第14話

 地下室へ入るにはいちいち仕掛け扉を解かなくてはならない。それだって、日中にケーキ屋が営業している最中はもちろん、仕掛けを解いて地下室に入ることは許されない。営業前の朝早くか、営業が終わった夜遅くか。見かけは食器の飾り棚である仕掛け扉が動く音は極力抑えられているとはいえ、それは外に聞こえない程度に過ぎないのだ。ケスタの言った通り、ホールに客がいる状態で動かしてみろ、地震でも起きたのかと騒ぎになること請け合いである。それで、ここの隠し部屋は存在がばれておじゃんだ。二年以上に渡って隠し通して来たアルマリク保守派、転じて“反光聖派”は、この隠し部屋の露見をタネに明確な反乱分子として摘発されてしまう。

「ていうか、二年も守り通せるもんなのか?」

「あるいはバレているのかもな。でも、光聖だって表立って騒ぎは起こしたくないんだ。この二年で、フォウリィはアルマリクの信頼を勝ち取って来た。あたしたちとの衝突は、今のままだと十中八九フォウリィ側の勝ちだけど、だからといって無傷で済むわけじゃない。今の地盤を維持したいなら、あっちは黙っているのが得策なのさ」

 隠し部屋のベッドに腰を下ろすティアフは、あの夜のぶっきらぼうとは打って変わって饒舌だった。俺がテスタの“試し”に合格したと聞いて、彼女は相当に喜んでくれたのだ。もっと冷めた反応をされるものだと思っていたから、正直に言って彼女が素直に喜びを露わにしたのは意外だった。とはいえ、俺の身を案じていたわけでも、俺という得体のしれない新入りを連れて来た体裁が保てたからでもなく、ただ純粋に“光聖を潰すコマが揃った”ことについての歓喜だったのは、素直に喜ぶべきか悩ましかった。

 言ってみれば、鍛冶屋に頼んで作らせた武具の出来が素晴らしかったと歓喜するようなものである。

 彼女はどこまでもストイックだ。

 あるいは、“光聖潰し”に固執していると言っても良い。

「あんたはケスタにどこまで聞いたんだっけか」

「二年前の冬に、この都が魔者に襲われたこと。果樹園が全壊して、多くの都民が死んだこと」

 ケスタは、往路で説明してくれたアルマリクの情勢……というか、ケスタら反光聖派ほしゅはとフォウリィら光聖派かくしんはの対立構造について、帰路ではそれ以上に詳しい話をしてはくれなかった。

 委細はティアフから聞け。

 曰く、それが筋である、と。

 夜になって地下室に自ら閉じ込められに行った俺は、今こうしてティアフを目の前にしている。

 十四、五歳の小柄な少女。肌寒い外の様子に反発するみたいな露出の多い軽装で、見た目はおおよそ人間然としているが、頭と腰には人間のものではない耳と尻尾がついている。黄金色の毛色のふさふさは、キツネに由来するものなのだという。

 可愛らしい見た目だが、言葉はきついし態度もきつい。加えて、人の首をバッサリと切るのにためらいもない思い切りの良さもある。見た目通りの子どもと思うと、文字通り寝首をかかれかねない、そういう非情な少女が、このティアフ・ケイ・エコンという人間の素顔だった。

「二年前の事件の話は聞いたんだな。それでアルマリクが光聖を必要としたのも?」

「聞いたよ。その波に乗って、ナントカってやつが首長になった」

 今は啓歴千六百二十一年、十一月。二年前というのはつまり、千六百十九年のこととなる。

「フォウリィ・ウィンプス公爵。二年前の夏にアルマリクの首長になった男。こいつは元々光聖の人間でな、実は首長になるずっと前からアルマリクにいたんだ。光聖の影響を強めるためにいろいろな活動をしていて、反対派を金で懐柔するようなこともしていた。ただ、何分アルマリク周辺は平和そのものだったから、フォウリィがいくら頑張っても光聖が必要とされることはなかったんだ。報われない苦労人だったってわけ」

「ん? アルマリクからはそもそも、光聖自らで兵を引き上げてたんじゃなかったか? アルマリクは平和だから、他に人員を割くとかで」

「その通り。でも実際にフォウリィはアルマリクに来て、光聖を何とか根付かせようとしていた。そんな矛盾した仕事をしていたのは、左遷を喰らって、閑職を押し付けられたからさ」

 大きなヘマをして、アルマリクという光聖の影響が極端に薄い土地に飛ばされてしまった。しかしフォウリィには、無理難題であろうと達成する以外に光聖の中で生き残る道がなかったから、苦汁を進んで舐め続けた。アルマリクが平和で有り続ける限り延々と続いたのだろう辛酸の日々、だが、それも事件が起きて一変する。

 光聖を必要とする世論が急激に形成されていくきっかけ、大事件が巻き起こった。

「二年前の冬、アルマリクの果樹園が大量の魔者に襲われた。光聖の力を借りていなかった当時のアルマリクじゃ、農夫が自衛団も務めていて、ちまちまと沸く魔者ぐらいは軽々蹴散らしてたんだ。でも、二年前の冬は違った。果樹園を捨てて撤退に全力を注いでも、終わってみれば何百人もの犠牲者が出てしまうぐらいに圧倒的な大群が沸いた。大勢が死に、その上食い扶持だった果樹園まで丸ごと奪われたんだ、その時の消沈振りと言ったら、悲惨なものだっだよ」

