第172話 親子揃って

 

 快晴の下、木々に囲まれた森の中。

 ユリシア=ファウグストスは眩い太陽を見上げながら呟いた。


「う~んっ、っと!」


 両腕を伸ばし、空気を胸一杯に吸い込む。


「さっ、寒いわね~っ!」

「そこは空気が美味しい、とかじゃないのか?」


 呆れ交じりでマリンダが親友に突っ込みを入れた。

 

「季節が季節ですからね」


 ルノワールが頷き、隣を歩くメフィルに視線を向ける。


「お嬢様。寒さは大丈夫でしょうか? もしも御望みでしたら防寒用の魔術を使用しますが」

「ふふっ。ありがとう。でもそれぐらいの魔術は自分でも使えるから大丈夫。しっかり着こんでいるしね。それに……この寒さも冬の醍醐味でしょう?」


 白い吐息を零しながら彼女は微笑んだ。


「それにほら。これもあるし、ね」


 そう言って手の平を包む手袋を持ち上げるメフィルにルノワールの頬も思わず緩む。


「あはは」

「ふふっ」


 雪の降り積もる林道を抜けていく一行。

 ここはユリシアが最大領主として君臨している王国北東のコーミル地方。その山岳地帯である。

 テーテドリアスと呼ばれているこの山の麓には、デニスという小さな街が在る。


 先日はデニスの宿で一泊し、今日はこのテーテドリアスの登山を敢行している真っ最中であった。

 デニスもそれなりに標高の高い場所に位置している街だ。

 登山客の大半は、登山を行う前に大抵デニスに立ち寄り準備を整え、身体を高所に馴染ませる。

 テーテドリアスはそれほど険しい山ではないが、それでも高山病に備える必要はあるのだ。


 テーテドリアスは自然豊かな王国北部の華である。

 数多くの木々や花々、動物達が生息しており、雪の降る季節になると、白銀の世界と化した雄大かつ優美な景色が広がる事で有名だ。


 特にテーテドリアスの山頂から見下ろす光景はミストリア王国でも随一の美しさであると名高い。 

 更に、山頂の近くには白結晶と呼ばれる洞窟がある。

 氷柱や魔石によって自然に作られた幻想的な白結晶の洞窟は、観光名所として国内のみならず国外の人間であっても知っている程に有名だ。


「あっ! ほら、お嬢様あちらをご覧ください」

「ん?」

「雪ウサギがいます」


 ルノワールの指差す方向へとメフィルが視線を向けると、そこには真っ白な毛で全身を覆った小動物の姿が在った。長い耳をぴょこぴょこと動かしながら、雪の上を跳ねている。


 雪ウサギとは俗称だ。

 本来は山兎の仲間であり、この時期は冬眠をしている……筈なのだが、時折、冬場でも動き回っている個体がおり、こうして人前に姿を現す。

 その白い姿と雪の上を跳び回る姿から、そういった珍しい山兎の事を雪ウサギと呼んでいるのだ。


「う、うわ。か、可愛いわね」

「で、ですねっ! 雪ウサギなんて珍しいです!」

「そうなの?」

「はい。名前だけは有名ですが、実際にはほとんどは冬眠してしまっていますので、こうして冬の時期に見る事が出来るのは非常に稀なんです」

「へぇ! よし、帰ったらカミィに自慢しましょうか?」

「ふふっ。それがよろしいかと思います」


 そこで何かを思いついたようにメフィルが手を打った。


「あ……それか……」


 主人の考えている事を察したルノワールが楽しそうに言う。


「絵に描いてみるのもよろしいかと存じます」


 自分の言葉を先回りされたメフィルが、これまた楽しそうにルノワールの額を小突いた。


「あたっ」

「最近随分と生意気ね、ルノワール?」


 まったく怒っていない口調のメフィル。

 メフィルは楽しそうにルノワールのおでこをぐりぐりと手袋で撫でた。


「ご、ごめんなさい」

「あはは」


 二人して笑い合う。

 と、すぐに別の何かを見つけたのか、メフィルが声を上げた。


「あっ! ルノワール、あれ見てよ」

「わぁっ! 綺麗ですね!」


 視界の先には凍った湖が在った。

 そして透き通った氷の下。

 そこには無数の紅葉が散らばっていた。


