第176話 欺誑

 

 目を覚ますと同時に目の前に迫って来た男の拳を受け止めた。


「っ!! ちっ!」


 しかしその攻撃の威力は望外であり、マリンダの身体は小屋を破壊しながら宙を舞う。

 とはいえ異変事態は察知していたため動揺は少なく、突然襲ってきた男に対しても、紅の魔女は慌てる事無く、対処に乗り出した。

 

 魔女の右腕が霞む程の速度で空を走る。


「うらぁっ!!」

「おおおっ!!」


 結界を破壊した後、マリンダの眼前に居たのは獣を思わせる一人の男だった。

 頬から顎に掛けて縦に走る傷跡が特徴的な男だ。

 痛々しい程に大きく開けられた耳の穴には、禍々しい魔石を用いて形どられたピアスが嵌っている。


 その名をジョナサン。

 彼こそがレオナルドが最も信頼する帝国最強の戦士であった。


 マリンダが周囲の状況に軽く視線を向けると、どうやら敵に囲まれているらしい事が分かる。

 運ばれてゆくファウグストス親子の姿も見えた。

 怒りで頭が沸騰しそうではあったが、それでも肉体は落ち着き、ジョナサンを相手に拳を交わしている。


 一刻も早くユリシアの元へと駆け付けたい。

 しかし目の前の男がそれを許さなかった。


(くそがっ!!)


 ジョナサンはマリンダから見ても強かった。

 そもそも彼女はこの男の事を知っていた。


「貴様、ジョナサンだな!?」

「……俺の名を知っているのか、マリンダ=サザーランド」 


 紅の魔力光が眩い程に夜の雪山を照らす。

 対するジョナサンの全身を覆うのは、老練さを思わせるような深い鈍色だった。


「私の獲物筆頭だからなぁ……!」

「ほぉ?」

「今ここで貴様を殺し、帝国との戦争もさっさと終わらせてやる!!」

「それはこちらの台詞だ」


 言葉が言い終わる前に、ジョナサンは右腕に強力な魔力を纏い、攻撃魔術を展開しようとした。

 その術式構築は迅速にして強力。

 男の攻撃動作を確認しつつ、突如マリンダは叫んだ。


「うらぁああああああああああああああっ!!」


 掛け声と共にマリンダの全身から不可視の力が放たれた。

 周囲に何かのフィールドのような物が発生した事だけはジョナサンには分かった。


 そして。

 

「むっ!?」


 フィールドに触れた途端、ジョナサンの纏っていた魔力が掻き乱され、魔術としての形が保てなくなる。

 霧散していく魔術を見つめ、彼は眉を顰めた。


(ゲートスキルか?)


 見た事も感じた事も無い魔術。

 そこまでをジョナサンは察したものの、僅かに隙は生じた。

 その間隙を逃す程マリンダ=サザーランドは甘くは無い。


 一瞬にして懐から取り出したガントレットを右腕に装着。

 自身最高の装備を纏ったマリンダは即座に最強の奥義を放つ態勢を整えた。


(ここで殺す……っ!!)


 迷いは無い。

 ジョナサンはレオナルドの右腕と言ってもいい存在だ。

 ここでこの男を殺す事が出来れば、今後のミストリア王国が戦局を進める上で、非常に有利に働く事だろう。


 だが。


「っ! ちぃっ!!」


 マリンダとジョナサンの間に割り込むように、少年と少女が飛び込んで来た。

 少年は両腕を交差させ、前面にマリンダが見た事もない形状の盾を出現させる。

 少女はその力を補佐するように少年の肩を支えていた。

 薄く発光する少女の手の平から力が流れてゆき、瞬く間に少年の盾を強化していく。


(このガキ共……っ!?)


 少年の盾、そして少女の手の平の力。

 それはどちらも紛れも無くゲートスキルだった。


(構うものか……っ!!)


