第10話 魔術師

 

「えっ……?」


 今度呆けたような声を出したのは私だった。


 静まり返る店内。

 誰もが茫然とした表情をしており、口を開く者は皆無だった。


 無理も無い。

 何故なら眼鏡の少女が転びかけた状態のまま完全に空中で停止している。

 宙に舞うトレイとカップ、そしてポットも同様だ。


 全てが空中でその動きを止めていた。

 ウェイトレスの少女も何がなんだか分からない、といった顔で目をぱちくりとさせている。


 周囲の客も何事かとこちらの様子を窺っていた。


 そんな中、最初に動いたのは私の従者――ルノワールだった。


「大丈夫ですか?」


 柔らかな口調で眼鏡のウェイトレスに声をかける。

 丁寧な所作で静止したポットやカップをトレイの上に戻し、彼女を起き上がらせると、優雅に微笑み、ルノワールはトレイを手渡した。

 続いてこれまた何が起こったか分からない様子の少年に向けて、優しい微笑みを浮かべたまま、諭すように言う。


「お店の中で走り回ってはいけませんよ」


 ルノワールの言葉を受けた少年は初心なのか、年上のお姉さんに注意されて顔を真っ赤にしながらコクコクと頷いた。

 まるで逃げるようにして母親の元へと走り去っていく。

 どうやら母親は事態を察したらしく、子供を叱りつつ、こちらに頭を下げていた。


 呆然とした様子で呟くウェイトレスの少女。


「えっと、今のは……」


 ウェイトレスの少女が何かを言う前に私がルノワールに尋ねた。


「今のはルノワールがやったの?」


 私が詰問口調だったせいだろう。

 彼女は少しだけ恐縮した様子だった。


「は、はい。お嬢様に紅茶がかかってしまっては大変ですから」


 どうやって?

 そう聞こうとした私だったが、今度はウェイトレスの少女に遮られる。


「あ、あのっ! えっと……危ないところをありがとうございました」


 深々と頭を下げるウェイトレスの眼鏡少女。


「あ、いえ。何事もなくてよかったです」

「それでその……こちらが紅茶になります……のですけど」


 最後の方はとても小さな声になってしまっていた。

 今まさにぶちまけてしまいそうになった紅茶をお客様に渡してもいいのかどうか判断に迷ったのだろう。

 彼女の葛藤が理解出来たので、私は助け舟を出した。


「どうもありがとう。急いだ方がいいわよ。向こう忙しそうだから」


 そう言い、カウンターを指差す。

 そこには会計を待つお客さんの列が出来ていた。

 お店の状況を見るや否や、彼女はすぐに慌てたように、


「で、ではごゆっくりどうぞっ!」


 とだけ言い、足早に去っていった。

 そんな彼女を見送り、早速私は席に着いたルノワールに尋ねる。


「どうやったの?」

「えっと……」


 何やら言いづらそうな様子の彼女。

 そんな従者の姿を見て私は思った。


(もしかして……)



「貴女……『ゲートスキル』を使えるの?」



 ゲートスキル。

 それは修練の末に、ある領域を超えた魔術師だけが体得出来る特殊能力の事だ。

 現代魔術師の到達点とすら言われている人類の可能性の発露。

 

 既存の魔術体系には存在せず、解明することすら出来ない。

 その能力は種々様々であり、ゲートスキルによる力は強力無比。

 いずれも一般的な魔術の枠を遥かに超えているという。


 人類史上初めてゲートスキルを習得した人間が言った言葉が後世となった今でも伝わっている。



『私は自分の中に眠っていた力の門を開いたのだ』



 これは歴史の教科書にも記されているほどの有名な言葉だった。

 驚くべきはゲートスキル習得者のほぼ全てが彼と同様の感覚を得ていることだ。

 すなわち自分の中には何か凄まじい能力を秘めし閉ざされた門があり、魔術を極めた先に、その門を開くための鍵を見つけた、ということらしい。

 故にその力は『ゲートスキル』と呼ばれている。


 そしてその習得には、途方もない才能と鍛錬が必要不可欠だ。

 お母様はゲートスキルを習得しているけれど、ビロウガとシリーは使えないらしい。

 ミストリア王国全土を見渡してもゲートスキル習得にまで至っている魔術師は10人にも満たないだろう、と言われている程だ。

 

 そしてゲートスキルとは魔術師にとっては切り札であり、そうそう人に伝えていい代物ではない。

 故にルノワールが言い淀んでいるのかと私は思った……のだけれど。


「あぁっ、いえ違いますっ!」


 彼女は慌て気味に否定した。


「そ、そう」


 お母様が護衛に太鼓判を押していたから、彼女はもしかしたらゲートスキルを習得しているのでは、と思ったが……考えてみればルノワールの年齢は私とそう変わらない。

 流石にそこまでのレベルではないらしい。

 

 と思いきや。


「ゲートスキルは使えますが……先ほどのはただの風魔術の応用です」


 はにかみながらルノワールは言った。


(……は?)


「ちょ、ちょっと待って」


 確認するように私は尋ねる。


「え……貴女ゲートスキルを使えるの?」

「えっと、はい。このような場所で、どのような力かを話すことは出来ませんが……」


 彼女はあっけらかんと口にする。


「先ほどのは周囲の空気を操っただけです。カップやトレイやポット、それからあの給仕の方の身体が倒れないように空力を調整したんです」

「……」


 何気なく言う彼女だったが、私は目の前の従者の言葉に内心戦慄していた。


(それって一体……)


 一体どれだけの制御力があればそんなことが可能なのか?


