第6話

 視界に収めていたはずなのに、俺はその剣筋を見過ごしていた。首が胴体から離れる頃になってようやく、その軌跡が月明かりではなく、剣から漏れる白い光で描かれていた剣筋なのだと理解した。まるで現実の方が追いついていなかったように後付けされる、輝く弧。ベッドまでが一刀両断にされ、足のない内側の方に揃って倒れる。身体と頭も逆らうことなく、ベッドの崖、床の谷底に流れ落ちた。

「殺した、のですか?」

「首を落とした。これで死なないマイナーはそういない」

 男が背を向ける。俺は確かに、その彼が背を向けるのも、一般的らしいマイナーについての知識を披露するのも捉えていた。けれど、身体が動かなくて、眺めているしかできない。

 首を貫通するほどの傷と、首が切り落とされるほどの傷。致命的だ、という意味ではどっちも程度に変わりはないと言えるし、俺にとっては致命傷にならない、という意味でもやはり変わりはないと言える。なのに、俺の身体は男に首を落とされて初めて、死んだみたいに動かなくなっていた。

 何が違う。どっちも急所の首をやられているには違いないじゃないか。

 それとも、頭を胴体から切り離すかどうか、が重要なのか? 脳みそがついていなければ首から下は動かしようがない、というのは納得できる話だが、もしそうなら俺は宿屋にだって辿り着くことはできやしなかっただろう。

 その前に、エストっちとリエッタに軽く殺されていたはずだ。

 百回は軽く殺されていたはずではないか。

 なら、怪我の大小は関係ない。関係ないとして、他に違う点は何だ。

 ……――“傷をつけたやつ”、か?

「ああ、なるほど」

 答えが分かると、身体が動いた。声に応えて、男の動きが止まった。解決するのは簡単だった。

「セイバー。おまえらの攻撃は、俺の反対側にあるんだな。俺を殺せるようにできている。いや、マイナーを殺せるようにできているんだ」

 首なしのまま立ち上がり、人形の首でも据えるみたいに、自分の頭を拾い上げて元あった場所にくっつける。そう、答えはつけられた傷にではなく、その傷をつけた人にあった。

「白い光。エストっちやリエッタの魔法にもあった光だ。俺はそれを無視できねえ」

「化け物め」

 男が振り返って、改めて剣を構えた。少しひるんだように見える他のセイバーも、慌てふためくことなく剣を構え直す。全員、同じような装備だった。俺の首をはねた男は格上なのか、兜や剣、鎧、マントの留め具なんかに少しばかりの装飾が足されていて、他とは見かけから区別されている。

 特に、兜に施された“金色の羽”が印象的だった。

「ちゃんと治さなきゃならなねえんだな、それは。厄介だぜ、おまえら。エストっちとリエッタの時は再生しっ放しだっ――――聞けよ、おまえ」

 一閃。届かない距離、“羽兜”が切り上げる動作で剣を振った。素振りに終わるはずの一太刀は、ざくと俺の左肩から先を切り落とした。だけでは済まず、ばりんと背後の窓を割って、ばこんと宿屋の壁を崩した。宿屋の一室には大きな風穴が空いて、月明かりが差し込み、部屋全体を照らし出す。

 魔法の類か、相変わらず見切れる気のしない早さだが、イメージとしては“振るった剣の延長線を丸ごと斬っている”感じだ。さっきと同じ、全部が終わった後に、実際に振るった方の剣の軌跡が光となって中空に現れる。その軌跡から延長線を辿れば、確かに俺の左肩を通って後ろの壁に突き抜けていくルートができあがった。

 片手間に再生しながら、俺は続ける。傷は付けられたそばから回復していれば、身体が動かなくなる時間は刹那にも満たない。

「おまえら、セイバーだよな?」

「……貴様は何だ。どうしてここにいる」

「くそ。こっちの質問には答えねえのかよ。じゃあいい。方式を変える。答えてくれたら、そうだな、おまえらのことは殺さないでやるよ」

「……何だと?」

「舐めるな、化け物が!」

 剣閃を飛ばすリーダー格の羽兜、その背後にいた内の一人が痺れを切らして飛び出した。剣が光る。リエッタが見せた魔法と同じ発現の仕方。だが、レーザーが出るわけでなく、延長線の物体を切るわけでもなく、男は直接、俺の胴体を狙ってきた。右の肩から斜めに左の脇腹へ、貫通すれば半身を袈裟に切って落とす一撃。

