山ガールの風乱恋歌

甘夢果実

山ガールと風乱恋歌

 私は、旅立とうとする彼に声をかけた。本当にいくつもりか。そう、聞きたかった。

 けれど、彼の眩しい生き方を、とてもじゃないけど私は邪魔できなかった。


「ねぇ」


「ん? なんだい?」


「本当に……戻ってきてくれるよね」


「ああ、もちろんだとも。約束しよう、来年になったら、もう一度あの朝陽を一緒に見るんだ。それまで、たった一年。その短いほんの少しの期間、待っていてくれ」


 そう言って、山岳救助隊の彼は私が住むこの山小屋を、大嵐の中で発った。


『ニュースです。今日未明、20人の男女が山中で死体となっているのを発見されました。

 その多くが生き埋めになっていたことから、警察は昨日の嵐による崩落事故として、山岳救助隊への救援要請と共に捜査を進めています』


 そのニュースは、彼が山小屋を発った翌日に流れたものだ。

 あれから、四年。私は、彼のことを忘れられずにいる。私は、人々の写真を撮らないではいられない。少しでも、彼らの生きた証を残すように、撮り続けているのだ。


◇◆◇◆◇


「あーき!」


「あ、ゆーり! 久しぶりー!! 元気にしてた?」


 私は一年ぶりに、顔馴染みの山ガールである秋坂 優里と対面した。

 彼女は毎年この時期……御宮山崩落事故の時期になると、決まってこの山小屋まで足を運ぶ。そして事故現場の目の前で黙祷すると、花を1束事故現場に投げ込むのだ。


 これが私たちなりの献花の仕方であり、あの事故での数少ない生き残りである彼女ゆーりの償いなのだろう。

 人々が死んだことに、生き残った人が償う必要はない。そのぶんまで生きればいいんだから。

 いくらゆーりにそう言っても聞かないから、これはおそらく彼女なりのケジメなのだろう。そう解釈して、私は何も言わなかった。


 でも彼女は、この場所にくると明るく振舞っているように見せかけて、その裏で泣いていることが結構ある。

 それは、彼女自身も心に深い傷を負っている証だ。


 お願いだから、それ以上悲しい顔は見せないで。そう思いながら、彼女の写真を撮るのが、彼女が来た時の私の日課でもある。

 いや、まあ、写真を撮るのは彼女が来た時だけじゃないんだけど。


 この山は、富士山の噴火による地盤変動で隆起し、日本で最も高い山となった。歴史が新しいけど、日本で最も高い山であるということもあって、観光客は基本的に絶えない。


 そんな人々を案内し、時に管理し、怪我がや死人がないようにするのが私の仕事。『公認山ガール』である山月秋花の仕事だ。


「ゆーり、お部屋あるけど案内しようか?」


「あ、お願い! えーっと……五千円だっけ?」


「友達からお金なんて取らないよー!」


 私はゆーりを今日の空き部屋である一号室に案内した。私のいるこの山小屋は、ロッジの役割も兼ね備えている。個室ありで、一泊二日二食付きで五千円。


 かなり破格の安さだと思うけど、科学も発達して麓と頂上がケーブルカーでつながってるからこれくらいの値段でも十分やっていける。


 まあ、そもそも私の目的はお金稼ぎじゃないっていうのもあるんだけどね。


「……あれ、ちょっと荒れてきちゃったね」


「あ、本当だ。強くなりすぎないうちに、下に降りようかな?」


「うん、その方がいいよ。今ならまだケーブルカーも動いてるし、私も降りるからね」


 私はロッジ内のお客さんに声をかけて、全員に移動を促す。もちろん私も降りるつもりだ。かなり強い作りの山小屋とはいえ、頂上付近で嵐を山小屋で過ごすのは危険だ。というのが最近の一般常識。