 しかしマリンダは臆する事無く、躊躇う事無く『紅牙』を放つ。


 盾もろとも。


「邪魔だ、消えろっ!!」


 掛け声と共に唸る紅の牙が少年に襲いかかる。

 一瞬のぶれも無く、盾の表面にマリンダの奥義、紅牙が直撃した。

 

 爆音と衝撃。


「「っ!!」」


 それに伴い吹き荒れる雪埃の嵐。

 盾は幾分かの力を抑え込んだものの、マリンダとの間に存在する絶対的な力量差によるものか、無残にも力負けし、少年少女は彼方へと吹き飛ばされてゆく。


 稼いだ時間は僅か一瞬。

 しかし彼らがジョナサンの護衛に成功した事は事実であった。


「……御苦労」


 いつの間にか。

 雪煙の先に歪な人影が立っている。

 マリンダに向かって放たれた言葉は耳障りな異音を伴っていた。

 風魔術と共に雪が振り払われる。

 同時。



 再びマリンダに向かって来たのは――『獣』であった。



「なに……っ!?」


 全身を覆うのはまるで竜の様な強固な鱗。

 その両手には恐ろしい鉤爪が備わり、口元から覗く鋭い牙は人間のものでは有り得ない。

 人間の様に二足歩行をしているが、その異様な姿は神話の類に出て来る怪物そのものだ。


 だが感じる、この魔力の波動。


(まさか、これがジョナサン……っ!?)


 先の戦闘中も十分に強大だったジョナサンの力が更に増幅されているのをマリンダは感じた。


「しゃあっ!!」

「っ!!」


 神速の一撃が迫り、マリンダの喉元を襲う。




   ☆   ☆   ☆




 翼を広げた二人の少女は高速で空の彼方へと消えて行こうとする。

 だがルノワールが簡単に逃がす訳も無い。


(させるものか……っ!!)


 ルノワールは連れ去られてゆくユリシアとメフィルを求め、ただちに転移を発動させた。

 彼女の肉体は次の瞬間には翼の少女達のすぐ背後にまで迫っていた。

 驚く二人の少女を尻目に、容赦なくルノワールは拳を振るう。


「はぁっ!」


 少女達は咄嗟に反撃に移ろうと身構えたが、ルノワールの武装結界がそれを許さない。

 圧倒的な力に阻まれ、怯んだ二人の翼にルノワールは拳を叩きつけた。


「あぐっ!?」

「きゃっ」


 二人の悲鳴が微かに木霊し、態勢を崩す。

 更なる追撃を仕掛けると、力を失った翼の少女達の手を離れたユリシアとメフィルが空中に投げだされた。


(よし……っ!)