 盛りの時期は過ぎており、真っ赤、とは称せないが、それでも微かに残る赤の残滓が白銀の世界を穏やかに、そして優しく染め上げている。


「散った木の葉が舞って、湖に落ちて凍ったんですね」

「こんな風になるものなのかしら」

「ど、どうでしょうか……私は初めて見ます」


 言いながらルノワールが軽く湖面の氷を叩く。


「物凄い固いですね……アイススケートが出来そうです」

「そ、それは流石にちょっと怖いわね」

「ふふっ。そうですね」


 氷が割れて落ちてしまったら冷たいどころではない。

 その時、一際強い山風が吹きすさび、テーテドリアスの木々を揺らした。


 そして。


「ん?」


 ずざざっ、という音と共にルノワールの頭に大量の雪が落ちて来た。


「うわわわっ!」

「ちょっ! ルノワール!?」


 木々がまるで帽子のように被っていた雪がそのまま風に吹かれて落ちて来たのだろう。

 ルノワールの全身が突然雪に隠れ、焦るメフィルであったが、雪の中からは普段通りの声色の従者の声が聞こえて来た。


「だ、大丈夫ですー」


 そう言いながら、ひょっこりと雪山の中からルノワールが顔を出す。


「わぷっ。び、びっくりしました」

「……」

「? お嬢様?」

「あ、あははっ。か、可愛いわね」


 メフィルはルノワールを見つめ、思わず、と言った様子で笑った。


「へっ?」


 雪山から顔だけを出したルノワールの姿の何と間抜けな事か。


「あれ……? 今、私が笑われていますか?」

「あ、あはははっ。えぇ、笑われていますよ」


 楽しそうに微笑むメフィルの背後。

 ユリシアとマリンダもルノワールの姿を見つめ笑っていた。


「~~っ」


 途端に恥ずかしくなったルノワールは頬を真っ赤に染めながら、風の魔術で優しく雪を払う。

 彼女の頭には、未だに白い雪が乗っていた。


「あははっ」


 従者の頭の上の雪を払いながら、メフィルが冗談めかして言う。


「ふふっ。良い物見れたわ」

「う、うぅ……」

「今のを絵に描こうかしら」

「ご、ご容赦下さい、お嬢様……」

「あはは、どうしようかしらね~?」


 仲良く戯れる子供達の様子をユリシアは微笑ましい表情で見守っていた。


「いいわね~。青春ね~」

「……」

「ん? どうしたの、マリンダ?」

「いや、なに……なんだ、あの二人はあれだな……普段からあんなに仲が良いのか?」


 自分の子供の事とはいえ、しばらく帝国に赴いていたマリンダが仲睦まじそうに、はしゃぐルノワールとメフィルの背中を見つめつつ呟く。


「そうよ~」

「そ、そうか」


 なんだか煮え切らぬ様子のマリンダの横顔をユリシアはニヤニヤとした表情で覗いていた。


「な、なんだその顔は、ユリシア?」

「いいえ、別に~?」

「おい、こら。何を考えている?」

「あら、言ってもいいの?」

「……」

「あっはっはっは!」

「な、何が可笑しいんだ!?」


 突然大声で笑い始めたユリシアを不思議そうな顔で見つめる子供達。

 焦るマリンダを横目にユリシアは楽しそうに駆け出すと、メフィルとルノワールの背中を軽く叩いた。


「ほらほら。もうすぐ頂上よ~っ」

「お、お母様!?」

「ど、どうされたのですか、いきなり?」

「いいからいいから」

「こら、待てユリシア!」

「いやよ~っ」


 それこそまるで子供のように駆け出すユリシアとマリンダ。


「「???」」


 訳の分からぬメフィルとルノワールは互いに顔を見合わせ、母親を追って駆け出した。




   ☆   ☆   ☆




「すごい……」


 夕暮れの中、見下ろす景色の雄大さに、自然とメフィルとルノワールの表情に笑みが浮かんだ。


 まさに噂通りの光景だった。


 テーテドリアスの天頂。

 そこから一面に広がるのは白銀の世界。

 どこまでも帯びてゆく雪の絨毯が果てしなく続いている。

 赤い夕焼けの色を反射し、朱色に輝いている雪景色もあれば、崖沿いの日陰でひっそりと暗夜の煌めきを見せる場所もある。

 

