1月10日 110番の日

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 さて、本日2017年1月10日は、『110番の日』である。

 その所以は言わずもがな。1985年12月に正しい使用目的を改めて知って貰う事を目的に警察庁が制定し、翌年から実施された。

 諸君らは110番にダイヤルを掛けた事があるだろうか。私には一度だけある。器物破損で相手を訴えようとしたのだ。


 思い返せば、あれはまだ、私が幼い小学生の頃だった。あの日、私は学校から帰りゲームに興じていると、母親から勉強をしろといつもの様に怒鳴られた。だが、私はそれに耳を貸さない。次第にボリュームを増す母の声を無視しながら、テレビ画面に夢中になっているといきなりそれがブラックアウトする。振り返れば、母親がコンセントに繋いであったケーブルをハサミでチョッキンしていたのである。

 私は母親に激高した。当時の私にとってゲームをしている時間こそが生きている理由と言っていいほどに、私の価値観をゲームが占めていたからだ。だが母親は勉強をせぬのなら、節度を守れぬのなら、お前にはこのコントローラーに触る資格は無いと幼い私に言い放った。

 私は猛抗議するが、当然小学生であった私がどれだけ自分の意見を吐きつけた所でそれは母親には通らない。なにより、断線したコードは元には戻らない。ここで反省し、すごすごと自室に戻り泣き寝入りする――私ではなかった。 

 あのゲーム機は私が母親に買って貰ったものである。私は貰ったのだ。借りているわけではない。所有権は私にあるはずだ。ならば、それをいつ、どう使おうと私の勝手ではないか。さらに言えばそれに手を掛けるとは言語道断。これは器物破損に値する。決して悪を許してはならない。ここは第三者に公平に審判して貰う必要がある。


 それが私の人生初めて、そして一度きりの110番通報だった。結果は言わなくてもわかるだろう。あの時、私は大人しく泣き寝入りしておくべきだった。その方が幸せになれたはずだ。諸君らも、些細ないざこざで110番通報をする前に、本当にその通報は必要なのか。今一度冷静になって判断してもらいたい。




 今日は110番の日、特別な一日である。

 我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。

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