 地球温暖化によって起こった変化は、こんなところにも影響しているのだ。


 一昔前……それこそ四年前なら、嵐の中は絶対動かないのが常識だった。だけど、四年前の事故はその中を無理矢理降りようとした家族の一団がいたために起こった事故だ。


「うーわ……風強いなぁ。急ご急ご」


 私は避難していく人の写真を撮りながら、そんなことを呟いていた。

 やがてケーブルカーがギュウギュウになるほど人で埋まると、ケーブルカーはゆっくりと動き出した。


 山の中腹まで来た辺りだろうか? 私が記録を取っていると、唐突に明かりが消えてしまった。


「これは……ねえ、あき」


「うん……多分、かなりマズい状況だね」


 考えられるのは停電、不備、そしてケーブルの損傷。私がケーブルカーの前の方に行くと、車掌さんが頭を抱えていた。


「どうしたんですか?」


「おお、秋花ちゃん。いやね、木がケーブルの上に倒れちゃったみたいで……このまんまだと救援を待つしかないかな」


「救援要請はしました?」


「うん、したした。でもなぁ……この悪天候だと、どうなるかわからないからなぁ」


 そう、車掌さんはボヤいた。

 その瞬間。


 ピカッ!! ゴロゴロゴロ。


「え」


 目の前の木に、雷が落ちた。そして当然のごとく木は火を纏う炭と化して、周りの木々に燃え移っていく。山火事。最悪の事態が、私の目の前で起こっていた。


「おいアレを見ろ!!」

「え……火が出てる!? 山火事!?」

「皆さん、落ち着いて!! すぐに救援が駆けつけますから、落ち着いてください!」


 車掌さんがそう叫んでも、この喧騒は留まるところをしらない。


「あ、救援のヘリじゃないですか?」


 私が指差した方からは、ゆっくりとヘリコプターが降りて来た。

 そこからロープと共に、救援隊員が降りてきた。車掌さんは扉を開くと、吹き付ける嵐の中で救援隊員は叫んだ。


「皆さん、落ち着いてください! 今から20人ずつ、ヘリコプターで地面に輸送します! 女性、子供から順にお願いします!」


 救援隊員がそう叫んで、真っ先に子供達がヘリの上に乗せられた。子供達は母親と離れ離れになり、若干悲しそうだ。


「次に、女性の方!」


 その言葉によって、今度は子供達の母親を中心に、女性が順番に隊員に体を預け、ヘリに乗っていった。こうして私を除く、女性が全員乗り終わった。


 今ヘリに乗り移ったのは15人。あと10人くらいなら乗れるということなので、ケーブルカーに残っていた男性10人をヘリに動かすことにした。


「秋花ちゃん、良いのかい?」

「ええ。私はこの山の関係者です。自分の安全確保は最後ですから」

「……そうかい? だったら僕でも……」

「いえ、車掌さんはご家族がいらっしゃるでしょう? 私は独り身ですし、それに──」


 私は車掌さんの言葉を否定し、無理矢理救援隊員の方に車掌さんを任せた。


「……車掌さんを乗せなくてもギリギリだ。これで誰も入らなくなる。君は本当に最後になるが……それでもいいのかい?」


 救援隊員の言葉に私は頷く。


「……分かった。くれぐれも、気をつけるように」


 救援隊員のその言葉を最後に、私はケーブルカーの中に一人になった。


「──それに、私は孤児ですから」


 なんとはなしに、そう呟いてみる。その声は、ごうごうと吹き付ける風雨に消えていった。

 物心ついたときから、いつだって私は一人きりだった。友達ができても、その人に心を開くことはなく。私の孤独が満たされることはなかった。

 心を開いた人は、四年前の事故で亡くなってしまったし。


「始まりが一人なら、終わりも一人かぁ……」


 そう言って、私は体操座りで蹲った。

 ……何もかもに心を閉ざし、孤独を選んだ私には相応しい最後なのかもしれない


「……ぐすっ、ひぐっ」


 なんでだろう。なんで最後の最後に、それを求めてしまうのだろう。ワガママだ。そんな、そんなの、私じゃない。

 なんで、なんで涙が溢れ出すんだ。

 怖くなんかない、はずだ。愛する人を失う怖さに比べたら、自分を失うことなんて。

 あの喪失感に比べたら、私自身が死ぬことくらいは怖くもなんともない。


 膝を目に当て、覆うようにして顔を隠す。こんなところ、誰にも見られたくない。

 でも。私の死を心から悲しんでくれる人が居ないことが、こんなに辛いことだとは思わなかった。

 いやだ、こんなところで終わりたくなんかない──。

 そんな想いは、虚空の彼方に虚しく消えていった。灰色の雲が荒れ狂うように、時折水色に光る。


 燃え盛る木々の炎が、ケーブルカーを包み込む。私の死因は焼死か、それとも感電死か、はたまた出血多量か。

 なんでもいい。とにかく、生き延びたい。でも、生き延びる術はもうない。


「うぁぁぁぁぁん……うぇぇぇん……」


 泣いても、何かがあるわけでもない。でも、最後ぐらい自分の感情のままに動いたっていいだろう。


「──大丈夫ですか、間に合いました。──久しぶりだね、秋花」

「うっぐ……ひっぐ……遅いよ、ばかぁ……」


 いつまでそうしていたのだろう。

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちにした私は、気づけば愛する彼に抱えられてヘリに運ばれている最中であった。

 灰色の空は少しずつ晴れ、光が差し込む。そんな神々しく幻想的な風景の中、お日様が少しずつ顔を出す。


「──朝陽、ですか。遅くなりましたが、秋花」

「ばか……ばかぁ! 遅いのよぉ……」


 私は涙で濡れた目を擦り、彼の胸に体を預けた。二人で見た朝陽は、一人で見るよりずっとずっとキレイで……そして、その温かさは私の冷え切った体を、心を、ほぐしていくかのようだった、


 ──こうして、約束は叶えられたのだった。

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山ガールの風乱恋歌 甘夢果実 @kanmi108

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