第175話 強襲
メフィス帝国、そして彼の有する最大戦力を引き連れたレオナルドは、ひっそりとミストリア王国内に忍び込んでいた。
如何に内乱が終わったとはいえ、未だに過去に生まれた抜け道は存在する。
オードリー大将軍に地盤固めをされる前の、このタイミングこそが最適な奇襲の機であるとレオナルドは確信していた。
むしろこの機を逃せば、永遠にチャンスは訪れないかもしれない。
彼はそれぐらい、今回の遠征に懸けていた。
目的はもちろん、ユリシア=ファウグストスの拿捕だ。
彼女を捉え、帝国に連れ帰り、今後の戦況を優位に進める足場固めにする。
レオナルドはユリシア=ファウグストスを高く高く。
この上なく高く評価していた。
彼は残虐かつ容赦がなく、それでいて己を常に高い位置に置く厚顔不遜な男ではあるが、敵対する者を舐めて掛かるような愚かな真似だけは絶対にしなかった。
隣国に存在する妙齢の才女。
数多の戦乱を駆け抜けた胆力と智謀はミストリア王国の中でも群を抜き、彼女自身の卓越した戦闘能力は戦場において一騎当千の働きを見せる。
長年に渡り積み上げて来た善行と善政によって国民からの支持も厚く、敵対する貴族達からは常に一目を置かれ、王族の信も厚い。
それら全ての影響によるものだろう。
「ユリシア=ファウグストスはミストリア王国の精神的支柱だ」
レオナルドは断言する。
当然能力が秀でている事もユリシアの脅威の一つであるが、彼女の恐ろしさの本質はそれではない。
彼女がいれば、王国は苦境を乗り越えられる、と。
彼女がいれば、間違った方向へは進まない、と。
彼女がいれば、戦争も勝てる、と。
そう国民に――『信じさせてしまう』
「人間の思いの強さは脅威だ。特に戦争の様な場面では、な。奴の様な女が敵側に一人いるだけで戦況はまるで変わって来る」
ユリシア=ファウグストスはミストリア王国と戦争をする上では、最も注意せねばならない強敵だ。
だが逆に考えれば。
「ユリシアさえ落としてしまえば、ミストリア王国の滅びのカウントダウンは始まったも同然だ」
烏合の衆、とは言わないが、貴族達の質を考えれば、ユリシア以外はほとんど無力に等しい。
「もしもゴーシュ=オーガスタスが健在であれば、そうもいかないが……あの男も居ない以上――ミストリア王国の貴族に特筆すべき人材など居ない」
もちろん強力な外軍を筆頭に、紅牙騎士団、最近になっては天馬騎士団などという新たな戦力も加わった。
ミストリアには本当に危険な戦力も多い。
しかし。
「くくっ。肝心の王国中枢がザルでは、な」
酷薄な笑みと共にレオナルドは続ける。
「騎士姫に如何に才能が在ろうと……ユリシア=ファウグストスの領域にまで登りつめるには時間が必要だ」
ならばこそ。
「ユリシアを手にし、勝利を手にする」
その為の準備は整えた。
メフィス帝国に用意出来る最大限の戦力を持って来た。
もしもこれでも失敗するようならば――初めから帝国に勝機など存在しなかったのだ。
☆ ☆ ☆
「今……何と言った?」
「はっ! ユリシア=ファウグストスが数名の友と娘を連れて、テーテドリアス山脈へ来ている、とのことです」
「間違いが無いだろうな?」
もしも情報に齟齬があれば殺すぞ、とでも言わんばかりの眼光でレオナルドは報告をした少年を見下ろした。
「間違いありません! 実際にそれらしき人物の姿が在った事をデニスの街で確認しました」
嘘を吐く理由も無い。
そもそも絶対の自信が無ければ、こうして報告をしに来ることもないだろう。
その少年の有用性を理解しているレオナルドは、微かに頷いた。
両隣りに控えるジョナサンとキャサリンにのみ聞こえるような小さな声で呟く。
「これは天啓か?」
テーテドリアス山脈など、現在レオナルド達が居る場所からならば、半日どころか数時間で着く距離だ。
彼の口角が次第に吊り上がってゆく。
「まさか……ユリシアが? これだけ準備をして来た俺達の目と鼻の先に居る?」
もっともっと時間を掛けるつもりだった。
慎重に、じっくりと。
