第181話 揺れる鳥籠

 

 街道の中でも特に人の気配の少ない場所であった。

 深夜であることも手伝い、耳に入って来る音と言えば、馬が蹄を打ちつける音と唸る車輪の音だけだ。


 膝の上に乗せている鳥籠に目を向ける。

 その中では可愛らしいインコが首を傾げながら、嘴を動かしていた。

 クルクル、と小さく鳴きつつ、ちょろちょろと鳥籠の中を動き回っている。

 指先をそっと鳥籠の中に入れてみると、興味深そうな顔をしたインコが寄って来て、頭を擦りつけて来た。


(ふふ、可愛い)


 白と黄の毛色を持つインコは、鳴き声の通り、クル、と名付けた。

 そっと柔らかな体毛を撫でつける。


「クルちゃん、クルちゃん」


 その名を呼びながら、クルちゃんと遊んでいた時、唐突に馬車が動きを止めた。


「……?」


 何事だろうか。

 セトノアに着いたにしては、随分と早い。

 御者さんが疲れて休憩でもしたいのかもしれない。


「様子を見てきます」


 そう思い、帳を振り払ったわたしの従者が馬車の外に顔を出した。

 わたしの家の使用人は頻繁に入れ替わるので、彼女の名前を思い出す事が出来ない。

 わたしはぼんやりと、彼女の名前は何だっただろうか、そんな事を考えていた。


「ひっ!」


 しかし外を見た途端に顔色を青くした従者が振り返る。


「動くな」


 従者の女性の首筋には白刃が突きつけられていた。

 帳の外へと目を向ければ数人の男達の姿が在る。

 彼らは一様に目深に被ったフードで口元までを覆っている為、素顔を視る事は出来なかった。


「……ぇ?」

「こいつがターゲットか?」


 茫然と一番近くに居る男へと視線を向ける。


「間違いないな」

「そうか」


 彼らは事務的な口調でそう言いながら、乱暴に馬車の中に入って来た。

 先程とは別の従者の男性が勢い込んで侵入者に対して魔術を放とうとした。


「な……ふ……っ」


 だが次の瞬間には、従者の男性は目の前の賊の男によって、強かに顎先を蹴り上げられ、意識を手放していた。


「この距離で魔術を構築しようとは、な」


 小馬鹿にしたように告げる賊の視線がわたしに向けられる。

 彼は右足でわたしの持っていた鳥籠を蹴り上げた。


「クルちゃんっ」


 鳥籠の中のクルちゃんが頭でも打ったのか、苦悶の表情を浮かべて、小さく悲鳴を上げた。

 男は続けざまにわたしを見下ろす。

 月明かりに反射した白刃が淡く煌めき、わたしの眼窩に焼き付けられた。


「ひっ、いや……っ」


 恐怖に竦み上がる。

 状況も飲み込めぬままに、混乱した頭の中で、それでもわたしは気付けば大きな叫び声を上げていた。



「誰かっ!! 助け……っ!!」




   ☆   ☆   ☆




 あれはどちらの手の者か。

 襲われている方がレオナルドに与するものなのか。

 逆に襲っている方がレオナルドに与するものなのか。


 現状では全く分からないのだ。

 それによって紅牙騎士団の対処は変わって来る。

 馬車の人達を助けた事が、後々になって自分達の首を絞める可能性だってあるのだ。


「ディル!!」


 焦ったような表情のルノワールを横目で見つつ、ディルは思考を巡らせていた。

 千里眼で馬車の中を彼が確認しようとしたその時。

 帝国の宵闇に叫び声が響いた。



「誰かっ!! 助け……っ!!」



 馬車の帳から僅かに覗く、未だ幼い容貌の少女。

 彼女が涙を零しながら、助けを求めていた。


 それをルノワールは見ていた。


「……」


 無言で彼女は立ち上がる。

 瞬く間にその瞳に怒りの闘志を燃やし、全身には光り輝く魔力が満ちた。


「ごめん、ディル」

「ちょっ、おい!?」


 馬車に乗せられ、涙を浮かべ、助けを求める少女。



 その姿がルノワールの脳裏で――メフィル=ファウグストスと重なった。



「あの馬鹿っ!」


 まだ間に合う。

 ディルが思わず身を乗り出したが、それをマリンダが制止した。


「団長!?」

「……好きにさせた方が良い結果になる。そう私の勘が言っている」


 彼女は顎先に手を当てて、先程一瞬だけ見えた少女の顔を思い浮かべる。


「千里眼で馬車を調べろ。もしやあの馬車は……」




    ☆   ☆   ☆




 疾風の如き速度で舞い降りた人影。

 彼女は少女にとっては天使に見えただろうし、逆に賊にとっては悪魔にしか見えなかっただろう。


「……ぁ?」


 少女に白刃を向けていた男の右腕が力を失った。

 続けざまに放たれた拳が鳩尾に突き刺さり、瞬く間に意識を手放す。


 周囲の人間にざわつく暇すら与えずにルノワールは戦場を駆けた。


「なっ! こいつっ!?」


 全ては遅きに失する。

 この場において、彼女の速度に追従出来る戦士など一人もいなかった。


「……」


 馬車の中の少女は茫然と眼前の光景を見つめている。

 

