第10話

 西側大通りに面するケーキ屋。それがティアフたちの隠れ家だった。裏路地に面した、厨房へ続く裏口。店員の休憩室に置かれた食器の展示棚が仕掛け扉になっていて、隠された地下室へと続いている。

 ランプがなければ足元も見えない暗がりの階段を下りて、時計塔のものよりもずっと頑丈そうな鉄の扉を押し開ける。扉の向こうは、塗装も何もされていない作りっぱなしの石造の、箱のように味気ない部屋だった。誰かの生活空間、というには殺風景で、机が一基とベッドが一脚置かれているのみ。部屋自体に光源があるわけでもなく、既にあった手提げのランプが机の上で煌々と照って、中を光で満たしていた。いかにも隠し部屋、避難場所といった風の、そんな牢獄みたいな一室で待っていたのは、先に出会った二人の内の片方、大男のケスタと、もう一人は見たことのない人間だった。

 すらと背の高い男で、ケスタのように極端に筋骨隆々というわけでなければ、この場にはいないあの犬耳のメイルクのようにひ弱に見えすぎるというわけでもない。顔立ちの整った、優しそうな表情の男である。

 ティアフに促され、見世物みたいに部屋の中央に置かれた俺に、男は柔らかく微笑んだ。

「ようこそ、セイバー殺しくん。名前は?」

「ロー」

「ローくん。ようこそ。わたしはニット・ナインデック。一応、保守派のリーダーをやっている者だ」

「ほしゅ? って、何だ?」

「ああ、その辺りの説明もまだ、していないんだっけ」

「してねえな。その前に、確認しておきたい」

 ケスタが俺の前に立つ。ゆうに二メートルは超えそうな長身、目前に立たれると視界の全部が覆われてしまうほどの恵体。どでんと壁が立ちはだかって来たみたいな威圧感がある。

 その横を抜けて、ティアフはニットの側へと行ってしまった。ベッド近くの壁にランプをかけ、後はお好きに、静観モードといった構え。ケスタは刺すように俺を睨んでいるし、ニットと名乗った男がどういう顔をしているかはケスタに隠れて分からないが、この敵意にも似た威圧を隠そうともしない彼を止めないのだから、もちろんそっちの味方であるのだろう。

 こっち自分一人、アウェイ、というやつだ。さて、ホームはどこにあるのやら。

「おまえは、仲間になるんだな」

「じゃなきゃここには来てない」

 見上げて、見返す。当然ケスタは視線を外すどころか、ずいと目を細めて受けて立って来る。

「一度断ったやつが、どうしてその気になった」

「欲しいものができた。それをくれるとティアフが言った。だからだ」

 ケスタの視線が俺からティアフへと向く。おそらくニットも同じだ。矛先を向けられたような形だが、ティアフは気にもしていないようだった。

「知識、だとさ。そいつは記憶喪失なんだ。この世界のこと、そいつ自身の正体も含めて教えてやるのが、そいつとした約束だ」

 ティアフは大人二人に対しても態度を変えない。口調を改めない。つっけんどんで、素っ気なく、俺が言えた義理ではないにせよ、年上に取る応対ではなかった。けれど、ケスタたちが何も言わないずに話を進めるところを見ると、彼女はいつもその調子なのだろうと察せられる。

 きっと、ものすごく扱いにくいに違いない。

「知識、ね。ティアフ。わたしたちのことは話したのかい?」

「いや、全く」

「それじゃあ、何をするかも知らないわけだ。……ん。それだけは、はっきりさせておかないとだめだね」

 ニットがそう言うと、ケスタが俺の前から退いた。伝えるのはニットの役目、ということだろう。柔和だった雰囲気から一転、射抜くように俺を見たニット・ナインデックは、簡潔に、それを口にした。

「この都、アルマリクに巣くう光聖を潰す」

 特別に怒りを込めたり、殺気を纏わせたりもせず、ニットの声色はあくまで平坦だった。近いものをあげるならそれは、俺を殺すと言ったエストっちとリエッタの声音だろうか。事務的だからこそ、必要であるという意図を強く感じさせる。そうしようとか、そうしたいとか、甘い願望の入る余地の一切ない、当然のように“そうしなければならない”という宣言だ。