 風が吹き抜けてゆくと、それに合わせて微かに揺れる木々が見えた。

 踊る自然に合わせて、鳥達が囀り、動物達の生命の息吹が聞こえて来る。


 朱と白の幻想的な世界。


「「はぁ……」」


 子供達の口から漏れた白い吐息も緩やかに風に攫われていく。


「いや~すごいわねぇ」

「ん? なんだユリシアも来た事無かったのか?」


 マリンダの声色には「お前が領主の土地だろう?」というニュアンスが含まれている。


「ん~。無いわねぇ」


 腕組みをしつつユリシアが唸った。


「だから、ここのペンションが予約いっぱいなんて知らなかったし……」


 言い訳のように彼女は呟く。


 テーテドリアスの山頂、そして白結晶の洞窟という名所があるだけに、当然のように観光客向けの宿泊施設が存在している。

 しかしこの時期は人気盛りであるらしく、既に予約で部屋は埋まっていたのだ。


「お、お母様。ど、どうしましょうか?」


 心配そうな顔つきでメフィルがユリシアを見上げた。

 しかし当のユリシアは全く困った事も無さそうに微笑んだ。


「あ、大丈夫よ、別に」

「え、そうなのですか?」

「ええ。だってここに野営の達人が二人もいるもの」


 そんな風に楽しそうに言ったユリシアは、サザーランド親子を見て可愛らしくウィンクをした。


「ね?」


 相変わらずの親友の様子にマリンダは肩を竦めつつ苦笑した。

 メフィルはマリンダのその笑い方が何だか、ルノワールにそっくりだな、と思った。


「まぁ……そうだな。道具は何も無いがどうとでもなるだろう。ルノワール、手頃な場所を探すぞ」

「ふふ、了解」


 ルノワールとマリンダはペンションから離れ、茂みの中へと入って行く。

 

「とはいえ、この地形だとあんまり拓けた場所は無いだろうな」

「うーん、他の人の邪魔にならない場所なら、どこでもいいのかな?」

「あぁ。ん……まぁこの辺でいいか?」


 適当な広さの場所を見つけたマリンダが地面をこつこつと踵で叩いた。


「あ、いいかも。じゃあ部屋を作ればいい?」

「あぁ。雪の恐れがあるからな。一応屋根には角度を付けておけ」

「折角だからカマクラにしちゃう?」

「冷たくないか? それに火が使い辛くなるぞ」

「そっか……やっぱり土にしよう」


 そう言って、ルノワールが大地に手を付けると、見る見るうちに土が盛り上がり、土壁が生み出され、気付いた時には、土で出来た家が完成していた。


「ちょっと狭くないか?」

「4人だからもうちょっと、かな」

「寝台のスペースも増えるから、心なしか大きめにしておけ」

「了解」


 あれよあれよと言う間に、ルノワールの手によって、調整が施され、気付けば立派な小屋が完成していた。


「さぁ、どうぞ。お嬢様」


 笑顔で促されたメフィルが室内に足を踏み入れると、中は十分に広く、4人が足を伸ばしても全く問題が無い程である。


「す、すごいわね」


 何事に対してもそうだが、相変わらずの見事な手際だ。

 感嘆のため息を洩らしつつ、メフィルは微笑んだ。


「それにあったかい」

「いやぁ~、うんうん。流石に手際がいいわね~」


 ユリシアもメフィルと共に楽しそうに言った。

 小屋の外側から軽く土を叩きつつマリンダがルノワールに呟く。


「まぁ、こんなものか」

「耐寒術式は?」

「もう張った。問題無い。放っておいても3日ぐらい持つな」


 確かにこの時期に、途中で魔術が切れてしまえば凍えてしまうに違いない。

 しかしいくらなんでも3日は長いだろう。


「もう。雑じゃない?」

「お前が細か過ぎるんだ」


 そんな軽口を叩き合いつつ、サザーランド親子も小屋の中へと入った。





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