第11話 渦巻く感情
「えっ?」
戸惑い顔で首を傾げるルノワール。
私は意図的に彼女の瞳から視線を逸した。
「……」
今私は……どんな顔をしているのだろうか。
「だって……護衛なんて危険なだけで、面白みのない仕事じゃないかしら?」
努めて軽口を叩くような気安い口調で言った。
声は震えてはいなかった、と思う。
ルノワールは元々資格にも興味が無いと先ほど言っていた。
つまり学院に通う必要性なんて彼女は最初は感じていなかった筈だ。
ならば、「この機会に学び……」なんて言葉は後付けだ。
私の護衛をしなければいけなくなったから。
学院に通う必要があるから。
だから彼女は渋々資格試験を受けるための勉強、という理由を作ったにすぎない。
護衛なんて仕事は給金は高いかもしれないが、自由を縛られ、命を賭ける危険な仕事だ。
誰が自らなりたいと思うだろうか。
少なくとも私ならお断りだ。
「……」
「……お嬢様」
苦々しい感情が表情に出ていたに違いない。
労わるようなルノワールの言葉が耳に入り、私は愚かな質問をした事をひどく後悔した。
「……ごめんなさい、なんでもないわ」
みっともない。
変なことを言うんじゃなかった。
(結局……)
結局あの襲撃の日から私の精神の安定性は失われたままなのだろう。
ルノワールの瞳には、今の私はどれだけ弱々しく映っているのだろうか。
従者相手にこれほど情けない姿を晒すことになるとは。
私だってもう小さな子供ではないというのに。
しかも彼女とは昨日出会ったばかりではないか。
「……」
重々しい沈黙の帳が落ちる。
(せっかく今日は久しぶりに良い気分だったのに)
私のせいで居心地の悪い空気が出来てしまった。
(あぁ、失敗した)
瞳を伏せたまま、私は逃げるように席を立とうとして――、
「そろそろ――」
「貴女を守ることにはとても大きな意味があります」
――出来なかった。
ルノワールが真剣な眼差しで私を見ていたから。
彼女の声音がどこまでも真摯だったから。
「意味……って?」
だけど捻くれた私の心は素直に彼女の想いを汲み取ろうとはしなかった。
最近のストレス。
溜まっていた不満が爆発してしまいそうだった。
訳も分からないままに襲撃されて。
死にかけて。
目の前で市民が一人犠牲になって、従者が一人重傷を負った。
外に出る事も叶わず、自由がなくなり、なんだか急に世界が狭くなったように感じられた。
ルノワールは何も悪くはない。
彼女に私の感情をぶつけるなど間違っている。
当たり前だ。
そんな事は分かり切っている。
だけど。
それでも。
この時の私はタガが外れてしまいそうだった。
「給料がいいから?」
今度ばかりは私の声は、はっきりと震えていた。
「私が大貴族の一人娘だから? それとも貴女の友人であるお母様の娘だから?」
「お、お嬢様」
「それとも……私を狙っている人達を捕まえることで、敵の正体を暴けるから?」
矢継ぎ早に言うと彼女は少しばかり驚いたように目を丸くした。
多分ルノワールは私がお母様の考えを知らないと思っていたのだろう。
私だってもう子供ではないのだ。
自分でも物を考えられる。
親の言いなりになるだけの他家の貴族の子供達と同じにはならない。
お母様のような立派な人間になるためには思考を止めてはならないのだ。
私の立場は確かに危険な状態かもしれないが、敵から狙われているという状況は逆に考えれば私に囮としての役割が務まる、ということだ。
そして目の前の従者が本当に優れた実力を持っているのであれば、私を餌にして敵の尻尾を掴むこともできるだろう。
「やっぱりそういう意味だったのね? 貴女が来たのは」
睨みつけるような視線でルノワールを見た。
「……そういった理由もあります。ですが私を護衛に任命したのはユリシア様が何よりもメフィルお嬢様のことを大切に思われているからです。万が一にも貴女の身柄が敵の手に渡ればユリシア様が自由に行動出来なくなり――」
「そんなことは分かってる!」
怒鳴り声が響く。
周囲の人々が静まり返り、一斉にこちらに視線を向けた。
あぁもう。
私は何が言いたいのか。
何を感じているのか。
自分で自分のことが分からない。
これではただの八つ当たりだ。
いたたまれない気持ちになった私だったが……大声で騒いだことに対する謝罪の言葉は出なかった。
しかし意固地になっている私の言葉に対しても根気強く。
「ですがそれだけではありません」
ルノワールは落ち着いた表情のまま私を見つめていた。
そして私の瞳をじっと覗き込むように。
自分の意志をしっかりと伝えるように。
「感動致しました」
静かに。
そう言った。
「はっ?」
突然の言葉に私は目を丸くした。
感動?
何が?