「光聖ってのは、簡単に言えば正義の味方。この世界を守ってくれる、みんなの守護騎士だ」

 これはティアフの補足。俺は当然、その辺りの事情にもさっぱりだが、ティアフはその辺りの事情をきちんと理解しているので、的確に助け船を出してくれた。ケスタとニットは、そんなことも知らないのか? と言いたげだったが、同時に俺がどの程度の記憶喪失なのかをはっきりさせるには打ってつけだったろう。

 本音を言うなら、別に光聖が何であろうと、俺は彼らに手を貸す約束を違える気はなかった。かのセイバーとやらが大勢属する組織の名前が“光聖”なのだろうとは大方予想がついていたから、それ以上の知識はあってもなくても関係なかったのだ。何せ、ここで彼らに協力しようがしまいが、俺は既に彼らと敵対している。二人のセイバーを殺し、五人のセイバーを脅した。もはや修復不可能な関係だ。敵がその、セイバー擁する光聖だと言うのなら、手を貸すのには何の異論もない。文句を言える義理ではない。

 究極、彼ら保守派がなぜ、どうして光聖を目の仇にするのか、その理由だってどうでも良いのである。だって、俺は既に敵対しているのだから。

「心強いね、それは」

「だが、おめえがあのエストとリエッタを殺したってのはどうも信用がいかねえ。光聖が追っていた“別のマイナー”に殺されたって話もある。どういう手の内なんだ、おめえは」

「それは……」

 答えにくい。いや、馬鹿正直には“答えられない”。

 ちらりとティアフを見ても、彼女は今度は何の助けも寄越さなかった。新たな指示がない、つまりは“言われた通りにしろ”というお達しだ。

「……単に俺が強いんだよ。それだけだ」

 端折ってはいるが、間違ったことは言っていない。

 俺の方が強いから勝った、とは覆しようのない真理である。

 もちろん、ケスタの質問はそんなに簡単なものではなかった。どうやって勝ったのか、いかにして破ったのか、どんな魔法が使えて、どんな技術を持っていて、どんな戦法を弄することで、あの二人を殺すことができたのか。事実を証明するだけの証拠を見せろと、ケスタは言ったのだ。

 時計塔でかわしたティアフとの約束で詳しく説明はできないものの、しかし、正直に答えたところでケスタが納得するかどうかははっきり言って微妙だった。俺は何も、魔法や技術や戦法をこねくり回して勝負を制したのではないからだ。ただ単純に、無限のしなない物量で当たっただけ。つまりは。

「力押し。俺の方が力が強かった。あいつらの魔法をもろともしないぐらいに」

 強かっただけだ。

 嘘は吐いていない。戦いの決着は、どちらがより強くてどちらがより弱かったのか、という単純な比較なのだ。知恵や技術で本来の力量差を誤魔化して勝ちを拾うこともあるだろうが、それは、その戦いにおいては一方の総合力が勝った、という結果が出ただけ。

「そこまで言うならいいだろう。明日、見せてもらう。いいな」

 黙って、俺は頷いた。

 ケスタはとりあえず満足したようで、ニットを連れてさっさと地下室を出ていってしまった。後には俺とティアフ、俺たちが持ち込んでランプだけが残る。

 男二人がいなくなっただけで、部屋がうんと広く、寂しくなったように感じた。やっぱり、あのケスタという大男の存在感は半端ではないのだ。俺の二人分、ティアフに至っては三人分ぐらいはありそうな巨漢である。