 突然現れた美しい女性。


 ブラウンの髪色が月明かりで輝き映えていた。

 彼女はまるで踊る舞台役者のように戦場を舞う。

 宵闇の中にあっても、ルノワールの全身から淡く輝く白光が漏れているので、その姿は鮮明だ。 

 その細腕が振るわれる度に、賊の人間達の意識が刈り取られていた。


 やがて、戦場に残っているのは、怯えた表情のまま立ち尽くす従者と御者。

 そしてルノワールだけになった。


「……」


 意識を失っている男も命に別条は無いようだ。

 その他の人達については、とりあえず外傷も無く、無事のようである。


 彼女は賊共の残党が居ないことを確認すると、即座に馬車内に居た少女の傍に跪いた。

 柔らかな微笑みを浮かべたルノワールは、優しくそっと、腰を抜かしていた少女に手を差し伸べる。


「お怪我はありませんか?」

「……う、うん」

「そうですか。ならば良かったです」

「……」


 ぼーっとした表情でルノワールを見上げる少女。

 歳の頃はまだ6、7歳、といったところだろう。


「あの……誰、ですか?」


 少女の問いに、ルノワールは一瞬だけ、何と答えた物か、と思考を巡らせた。

 まさかメフィス帝国内でルークだのルノワールだのと名乗る訳にもいくまい。


「ふふ。通りすがりのメイドですよ」

「メイドさん……なんですか?」

「ええ。今はちょっと……こんな格好をしておりますが」


 簡素なコートを見下ろしつつ、結局ルノワールはそんな誤魔化しの言葉を口にして、少女の頭を一度だけ丁寧に撫でた。


「立てますか?」


 傍に居た従者の女性にルノワールは声を掛ける。


「え……ええ」

「そうですか。では後処理は私が済ませておきましょう」

「で、でも」

「未だに残党が潜んでいるかもしません。先を急いだ方がよろしいかと」


 ルノワールの言葉を聞いて、真っ先に反応したのは馬車を操っていた御者の男だった。

 目の前の謎の女と賊共の素性は気にはなる。しかし命あっての物種だ。

 彼はルノワール以外の人間が馬車内に乗っているのを確認すると、一度ルノワールに頭を下げてそのまま慌てた様子で馬車を走らせてゆく。


「あのっ!」


 最後に。


「わたし、アトラ、って言うの!」


 少女は馬車の後方の帳から顔を覗かせて言った。


「助けてくれてありがとう! メイドさん!」


 笑顔で告げるアトラをルノワールは手を振って見送った。




    ☆   ☆   ☆




「さて、と」


 馬車が去った後に、姿を現したのは、当然ルノワール以外の紅牙騎士団員だった。


「命令違反だな?」


 険しい表情でディルが告げる。


「……」


 分かっている、ディルの言いたい事は。

 しかしルノワールにはどうしても我慢がならなかったのだ。

 どうしても……あの状況を見過ごす事が出来なかった。


「まぁ……正直言えばお前の気持ちも分かるさ。あんな状況で背後関係を探ろうとした俺の方が人間としては間違っているのかもな」

「いや……ディルは正しいと思う」


 彼の立場を思えば当然だ。

 戦争が始まる。戦いは既に始まっている。

 甘いのは自分。

 状況を考えず感情を優先させた。


