第7話
格好つけてセイバーから逃げ出した俺だったが、何かアテがあったわけではない。唯一頼れそうなのは最初に俺を殺しに来た少女だけ、それだって、どこぞから盗んで来た人相の隠れるフードのついたローブに身を包んで、日の高い間にずっと街中を歩き通しても、ついぞ出会うことは出来なかった。
というか、この都は歩いて人探しをするのは無謀だと言い切っても良いぐらいには大きかった。
名前を公都アルマリク。アルマルベリィとかいう果物が名産で、名前もそこから取っているのだろう。しかし、一年前だか二年前だかに果樹園を魔者に襲われてからは、生産もがくっと落ち込んでいるらしい。“落ち込んでいる”で済んでいるのは、光聖が同年に一部の果樹園を魔者から取り返したからだった。この活躍がなかったら、今頃はアルマルベリィの収穫も叶わず、アルマリクという名前も意味を失っていただろう。
以降は果樹園を舞台に、光聖と魔者が一進一退の攻防を繰り広げているそうだ。昨日隊長と呼ばれていた男が“アルマリクは激戦区だ”と言っていたのは、そういう意味だった。光聖の踏ん張りが甘ければ、今に前線が崩壊して魔者が都になだれ込んでくるやも知れぬ、そういう瀬戸際に公都アルマリクは立たされているのだ。
「ああ、もう陽が落ちてきている」
散策の後半はほとんど、あの少女を探すことを諦めて、人の集まるところに寄ってはこっそり耳をそばだて、自分を取り巻く状況の把握に努めていた。参加するでもなく盗み聞きをするのが少し楽しくて夢中になっている間に、随分と時間が経っていたようだ。
とはいえ、半日かけて分かったことと言えば、自分のいる公都の情勢ぐらいなもの。積極的に情報を集めるのでもなければ、その程度が限界なのだろう。後は、昨日のセイバー殺しが捕まっていないこと。そんなセイバー殺しを探しているやつらがいること。
それはまあ、当事者だし、聞かなくても分かるのだが。
……ん?
「おい、おまえら」
「あ?」
セイバー殺し云々と、大通りから少し入った路地に立って話していた男どもに声をかける。彼らが日向から外れているのは、明らかに人目を避けてのことだった。巨岩か大木かというほどにがたいの良い、熊の耳と尻尾が付いた大男と、それに比べれば普通……痩せぎすメガネで犬耳尻尾の男、そういう二人組だ。
大男の方が俺を一瞥すると、手の甲をこちらに向けて振って見せた。
「忙しいんだ、あっちに行け」
「セイバー殺しを探してんのか?」
「探してねえよ」
「今、セイバー殺しはどこ行ったみたいな話をしてただろうが」
「うるせえガキだな。してねえって。探してんのは光聖だ。あいつらは血眼だろうよ」
「そりゃ、まんまと逃げられたからな」
大男はぴくっと少し引きつったみたいな反応、痩せぎすの方は分かりやすくぎょっとして俺を見た。今のはベストな返しだったらしい。
少し遅れて、じろりと、大男がこちらに目を向ける。ただでさえでかいのに、脅すような剣幕も隠さず見下ろされるとものすごい圧迫感があった。怖いか怖くないかで言えば、昨日隊長と相対した時よりもずっと恐ろしいぐらいだ。顔や腕に刻まれた無数の傷跡も、凄みを増すのに一役買っている。薄手のシャツで見えてはいないが、おそらく身体中に刻まれているのだろう。
ただ者じゃない。肌寒いというのにシャツ一枚だからという話ではなく、単純に、その体格が普通じゃなかった。
「耳が早えな、ガキ。あんまり人前でそういうことを言うもんじゃねえ。光聖が飛んで来るぜ」
「おまえらが今、話してたことだろうが。自分を棚に上げるな」
「光聖がセイバー殺しを取り逃がしたなんて話が表沙汰になって見ろ。混乱が起きる。信用が落ちる。やつらがそれを許すわけがねえ」
「俺を殺しに来たもう一人も同じようなことを思っているのか、それ?」
「……はあ。メイルク」
「了解。君、少し質問に答えて見て」
メイルクと呼ばれた痩せぎすメガネの方の口調は優しかった。明らかに子どもに対するそれだ。というより、初対面の子どもに対して大男の方のけんが有り過ぎるのだ。社交辞令とかそういうものをまるで解していない。むろん、俺が言えた義理ではなかったが。