チャンスを窺い、そうして一気にユリシアを確保する心積もりだったのだ。
「全員で何人だ?」
「4人です。ユリシア本人と娘のメフィル。そして……その娘の護衛をやっているルノワール、という少女とマリンダ=サザーランドだと思われます」
「ちぃっ! 厄介なのが居るな」
マリンダ=サザーランドといえば、ミストリア王国が保有する最高戦力だ。
そしてルノワールという護衛も、報告の内容に誤りが無いのであれば、聖獣を打ち倒し、戦鬼ドヴァンすら追い払った怪物であるらしい。
「いやしかし……それでも好機だ」
これだけ人里離れた場所に、わざわざターゲットがやって来ている。
これほどのチャンスが果たして今後在るのだろうか。
「その為に準備をして来た……」
そもそもマリンダを相手取ったとしても、勝てるように準備をして来たのだ。
たったの4人。
たったの4人を打倒するだけでいい。
「やはり……これは天啓だ」
神などまるで信じていないレオナルドは一層凶悪な微笑みを浮かべた。
神など信じていないが――それでも天が彼に天下を取れ、と言っているようにしか思えない。
ならば。
「……闇夜に乗じて仕掛けるぞ」
やるべき事は一つ。
「この一戦が、今後の王国と帝国の将来を占うことになるだろう」
同じような服装、同じような顔付きをした少年少女達を従えて、レオナルドはさも楽しそうに嗤った。
「さぁ……ゲームの始まりだ」
☆ ☆ ☆
初手は決まった。
レオナルドの部下の少年兵によって、眠る4人の意識を暗闇の結界内に閉じ込める事に成功した。
帝国に眠る秘宝『夢見の鏡』による魔術『暗夜結界』だ。
この『暗夜結界』に封じられた意識は一定時間の間、暗闇の世界から戻って来る事が出来なくなる。
その間は肉体も動かす事が出来ない。
強い衝撃を与えると結界は解除されてしまうものの、そっと運ぶ程度であれば問題が無い。
一度発動してしまうと、100日間使用できなくなる、という制限こそ付いているものの、効果は非常に強力だ。
他者の意識に働きかける様な魔術は非常に難しい上に体系化されてもいない。
使う事が出来たとしても現代魔術では、『夢見の鏡』程の効果は望めないだろう。
「用意していた甲斐があったもんだ」
レオナルドは封じ込めた手応えを感じ、そう言った。
遠目から小屋の様子を確認する。
後は今の内にユリシアとメフィルを捕まえ、護衛の二人は始末してしまえばいい。
だが。
「駄目です! 破られます!!」
『暗夜結界』を構築していた少年が焦ったような顔で叫んだ。
「このままでは……『夢見の鏡』ごと……っ!!」
「なに……っ!?」
いくらなんでも早過ぎる。まだ小屋の中に入ってもいない。『暗夜結界』は発動したばかりだ。
しかし実際に、少年の言葉の通り、『夢見の鏡』は何かの抵抗を受けているのか、微かにヒビが入り始めていた。
間違いなくマリンダやルノワールの抵抗による影響だろう。
視線を向ければ小屋の中から紅と白の魔力光が漏れ出で始めている。
意識が完全に戻ってこそいない筈だが、既に二人の全身からは膨大な力が溢れださんばかりである。
「ちぃっ! ユリシアとメフィルはどうした!? さっさと捕まえろ! 護衛は殺せ!!」
秘宝と言えど、完璧では無い、ということだろう。
レオナルドの声に、部下の二人の少女が答える。
「捕獲しました!」
ユリシアだけではなく、レオナルドにとっては、その娘にも利用価値が在った。
折角揃っているのだから、この二人を捕獲しない手は無い。
「ならばいい! さっさと――」
「っ!! 駄目です! 破られます!!」
部下達の報告を聞いていたレオナルドは、『夢見の鏡』が割れる音と同時――激昂する獣の怒りの声を聞いた。
「貴様ら……っ!!」
その怪物は端正な顔に怒りの色を乗せて、今まさにメフィルを担ごうとしている少女に向かって痩身を唸らせ、飛び掛からんとしていた。
「お嬢様に触れるな……っ!!」
それは全身に真白の光を纏ったルノワールだ。
彼女は横目でしっかりとその場に居た面々を確認している。
(レオナルド……っ!?)
