第13話 歓迎会 ~後編~
困り果てた僕に救いの手が差し伸べられた。
「奥様、ルノワールが困ってますよ」
遠慮がちに口を開いたのはエトナさんだった。
エトナさんはウェンデイさんと同じくらいの時期に屋敷にやってきた使用人らしい。
眼鏡がよく似合う知的な21歳の女性で、ゆるくウェーブのかかった髪を肩の上あたりで揃えている。
快活な人達が笑い転げる中、一人静かにグラスを揺らしていた物静かなメイドさんだった。
酔っぱらいに絡まれていた僕に助け舟を出してくれた辺りを鑑みても彼女は貴重な存在だと思う。
「ごめんね、大丈夫ルノワール?」
「エトナさん……」
うぅ、アリーさんも酔っぱらってしまっているし、エトナさんだけが救いです。
「奥様は時々こんな風になってしまうから」
こんな風、とは中々にひどい言い草だったが、僕は否定しなかった。
「えぇ、はい。存じております」
「あっそうか。ルノワールは元々奥様の友達だったんだっけ?」
「えっと、はい」
僕がエトナさんと話しているとユリシア様が喚いた。
「こらエトナ! こんな風って何よっ」
が、苦笑したのみで僕達は無視した。
こんな風はこんな風ですよ。鏡をお持ちしましょうか?
(う~ん、当主に対するこの対応も他家の屋敷だったら大問題だよなぁ)
「そういえばルノワールはマリンダ様の娘なのよね?」
娘、という言葉に唸りそうになったが、決して表情には出さずに僕は頷いた。
「はい、そうですけど」
僕の返事にエトナさんは目を輝かせる。
「マリンダ=サザーランド男爵といえば、あの『紅牙騎士団』の団長でしょう? どんな人なの?」
何やら興味津々の様子だ。
もしかしたらあれかな。
(マリンダに憧れている、とかだろうか?)
「そうですね……」
この国の軍隊は大きく分けて二つ存在する。
それが国内警備軍と国外監視軍だ。
それぞれの組織の俗称を内軍、外軍と言う。
国内警備軍とはその名の通り、国内における問題解決を担当する組織であり、主な業務は治安維持。こちらの組織は慣例的に貴族が役職に就く場合がほとんどだ。
かたや国外監視軍もその名の通り、基本的には国境付近の守備を担当しており、外敵の存在に目を光らせている。
人の手の入っていない危険地帯に赴くこともある組織なので一般的に国内警備軍よりも高い実力が要求される。こちらは主に平民で構成されていた。
貴族達は軍事関係者であっても基本的には危険度の低い内軍に編成され、平民は外軍。
表立って言う者こそいないが、外軍の方が優秀な人材が豊富であるため、大多数の平民達からは内軍は良く見られておらず、外軍こそがミストリア王国の軍隊だとする声が大勢を占めている。
更に言えば貴族出身ということもあり内軍の人間は傲慢で鼻持ちならない人間が多く、賄賂も横行している有様だ。
逆に外軍の方は2人の大将軍の元、非常に統率が取れており、実直な者ばかりだった。
しかも給料などの待遇は内軍の方が良いのであるから尚更内軍の評価は下がっていく。
そして10年前。
帝国とあわや戦争か、といった事態に陥った。
当然国内の治安も不暗視されるし、外軍とて人手に余剰があるわけではない。
そこでお世辞にも優秀だとは言い難かった内軍にユリシア様が新たな騎士団を設立した。
それが『紅牙騎士団』。
ユリシア様が緊急措置として平民だったマリンダに男爵位を与え、騎士団の団長に据えたのだ。
本来ならば『騎士団』と名のつく組織は貴族や王族が私的に有している戦力を指す。基本的には紅牙騎士団もユリシア様個人の騎士団、という扱いだが、この時ばかりは事情があって紅牙騎士団を国内警備軍の中に取り入れたのだ。
