第11話

 公都アルマリク。

 東大陸ズィモアの北部に位置する、北側では二番目に大きな都市。人口はざっと二万。内、光聖のセイバーからなる軍隊はざっと四百人。人口に対する軍人の割合が二パーセント、というのは多くも少なくもなく、平均的な数値である。ただし、アルマリクは元々平和な土地にあり、光聖の庇護を強く受けていなかったので、アルマリクにとって現状の二パーセントは、歴史的に見れば異常な数値と言えた。

 ……らしい。

「それもこれも、二年前に現れた魔者のせいだ」

 荷馬車の荷台、木箱の積まれた中に、余所行きの服をケスタに恵んでもらった俺と、ケスタがどんと座っている。御者はメイルクで、他には誰も、ニットとティアフもついて来てはいなかった。

 実際に試しを行うケスタと俺、それから御者兼証人としてのメイルク。三人いれば十分、だそうだ。

「魔者って、そこら中に昔っからいるものじゃないのか?」

「この辺りは特別でな、魔者が極端に少なかったんだよ。アルマリクの南北に広がるアルマルベリィの果樹園は、平和そのものだったんだ」

 アルマルベリィとは、アルマリクの名前の元にもなっている果実のこと。直径四センチ前後の真っ赤な実で、同じ赤い色の実をつけるシューレンベリィの種の中では、特に甘味が強い。

 ……らしい。

 収穫期は十二月から年を跨いで二月まで。

 植え付けの時期を分け収穫期を大きくずらすことで、酸味の強い加工用と甘みの強い生食用とを一度に収穫する。ベリィは一般的に、寒さに当てれば当てるほど、果実が甘くなるのである。

 そんなアルマルベリィの果樹園で、二年前に事件が起こった。都の中で盗み聞いた話だ。

 その年の最後の収穫期を迎えていた二月の果樹園を、突如魔者が襲った。ケスタの言うところでは、“極端に少なかった”はずの魔者が、どういうわけか大群で南北の果樹園に出現し、あっという間にその大半を破壊、占拠してしまった。

 まるで噴水のようにわっと出て来たという、魔者の大群。何の前触れもなく行われた侵略に、アルマリクの住民は成す術もなく、追い出されるしかなかった。

「果樹園はほとんど、使い物にならなくなった。その上、かなりの人間が死んだ」

 当時を思い出すのか、苦々しく顔を歪めるケスタ。彼やメイルク、ここにはいないニットらは、その騒動を辛くも生き残った人間、というわけだ。ケスタの顔や身体に刻まれた数々の傷は、その時の騒動を戦った証だ。彼は戦士で、戦えない者を逃がすために時間を稼がなくてはならなかったのだ。

 そう、時間を稼ぎ、被害を抑えるだけで精いっぱいだった。魔者を押し返し果樹園を取り返すなど、夢にも思えぬほどに無理な話だった。

「平和ボケだった事実を否定する気はねえよ。本当に、それぐらい平和だったんだ。けど、都から離れた果樹園にはそれなりに魔者が出ていたし、俺たちは農夫の傍ら、魔者を退治する自警団みたいな役割も担ってた。決して、戦い方を知らなかったわけじゃねえ。その上で、あの襲撃は異常だった」

 魔者の強さも、現れた数も。

「俺たちだけじゃどうにもならないと理解するのに時間はかからなかった。今こそ、力を借りるべきだとなったんだ」

 こうして、光聖の庇護下になかったアルマリクにおいて、急激に光聖の需要が高まり、受け入れが進められた。波に乗って首長に就任した光聖派のフォウリィ・ウィンプスが、これを強力に先導したのだ。

「……ってのは、その後の世界の変遷を語る上でも重要な事件なんだが、おまえはこれも知らないってのか?」

「どうやら」

「本当に使い物になるのか、おまえ?」

 それは使ってみてのお楽しみ。自分にだって、自分がどれほど働けるかなど分かりはしない。記憶がないのだから、分かりようがない。ケスタは呆れ顔で、いくつかの補足をしてくれた。

「まずは、光聖。おまえが殺した聖刃セイバーの属する組織だ」

 彼らは、この世界の守り手である。昨晩あの少女が言っていた通りの、世界の味方だ。もう少し具体的に説明するのなら、『魔者に対抗する世界で唯一の軍を持つ組織』を指して、光聖と呼ぶ。対魔者に限らず、単純な戦力は光聖以外のどんな組織にも劣らない。どころか、圧倒的な差をつけて光聖の方が強力なので、魔者への対処は基本的には光聖が担う、世界を守る重要な役割である。

 この、正義の味方たる光聖に属し、世界全土で魔者と戦う軍人を広く『聖刃セイバー』と称する。光の刃、聖なる刃という意味が込められているが、皆が皆、刃の付いた武器を使う訳ではない。あくまで比喩、魔者を切り裂く正義の人をして、畏敬を込めてセイバーと呼ぶ。