 ただし、フォウリィを除いては。

 当時を思い出すのか、ティアフが目をつむって話す。

「撤退さえままならなかったアルマリクの戦力じゃ、追い返すどころか、果樹園の一部を取り返すなんて夢のまた夢だったのは言うまでもない。そこで、光聖の出番ってわけだ。フォウリィにとっちゃ天運、渡りに船だった。撤退を終えたすぐ後の春にも都の外で犠牲者が出てしまって、光聖待望論は青天井に盛り上がった。こんなチャンスはないとフォウリィは考えたに違いないし、実際にやつはチャンスを逃さなかったよ。さっさと首長になって、アルマリク内の光聖派を一挙に膨らませたんだ。同じ年の秋には、公募を含めてフォウリィが整えた光聖のセイバー部隊が果樹園を取り返しもした」

 補足すると、果樹園に魔者の姿が目立ち始めたのは、正確には千六百十八年さんねんまえの年末である。ここから年をまたいで魔者とアルマリクとの間で小競り合いが続いていたが、千六百十九年にねんまえの一月上旬にわっと魔者の大群が現れて、趨勢が一気に傾いた。この、年が明けてからの猛攻と撤退戦が象徴的だったために、一般的には、この事件は二年前の千六百十九年冬に起こった、とされている。

 ティアフの話にあるように、フォウリィが首長になったのは同年の夏。そのすぐ後にやって来た秋に、フォウリィは果樹園の一部を取り返したのだ。

「電撃的だよな」

「光聖は基本的には良心で動く組織だ。正義の味方、何だよ。魔者の大群の出現、これによって何百人単位の人的被害が出たとなれば、これに対処しないわけにはいかない。光聖にしてみれば、二年前のアルマリクの果樹園で起こった大侵攻は、平和に呆けてセイバーを引き上げていた不意をつかれたようなものだった。世界の守護者としての面子を潰されたような衝撃だったのさ。だから、この侵攻への対処を急務として光聖がわっと動いたのは事実だが、フォウリィが当選する夏まで何の準備もしていなかったわけじゃない。それを指揮したのが首長になったフォウリィだというだけで、光聖は不意をつかれた直後から動き始めていた。都合、一年弱の準備期間はあったってことだな。しかし何にせよ、フォウリィは求められた仕事を期待以上にこなして見せたことも事実だ。その時には称えられたもんさ。やっぱり光聖はすごい。この調子なら、果樹園を取り戻すのにそんなに時間はかからないかも知れない、って」

 が、ケスタが言っていたように、その期待は大きく外れることとなる。一年を待たずに果樹園の一部を取り返す華々しいデビューを迎えたフォウリィと光聖は、しかし、今に至るまでの二年間に五度の奪還作戦を行い、その一度も成功させることはなかった。

 竜頭蛇尾、だったわけだ。

「でも、アルマリクは光聖に頼る他になかった。セイバーと非セイバーじゃどうしたって戦力に差がありすぎる。セイバーにできないことは、セイバーではない者には到底無理なんだ」

 俺はこの世界に目覚めて間もないが、既にセイバーと非セイバー、その両方と戦っている。果たして、両者にはそれほどの差があっただろうか?

 確かに、ケスタは強かった。

 風の魔法が使えるというだけなのに、目で追えないほどの速度で移動し、精密な制御が可能で小回りも利き、その速度を一撃に乗っければたちまち必殺の破壊力が備わる。

 攻防一体。反則気味なヒットアンドウェイ。だが、それだけだった。

 自分の周囲を空間ごと氷結させて粉々に砕いてしまう氷魔法のエストっち。撃って良しまとって良しの距離を問わない破壊の閃光を操る光魔法のリエッタ。比喩ではなく本当に見えない剣の一閃で届かぬ空間ごと切り伏せるあの晩の名も知らぬセイバー。

 断言しても良い。

 彼ら三人は、ケスタよりも遥かに強かった。近づかなければ攻撃を当てられない、という一点だけを見ても、ケスタは大きく彼らに劣る。

 つまりは、あれが“セイバー”と呼ばれる戦士の実力なのだ。ミノタウロスほどの巨体をおよそ一撃で沈める魔法力。俺という化け物をミンチにし続けるだけの攻撃力。確かに、殴るぐらいが精一杯のケスタに代表される非セイバーとは比ぶべくもない。

「ケスタは強いよ。今ならアルマリクの中で一番強い。光聖を除けばね」

 曰く、その実力は光聖の一般的な兵隊より少し強いぐらい、らしい。参った、あんなのがうじゃうじゃいるのか、光聖は。うなだれた俺の反応は全く正しかったのか、ティアフも同じように苦々しい表情を浮かべて頷いた。

「それだけ圧倒的ってことさ。だから依存するしかないし、頼りになるとも言える。それに、一年前の春。忘れもしない、千六百二十年の三月には、都の外で新たな犠牲者が出た。魔者の恐ろしさがアルマリクに更に深く浸透するには十分な事件で、あたしたちはますます光聖に傾倒していった」

「確かに、そんなにぽんぽん仲間が殺されちゃあ……って、一年前? 二年前の春にも人が死んでいるよな?」

「そう。二年連続」

「……何だそれ」

 不用意過ぎるんじゃないのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る