水無月
6月1日 マリリン・モンローの日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
毎月毎月、からなずと言っていいほど月初めにこれを言っているのだが、やはり月日が経つのは早い。早すぎる。既にこの連載が始まってから5カ月が経過し、遂に6月に突入してしまった。諸君、日々を如何お過ごしだろうか。本日、2017年6月1日は『マリリン・モンローの日』である。
マリリン・モンローの日は、1926年にロサンゼルスで生まれたハリウッド女優、マリリン・モンローの誕生日を記念してロサンゼルス市とハリウッド商工会議所が1992年に制定した一日である。
今の若い人はあまり知らないかもしれないが、映画好きであれば、いや、私と同世代であればマリリン・モンローの名を知らぬ者はいないであろう。華やかな白いドレスに身を包み、地下鉄の排気口から出る風でスカートがめくれ、それを抑える姿はあまりにも有名である。
だが、ハリウッドの一流女優としての彼女が壮絶な人生を歩んでいる事を知る者はあまりいない。
マリリン・モンローは片親家庭に生まれ、生後はアメリカの国籍を持っていなかった。生後2歳の頃に両親は離婚。幼少期を孤児院で過ごすことになる。
16歳、第二次世界大戦の真っただ中、半年で高校を中退したマリリン・モンローは、整備工の男と結婚する。だが、夫は戦争により駆り出され、またも一人になったマリリン・モンローは工場に勤務し生計を立てていた。
決して恵まれた家庭に生まれたとは言えず、幸福な人生を送っていたとは言えなかった彼女に転機が訪れたのは1945年。19歳の誕生日を迎えてすぐの事だった。陸軍から勤務先の工場へと取材に訪れた報道関係者に見出され、彼女の写真が陸軍の機関誌に掲載される。この写真のネガを見た商業写真家はカバーガール。今でいうグラビアアイドルになる様に彼女に勧め、モンローは工場を辞めモデルクラブの専属モデルに応募したのである。初めての仕事はイベントのコンパニオンであった。整備工の夫はモデルの仕事を良く思っておらず、結婚生活は4年間で幕を閉じた。
1946年、遂に20世紀フォックスのスクリーン・テストに合格し、『マリリン・モンロー』という芸名が付けられる。1947年に銀幕デビューを果たすが、あまりぱっとしない結果に終わる。だがそれでも女優業を諦めなかったマリリン・モンローは、ヌードモデルをしながら女優業の勉強を続けた。
1951年、『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演し、遂に世間に注目される事となる。1953年に公開された『ナイアガラ』では、腰を振って歩くモンロー・ウォークにてその人気を確固たるものにした。その後は『紳士は金髪がお好き』、『百万長者と結婚する方法』、そして冒頭でも話した、有名なスカートがめくれるシーンがある『七年目の浮気』と、ヒット作品を連発したのである。
1954年にニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオと二度目の結婚を挙げる。この時の最初の整備工の旦那の気持ちを考えると、とてもいたたまれない。逃した魚がクジラ並みの大きさだった感覚だろう。この年の2月には読売ジャイアンツの招きもあり、新婚旅行を兼ねて日本にも訪れている。
トップスターの地位に立ち、メジャーの一流選手と結婚したマリリン・モンローだが、その幸せは長くは続かなかった。1955年、なんと結婚から9カ月で2人は離婚してしまうのである。きっと整備工の旦那はガッツポーズをした事だろう。
しかし、あの絶世の美女は男に不自由などしなかった。翌年1956年、今度は劇作家のアーサー・ミラーと結婚する。スピード結婚と離婚、そしてヌードモデル時代のスキャンダルと、彼女の精神は大いに乱されてしまったのかもしれない。1957年には睡眠薬の飲み過ぎなどにより精神病院に入院する事もあった。
劇作家との離婚は1961年の事であった。この離婚の2年前には、あの元アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディとも肉体関係があった事がケネディの妹の旦那や家政婦など、多数の証言により明らかにされていた。
彼女の最後は1962年。ロサンゼルス郊外の自宅の寝室で全裸で倒れているのをメイドが発見したそうだ。マスコミからは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と報道され、36歳と言うあまりにも短い生涯を閉じたその悲報は、瞬く間に全世界に広がった。
ケネディ大統領との1950年代からの不倫関係。また、ケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあった頃から、自殺ではなく謀殺であると言う説が広まったが、真偽の程は定かではない。
映画の中だけではなく、寧ろ私生活の方が劇的であったマリリン・モンロー。もしあの時、一枚の写真を陸軍のカメラマンが撮らなかったら、彼女は晩年まで整備工と穏やかに生活をしていたのかもしれない。
てゆうかこんな美人と離婚するとかありえないだろ!!
なにやってんだ整備工!!
諸君らも彼女や嫁、あるいは家族が女優、モデルになりたい。芸能界に入りたいと言い出したらそっと背中を支え、見守ってやるのが吉なのかもしれない。
今日はマリリン・モンローの日、特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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