第174話 雪山の団欒
「……美味い。1年前よりも更に腕が上がっている気がするな」
「あはは。ありがとう」
マリンダがルノワールの調理した鶏肉を頬張りつつ、満足そうに吐息を零した。
「確かに……普通は野営でこんなの食べられないわよねぇ」
ユリシアが言うとメフィルは母親に尋ねる。
「そうなのですか?」
「それはそうよ。普段から調味料の類を持ち歩いていないといけないし、野営を頻繁にする人って、あんまり味にはこだわらない人も多いからねぇ。こーんなに見事に捌いて、最適な味付けで、最高の焼き加減に仕上がる事なんて、まずないわ。そもそも都合良く獲物が見つからない事もあるしね~」
「なるほど……」
頷く娘を横目で眺めつつユリシアは聞いた。
「……ペンションの方がやっぱり良かったかしら? ごめんね、お母さんちょっと調べが足りなくて」
「い、いえ、そんな。ルノワールにも言いましたけど……野営なんて初めてですから。なんだか楽しいです」
「うふふ。そう?」
「はいっ」
もぐもぐと香ばしい肉を咀嚼しながら、メフィルは微笑んだ。
「それに……やっぱりルノワールのご飯はいつ食べても美味しいわね」
どこで食べてもそれは変わらない。
「ふふ……ありがとうございます」
普段であれば、メフィルにこうも言われれば満面の笑みを返すルノワールなのだが、今日ばかりは僅かに精彩を欠いていた。
「……ルノワール、蒸し焼きももういいんじゃないか?」
少しばかりいつもと違う娘の様子を横目で確認しつつもマリンダが竈に目を向けて言った。
「あ……そうだね。ちょっと見てみるね」
ルノワールが竈の中で蒸されている猪肉に目を向けている間に、手元の肉を平らげたマリンダがぼやく。
「あぁ……酒が欲しいな」
そんな親友の呟きにユリシアも頷いた。
「そうねぇ……というかマリンダ持っていないの?」
「私は別に普段から持ち歩いてはいない」
「もうお母様方ったら……」
「ウィスキーで良ければありますよ~」
竈の中を覗き込みながら、ルノワールが言った。
「なに? あるのか?」
「うん。というかマリンダは私がいつも持っているの知っているでしょう?」
「いやまぁ、そうだが……」
「鞄の中に携帯用のウィスキーボトルが入っています」
まるで当然のようにウィスキーボトルを取り出したルノワール。
しかし驚いたのはファウグストス親子だ。
「「え? ルノワールはいつも持ち歩いているの?」」
同時に言うユリシアとメフィルに多少たじろぎつつルノワールは答えた。
「へっ? いや、その……旅行の時とか、遠出する時には大抵……」
「「さ、流石ね……」」
ファウグストス親子が驚いている間も、嬉しそうな顔をしたマリンダは土魔術で自分のコップを作り出すとウィスキーを注いだ。
「しかもウィスキーなのね……」
「また強いお酒を……」という意味でメフィルが呟くと、ルノワールは苦笑しつつ返した。
「ふふっ。ウィスキーは蒸留酒ですからね。腐らないんです。それに飲むだけではなく、料理や消毒などにも使えるので便利なんですよ」
こう答えたルノワールだったが、
「本当に~? ルノワールの好みじゃなくて?」
メフィルにからかうような問いを投げ掛けられ、
「うっ……な、内緒です」
と頬を赤らめて竈に再び視線を向けた。
「まぁ何はともあれ、美味い酒はいいもんだ」
いつの間にか上機嫌にウィスキーを飲み始めていたマリンダに周囲の3人が苦笑を洩らした。
☆ ☆ ☆
食事の時間も終わり、メフィルが寝入ってしまった頃。
ユリシアとマリンダ、そしてルノワールは3人で話し込んでいた。
「いやぁ~。でも久しぶりだなぁ、こんな風に外で寝るなんて」
楽しそうにユリシアは言う。
「望めばいつだって私が連れて行ってやるぞ」
マリンダが茶化すように言ったが、ユリシアは頬を膨らませて拗ねた。
「なにさ~。そんなこと出来ないの知ってる癖に~」
「別に本格的に遠出をすることもないだろう? 時々こうして自然に囲まれて過ごすのもいいだろう、ということさ」
「む~? ……それは良いかも」
赤ら顔でだらしなく微笑むユリシア。
こんな風に娘を交えつつ、友人達と遊びに出掛ける。
確かにこれは良いものだと思った。忙しくて汚れてしまっていた心が洗われるような気がするのだ。
「だろう? というか、お前結構酔ってるな」
「最近はウィスキーなんて飲まないもの~。貴女達二人はへっちゃらそうねぇ。メフィルは簡単に酔い潰れちゃったのに」
「お嬢様は強いお酒を飲み慣れておりませんからね」
ルノワールが言いつつ、ユリシアの前に水の入ったコップを差し出した。
「お水をどうぞ」
「ありがと。うーん、そういう問題かなぁ? というかルノワールは、ちゃんとメフィルを鍛えておいてね?」
「え?」
「この年代の娘なんてのは、いつ送り狼に襲われるか分かったもんじゃないからな。アルコールに慣れておく事は大事だ」
体質も関係するので、そんなに簡単な話ではないのでは?