彼女は一体何を言っているのか。
「貴女の描かれた作品です」
「作品?」
そこでようやく彼女が私の描いた絵のことを言っているのだと分かった。
「何をこの子は……」と思う。
だけどルノワールは私が言葉を発することを許してはくれなかった。
今度矢継ぎ早に言葉を繰り出したのは彼女だったから。
「昨晩もお伝え致しましたが、お嬢様の絵を見て。私は掛け値なしに感動致しました」
「……」
「メフィルお嬢様のような才能ある人間は人類の宝です。私のように人を傷つける術にばかり長けた武骨者とは違い、貴女の絵にはきっと万人に感動を与える力がある。貴女はいつかもっと成長して、さらに素晴らしい絵を描くことでしょう」
美しい瞳にまるで魅入られた様に。
私はルノワールの顔から目を逸らせなくなった。
「私はそれを見てみたい。貴女が描く世界を私はもっと見たいんです」
彼女はどこまでも真摯に私を見つめていた。
その顔から。
その瞳からは嘘は一切感じられなくて。
「屋敷に参ってメフィルお嬢様のことを知るまでは確かにお嬢様の仰っていたような理由しかなかったことは認めます。貴女の身を守ることはユリシア様の行動を助けることであり、国防の観点からも大きな価値があることは事実です」
しかし、と彼女は言う。
「しかし今は違います。お嬢様を守ることには私にとって、個人的にも意味があることなんです」
優しい表情をしていた。
ルノワールの温かな眼差しが、まるで私の癇癪を包み込んでくれるかのようだった。
微笑みながら、彼女は続ける。
「他人が理解出来なかったとしても。誰にも賛同を得られなかったとしても。私にとっては立派な理由です」
「……」
「信じては……頂けませんか?」
私は何も言えなかった。
他人には理解出来ない。
それは当然だろう。
(私の才能が人類の宝?)
馬鹿馬鹿しい。
大袈裟にも程がある。
(……過大評価よ)
どうせ私は絵を描いて、絵で生きていくことは出来ないのだ。
だったら絵も……いつかやめてしまう日が来るかもしれない。
そう。
何かを言い返そうとして。
「……」
「……ぁ」
だけど私は出来なかった。
何も言葉にならない。
彼女の誠実な瞳に反論することが躊躇われて。
定まらぬ、混乱した心を引きずった私は結局ただ俯いただけだった。
(何、やってんだろ……)
黙り込む自分を今ルノワールはどんな表情で見ているのだろうか。
しばしの沈黙を経て。
俯く私の耳にも心地よく。
ソプラノの美しい声が届いた。
「もしも」
「……」
もしも?
「もしも許されるのでしたら……私に絵を教えていただけませんか?」
それは予想外の言葉だった。
「え?」
顔を上げると彼女と目が合う。
ルノワールは先程までの真剣な瞳に柔和な笑みを混ぜて微笑んだ。
「はい。技術的な指導でも、私が描いた絵に対するちょっとしたアドバイスでも結構です。時間がある時だけでもいいですので、私に絵を教えていただけたら嬉しく思います」
「……」
私の絵を上手だ、と褒めてくれた人は今までにもたくさんいた。
だけど多分。
いや間違いなく。
ここまで真っ直ぐに私に対して感動を表現してくれたのは彼女が初めてで。
昨日も思ったけれど……やはり嬉しかった。
「メフィルお嬢様の護衛をする理由をもう一つ増やそうと思ったのですが……駄目でしょうか?」
そんなことを言う。
私が取り乱しても決して声を荒げることなく。
怒ることもなく。
(かといって無感情というわけでもない)
むしろルノワールは感情表現豊かな少女だと思う。
それでいてどこか大人びた雰囲気をも漂わせている。
なんだかとっても。
(……不思議な子)
「馬鹿」
私の顔色を窺う様は、まるで捨てられる事を恐れる子犬のようだった。
小動物的な可愛さを身に纏うルノワールを見つめながら、私はようやく返事をすることが出来た。
それは弱々しい罵倒。
「……馬鹿」
私がもう一度そう言うと。
「あ……やっぱり駄目ですか?」
残念そうに眉を下げるルノワール。
違う。
(そうじゃない)
私は目の前の従者に言ってやった。
今度はしっかりと。
胸を張って。
彼女と視線を合わせて。
「違うわよ」
いつまでも弱気でいられない。
従者に気を遣わせていてどうする。
そんな不甲斐なさを感じている。
そのはずなのに。
(何でだろう)
でもどういうわけか。
なんだか彼女と話していると心が落ち着く私がいた。
「え?」
目をパチクリとさせるルノワール。
「言っておくけど私の評価は辛口だからね? だから私に教えを乞うなんて馬鹿な子ね、って言ったのよ」
何かが解決したわけではない。
私が醜い感情を吐き出して。
彼女の気持ちをほんの少しだけ知った。
ただそれだけ。
たったそれだけの些細なこと。
だけど。
(だけど確かに)
確かに何かがちょっぴり変わった気がした。
それが何かは分からない。
だけど、それでもほんの少しだけ心が晴れやかになったのは間違いがないから。
「わぁっ。それではっ」
心底嬉しそうに笑う私の従者。
昨日とは違う。
私は邪な感情を一切排除した真っ直ぐな気持ちで言う事が出来た。
「その……改めてよろしくね」
少しばかり恥ずかしかったから顔が赤かったかもしれない。
だけど微笑むことが出来た。
(……大丈夫)
きっと。
今の私は自然に笑えているから。
声だって震えてはいない。
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