、魔者がうっかり全部を吸い取ってしまった可能性と、“最初から殺されていないから遺留品なんてあるわけがない”可能性が残るだろ? けど、フォウリィは生き残りの捜索をろくにせず、早々に事故だと断じて発表した。そりゃそうだ。“その場にいた反光聖派の全員が殺し屋によって殺されたってことをやつは知っていたんだから”、わざわざ調べる必要なんてなかったんだ」

 もっと言うなら、フォウリィは“誰かを殺し損ずるシナリオを考えてもいなかった”のである。殺し屋に全幅の信頼を置いていたこともあるのだろうが、一切の証拠隠滅を図らなくてはならなかった以上、誰が死んで誰が死んでいないという事実関係は最初から、詳細には分からないように終わる段取りだった。

 これでは、確認する手間を最初から省いているのも納得できる。どころか、一歩間違えれば自分の足場を崩してしまう大胆な一手なのだ。検分などはさっさと済ませ、手打ちにしてしまいたいと逸っていたとしても、それは当然の心理だと言えた。

 しかし、そうやって焦ったのがいけなかった。自らの臆病な心を抑えきれなかった尚早な判断が、ティアフという生き残りを見逃し、結果としては裏目に出てしまった。

 目先の保身を優先したが故。肝心要の詰めを、彼は誤ったのだ。

 一転して、反光聖派は大きな武器を手に入れていた。ティアフという生ける証拠を……。

「……手に入れておいて、おまえはどうしてこんなところに隠れてるんだ? 一年も潜んでないで、表に出て、光聖の悪事を暴いてやれば良かったじゃないか」

 時計塔で俺に言ったように、アルマリクに巣食う光聖の本当の姿を“昼間の大通りで申し開”いてしまえば、フォウリィはそれで終わったんじゃなかろうか。親を殺されてから一年も待つことはなかった。申し開いてしまえば、無意味な作戦をフォウリィに何度も許すこともなかった。自分の政策・方針に反対する人間を、たったそれだけの理由で抹殺するトップであると明るみに知れて、誰が彼を支持し擁護するものか。

 人を殺してまで吐いた嘘は、あまりに悪意に満ちている。ティアフという存在は、フォウリィを責めるに当たって足りなかった“正義”を補って余りある大きな武器だ。

 だというのに、引き金となる“武器”は今も地下室に引きこもって、俺に話をするばかり。

 無用の長物だ。

 彼女、ティアフ・ケイ・エコンが、フォウリィにとって極大の地雷であり、反光聖派にとっての切り札であるのなら、表に出さずには意味がない。後生大事に持っていたところで、フォウリィの牙城を脅かしこそすれ、突き崩す力には成り得ないのだ。

 ……なんてことは。

 彼らとて承知のはずだ。

 重々承知の上で、それでも反光聖派はティアフを隠し持っている。

 いや、“それでも隠さなければいけなかった”のだと、ティアフは顔をしかめた。

「冷静になって考えてみろ。そんな謀略があったのだと、確たる証拠もなくあたしが出て行って話しただけで、誰もが素直に信じると思うか?」

「それは……」

 言われてみれば微妙な問題だ。

 ティアフが生きている、という事実自体は変えようがない。しかし、それがそのまま“フォウリィの嘘を暴く証拠”になるのかと言えば、決してそうではない。

「フォウリィが過ちを認めて、あたしの生存を受け入れれば済む話だ。良かった、生き残りがいた。それで終わり。あたしには嘘を立証する手立てがないんだから」

 全滅した、というフォウリィの発表が“過ち”だった証拠として、ティアフは十分に成立する。なぜなら、ティアフの生存はティアフ自身だけで、客観的に見て誰もが納得できるからだ。

 けれど、実際に誰がエスイーズやケンズたちを殺したのか、という疑惑にまで踏み込むと、これを露わにする証拠はなくなってしまう。ティアフがいくら見たと言っても、それが嘘である可能性は捨て切れないし、あるいは目の前で起こった惨劇に混乱して、そんな幻覚を見てしまった可能性だって捨て切れない。もしかしたら、これを勝機と見た反光聖派がそう言わせているのかも知れないなんて、穿った見方だっていくらでもできる。

 誰も、ティアフの証言を客観的には立証できなかった。

 そういう曖昧な状況において、信頼は一つの答えになる。そして、答えになるだけの信頼を満足に有していたのは、その時、反光聖派ではなくフォウリィだった。

「あの発表は“嘘”ではなく、“過ち”だったと入れ替わる。単なる間違い。早とちり。調査不足。フォウリィの信頼にも少しばかりの傷がつくが、大したことじゃない。へでもないさ。むしろ、過ちを素直に認めることでますます評価が上がるかも知れなかったし、もしあたしの生存がアルマリク全体の“幸運”として受け入れられちまったら、それこそ切り札としての力を失ってた。それで、一年前の事件は終わっちまうんだ」

 全滅だと誰もが諦めていたところに、ティアフが生きていたという幸運が舞い降りて、祝福の内に堂々幕が下りる。真実は埋もれたまま、照明が落とされて、二度と掘り返されなくなる。

 最悪だ。

 何もかもがつまびらかにされないまま、フォウリィの天下が始まっていたかも知れない。

「それを予測していたから、あたしを見つけた反光聖派はすぐにあたしを使わなかった。使えなかった。せめてフォウリィの側に知られぬよう隠すのが、精いっぱいだったんだ」

 戦略的な一時撤退。

 この判断は、一方では正解であり、また一方では不正解であった。

 上述の通り、エスイーズやケンズの死のショックに打ちのめされ、破れかぶれに反光聖派がティアフ生存のカードを切っていたら、十中八九返り討ちに遭っていた。事件に伴って世論が大きくフォウリィの側に傾いた時流を冷静に読み取り、攻勢の時は今ではないと判断し身を隠したことは、結果として組織の延命に繋がる英断だったに違いない。