ユリシア様が後ろ盾となり、マリンダが率いた『紅牙騎士団』は、まさに八面六臂の活躍を見せた。
ユリシア様とマリンダが選抜した、貴族達の中でも少数の本当に優れた信頼出来る人材を確保し、帝国の調査はもちろんのこと、国内の不穏分子までも次々に検挙していき、瞬く間にその名声を広げた。
団員は皆素性を隠していたが、マリンダだけは団長として公の場に堂々と出向く機会も多く、その洗練された容姿も相まって一時は国民達のアイドルのような存在になったという。
新参者の騎士団、それも元々は平民であるマリンダが率いている、ということで貴族達の反感も買うことになった。
しかし外軍に匹敵するだけの活躍をしてくれる組織は内軍においては非常に貴重であり、結果的に国民達からの内軍全体の評価も上がったために、騒ぎ立てる者はほとんどいなかった。
更に言えば。
何よりも貴族達は紅牙騎士団を敵に回すことを恐れた。
平和が続いていたこともあり、最近までは表立った活動はしていなかった。
しかし有事の際にはすぐに行動出来るように準備だけはしていたのだ。
現在は多くの団員が帝国の調査に駆り出され、情報を得るために動き回っているはずだ。
今回のユリシア様からのマリンダと僕への依頼も騎士団の仕事の一つと言えるだろう。
「変わった人、ですね」
端的にマリンダを評するとなると、これ以外に言葉が浮かばない。
もう一つ挙げるならば。
「あと強いです」
滅茶苦茶なぐらいに。
僕が言うと、キョトンとした顔でエトナさんは小首を傾げた。
「それだけ?」
「ええっと……」
横目でユリシア様を伺う。
彼女はどうやらオウカさんとアリーさんを相手に飲み比べを始めたらしく、淑女らしからぬ豪快な笑い声を上げていた。
「なんというかその……ユリシア様の親友ですので。いえ悪い意味ではなくてですね。強さにしても性格にしても一般的ではありません」
僕がぎこちなく言うと、
「あ、あぁ~……なるほどねぇ」
エトナさんは神妙に頷いた。
あ、やっぱり納得出来ちゃうんですね?
主人が変わり者であるという自覚はエトナさんにもあったんですね。
「ルノワールも紅牙騎士団の一員なの?」
「はい、そうですね。加えてマリンダの娘ですので。私がお嬢様の護衛を務めることになった最大の理由です」
「なるほどね~」
なんて話をしていたら。
「ルノワールぅ? 貴女強いんだってねぇ~?」
オウカさんが絡んできた。
はて強いというのは今の話を聞いていたのかな?
それともお酒のこと?
とろんとした目つきでオウカさんが僕の腕に胸を押し付けてくる。
ちょちょちょ!?
「お、オウカさん飲みすぎでは?」
「そんなことない! まだまだいけるわよぉ~」
うわ、ちょっとオウカさんの胸がっ、胸がっ!
更に僕のもう片方の腕に小さな影が飛びついてきた。
「るのわーるひゃんっ! 飲み比べれすっ!」
呂律の回っていないイリーさんだ。
というか!
「あ、アリーさんっ! イリーさんはまだお酒飲んじゃ……」
どう見てもこの子酔っ払っちゃってますよ!
「少しぐらいなら大丈夫よ、あっはっは!」
(あらゆる意味で大丈夫じゃないよ~っ)
だ、駄目だ。
なんというかもう、姉妹揃って大丈夫じゃない。
あと意外でしたけどアリーさんってすごい笑い上戸ですね!
「え、えっと」
右腕にはオウカさん。
左腕にはイリーさん。
向かいには笑うアリーさん。
酔いつぶれて寝ているユリシア様。
(……ど、どうしろと?)
というか皆いつも宴会ではこんな感じになってしまうの?
