1月25日 お詫びの日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
我々は、どれだけ優秀であろうと間違いを起こすことがある。それは人間であればどうしようもなく当然で、避けることは出来ないものだ。我々は神ではないのだから。いや、神ですら間違いを起こすことがあるかもしれない。
だが、たとえ間違いを起こそうと、現代社会の法律においては、謝罪し、罪を償う事で許される。さて、本日2017年1月25日は『お詫びの日』である。
本日がお詫びの日と言われるようになったきっかけは、遥か昔、1077年にまで遡る。世界史に詳しい諸君はご存じだろう。『カノッサの屈辱』である。
カノッサの屈辱とは、ローマの皇帝『ハインリヒ』が、イタリアの支配を目的とし、信心深い民に影響力の強い大司教を次々と任命していた所から始まる。国とは民であり、民の支え無くして国は成り立たない。つまりは、大司教をハインリヒ側に抑えてしまえば、イタリアの支配は達成されたも同然だったのだ。
このハインリヒの横暴に目を付けた男がいた。当時のローマ教皇、『グレゴリウス7世』である。グレゴリウス7世は、ハインリヒの行動を激しく批判する。
それを知ったハインリヒは激怒し、諸侯、つまりは支配地を持った有力者達を集め、教皇の廃位を決定した。
さらにそれを知ったグレゴリウス7世はさらに激怒し、逆にハインリヒに対し、皇帝の廃位と破門を言い渡した。
それを知った諸侯は呆気なくハインリヒを裏切りグレゴリウス7世側につく。一気に追い詰められたハインリヒは、グレゴリウス7世が滞在している城へと向かったが、グレゴリウス7世の怒りは想像以上だった。ハインリヒに会おうとせず、城外にて反省の意を表す様に命じた。
元皇帝ハインリヒは、1月25日から3日間の間、雪の中であるにもかかわらず、裸足に粗末な修道衣だけで城外に立ち続けた。ハインリヒが謝罪をしたその城こそ『カノッサ城』。これが後世に語り継がれるカノッサの屈辱である。
謝罪の結果、再び皇帝の座に着くことになったハインリヒであったが、実は話はここで終わりではなかった。
皇帝と言う、全てを手にし者の立場にいながら屈辱の3日間を過ごしたハインリヒ。彼はこの巻き返しが如く、以降半世紀もの長きにわたり教皇と対立し続けたのだ。
数年前に半沢直樹の『倍返し』と言う言葉が流行ったのを覚えているだろうか。上司に辛酸を、苦汁を舐めさせられた銀行員が復讐を誓うそのセリフに奮い立った者も少なくないだろうが、現実にはさっさと謝って水に流してしまった方がお互いにメリットがあるような気がしないでもない。
一言でまとめると、逃げるは恥だが役に立つ。と言った感じであろうか。
今日はお詫びの日、特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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