以前、トットナム鉱山で見かけた狂人にして、メフィス帝国の最重要危険人物。
(どうなっている!?)
状況は未だに不明点が多い。
しかしユリシアとメフィルが攫われそうになっているのだけは理解した。
ならば。
少年兵の一人がルノワールを止めに掛かるが、彼は一瞬にして両腕を捩じり上げられ、碌な抵抗を見せる事もなく倒れ伏す。
「その御方をどなたと……っ!!」
まさにルノワールの手の平がメフィルに届こうとした時。
レオナルドの最も信頼する部下の一人――キャサリンがルノワールの前に立ちはだかった。
「喚かないの」
「っ!!」
冬場の雪山の中にあっても、その肢体を見せつけるかのようにハーフパンツを身に纏った女の素足がルノワールの眼前に飛び込んで来た。
視認する事すら困難な鋭い上段蹴り。
間一髪でその蹴り足を回避したルノワールを追い詰めるように、続けざまに蹴りが放たれる。
ルノワールにとっては見た事も無い女だった。
しかしその技量の程は、嫌でも分かる。
「っ!? く、このっ!」
怒涛の連続蹴りだ。
その猛追は熾烈を極めていた。
決して一朝一夕では身に付かないだろう洗練された蹴り技は、ルノワールの防御を潜り抜け、彼女の顎先を蹴り上げる。
「ぐっ!」
ここで怯んではならないとばかりに、ルノワールが腰に力を入れて踏ん張り、キャサリンの素足を掴みあげようとした。
だがキャサリンもさる者。
早々簡単に掴ませてなるものか、と全身を回転させて抵抗を試みる。
「そうはいかな……ちょっ!?」
しかし。
「おおおおおおっ!!」
敵の強大さを肌で感じたルノワールの全身が一層の輝きを放つ。
両腕両足の魔石が瞬き、次の瞬間には即座に『武装結界』を発動させていた。
唸る鎧の力に任せて、強引にキャサリンの足を掴んだ彼女はそのまま、キャサリンを持ち上げると同時に、その脇腹に右拳を抉り込ませる。
「ぐ……っふ!!」
至近距離からルノワールの拳をまともに受けたキャサリンが空を飛び、近くの木に叩きつけられた。
すぐさまルノワールはメフィルに目を向けると、主人を取り戻すべく、駆け出す。
『夢見の鏡』が砕け散ったおかげか、既にメフィルも意識を取り戻していた。
「っ! ルノワールっ!」
見知らぬ少女に担がれ、恐怖に身を竦ませるメフィル。
「今すぐに御助けします!」
だがそうはさせぬ、とばかりに別の少年兵が滑り込んで来る。
(邪魔を……っ!)
するな、と。
ルノワールが腰を屈め少年の手を取ろうとした。
この少年少女達にも見覚えがある。
(彼らも鉱山に居た少年達の仲間か……!)
魔力を身に纏うことのない謎の少年少女。
だがその動作は機敏であり、常人では有り得ない膂力を持ち合わせている。
(でも)
先程相手にしていたキャサリン程の技量では無い。
ルノワールは一瞬にして少年の腕を掴みあげ、今度は捩じ切らんばかりに力を込めようとした。
「……っ!?」
しかしその腕が突如――感触を失った。
たちまちにして少年の全身がまるで泥人形のように溶けていき、ルノワールの武装結界に纏わりつく。
(これ……ゲートスキル!?)
普通の魔術ではない。
即座にそこまでを見てとったルノワールは、泥人形を弾き飛ばすべく、武装結界を瞬かせる。
まともに相手にはしていられない。
「はああああああっ!!」
力を込めると、泥は周囲に飛び散ってゆく。
そして、もぞもぞと蠢いた泥達が一か所に集まって行き、再び元の少年の姿へと戻って行った。
「くっそ……」
悪態を吐きつつ、頭を押さえる少年。
しかしそれらに構う事はなく、ルノワールはメフィルの元へと向かう。
見るとメフィルとユリシアをそれぞれ担いだ少女達が空中に浮いていた。
(何だあれ……? 翼……!?)
少女達は背中からまるで鳥のように翼を生やし、はためかせ、空中へと飛び立って行った。
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