「昨日、君のところには何人のセイバーが来たんだい?」
「五人。隊長一人とその他四人だ」
メイルクがため息を吐きながら首を横に振って、合ってる、と答え合わせをした。言動がちぐはぐなのは多分、呆れているか、あんまり嬉しくなかったからだ。命じておいて、巨漢の方も大した反応は示さず、ひょいと背中を向けてしまった。
「ガキ、夜まで隠れてろ」
「隠れる? 何で?」
「見つからなければどこでも良い。夜が更けたら西の端の時計塔にいろ。迎えをやる」
話はそれからだ。大男は言うだけ言って、こっちの質問には一切答えることはせず、表通りに止めていた馬車の方へと歩いて行ってしまった。
何とも身勝手で乱暴な指示である。そもそも西ってどっちだよ。なんていう困惑をメイルクが察したのか。
「時計塔は二つあるけど、その内の低い方が落ち合う場所だ。西は向こう。まあ、方角が分からなくても、背の低い時計塔にいれば良いよ」
「いや、だから、それに何の意味があるんだよ」
「話を聞きたいから、僕たちに話しかけて来たんだろ? もしそうなら、言う通りにしてくれれば望みは叶えられる」
彼もこの場で多くを語るつもりはさらさらないようだった。あしらわれた、という意味ではさっきの巨漢の方と大して対応は変わらないのだが、ちょっと丁寧にされるだけでも随分、断られた俺の方の受け取り方も違うものだった。この話の流れになら、反発せずに従った方が得策だと直感する。
「……隠れるのは良いんだけど、どっか、隠れられる場所があるのか?」
「大通り、公爵の屋敷、光聖支部、南北の出入り口……セイバーが詰めているのはこの辺りだから、そこから外れていれば見つからないと思って良い。アルマリクは広いからね。ただでさえ本隊は出払っている、全部をカバーはできないさ」
つまりは、隅の方で小さくなって大人しくしていろ、ということだった。
「助かったよ。……あー、メイルク?」
「そう。僕がメイルク。さっきのでかいのはケスタ。君の名前は……いや、今夜の楽しみにとっておこうか」
にこりと笑って、メイルクが大通りに出ていく。荷馬車の御者席に座ると、馬を操ってとことこと離れていった。
見送るでもなく、俺も背を向ける。メイルクが示した西とやらは、今のところ大通りの反対側、路地をもっと深くに入っていく方角だった。とりあえずはそちらに歩いて行こう。屋根の上に出るのは暗くなってからである。
――――――そう決めて、数時間。
誰ともすれ違うことなく日は沈み、夜がやってきた。路地から覗く大通りにも人の姿がまばらとなり、代わりに家々から暖かい色の灯りが漏れ始め、路地の角に影を落としていく。あちこちから夕餉の支度、あるいは最中と分かる音が聞こえ始めて、何となくの時刻が分かるようだった。
そういえば、目を覚ましてから一度も食事をとっていない。
我ながら気づくのが遅いと呆れるばかりだが、それもそのはず、腹が減ったと一度も思わなかったのでは気づきようもない。緊張感や急展開に腹の虫さえ置いて行かれた、わけではなくて、文字通りの空腹知らずだった。
食器の鳴らす軽妙な音の粒を耳にしていてなお、腹の虫はだんまりだ。香りにもまるで釣られはしない。腹の虫というやつが本当に棲み着いているのかも怪しいぐらいで、もしかしたらそれは、ああ、自分は人間ではないのだと実感した、これまでで最大の瞬間だったのかも知れなかった。
不思議な気分である。腹が減らないのに、腹が減るという感覚を知っている。
自分についての新たな見地を得ながら、俺は路地裏を歩き続けていた。隠れておけと言われた手前、姿を見られて何かあっては困りもの。こんな時間に路地裏を歩く独りの影はさぞかし怪しいことだろうて、できるだけ灯りの少ない路を選んで、角を曲がり、奥へ奥へと進んでいく。あっちへふらふら、こっちへふらふら、足音に気を付けながら歩む狭くて細い路地裏は、まるで巨大な迷路のようだった。
