9月12日 マラソンの日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
本日2017年9月12日は「マラソンの日」である。
マラソンの日は紀元前450年に、ペルシャの大軍がアテネを襲い、マラトンに上陸したところを、アテネの名将ミルティアデスの奇策で撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りつき、アテネの勝利を告げ、絶命したと言われる日を記念し制定された一日である。
マラソンと言う競技が出来たのは、その後1896年にアテネで行われた第一回オリンピックであり、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの競走となった。
42.195kmという中途半端な数字がどこから出てきたのかと言うと、時の王妃アレクサンドラが、スタートを城の窓から見たいのでスタート地点は城の庭で、ゴールの瞬間は競技場のボックス席で見たいので、ゴール地点は競技場のボックス席の前にしろとわがままを言い、40kmから延長されたとか。
その際にドランド・ピエトリ、という選手が走り、彼は40kmまではなんなく走り続けた物の、最後の最後、2.195km以内で倒れ、係員の手を借りて立ち上がり失格になった事件から、普段が40kmであったならば難なく優勝できたのに。彼があまりにもかわいそうだと言う声から統一されたと言う説がある。
マラソンと言えば、その過酷な運動時間から途中に給水ポイントがいくつか用意されているが、なんと、第一回大会の優勝者は、レストランで、しかも水に変わりワインを飲んで優勝したのだとか。
大体二時間近くの連続運動を強いられるマラソン。私は勿論の事、3時間でも走り切れる気がしないが、マラソンの最遅記録はなんと54年である。しかも、その記録を持つのは日本人だ。
金栗四三、という選手は、1912年に第五回ストックホルム大会に出場した。その際、レース中に日射病を起こし途中棄権するが、連絡ミスにより未完走、行方不明扱いになった。その後の1967年、オリンピック委員から未完走のままだと言われた金栗選手は、75際の時にストックホルムを訪れ、遂に完走を果たした。
54年も費やせば、流石の私でも42.195kmを完走できそうだ。
マラソンを走っていたと思えば、気づけば多大なる時を駆け抜けていた金栗選手。日々練習に明け暮れる選手たちにとって、順位はともかく、憧れの舞台での完走は一つの夢である。彼が完走できたのは、オリンピック委員会がゴールテープを用意してくれると言う、厚い情をかけてくれたからに他ならない。
今日はマラソンの日。特別な一日である。
我々は本日を祝福し、過ごさねばならないだろう。
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