第12話 歓迎会 ~前編~

 

 パン屋でのひと時を経て。

 メフィルお嬢様と共に帰宅した後、僕は自室で荷物の整理をしていた。

 その間に僕が考えていたのは昼間のお嬢様のことだ。


(やっぱり……)


 ユリシア様からあらかじめ聞いていたけれど、メフィルお嬢様は最近情緒不安定気味であるらしい。

 昼間もカフェで不意に感情が高ぶってしまう兆候が見られた。

 まだ会って間もないが、振舞いを見る限りお嬢様は聡明な少女だ。

 普段からあのような言動が飛び出るとは考えにくい。そのような話はユリシア様からも聞いていない。


(とはいえ)


 命を狙われ身近な人間が傷を負い、殺人の現場に居合わせた以上、それは無理もない反応だろう。

 むしろ何ら精神に異常をきたしていない方がよほど不自然だ。


(……しっかり頑張ろう)


 決意を新たに、クローゼットの中に衣類を詰め込んでいると、控えめにドアを叩く音がした。


「どうぞ」


 声を掛けると、遠慮がちにゆっくりと部屋の扉が開かれる。

 現れたのはイリーさんだった。


「あ、えーっと……」


 自ら足を運んだにしては、なんとも困ったような表情のイリーさん。


「どうかなさいましたか?」


 彼女は初めキョロキョロと室内を見渡すように佇んでいたが、やがて決心したように口を開いた。


「ルノワールさんっ」

「は、はい?」


 ???

 何かあったのだろうか?


「ち、ちょっと付いてきてもらえませんか?」


 どういうわけか彼女は緊張した様子。

 特に心当たりの無い僕は曖昧な返事をした。

 

「は、はぁ」


 突然の来訪に突然のお誘い。

 イマイチ要領は得なかったが、相手はイリーさんである。

 戸惑ったものの彼女に邪気がないのは明白なので、僕はイリーさんの言葉に頷いた。


「かまいませんが……どうしたのですか?」

「と、とにかくっ! 後で説明しますので!」


 何やら慌てている。

 おそらく上手く説明する言葉が見つからないのだろう。

 彼女は始終ソワソワとした様子だった。

 そんな年相応のイリーさんの姿を見ていると思わず頬が緩んでしまう。


「ふふっ、わかりました」


 僕が了承すると、彼女はたちまち満天の笑顔になった。


「こっちです!」

「はい、畏まりました」


 先導するイリーさんに連れて行かれたのは食堂だった。

 屋敷の食堂には20人ほどが一度に食事をすることが出来るほどの大きな長テーブルが中央に置かれている。

 テーブル直上の天井には豪奢なシャンデリア。壁には有名画家の名画が立て掛けられ、皺一つない美しい赤絨毯は歩くことも憚れられるほど美しい。

 ここには時折客人を招くこともあるため、装飾は各人の私室に比べると随分と華美な造りになっているそうだ。

 もちろん食事をする場所でもあるため、きっちりと清潔に保たれている。


 と、朝方イリーさん達先輩使用人から教えてもらったことを思い出していたら。


「あっ、ルノワールさんはここでお待ちを!」


 食堂の扉の前で僕に一言告げると、イリーさんはそっと扉の中へ入っていった。

 なにやらゴソゴソと物音が聞こえてくる。


 はて。

 気配を探る限り、中には屋敷の使用人が全員揃っている。

 しかもユリシア様とメフィルお嬢様もいらっしゃるようだ。

 というか玄関口に誰かいなくても良いのだろうか。


(うーん、屋敷の会議か何か?)

 

 僕が小さく唸りながら首を傾げていると、


「さぁっ! 入ってらっしゃい!」


 いきなりユリシア様が「バーンっ!!」という擬音がこれほど相応しい登場の仕方はないだろう、と思わせるほど豪快に扉を開け放った。


「うわぁっ!!」

 

(び、びっくりしたっ)


「い、いきなり大声を出さないでくださいっ」


 しかし僕の抗議の声はユリシア様には全く聞こえていない様子だった。


「いいからおいで!」


 ぐいっと腕を引っ張られる。


 快活かつ強引。

 僅かに赤らむ頬。


 僕はすぐさま悟った。


(あぁ……)


 この人酔ってる。

 間違いない。

 だって吐息からは僅かにアルコールの匂いがするし。

 しかもこのハイテンションだ。


(これは何を言っても無駄だなぁ……)


 なされるがまま。

 さぁさぁ! と手招きするユリシア様についていく。


 食堂に揃った屋敷の人々は全員僕に注視していた。

 何やら豪勢な料理がテーブルの上に並べられ、皆がジュースやお酒の入ったグラスを手に持っている。

 戸惑っているとユリシア様がいきなり僕にもグラスを一つ手渡した。

 グラスの中程まで注がれた赤ワインがゆらゆらと揺れている。


「えっと……?」


 突然のことに何が何やら。

 僕が戸惑いがちな視線をユリシア様に向けると彼女は快活に言った。


「歓迎会よ!」


 は、はぁ……。


「歓迎会、ですか?」

「そそ」


(……誰のだろう?)


