4月14日 タイタニック号の日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
20世紀の初頭に建造された豪華客船。大きさもさることながら、その豪華絢爛な装飾が施された船内と、それらに負けず劣らずの多数の著名人を乗せ、処女航海に繰り出されたのは1912年の事であった。メディアでは浮沈艦とまで囁かれたそれが、たった一度の航海で海に沈むとは、誰しも夢に思わなかっただろう。本日、2017年4月14日は『タイタニック号の日』である。
タイタニック号はイギリスのホワイト・スター・ライン社が北大西洋航路用に計画した、3隻のオリンピック級客船の2番船であり、北アイルランドのベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所で建造された、当時世界最大の豪華客船である。日本でもレオナルド・ディカプリオが主演した映画により知名度は高いだろう。
処女航海は4月の10日、イギリスからニューヨークにかけての出発だった。エドワード・J・スミス船長の指揮下のもと、乗客、乗組員合わせて2200名以上を乗せていた。この中に一人、日本人が含まれている。
映画を見た諸君らは知っていると思うが、飛行機と同じく船にも部屋により階級がある。タイタニック号の場合は上流階級に位置する人間から貧しい移民までが乗り合わせ、それらは一等客室から三等客室まで割り振られていた。一等客室の6日間の旅は約4000ドルと、豪華客船らしい馬鹿げた金額であったが、三等客室の一番下の値段はと言うとその300分の一程度だったと言う。
4月の14日。丁度日付が変わる頃。北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、タイタニック号の見張りが前方450mに高さ20m弱の氷山を肉眼で発見した。氷山の一角と言う言葉がある。乗組員の必死の回避行動もむなしく、船首こそ避けたものの、タイタニック号の右舷は氷山へと衝突した。
そして衝突から2時間40分後、タイタニック号は海水の影響で持ち上げられた船尾の重さに耐えられずに真っ二つに折れてしまった。まず初めに船首側が海へと沈んでいき、後を追うように船尾側も海面から姿を消す。
誰も沈むと思っていなかったその船には、乗客の半分も満たさない程の救命ボートしか用意されておらず、零下二度の海へと投げ出された人々は極寒の中低体温症により凍死、あるいは心臓麻痺で命を暗い海へと奪われた。
今現在、タイタニック号は海底3650mの地点に沈没している。船尾部分は海底にぶつかった衝撃で粉々になってしまったが、船首側はと言うと船底を下にし、腐食は激しいが今なお残っている。今後さらに腐食は進み、2100年までには船首側も自重に耐えきれず崩壊する見込みがたてられている。
沈みゆく船の中、乗客を落ち着かせるために最後まで演奏を続けたバンドがあった事。絶望する乗客の為に祈りをささげ続けた聖職者がいた事。食料を配り続けたパン職人がいた事。自らの最後を受け入れ、郵便カバンを救命ボートへ投げ入れた郵便職員がいた事。出来る限りの乗客を救い、自らは船と共に沈んでいった船長がいた事。あらゆる思いが海底3650mに今なお沈み続けている。
タイタニック号の沈没は史上最悪の海難事故と呼ばれ、多くの乗客の命を奪っていった。だがしかし、我々は悲劇からでも、いや、悲劇だからこそ学ぶべきことがあるはずである。学ぶべきである。この世に沈まない船は無い。そんな当たり前の事を、こんな悲劇が起きるまで気付けない程、人間というのは愚かな生き物であるのだから。
今日はタイタニック号の日、特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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