 ちなみに、ケスタは魔者と戦えるだけの力を持つが、セイバーではない。生業として魔者退治を行うのではなく、自分たちの居場所を守るために戦うぐらいの戦士は、セイバーを除いてもそれなりの数が居る。魔法が使えて、ある程度の資質があって、きちんと鍛錬をしたのなら、魔者と戦えるだけの人間になることはそれほど難しい話ではない。

 中でも、セイバーは魔者退治そのみちのスペシャリスト、というわけだ。

「で、こいつらが戦っている化け物が、魔者。俺たちの果樹園を奪った世界の敵だな」

 世界を守る正義がいるのなら、もちろん世界を壊す悪意がある。それが『魔者』である。

 この世界にただひたすらに仇なし続ける存在。牙を剥く理由は不明で、出所も不明。この世の歴史が綴られ始めた太古の昔から今の今まで、途切れることなく暴れ続ける化け物。光聖を光とするのなら、魔者はまさしく対足る闇だ。

 理由も不明、出所も不明、という辺りには、自分について何も知らない俺には非常に親近感を覚えてしまう。というか、近しいもなにも、マイナーであるらしい俺は“魔者の一種”なのだから、それは当然の話なのかもしれない。

 魔者とは、厳密には世界に仇なす存在の総称であり、その内訳は全部で三種。

 最もポピュラーだが個々としての力がそれほど強くない獣型、マカイ。

 数は少ないが一騎当千の力を持つ人型、マイナー。

 マカイやマイナーを生むと言われる諸悪の根源にして伝説的存在、マスター。

「例えば、おまえが出会ったっつーミノタウロスはマカイの一種だ。対して、昨日街中で暴れてたセイバー殺しはマイナー……っても、おまえは見てないか」

「そんなのがいたのか?」

 ……そう言えば、昨晩ケスタがそんなことを言っていた。“光聖が追っていた別のマイナー”だったか。

「少女の姿をしていて、セイバー相手に大立ち回りだったそうだ。それで、あろうことか都の中でセイバーが一人殺されたって。おまえのところにすぐセイバーが来なかったのは、そっちの対処に負われていたせいだな」

 なるほど。夜まで安穏としていられたのは、俺のとっさの嘘が多少なりとも効いていたから、ではないらしい。向こうは対魔者のスペシャリスト。ミノタウロスと戦ったはずのセイバー二人の死骸がおかしいと気付くのに数分だって要していなかったとしても、俺とは別のマイナーが街中で暴れてセイバーを殺すほどの騒ぎを起こしていたので、こっちにかかずらわっている暇がなかったわけだ。

「少し脱線したな。そういう、果樹園に魔者が現れた大規模な襲撃事件が二年前の冬にあって、少し後の春にも都の人間が外で殺される事件があった。魔者の恐ろしさが浸透したことで、同じ年の夏、アルマリクのトップにフォウリィが就き、光聖の受け入れが急ピッチで進められた。実際、やつらは大したもんだった。その年の秋に、つまりフォウリィが就任してわずかに三ヶ月。奪われた農地のおよそ五分の一がアルマリクの手に戻ったんだ」

 奪われたのが一瞬なら、一部とはいえそれを取り返すのも早かった。実際に襲撃を受け、“個々としての力がそれほど強くない”とされるマカイでも、集まれば十分な脅威になると体験していたアルマリクの住人にとって、これをいとも簡単に押し返したセイバーはまさに、救世主であった。

 最初の襲撃を戦い抜いたケスタにすれば、なおさらである。

 アルマリクに最初から駐屯していたセイバーは二十人にも満たなかったのが、三ヶ月後の奪還作戦の頃には光聖本部から大増員が成され、百人規模になっていた。

 そもそもの話として、“アルマリクに最初から駐屯していたセイバーは二十人にも満たなかった”というのは、人口に対する軍人の数の平均から見てもあまりに少ない。これは、くだんの二年前の事件に十分に対処できなかった原因であるとも言える。が、これには大きく二つの理由があって、一つは、財政を極力光聖に回さず、農業と自前の都市防衛へと注いでいたアルマリクの都としての方向性。もう一つは、光聖としても、アルマリク周辺の治安を鑑みるに二十ぽっちの戦力で事足りると思い込んでいた慢心である。しかし、アルマリク周辺だけを見れば、魔者による大きな被害は千年以上にも渡って確認されていなかったわけで、激戦区をいくつか抱える光聖にしてみれば、平和なアルマリクに割く戦力を削って他に動員したいと思うのは仕方のない話でもあった。結果として、ろくな防衛力を持っていなかったアルマリクは、マカイの集団による突発的な襲撃に、悲劇に、満足に対処することが叶わず、多大な犠牲を払うこととなってしまった。

