1月18日 振袖火事の日
やあやあ諸君。
私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。
諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。
私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。
諸君らは怪談はお好きだろうか。古来より日本では妖怪、物の怪、鬼、祟りと多くの怪談が語られてきた。その中でも一際背筋の凍る話と言えば、それは今も昔も変わらず女の恨み言である。本日2017年1月18日は、『
この日を語るには時を江戸時代にまで遡らなければならない。
時は江戸。場は上野。主役は神商大増屋、十右衛門の娘が『おきく』。花盛りだったおきくは花見の際、寺小姓、つまりは寺の世話役であった大層な美少年に心を奪われた。おきくはその後も彼の事を想い続け、遂には美少年が着ていた着物と同じ模様の振袖を作らせた始末であったが、いじらしい事に想いは伝える事が出来ずにいた。これが現代であったのなら、ラインで連絡先でも交換し、呆気なく交際に至っていたのかもしれない。だが時は江戸、この恋は実ることなく、1655年の1月16日、おきくは恋の病から16歳と言う若さでこの世を去ってしまった。
当時、まだ物が貴重だった時代。死者の着物は古着屋へと持っていかれていた。当然ながら寺で法事を済ませたおきくの衣服も例外ではない。また、その中にはおきくが想い焦がれていた、あの美少年の着物と同じ模様が施された振袖があった事は想像に容易いだろう。古着屋へと持っていかれたおきくの恋心が込められたその振袖、次に袖を通したのは本郷元町の麹屋、吉兵衛の娘が『お花』だった。
だが、お花はその振袖を手に入れた途端に病気にかかってしまう。そして1656年の1月16日、おきくに手招きされたかのようにお花はこの世を去ってしまった。
死者の着物は古着屋へ。それはお花とて例外ではない。そしてやはり、おきくの想いが込められた振袖が古着屋へと運ばれた事は想像に容易いだろう。次にそれを手に入れたのは、麻布の質屋、伊勢屋五兵衛が娘『おたつ』であった。
同じ振袖を着たものが二年連続同じ日に亡くなった。気味は悪いがやはりただの偶然だろう。誰もがそう思っていた。だが、二度あることは三度あると言われているように、1657年の1月16日、三人目の所有者であったおたつも全く同じ日に命を落としたのである。
おたつの葬儀に訪れたおきくの両親とお花の両親。三家は話し合い、この振袖を今度は古着屋には流さず、本妙寺にて供養することにした。
1657年の1月18日。本妙寺での供養の最中、和尚が読経し、振袖を火の中に投げ込んだ時である。突如つむじ風が吹き荒れた。火をつけたまま舞い上がった振袖は本堂へと火を移し、その勢いは増すばかり。江戸の大半を焼失した江戸三大大火と呼ばれる『
明暦の大火は、延焼面積、そして死者の数は三万から十万と江戸時代最大の大火事であったばかりか、現在でも震災、戦禍によるものを覗けば日本史上最大であると言われている。
明暦の大火には別名がある。ここまで読まれた諸君らになら想像できるのではないだろうか。その名は『振袖火事』。歴史に名を遺すこの大火事の火元は、おきくの燃え上がるような淡い恋心だったのかもしれない。
今日は振袖火事の日、特別な一日である。
我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。
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