「……皆やっぱり、少しストレス溜まっていたのかも」
助けを求めて振り向くと、この場における唯一の救いであるエトナさんがぽつりと呟いた。
「あっ……ごめんなさいね、なんでもないの」
僕に聞かれていたのに気づいた彼女は慌てたように、笑顔を取り繕ってユリシア様の元へと向かい、その肩にそっと毛布をかけた。
「あ……」
その後ろ姿を見つめながら僕は考えた。
やっぱりこの場は歓迎会という意味合いもあったのだろうが、屋敷内の雰囲気解消の意味合いもあったのだろう。
(……そう、だよね)
傷ついていたのはお嬢様だけではないのだ。
屋敷の使用人が重傷を負った。
メフィルお嬢様が襲われた。
幸いにもウェンディさんは生きていたが、一歩間違えれば死んでいたかもしれない。
誰もがこの先暗雲が立ち込める気配を感じ取っている。
「……」
僕が黙っていると背後から声がかかった。
「ルノワールさん」
声の主はビロウガさん。
宴会の場には相応しくない真面目な声音だった。
彼の様子から真剣な雰囲気を感じ取ったのか、オウカさん達は静かに僕から離れていった。
「……ビロウガさん」
この老執事の心の中にも不安に思う気持ちがあるのだろうか。
そんなことを考えていたが僕には彼の表情から感情を読むことなど出来はしなかった。
「どうぞこれからよろしくお願い致します」
先日と同じようにビロウガさんの礼は美しい。
「いえ、そんな……」
「メフィルお嬢様は本気で戦闘術を身につけるおつもりのようです」
その時、ビロウガさんの表情が憂いの色を帯びた。
「え?」
「先ほど家内に相談しておりました」
なるほど……。
お嬢様が何やらシリーさんに頼み込んでいたのはその話か。
「今までは護身術を嗜む程度でしたが……今後はもっと本格的に取り組みたいとのことです」
そのメフィルお嬢様は先ほどシリーさんと共に、僕達に一言告げて既に退室してしまっている。
「よいこと……なのでしょうか?」
僕が聞くとビロウガさんは苦笑しつつ答えた。
「難しいところですな。本人に心得があるというのは非常時にとても役に立つことなので良いこと、なのでしょう。しかしこれからは学業も難しくなっていきます。その中で戦闘術の訓練もなさるとなれば……」
彼は一度言葉を区切り、寂しそうに少しだけ俯いた。
「絵を描く時間は失われていくことでしょう」
「ぁ……」
ビロウガさんも思っているんだ。
メフィルお嬢様には絵を描いていて欲しい、と。
「絵画はお嬢様にとってはとても大切なものです」
静かに瞳を閉じ、しみじみとビロウガさんは呟いた。
そして同時に僕も思う。
好きでなければ。
大事に思っていなければ。
あの画廊に飾られているような素晴らしい作品が描けるはずがない。
気づくと僕の口からは自然と言葉が溢れていた。
「私がその分を頑張れば……お嬢様の負担を減らすことができるでしょうか」
「……」
「お嬢様には今後も絵を描いていただけるでしょうか」
僕の言葉を聞き、老執事は優しく目を細めた。
「そのような言葉を聞けるだけで嬉しく思います。是非ともお嬢様の力になって頂きたい」
未だ若輩者なれど。
「……はい」
少しでも期待に応えられるように頑張ろう。
改めて僕はそう思った。
☆ ☆ ☆
やがて使用人達が次々に酔いつぶれていき、僕とエトナさんとビロウガさんがそれぞれの部屋へと連れて行くことになった。
「なんかルノワールの歓迎会だったはずなのに……ごめんね」
「構いませんよ、エトナさん」
本当に気にしていない。
むしろ屋敷内の人達といろんな話が出来て実に楽しかった。
今日一日だけでも彼女達との距離が確かに縮まったように感じられる。
「……」
それは僕の努力なんかでは決してない。
彼女達の親切心や、懐の広さによる部分が大きい。
出会って間もないが、本当に良い人達ばかりだと思う。
「貴女みたいな人でよかったわ」
突然ポツリと、エトナさんが呟く。
「へ?」
「いやぁ……最初は護衛、なんていうからもっと堅苦しい人が来ると思っていたから」
エトナさんは笑いながら言った。
「そしたらこ~んな可愛い料理上手な女の子だもの」
「そそ、そうでしょうか……?」
「それもとびきり愛想がいい、ね」
うぅ、胸が痛い。
ごめんなさい。
本当は男なんです。
「ふふふっ」
「なんだか楽しそうですね。もしかしてエトナさんも酔ってます?」
「ははっ、そうかも」
二人で笑いながらイリーさんとアリーさんを部屋まで運びこむ。
「……おやすみなさい、ルノワール」
「はい。おやすみなさい、エトナさん」
エトナさんと別れ僕は自分の部屋へと向かう。
「……シャワーでも浴びようかな」
こうして僕の御屋敷生活2日目は終りを告げた。
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