もう随分前から自覚していたが、もはや自分が今どっちを向いているのかは分からなくなっていたし、もちろん、西がどっちだったかなどちっとも分かっていなかった。そんな状態では、数回も角を曲がると今来た道でさえあやふやになってしまう。アルマリクに立ち並ぶ民家の様式は皆、似たような姿形だった。白い石材の壁と、赤い煉瓦の屋根。地面に目を向ければ色の変わらない石畳が続いていて目が回りそうになる。目印になるものがないアルマリクの路地裏で方向感覚を保ったまま歩くのは、新参者の俺にはあまりに難儀だった。
傷がすぐ治るなんて特技、迷子の前には何の意味も成さない。
それでも歩みを止めなかったのは、人の目がある内に屋根に上がれば発見されるかも知れないという危惧があった上で、かといって路地裏で歩みを止めれば余計に人目に付くのではと考えていたからだった。この危惧が正しいのだとすれば、俺には歩き続ける以外の選択肢がなかった。ケスタとメイルクだって、大通りからちょっと入った路地に立っていただけで悪目立ちしていたのだ。“路地裏にいる”というシチュエーション自体がもはや、他人の疑念を無条件にかきたてる演出だとさえ言えた。だから俺は屋根に上がるでもなく、足を止めるでもなく、方向を見失ってもめげずに、くねくねと折れ曲がる狭い路地を考えもなく進み続けたのだった。
とっぷりと日が暮れて。
かといって寝静まったわけではない宵闇。夕焼け空の下よりは屋根に上がって気づかれる可能性は低くはなっているだろうが、なくなった、ゼロになったとは決して言えなかった。だから俺はまだ、歩く以外に脳のないからくり人形のようにひらすらに裏路地を縫っていた。狭い路地から見上げる星空は小さく切り取られて、何やら息苦しい。何より深刻なのは、こんなに限られた視界では待ち合わせの時計塔だって見つけられないという問題だった。“塔”と呼ばれているくらいだから、背の低い方とは言っても、民家よりは頭いくつも抜けているはず。近づいていれば見えそうなものだが、今のところ、それらしい影を小さな夜空の中に見つけてはいなかった。遠ざかっているのか、空が狭すぎるのか、あるいはどっちもか。
ケスタが指定した時間は“夜”である。何ともアバウトだが、陽が落ちて、星が瞬き、街から音が消え始める。アルマリクは既に夜の時間帯に入っているには違いなかった。つまりは、彼らの言っていた迎えとやらがもう、西の時計塔にやって来ていてもおかしくないのだった。あまり悠長に、しんと冷えた夜街を散策している場合でもない。大通りへ出ないよう、無駄かも知れないと思いながら意識して道を選び、丁度良いと思われる深さの路地裏で火の入っていない家を見つけては、決意を固め、とうとうひょいと跳び上がった。
かたん。
気を付けていても、踏んだ煉瓦が音を立てるのは止められない。
視界が開けたせいか、そんな小さな音でさえ都の隅々にまで届いているかのようだった。実際、似た高さの民家が絨毯のように敷き詰められた屋根上の空間には音を邪魔するものがないから、針の落ちる音だって良く良く響きはするだろう。
ともかく、けいらのセイバーにさえ感づかれなければ良い。
ぐるりを見渡すと、特に大きな建物がいくつか目に入った。“塔”がその内のどれなのかは、想像通り縦に細長いシルエットをしていたおかげで簡単に判別できた。加えて、今の地点と両塔への距離を考慮に入れてもなお、比較してみれば高い低いもあからさまで、西側の時計塔がどちらかを見極めるのも簡単だった。同時に、地べたを駆けずり回っていた俺が、実は全く明後日の方向へ進路を取っていた恥ずかしい事実も判明したが、今やそんな事実には何の意味もない。
こうして開けた場所に出て、向かうべき塔の位置を確認してしまえば、後のことは関係なかった。
とんからとん。煉瓦の屋根を伝い、家々を跳ねて渡る。といっても、あまり高く頭を出せば見つかるかも知れないから、空に身を委ねる時間もそう長くはできない。ちょっと前まではどこにあるのかも、どれだけ近づいたのかも分からなかった(ていうか遠ざかっていた)西の時計塔も、屋根に出て見つけさえしてしまえば、そこまでの道のりは何のことはなかった。
あっさりと、俺は時計塔の立つ広場に面した家々の一つに辿り着いたのだ。
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