 あえて“幸い”だったことを上げるとするなら、本体である都が襲われたわけではなかった、ということ。それでも百名以上の死者を出したには違いないし、主要産業であるアルマルベリィの生産をほとんど丸ごと潰されたのも事実である。だが都を直接襲われていれば、何千人、何万人、下手をすれば全滅だって有り得た、それほどに大きな事件だったのだ。百の犠牲を“幸い”などと済ませて良いはずもないが、現れた魔者の総力とアルマリクの防衛力とを照らし合わせれば、被害規模だけ見れば「運が良かった」という結論も間違いではない。

「話は分かるんだが、今の流れでどうして、おまえらが光聖を恨まなきゃいけないんだ? 完全に逆恨み、逆切れじゃねーか」

 光聖に依存する必要はない決めていたアルマリク。アルマリクには戦力が必要ないと決めていた光聖。結果としてアルマリクは大きな被害を受けたが、そればっかりは誰が悪いという話ではない。あえて悪役を決めるなら、それは魔者になるだろう。

「そうだな。それだけなら、俺たちは光聖もセイバーも歓迎する。どうせ果樹園は休業だ。浮いた金を光聖の費用とするのも、セイバーが増えるのも問題ない。だが、光聖がろくな仕事をしたのは、それが最後だった」

「最後?」

「あれから二年経って、奪還は一度も成功していない」

 成功していない、ということは、挑戦はしている、ということだ。

 この二年で農地奪還を目的とした反攻作戦は五回ほど行われた。そのどれもが失敗に終わっている。

 最初の一回であっさりと大成功を収めておきながら、後は失敗続き。セイバーの数は増えているし、資金も潤沢に使える状態で、最初よりも条件は良いはずなのに、最初よりも悪い結果……いや、成果を残せてさえいない状況が、二年に渡って続いていた。

 確かに、この役立たずめ、金食い虫めと反発を生んでもおかしくはないが。

「そんなに責めるようなことなのか、それ。やることはやってるんだろ?」

 焦り過ぎ、急かし過ぎ、冷た過ぎやしないか?

 二年という歳月は決して短くない、とはいえ、光聖は何もせず都に引きこもっていたわけではない。俺自身もセイバーが魔者退治をしている現場に居合わせていたのであって、彼らが口だけでなく、実際に外に出て戦っていることを知っている。

 俺のような化け物相手にも逃げ出さず、最後まで戦い抜いたことを知っている。

 なんてこと、光聖の農地奪還作戦を見ていたケスタであれば、言われるまでもなく承知のはずじゃないか。そんな彼が、ああ、と肯定するようなことを口にしながら、しかし首を横に振る。

「やることはやっている、ように見える。奪還作戦も嘘じゃない。本当に戦いには行っているんだ。だが、結果が出なければ何にもならない。俺たちは何のために光聖に金を払っているんだって、そういう感情は沸いてくるだろう?」

「だからさ、すぐには出ないものなのかも知れないじゃないか。広大な果樹園を一挙に攻め落とすような大群だったんだろ? そう易々とは……」

「五回の奪還作戦。その内容はほとんど同じだった」

 同じ。そりゃそうだろう。同じ場所に同じ敵相手に奪還しに行くのだから、がらっと内容を変える必要はない。失敗した箇所をちょっと修正するなりで十分に対処は可能で……。

「……あ、それもないのか?」

「ああ、ないんだよ。遠征の結果を変えられるような修正が入った形跡はゼロだった。例えば単純に、セイバーの数を増やしたとか、腕利きのセイバーを加えたとか、そういうテコ入れさえなかったんだ」

 あれこれ策を練るよりもずっと簡単で即効性のありそうな戦力の増強すら行っていない、というのは変な話である。増やしたくても増やせない事情があったのだろうか。だとしても、作戦の方に工夫はあって然るべきだが、ケスタの言い様を聞く限りでは、中身をいじった跡も見つからなかったらしい。

 つまり、失敗した作戦を五回も繰り返した、という何とも度し難い話になってしまうわけだ。例えるなら、向こう側に行きたいからと、壁に向かって激突を続けるようなものだ。通れそうな亀裂を探すことも、壁を破ってしまうこともせず、延々と。

 そんなもの、まともな成果が見込めるわけがない。

「そうだろう? だが、フォウリィはアルマリクの資金を使い続けている。セイバーの戦力に注ぎ込まれるわけでなく、果樹園の整備や拡張に特別に注ぎ込まれるわけでもなく。おかしな話だろ」

 おかしなも何も、あからさまに裏のある話じゃないか。軍隊を維持するのに一定の費用が掛かるのは言うまでもないが、ケスタが問いただしているのはそこではなく。

「維持費以上の消費がある。あるいは、浪費だ」

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