「あなたのよ、もちろん」

「えっ!?」


 嬉しいとか感動とか、そういう感情よりも真っ先に浮かんできたのは困惑だった。

 だって。


「えっと……私ってただの護衛ですよね?」


 僕はただの使用人兼護衛のはず……だよね?

 間違ってないよね?


(一使用人に対し歓迎会?)


 そんな貴族の屋敷なんて聞いたことがない。


 しかしこの場で戸惑っているのは僕だけだった。

 周囲に目を向けても、皆にこやかな顔で僕を見ている。

 どうやら彼女達にとっては別段おかしなことではないらしい。


「なにいってんの!」


 僕の耳元で屋敷の主人が怒鳴った。


「ユリシア様……お声が大きいです……」


 控えめに抗議の声を入れたが、またしてもユリシア様の耳には届かなかった。


「大きい声で言わないとわかんないでしょ!」

「いえそのような……」

「いい!? 今日は無礼講よ無礼講! 屋敷で暮らす以上、貴女は家族! ルーク……ルーク? あ、じゃなくてルノワールは家族なのよ! だから……」


 !!??


「わぁあああああああああああっ!!」


 何言ってんの!? 

 何言ってんの、この人!?

 今普通にルークって言ったよ、この人!?

 屋敷に務め始めてから僅か2日目にして、この人は何を口走っているの!?


(か、勘弁してください~……っ)


 狼狽する僕だったが、どうやら幸いにも屋敷の皆は酔っ払ってるユリシア様が名前をただ言い間違えただけ、と思っているようだ。

 むしろユリシア様よりも、いきなり大声を上げた僕の方が不思議そうな目を向けられていた。


(あぁ、もうなんなの……)


「うぅ……」

「ほら、持って! はいみんなグラス持ってるわね!? かんぱ~い!」

「早いです!」


 思わず突っ込んでしまった。

 音頭とかそういうのは全然無いんだ。


 これもファウグストス流なの?

 そう思って周囲を見渡すと、流石にみんな戸惑った様子で「か、かんぱ~い?」と言い合っていたので違うらしい。


 要するにあれだ。



 ユリシア様がなんというか……面倒くさい人になってしまっていた。



「あははっ」


 しかし当のユリシア様はこの場の誰よりも楽しそうだった。

 若々しい容姿に無邪気な笑い声。

 楽しそうにグラスを傾ける姿は学生と見紛うほどだ。


(そう言えば……)


 昼間メフィルお嬢様が言っていた。

 最近は皆ウェンディのこともあって、どこか空元気で日々を過ごしている気がする、と。

 襲撃の一件を考えれば無理もないことだと思う。


 もしかしたらユリシア様は僕の来訪という転機を利用して屋敷内の雰囲気を元に戻したいのかもしれない。

 彼女はこう見えて(失礼)他人の心の機微に敏感な方なのだ。


 僕がユリシア様について思考を巡らせていると声をかけられた。


「ルノワールさんはお酒飲めるんですか?」


 声の主はオレンジジュースを手にしたイリーさん。

 ミストリア王国では14歳以下の飲酒は禁止とされているため、イリーさんはお酒を飲むことが出来ない。故にジュースなのだろう。


 僕がイリーさんに返事をしようとしたら――、


「ルノワールはすごいのよ~。もうお酒大好き! ものすごい酒豪だしねぇ~っ!」


 いきなり僕の肩に手を回しながら上機嫌にユリシア様が言った。


「あはは……」


 まぁユリシア様の言葉は嘘じゃない。

 嘘じゃないけど。


(うぅ……)