とルノワールは思ったが、彼女が何かを言う前にユリシアが手をポンと打った。
「まぁでもその時はルノワールが守ってくれるから大丈夫かなぁ。でも強いに越した事はないわよねぇ。強くなるには慣れが大事よねぇ」
「あまり若い女性に強いお酒をたくさん飲ませるのは気が進みませんが……」
「「お前(貴女)が言うの?」」
「うっ……」
誰よりも酒飲みの15歳に二人が一斉に突っ込みを入れる。
「あはははっ」
そうして殊更楽しそうな表情でユリシアが笑った。
「あ……これはそろそろユリシアも眠る態勢に入っているな」
「そうだね」
「あぁ~? 二人ともわたしを馬鹿にしてぇ~」
「してないしてない」
「本当に~?」
「本当だ、本当」
そう言いながらマリンダがユリシアの頭に手を乗せた。
そのまま艶やかな髪を撫でられていると、ユリシアの瞼が瞬く間に落ちてゆく。
「すぅ……すぅ」
「こんなに簡単に……まるで催眠術だね」
苦笑しつつルノワールが言うと、マリンダは肩を竦めた。
「単純な奴だからな」
「マリンダが相手の時だけだと思うけどね」
「今度やってみろ。多分お前なら出来るぞ。ユリシアを寝かせるなんて容易いことだ」
「主人相手にすることじゃないでしょ」
「主従関係以前に友人だろう?」
微笑みながら、ユリシアを優しく抱き上げたマリンダはそのままゆっくりとメフィルの隣に寝かせる。
「変わらんな……こいつは」
「私は昔のユリシア様を知らないから、なんとも言えないけど」
「昔からこいつは、あぶなっかしいのさ」
しかしルノワールはマリンダの言葉にこう返した。
「でもやっぱり……それはマリンダが傍に居るからだと思うよ」
「なに?」
「マリンダが居ない時は、ユリシア様は努めて立派にあろうと努力してる。毎日毎日一生懸命頭を働かせて、国中を走り回って、色んな物を守ろうとしている」
「……」
「多分ユリシア様は……自分の事を守ってくれるマリンダに甘えたいんじゃないかな」
そこまでルノワールが言うと、マリンダは優しく微笑み、ルノワールのおでこを指先で軽く突いた。
「あたっ」
「はは、馬鹿め」
額を押さえる娘に笑いかけ、彼女は言った。
「そんなこと百も承知だ」
言わぬが花、というやつなのだろう。
その時のマリンダはとても優しい表情をしていた。
「そっか……そうだね」
母と親友の素敵な関係に穏やかな心持ちになったルノワールは微笑んだ。
「そろそろ私達も寝るか」
「うん」
ぱちぱちと音を立てる竈の中の火を見つめながら、
「おやすみ、マリンダ」
「あぁ……お休み」
親子は静かに瞳を閉じた。
冬の雪山。
自然豊かなテーテドリアスの山中にて。
ファウグストス親子、そしてサザーランド親子。
両家族の平和で穏やかな時が――終わりを告げた。
☆ ☆ ☆
「「っ!!」」
真っ先に異変に気付いたのは、やはりこの二人であった。
「ルノワールっ!」
マリンダが娘の名を呼ぶ。
その声を聞くなり、娘は母の意志を感じ取り、結界を発生させた。
瞬時に周囲を囲む結界が出現し、小屋を覆い尽くす――筈だった。
「なに、これ……っ!?」
だが。
「マリンダっ!?」
先程一瞬だけ聞こえた母の声は既に聞こえずに、視界を埋め尽くしているのは、どこまでも広がってゆくような暗黒だった。
小屋の中ではない。
テーテドリアスの山脈のどこにもこんな場所は存在しない。
ならば――一体。
(ディルの『
あの技によく似ている。
何者かに閉鎖空間に閉じ込められた可能性がある。
とはいえ五感は決して鈍くなってはいない。
魔力だって十分に使用出来るだろう。
(だったら……っ!!)
そこまで一瞬で判断したルノワールはその痩身から全力で魔力を放ち始めた。
瞬く間に眩い白光に包まれたルノワールは雄叫びと共に前面に強力な結界を形成する。
「撃ち破れ……っ!!」
結界を凄まじい勢いで放ち、轟音が炸裂する。
あの不可思議な空間が歪み、ルノワールの魔力によって砕け散ってゆく。
そして――暗闇が消え去った。
「な……っ!!」
晴れた視界。
いつの間にか。
自分達を取り囲む無数の人影。
つい先程までは露ほども気配を感じはしなかった。
「貴様ら……っ!!」
そして。
見知らぬ少女の肩に担がれたメフィルの姿がルノワールの視界に入り込んだ。
「お嬢様に触れるな……っ!!」
激昂したルノワールが一歩を踏み出した瞬間――彼女に向かって一人の少年兵士が襲いかかった。
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