「まぁ……今回は結果的に良かった」

「え……?」


 ディルの言葉に意外な表情でルノワールは顔を上げた。


「さっきの馬車なんだが……オルフェウス家の馬車だった」

「オルフェウス?」

「メフィス帝国の軍部の重鎮だ。馬車にはその一人娘が乗っていた」

 

 ディルの言葉を引き継ぎ、マリンダが告げる。


「現当主キース=オルフェウスは帝国軍部内でもかなりの発言権を持っている。そして話を聞く限りでは、少なくとも表立ってレオナルドに追従している様子はない」

「つまり……仲間に引き込める可能性がある?」

「そこまでは分からん。キースは非常に慎重な男でな。私達も奴についての情報は断片的にしか得ていない」


 僅かな人数での、たった1年たらずしか調査期間を得られなかったのだ。

 流石に帝国内部の全てに通じている訳ではない。

 そこで少しばかり楽しそうな表情になったマリンダが呟いた。


「これはチャンスかもしれん」

「チャンス?」

「キースが重要人物であることに間違いは無い。敵だろうと味方だろうと、あの男の情報を得られるのならば、それに越した事はないだろう」


 そこで賊の尋問をしていたリィルとディルが戻って来た。


「彼らの目的はオルフェウス家に対する私怨だそうですね。どうやらレオナルドとは関係が無さそうです」


 リィルの言葉を補足するようにディルが続ける。


「もしも本当にレオナルドがオルフェウスを潰すつもりならば、少なくともレオナルド・チルドレンが一人は派遣されたと思われるので、恐らく事実でしょう」

「私怨、だと?」

「ええ。なんでもローレライ家の御子息がオルフェウス家の御息女のせいで……命を落とした、と」

「……ぇ?」


 その言葉を聞いて、ルノワールの瞳が大きく見開かれた。


(あの子のせい……で?)


 先程笑顔で去って行った少女の姿を思い浮かべ、ルノワールは当惑した。

 しかし逆にマリンダは納得した様に頷いた。


「なるほど、な……」

「団長こいつは……」


 マリンダとディルが互いに顔を見合わせる。

 やがて紅牙騎士団団長は呟いた。


「オルフェウス家の情報……やはり欲しいな」


 オルフェウスと言えば歴史も長い名家中の名家。

 そして彼の家には昔から何かと曰くがある。

 キースに隙が無い事も相まって、以前の調査の中では、結局オルフェウス家についての何かを掴む事が出来なかった。

 というよりも人手を割けていなかった。


「先程お前が助けた娘だがな。いわくつきの少女らしい」

「……どういう、意味?」


 ルノワールの見る限り、至って普通の少女に見えたが……。


「呪われているそうだ」


 そう言うマリンダは真面目な表情をしていた。

 その顔にはふざけた様子は微塵もない。


「呪い?」

「そうだ」


 言葉を区切り、彼女は言った。

 メフィス帝国内では、まことしなやかなに流れている、とある噂。



「アトラ=オルフェウスに関わった人間は――命を落とす」



 マリンダの不吉な言葉が帝国の夜に流れて消えていった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る