「生」の条件

@kasuzakonamekuzi

第1話 テリーを信じて

 何事もなく穏やかで平凡な日常を過ごしていると、時々気が狂いそうになる。決しておかしなクスリを使っているわけではない。決して。


 僕は今年で11才になった。まだまだ子供だと大人は言う。その通りだと僕も思う。どこにとは言わないがまだ毛も生えていない。子供オブ子供。それが僕だ。しかしそんな僕にも悩みがある。それは、幼馴染のマナミちゃんが親友のトオルと最近いい感じなのが個人的に気に食わないということでもなければ、家が貧乏な上、父親が暴力をふるうので母親の精神がだんだん衰弱していってしまっているということでもない。


退屈なのだ。人生が。


 ようは齢11にして自分の人生というものに疑問を持ってしまっているわけなのだ。それはもうどうしようもなく。たかだか11年の人生で何を馬鹿なと大人は言うだろう。もっともな意見だ。全くもってその通り。まだ11年しか生きていないんだからまだまだここから挽回のしようがあると思う。むしろここからがスタートと言ってもいい。マナミちゃんが駄目ならサキちゃんのリコーダーでも試しに舐めてみればいいし、家庭状況が悪いなら早めに家を出るためにお金を貯めるなりしながら、それまで母を支えてあげればいい。これに関しては言うは易しであるが、最悪現代には児童相談所なんていう場所もある。逃げ道はいくらでもあるし、貧富の格差も聞くところによると昔ほどではないらしい。


 諦めなければ夢は叶う。誰かが言っていた。きっとその通りだと思う。というか諦めなければ夢は叶うのではなく、夢が叶うまで無限に努力を続ければよいのだろう。そうなれば最終的に夢が叶うか志半ばで死ぬかの2択となり、死んだ場合はもはや夢が叶ったかどうかはたぶん問題ではなくなるので、生き延びた場合の結果としては必ず夢は叶っているということになる。完璧な理論だ。明日から頑張ろう。とはならなかった。


 僕には夢がなかった。僕は生まれたときから一度も夢を見たことがない。この場合の夢とは将来医者になって人々を救いたいとか、野球選手になって女子アナウンサーと結婚したいというような将来の目標のことであり、眠っている間に見るほっぺをつねっても痛くないアレのことではない。ちなみに僕はほっぺをつねる方の夢も見たことがない。起きた瞬間すべて忘れているだけかもしれないが。

 とにかく、僕には夢というものに縁がなかった。僕はどうして生きているのだろう。僕は、はたして本当に生きているのだろうか。


 などということを僕は最近ずっと考えている。友達と鬼ごっこをして狂ったように走り回っているときや、家でアマガエルみたいな顔してアニメやマンガを見ているときなどはすっかり忘れているのだが、夕方に帰り道を一人で歩いていたりするとまた思い出したように考え始める。いつからこんな風に考えるようになったのだろうか。少し前までは、もうちょっと楽しいことを考えていた気がする。たしかカメハメ波を50年以内に撃てるようになるための正しい練習法についてなどを積極的に考察していたように思う。それがいつの間にかこんなことになってしまった。どうしてなんだろう。


 一人で考え込みながらトコトコ歩いていると、通りかかった公園にカミさまがいた。

「おぉ、ケン坊じゃないか。どうした、浮かない顔して」

「あ、カミさま」

カミさまは、近所の公園に住んでいる老人で、本名は上村(かみむら)さんというらしい。公園に住んではいるがいろんなことを知っていて、僕等は「カミさま」と呼んでいる。ちょうどいいや。カミさまに聞いてみよう。


「ねぇカミさま、生きてるってなんだと思う?」



    続きます。

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