4月23日 カンザス計画
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
……本日、2017年4月23日は『カンザス計画』である。
人間とは、自分たちが思っているよりも遥かに愚かな生き物である。
いつの時代も
誤った選択を繰り返してきた。
それらの積み重ねが歴史となり、
後世への積み重ねとなっていく。
一個人のみならず、時に大企業も足を滑らせることがある。
今日はカンザス計画についてお話ししよう。
カンザス計画を行ったのは誰もが知る大企業、コカ・コーラを販売するザ コカ・コーラ カンパニーである。時は1985年の事だった。
カンザス計画が行われるに至った経緯を語るには更に10年以上時を遡る必要がある。時は1970年代、コカ・コーラの永遠のライバル、ペプシ・コーラが行った『ペプシチャレンジ』。これは目隠しをした消費者達に上2種類を飲み比べさせ、どちらの方がおいしいかを選ばせると言う物だった。テキサス州から全米へとこの企画を続けると選ばれるのはペプシ。そう、大半がペプシをおいしいと感じていたのだ。この結果に納得のいかないコカ・コーラ社。試しに社内でこのペプシチャレンジを行ったところ、選ばれたのは――ペプシ・コーラだった。
この結果を知り、ロベルト・ゴイズエタ会長を始めとする経営陣がコカ・コーラの味の変革を要望した。当時、ペプシ・コーラはコカ・コーラよりも甘味と爽やかさが強いと言われており、コカ・コーラもそれを強調し調整されていった。
そして1985年の4月23日、コカ・コーラ社は遂に完成した『ニュー・コーク』を、大々的なキャンペーンと共に世に送り出した。新商品を発売するのはいい。だがこの時、コカ・コーラ社は一つ致命的なミスを犯した。新しいニュー・コーク発売に伴い、従来のコカ・コーラを作る事を辞めてしまったのである。
消費者から湧き上がる苦情の嵐。ペプシチャレンジでは大敗した者の、やはり今までのコーラは大衆に愛されていたのだ。漠然とライバルに追い抜かれたと焦ったコカ・コーラはここで己の過ちに気付き、3か月後には旧コーラを復刻するが、スーパーのコーラの売り上げはすでにペプシに追い抜かれていた。
これがカンザス計画の全貌である。コカ・コーラはこの過去の過ちをしっかりと継承し、受け継いでいる。例えば、人気清涼飲料水『爽健美茶』。これは2013年よりすっきりブレンドとして発売されているが、その際に国民アンケートをしっかり取り、人気のあったすっきりブレンドを継続して販売する事を決定している。最近でも、トクホのコーラとして『コカ・コーラ プラス』が販売されている傍ら、『ダイエット コカ・コーラ』が売られている。この黒歴史、カンザス計画からちゃんと学んでいるのだ。
私は牛丼屋では松屋が一番好きである。特に、学生時代に出会った『キムカル丼』が大好きで、多い時では週7で食べてたし、一日に三食『キムカル丼』なんて日もあったくらいだ。
だが、ある日突然に松屋はこの『キムカル丼』の販売を中止した。私は激怒した。二度と松屋に訪れる事はないだろう。そう思った。そして松屋は『キムカル丼』を復刻した。私が松屋に足を運ぶのには、そう時間はかからなかった。
最近でもマクドナルドのクォーターパウンダーや、こちらは材料不足の為やむを得ないが、カルビーのピザポテトなど、そこそこ人気があるのに急に販売停止する事例が後を絶たない。
この飽食の時代だからこそ、そういった急な変更が消費者の怒りを買う事もあるという事を、企業はこのカンザス計画から学ぶべきである。
今日はカンザス計画、特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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