8月24日 石川五右衛門が釜茹での刑に処された日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
カクヨムでは様々なコンテストが行われている。
この一文だけで、私と8カ月を共にした鍛えられた諸君らは、次に私が何というかお分かりだろう。
そう、またなんだ。すまない。
私も自主企画を開催してみる事にした。
興味がある方は、いや、無い方も是非気軽に参加して欲しい。祭りは人数が多い方が楽しいのだから。
本日2017年8月24日は「石川五右衛門が釜茹での刑に処された日」である。
盗族・石川五右衛門とその親族が処されたのは、安土桃山時代、1594年の事であった。「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」と残した辞世の歌はあまりにも有名である。
ただの盗賊であった石川五右衛門が、これほど後世に名を残したのは、彼をモチーフにした作品が多々、世に生み出されたからである。私は、石川五右衛門と聞けば真っ先にルパン三世の石川五右衛門を思い浮かべるが、歌舞伎に演劇に、歌など、彼が登場する作品は数えきれない。
ではなぜ、これほどの作品が生まれたのかと言えば、石川五右衛門が活躍していた時代にその答えはある。
当時は豊臣政権。朝鮮への出兵に失敗した豊臣政権は、各大名へ負担を強いていた。当然、その割を食うのは民衆である。つまり、民は国に対し不満を抱いていたのだ。
石川五右衛門は権力者のみを狙った盗賊であった事から、英雄的存在である義賊として、庶民の支持を仰いでいたのである。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。石川五右衛門は子供諸共、煮えたぎる釜の中へと入れられ、処刑される。
有名な終焉、釜茹でであるが、これには諸説ある。
それは、子供を助けようと息絶えるまで持ち上げ続けたと言う説。助かりようがないと覚悟を決め、せめて楽に死なせてやろうと子供を釜に押し入れたと言う説。余りの熱さに耐えきれず、子供を踏み台にしたと言う説である。
物語の結末としては、子供を助けようと、が、一番美しいが、果たしてどれが正解であるのだろうか。今となっては確かめようもない。
この窯は、名古屋刑務所に置かれていたが、戦後の混乱で行方不明となってしまった。盗まれたかは定かではない。
今日は石川五右衛門が釜茹での刑に処された日。特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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