 二人が出ていって少しすると、ごごごご、と仕掛け扉の動く音がする。石造りの階段を通じて音が振動となって部屋に伝わり、内側で反響するのだろうか、いやに大きく、太く聞こえる駆動音だ。彼らは地上の店内に戻っていった。扉が閉まると音が止んで、それからティアフはぼふ、とベッドに倒れこんだ。疲れているようには見えなかったが、それなりに緊張はしていたのかも知れない。俺はティアフにとって、ある意味で地雷なのだ。だからあの時計塔で、ここに来る前の俺にとつとつと忠告を言って聞かせた。守るように、厳重に。おそらく、俺は過不足なく忠告を守り切ったはずである。が、嘘と演技が下手なのは自覚するところだ。当日の夜にセイバーが押しかけて来たのだって、あの(後付けの)カムフラージュを見破ったからだろう。多分、門番での白々しい受け答えも誤魔化しにすらなっていなかった。となれば、俺に嘘を吐くことを強要したティアフは、きっと気が気じゃなかったのだ。

「今日はもう寝ろ」

 石室は冷たいのでも暖かいのでもなく、言うなれば人肌の温度の空気が詰まっている。だから、暖かくするのでもない薄手の布団を被ったティアフは、そう言うなり寝転がったままランプを消した。

 ぱ、と真っ暗闇に落ちる。地下にあって採光はなし。魔法で火を入れるランプがなければ、ここには何一つ光源がない。俺がいくら再生したって灯りにはならないわけで、意外と、この強靭な再生力というやつは役に立つ場面が限られているんだなあと、無力さを噛みしめたりもする。死なない、は万能ではない。死を克服したって、できないことはたくさんあるのだと思い知らされる。

 これほど何も見えないと、さっきまで見ていたはずの部屋のレイアウトさえ、この暗闇に引きずられておぼろげになってくる。無為に動けばどこそこに身体をぶつけること請け合いだ。といっても、自分から見て部屋の反対側にベッドと机があるだけだから、本当に無為に動かなければぶつかることもないだろう。万が一ぶつかったところで、俺は怪我をしないのだし。まあ、机を壊したりベッドを蹴りつけたりすればティアフからのブーイングは避けられないのだが。

 ただでさえ目が利かないのに、見えない攻撃ブーイングなんて避けようがないじゃないか。俺は移動を諦めて、背後の壁に背を預けて座り込んだ。

 ちなみに、ランプに火を入れることも俺には不可能だ。何しろ魔法が使えない。使った経験がなければ、使った記憶もないのだから、使えるわけがない。ティアフが言うには、俺の再生は魔法ではないようだし、死を克服したところで、ティアフが軽々とやってのけるランプの点けたり消したりもできないのだから、やはり無力もいいところだ。消したランプに火を入れてやる嫌がらせもできないなんて。

 別に、喉を掻き毟って悔しがるほどに嫌がらせをしたい欲求があるわけではないけれど、こうも無碍に扱われては、一矢報いたい気分になるのも仕方のない話ではないか。

 そうしてとうとう、俺はこの暗闇に対して一切の有効打を持たないのだと悟って、押し黙って空を見つめるだけの行為に至った。虚無だ。宙を見ているのだとも、天井を見ているのだとも言える目線の角度にも、こうなれば意味はない。

 その内、ティアフの寝息が聞こえて来た。とても違和感のある音だ。それもそのはず、なぜ彼女は、ケスタたちと共に部屋を出ていかなかったのか。どこの馬の骨とも知らない俺を地下室に閉じ込めておくのは納得がいくが、彼らの仲間であるはずのティアフまでもが一緒に押し込められている現状は、考えてみれば不可思議な話である。連れて来た責任? 保護者の代わり? あるいは見張り? 彼女のことも彼らのことも知らない俺には、正解がどれなのか、もっと別の正解があるのかも、ちっとも分かりはしなかった。確かなのは、ティアフはごく自然にこの場所に残ったのだ、ということ。言い換えれば、ケスタもニットも彼女を連れて出る素振りなど少しも見せていなかった。

 少女を地下室に閉じ込めておく理由など、きっとそう多くはない。その多くはない理由も、分けようと思えば大きく二つに分けられるはずだ。

 好かれているか、嫌われているか。

 守られているか、遠ざけられているか。

 俺にはどっちとも分かりはしない。明日の朝まで悩んでみて、それでもやっぱり分からなかった時には、いざ直接聞いてみようか。もちろん、答えてなどくれないのだろうけど。

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