 代わりに、彼らは切り札を手中に収めておきながら、大人しく表舞台から去らなければならなかった。フォウリィや光聖なしではもはやアルマリクは立ち行かないと熱狂する時の中で、自分たちは水面下に移行し、消えてしまったように潜んでいなくてはならなかった。

 反光聖のきらいのあった者は皆、こう思ったのである。

 ああ、反光聖派は、我らの掲げる理念はとうとう破れ、終わったのだ、と。

 まさに転機。

 光聖派と反光聖派の勢力が一転する決定機だった。

 その後のアルマリクが光聖一色に染まっていったのは言うまでもない。

「イチかバチかを仕掛けるなら、あの事件の直後が最高のタイミングだったんだろう。それを逃して時間が経てば、後は実際に表に出て行動している光聖が、着々と信頼を重ねていくのは分かり切ってたからな」

 ため息交じりに、ティアフ。ベッドに座って前のめりだった彼女が、ばたんと身を横たえる。

 一年前の事件と、それからアルマリクが……光聖と反光聖とがどう変わっていったのか。話は一区切りだ。

「それで、一年も経っちまったわけか」

「一年。仲間を殺されたニットが特に怒って、フォウリィの粗探しを積極的に始めた。浮かび上がってきたのがさっき話したフォウリィの経歴と、それから金の行方だ」

 ケスタが馬車の中でしてくれた中にもあった話である。

 フォウリィ・ウィンプスは、就任直後の奪還作戦以降も、二年の間に計五回の奪還作戦を行っている。そのどれもが失敗に終わったわけだが、これにはある事実が隠されていた。

「五回の作戦は、全て同じ内容で行われていた、改善がなされていなかった。そりゃ失敗するのも当然だ。これも相当な問題だが、もっと理解に苦しむのは、この作戦に注ぎ込まれた費用だ。注ぎ込むも何も、中身に変化はなかったんだから、基本的な準備以外に金はかかっていないはずなのに、実際にはもっと多くの金が使われていた」

 使われていた、というのは適切ではないかも知れない。

 作戦の内容やセイバーの装備、軍備の増強には一切関わりなく消費されていたのだから、それは奪還作戦の前後に大金が“消えた”と表すべきだ。

 アルマリクの資金が、アルマリクではないどこかに向かって、消えていった。還元されることのないであろう形で、出動されていってしまった。

「行く先は?」

「正確には分からない。けど、想像はつく」

「フォウリィが金を送りそうな場所、か。……うーん?」

 想像もつかない、と首をひねっていると、ばかだなー、とティアフが呆れたように息を吐いた。

「ケスタから、光聖がどういうところなのかって聞いたんだろ?」

「世界を守る組織」

「もっと具体的に」

「……“魔者に対抗する世界で唯一の軍を持つ組織”?」

「正解。この、魔者が世界中にはびこって人を食い殺す世界において、それとまともに戦い退ける力を持つ光聖がどれだけ重要なのか分かるか?」

 言うまでもない。

 光聖は世界にとって、“絶対と言って良いほどに重要”な組織だ。

 例えば、あのミノタウロスをエストっちやリエッタは軽々と倒して見せていたが、もし彼らではなく、対峙したのがセイバーでもないケスタだったらどうだろうか。

 おそらく、退けられてはいなかった。実際にどちらとも戦った俺だからこそ分かる。ミノタウロスとの戦闘は、ケスタの方が一方的に殺されていた可能性の方が高い。

 例えば、一年前の事件が終わってなおセイバーがアルマリクに手を貸していなかったら、今頃果樹園はどうなっていただろうか。

 おそらく、取り返せてはいなかった。撤退戦を満足にこなせなかった人員で、どうして同じ敵を相手に戦線を押し返すことができよう。魔者の勢いは止められず、そのままアルマリクごと滅んでいたっておかしくない。

 魔者の脅威が拭えぬ世界において、個々のレベルから圧倒的な戦力である光聖は、不可欠なのだ。

「もちろん、光聖だけがいれば良い、ってわけじゃない。でも、農家がなければ食料は賄えないが、農家は光聖がいなければ農地を拓けもしない。商人がいなければ物流が滞って何も手に入らなくなるが、彼らの旅の安全を保障しているのは光聖だ。鍛冶屋が武器を作らなかったら光聖の戦力はがた落ちだが、その材料を光聖の護衛抜きで採って来れるのか? そういうものなんだ、光聖の存在ってのは」

 光聖にんげん魔者ばけものこそ、世界の真理である。

 数百年前から極端に魔者の脅威が小さく、光聖に頼らずとも良かったアルマリクは例外だ。しかし脅威を身近に感じるようになった今、光聖に頼らずして果樹園を取り戻すことも、取り戻した果樹園をまた盗られぬように守ることも、もはやセイバーにしかできないのだと皆が知っている。

光聖やつらの軍事力は絶対だ。対人間にしても、対魔者にしても、光聖のセイバーに比肩する軍事力は光聖以外には存在しないし、存在し得ない。唯一で絶対の軍事力。光聖は、食わなきゃ飢える人間における食料のように、この世界と人類にとってなくてはならない“力”なんだ」

 ……と。

 光聖の有難みを延々と説いていたのは、つまり、フォウリィ・ウィンプスはそれだけ大層な組織に属しているのだということを、ティアフが俺に理解させるためだった。

 さて、本題だ。

 そんな絶対の力の内側にいるフォウリィ・ウィンプスが、奪還作戦を隠れ蓑にしてまで隠し、金を流す先はどこなのか。

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