 ぐぐ、と身体の中央まで刃が入ったところで止まる。気にせずに、俺は男に話しかけ続けた。

「別に全滅させてもいいぜ」

「……聞いてやる」

「隊長!」

 俺に切りかかったのとはまた別の配下の一人が、羽兜に向かって声を張った。そちらを向くでもなく、羽兜は俺をじいと睨んだまま……フルフェイスだから目線は追えないのだけれど、今は抑えろ、と指示を出した。

「これ以上の犠牲は避けるべきだ。一日に何人もセイバーを失うわけにはいかない。ただでさえアルマリクは激戦区の内の一つなんだぞ。均衡を崩せば都が滅ぶ」

「しかし! こいつはもう三人も……!」

「剣を引け、ハスベル」

 ハスベル、と呼ばれたのは、俺に刃を入れたセイバーだ。俺と隊長とを交互に見てから、観念したのか、ゆっくりと剣を抜いて後ずさった。渋々と言った様子、苦々しい表情……を兜の下ではしているに違いない。背中にまで到達していた傷口が塞がっていく。左肩から先もすっかり元通りになっていた。

「そう構えるなよ。難しい話をしようってわけじゃねえ。ただ、おまえらの望みを聞いてみたいと思っただけだ」

「望み、だと?」

「そうだよ、隊長。例えばおまえ。おまえは、どうして戦うんだ?」

「……」

 すぐに答えが返って来るかと思ったが、しかし、羽兜は油断なく剣を構えたまま、硬直してしまった。何か、理解できない未知の言葉でも投げかけられたみたいな反応だった。それとも、思いのほか難しい質問だったのだろうか。

 彼らはきっと、セイバーと呼ばれる集団であり、セイバーという集団は多分、多くの人が暮らすこの都を守るための兵隊を指すのだろう。目の前に相対する鎧の集団はもとより、あのエストっちとリエッタ、親切な門番だってそうだ。そして、そんな都の平和を脅かすのが魔者。あのミノタウロスや、俺のような化け物、というわけだ。

 人間対化け物。分かりやすい関係じゃないか。答えだってすぐに出てきそうなものである。

 羽兜は数秒ほど悩んで、厳かに答えを口にした。

「正義のためだ」

 溜めた割りには普通、よりも漠然としていて分かりづらい。

「もうちょっと具体的に」

「具体性などいらない。正義は正義だ。わたしが守れるもの全て。守るべきもの全て。守らなければいけないもの全て。悪意や悪災に対する全てが、わたしの戦う理由だ」

 くそ真面目に、とんでもないことを言ってのけた。

 ふざけている様子は微塵もない。こっちをばかにしている様子もない。分かるのは、いきなり剣を突き立て首をはねなければならないような化け物のきまぐれな質問に、この男は生真面目に悩み、言葉を選んで答えて見せたのだ、という事実だった。

 誠実で、こっちが面食らうほど実直だ。俺は思わず。

「何だよ、理想っぽいんだな、おまえ」

 と、笑ってしまった。

「何がおかしい。光聖は、聖刃セイバーは、我々は、貴様らのような無秩序な破壊者を一掃し、この世界を救うために戦っている。当然だ」

 俺の幼稚な返しにも、男は全く乗らず、やはりくそ真面目な返答をして見せた。鼻で笑った自分が情けなくなって、それ以上笑い飛ばすこともできなかった。

 世界を救うことが理想論じゃなくて何なんだ。

 全くその通り。反論する気も起きない。

 こいつはそれを理解している。理想だと理解した上で、それを理由だと言い切っているのだ。

 ちょっと。

 いや、かなり。

 何を望むべきかも定まっていない今の俺にはスケールが大きな話だった。

 聞くべき相手を間違えたようだ。しかし、後悔しても遅い。

 首をはねられたってなかったことにできる俺にも、なるほど、取り返しのつかない出来事ってのは存在するらしかった。

「ダメもとで聞くけどさ。マイナーってのは何のために戦うんだ?」

「悪災。それ以上でもそれ以下でもない」

 予想した答えだった。俺はそれで満足して、彼らに背を向けた。風穴の空いた部屋の壁に足をかけ、力を込めて蹴る。がらりと崩れ少しだけ大きくなる穴。追いかけて来ることはなく、けれど部屋の中から油断なく、決して隙を見せることはなく、最初と変わらぬ緊張感でこちらを睨むセイバーたちを尻目に、俺は夜の都に身を投げた。

 あの壁だって、いくらになることやら。

 パジャマ姿の少年が夜に溶ける。少しだけ冷たい、三日月の夜だ。

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