 正直絡みづらいぃぃ。

 酔って気分がよくなるのは共感できるんだけど、今は友人というだけではなく、僕の主人でもあるから適切な接し方がわからないよ。

 よって苦笑するほかない僕だったけれど、イリーさんにとってはそうでもなかったらしい。


「へぇ~っ! お酒強いんですかルノワールさん」


 イリーさんは何故かキラキラとした瞳で僕を見上げていた。


「えっと……まぁ」

「ルノワールは自分でもお酒作ってるもんね?」


 なんでユリシア様が答えるんですか……。


「そうなんですか!?」

「えっと……まぁそうですね」


 僕が控えめに答えると不満そうな顔のユリシア様。


「なによ、さっきからルノワールノリ悪くない?」

「まだユリシア様ほど出来上がってないんですよ……」


 更に言えば突然の事態に戸惑っているということもある。

 というか、あんまり酔ってしまうと僕なんかは危険な気がする。

 先ほどのユリシア様じゃないけど、何かとんでもないことを口走ってしまう可能性だって皆無じゃないはずだ。

 まぁそこまで泥酔することなんてほとんど無いんだけれど。


「というか、この会が始まる前からユリシア様は痛飲していらっしゃったんですか?」

「うん」


 うん、て。


「ふふっ。帰ってきてから奥様は随分と機嫌がいいですね」


 そう言ったのは先輩メイドの一人のオウカさんだった。

 オウカさんは最近「ウエストの様子がおかしい」と真顔で悩み始めた20代後半の女性で、細身……とは残念ながら評することは出来ないけれど、バストがとても豊かで常に笑顔を絶やさないような素敵な人なのできっとモテるに違いない。

 彼女も既に中々出来上がっているらしく、頬を上気させながら笑っていた。

 ちなみにオウカさんは屋敷のメイド達の中ではローゼス夫妻に次ぐ古参使用人だ。


「そう見える?」

「えぇそれはもう」

 

 楽しそうなユリシア様にオウカさんも笑顔で答えた。


「まぁ……ねぇ。マリンダに久しぶりに会ったから、かな。屋敷の皆のことは大好きだけど、やっぱりマリンダはわたしにとって特別なのよ」

「本当に仲がよろしいですよねっ!」


 しみじみと言うユリシア様にイリーさんが元気よく合いの手を入れると、ユリシア様はいやらしい表情を浮かべて「むふふ」と笑った。


「う~ん、イリーは可愛いなぁっ!」

「うひゃあっ!?」


 そしていきなりユリシア様はイリーさんに抱きついた!


「こちょこちょこちょ~」

「あははっ! うひひ……や、やめてくださいぃ~、ふふっひひゃひゃっ!」


 更にくすぐり始めた!

 笑い苦しむ妹を見ながらアリーさんもまた笑っていた。


「あっはっは!」

「お姉ちゃんも笑ってないで助けて~っ」


 爆笑する姉に涙混じりで懇願するイリー。

 しかし。


「あっはっは!」


(あ、これアリーさんも酔ってるなぁ……)


 いつの間にか僕たちの周りには屋敷の使用人達はもちろん、メフィルお嬢様も含め全員が集まってきていた。

 喧騒に紛れて僕の隣までそっと近づいてきたメフィルお嬢様が耳元で小さく囁いた。 


「ルノワール、その、昼間はありがと」

「えっ?」


 何についてのありがとう、だろうか?

 僕が返事を言い淀んでいると、お嬢様はすぐに踵を返した。


「それだけ!」


 お嬢様はさっさか歩いていってしまう。

 どうやら遠巻きにこちらを眺めているシリーさんの元へといったらしい。

 

「???」


 僕が首を傾げていると、ふとシリーさんの隣でグラスをゆっくりと傾けていたビロウガさんと目があった。

 彼はとても優しげな表情で、僕に微笑みかける。


(何を話してるんだろう……)


 メフィルお嬢様とシリーさんの会話は聞こえないけれど、何やらメフィルお嬢様の言葉にシリーさんが困っている様子なのだけは分かった。 

 彼らを見つめて微笑み返すと、シリーさんも僕に気づいたのか、軽く頭を下げた。


「こら! ルノワール! 貴女まさかビロウガに色目を使っているの~?」


 ふざけたことを言い出したのはユリシア様。

 「きゃ~っ♡」と黄色い声を上げるのはオウカさん他使用人ズ。

 ユリシア様から解き放たれたイリーさんは息も絶え絶えに仰向けで床に転がっていた。


「ちっ、違いますよ!?」


 と僕が慌わてているにもかかわらず、ビロウガさんは涼しい顔でグラスを傾けており、シリーさんもまるで動じていなかった。

 そんな二人の様子を見ていたら、一人だけテンパっている自分がますます恥ずかしくなってきてしまい、余計に顔を赤くしていると。


「やぁ~ん。ルノワールったら可愛い~」


 ユリシア様に絡まれる。

 こ、この人はホントもう!

 しかも今は雇い主だから更に質悪いよ!


(あぁ、もう……)


 こうして酔っぱらい達の喧騒は加速していった。





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