 ルノワールは二人を抱きとめると、そのまま少女達から距離を取るべく再度転移を敢行。

 すぐさま雪山の大地に降り立った彼女は、二人を縛っていた拘束魔術を解除した。


「御怪我はありませんか?」


 ルノワールが優しく微笑みかけると、


「え……ええ。ありがとう、ルノワール」


 そう言って顔を伏せるメフィル。

 ルノワールは安堵の吐息を零しつつ、メフィルの様子を窺った。

 彼女は薄く肩を震わせていた。

 やはりどこか怪我でもしたのだろうか。


「お、お嬢様、どうか為されましたか?」

「い、いえ」


 決して顔を上げない主人。

 何故だか少しばかり余所余所しい態度だった。

 様子のおかしいメフィルにルノワールが不安そうな声を掛ける。


「お嬢、様?」


 そしてルノワールはそっとメフィルの肩に手を置いて、その顔を見つめた。


 ルノワールの良く知る端正な顔、大きな瞳、柔らかそうな唇。


 だが。



「……誰、ですか?」



 姿形はメフィルにしか見えない。


 しかし。


「っ!!」


 咄嗟に隣に居たユリシアに視線を向ける。

 彼女もメフィルと同じように軽く顔を伏せていた。

 強引にユリシアの顔を両手で包み込みつつ、間近で確認する。


 間違いなくユリシアの顔だ。

 でも。



「……違う」



 違う。

 この二人は。



 ファウグストス親子では――無い。



 確信したルノワールが焦燥の表情で先程までレオナルド達と戦っていた戦場へと視線を向ける。

 蒼褪めた表情のルノワールの視界の先。


 しかしそこには既に何も残っていなかった。




   ☆   ☆   ☆




「ははははっ!! やったぞ!」


 レオナルドは大笑した。


 あの戦場の傍に隠し忍ばせていた特別製の馬車に乗っている彼は上機嫌に続けた。

 雪道であるにも関わらず、その馬車は中に居る人間に全く揺れを感じさせない程に穏やかに、それでいて高速で大地を駆け抜けていた。


「これほど上手くいくとはな!」


 馬車の名前は『皇帝の揺り籠』。

 そう呼ばれる帝国の秘宝の一つだった。


「さしものあの二人も騙された、というわけだ」


 馬車内で拘束されているファウグストス親子を見下ろしつつ、彼は隣に居た少年に声を掛ける。


「追手の気配は?」

「今のところはありません」

「そうか、そうか。そいつはいい」


 マリンダとルノワールを欺いた魔術。

 あれも帝国秘蔵の秘宝の一つだった。


 『欺誑石』


 その石を口に含んだ状態で対象に触れ、魔術を発動させると、肉体構造がその相手に為り替わる、というものだ。

 その変化の度合いは普通の変化の魔術とは訳が違う。

 肉体構造そのものを対象と同一にしてしまう魔術であり、一度使えば、それきりで欺誑石は消え去ってしまう。そして変化した肉体構造は元に戻る事も無い。

 帝国にもたったの二つしか存在しない秘宝中の秘宝だった。


「くくくっ。だが使った価値は在った」


 間一髪だった。

 あそこまで迅速に『夢見の鏡』が破壊されてしまうとは予想だにしていなかったが、結果的に万事上手く事が運んだ。

 実際にルノワールはファウグストス親子に瞬時に姿を変えたレオナルドの部下である少女達を追い、本命たる、こちらの馬車には気付かなかった。

 あの瞬間、本物のユリシアとメフィルは、『隠密』と『拘束』のゲートスキルを持った少年達によって馬車内に運ばれていたのだ。


「後はさっさと王国を去るだけだ」


 ジョナサンの事だけは気掛かりではあったが、あの男であれば上手くやるだろう。

 その内に追い付いてくる筈だ。


「さぁて。気分はどうだ、ユリシア=ファウグストス?」


 猿轡を嵌められている為、当然ユリシアは答える事は出来ない。

 彼女が鋭い瞳をレオナルドに向けると、彼は楽しそうに言った。


「おっと。反抗の意志は見せない方が身の為なんじゃないか?」


 彼が視線で合図を送ると、傍に控えていた少女がナイフの切っ先を、メフィルの喉元に当てた。


「っ!!」

「これがお前には一番効くんだろう?」


 そう言うレオナルドはひどく楽しそうに嗤う。


「はっはは!」


 ユリシア=ファウグストスは生かしておいた方が何かと利用価値が在る事をレオナルドは承知している。

 しかし彼女が一筋縄ではいかない事も同時に承知している。


 だがこれならば。


「娘を人質に取られては……下手な真似は出来んよなぁ?」


 それは事実であった。


 自分がどれだけ傷付いても構わない。

 非道な事を言えば、メフィル以外ならば他の何を犠牲にしてもいいだろう。


 しかしユリシア=ファウグストスは決して……娘が犠牲になる事だけは許容できない。


「なに。貴様らは利用価値がある。下手に逆らいさえしなければ、無駄に危害を加えようとは思わんさ」


 ここまで上手く事が運んだが故に、だろう。

 常には無い程にレオナルドは上機嫌であった。


「さて……あとはジョナサンと何処で合流するか、だが。まぁ後はこちらはのんびりと……」


 レオナルドがそう言った時。



 雷鳴が目の前に落ちたかのような爆振が彼の足元を揺るがした。



「っ!! 何事だ!?」


 その間もメフィルにナイフを突きつける少女は油断なく、ユリシア達の様子を窺っている。

 主人への絶対の忠誠を見せる少女に苛立たしい面立ちになったユリシアだったが、次に視界に飛び込んで来た少女の姿を見て、その瞳に希望が満ちた。


 咄嗟にキャサリンが帳を振り払い、馬車の背後に目を向ける。

 鋭い目つきで馬車の背後を除く彼女は忌々しげに舌打ちを放った。


「ちっ! レオ……追いつかれた!」

「何だと!?」


 レオナルドとキャサリンの視線の先。


 そこには黒髪の少女の姿が在った。



「お嬢様を……返せ……っ!!」



 怒りの闘志を瞳の中に滾らせたルノワール=サザーランドの手の平から放たれる光。

 瞬く間に発生した結界が、皇帝の揺り籠の動きを止めた。





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