 確かに風魔術とは、突き詰めて言ってしまえば、魔力を使って空気を支配する魔術だ。

 しかしルノワールは詠唱をしていなかったし、何よりもあの一瞬でウェイトレスとポットやトレイやカップの全てが傾きすらしないように、完璧に制御した、と言っているのだ。

 並大抵の技量で可能なことではない。


「ああいう場合に物を止めるコツは両側から力を及ぼすことです。空気で挟み込むようなイメージで魔力を操作し、力を微調整していくことで動きを止めます」


 彼女はゆっくりとカップに口を付ける。

 紅茶を口に含み、ほぉ、と満足げに息を漏らした。

 私も釣られるようにしてカップを口元に寄せる。


(簡単に言うけど……普通はあんなに咄嗟に出来るものじゃない)


 りんごと紅茶のパンはとても美味しく、紅茶も満足のいくだけのものだったが、現在の私はそれ以上の衝撃を感じており、イマイチ感動しなかった。

 

 ルノワールは私と同じ年齢のはずだ。

 この歳でゲートスキルを習得している、というのは瞠目に値する事実である。

 少なくとも私は同年代でゲートスキルを習得している人間に出会ったことはない。

 そもそも知人でゲートスキルを使える程の魔術師はお母様だけだ。


「さすがに……お母様が自ら依頼をしにいっただけはあるわね……」


 普段ならばファウグストス家当主が自ら赴くなんてことはしないだろう。

 相手が大貴族や王族ならばともかく、サザーランド家は特例措置として男爵の地位が与えられてはいるが、歴史と伝統も無く、いってしまえば平民とそう大差ない家柄である。

 要するに普通ならばお母様は屋敷まで呼ぶ側なのだ。


 しかし今回は自ら頼みに言った。

 元々マリンダ=サザーランドとお母様は唯一無二の親友同士らしいが、それにしても相手の力を認めていなければこうはすまい。


「あーっと……」


 何やら戸惑い気味のルノワール。


「そ、それは監査のついででしょう」


 思いついたようにそう言った後、「それに」と彼女は続ける。


「奥様のことですから……単純にマリンダ……母に会いたかっただけかもしれませんよ」


 ルノワールはくすり、と楽しそうに笑った。


「私はほとんどマリンダ様に会ったことはないのだけれど……そんなに仲がいいの?」


 幼少期には何度か世話になったこともあるらしい。

 しかし物心付いてからマリンダ様に会った事はほとんどなかった。


「えぇ、それはもう」


 私の疑問に対して彼女は嬉しそうに微笑んだ。


(……ふ、ふぅん)


「……そうなんだ」

「あの二人に匹敵する実力者などそうはいませんし……学生時代からの親友でありライバルだそうです」


 私もそう聞いている。

 お母様も常々言っている。

 世界で最も信頼している友である、と。


「……」

 

 なにやらみっともない嫉妬心が湧き上がってきてしまいそうになり、私は慌てて話を元に戻した。


「特級魔術師の数が増えた、という話は聞かないけれど……貴女は1等級魔術師ぐらいなの?」


 ミストリア王国では、魔術師に階級をつけている。

 例えばこの国では初等教育は義務付けられており、初等教育過程を修了した人間は皆、初等魔術師という資格を有していることになる。

 そこから段階的に、7等級魔術師、6等級魔術師、……1等級魔術師、と区分されている。

 さらにその上には特級魔術師という称号も存在するが、そちらは単純な力量だけでは認められない。

 魔術の力量が1等級魔術師の中でも特に優れている、というのは当然として、何かしら国家に大きく貢献するような実績があって初めて贈呈される王国最高の魔術師の証だ。


 お母様とマリンダ=サザーランド男爵両名は共に特級魔術師としての資格を有している。

 お母様は魔法薬開発による実績、マリンダ様は国防装置『バリアブル・フィールド』開発の功績によって特級魔術師になったと聞いている。


 そして目の前のルノワールにしてもゲートスキルを習得しているほどの魔術師なのだから、相応の資格を持っているのではないかと思ったのだ。

 ちなみに私は現在3等級魔術師の資格を持っている。

 高等部卒業生の平均的な階級が4等級であることを考えれば、自分で言うのもなんだけれど優秀だと思う。


 しかし目の前の従者は苦笑しながら意外なことを口にした。


「実は私、資格試験を受けたことがないんです」

「え?」


 あはは、と彼女は申し訳なさそうに笑う。


「いや私はその……戦闘に特化した魔術師でして。……一般的な呪文であったり、王国教育で教えている魔術に関してはちょっと疎くて」


 そういえば彼女は外国生まれだと言っていた。


「そう、なの」


 なるほど。

 王国の資格試験は王国の教育過程に基づいて作られている。

 故に彼女にとっては難しいのかもしれない。


「ルノワールはいつ頃ミストリアにきたの?」

「そう、ですね。マリンダに拾われて大陸を旅してからになりますので……3年ほど前になります」


 3年前、か。


「そこからこの国での勉強は?」

「戦闘訓練や魔術の研究はマリンダと一緒にずっとやっていました。一般教育については家庭教師のような人がいて……ただ王国の魔術の勉強はあまりしていませんでした。マリンダも別に資格なんぞ必要ないだろう、という人でしたので私もそれに習って資格試験はおざなりにしていました」

「へぇ」


 一度残りのパンを頬張り飲み込む。

 紅茶で喉を潤してから再び尋ねた。


「試験は受けないの?」


 話を聞く限りでは彼女はミストリアの初等教育も受けていない。

 ならばルノワールはこの国ではそもそも魔術師として認定すらされていないことになる。

 ゲートスキルを習得している魔術師であるにもかかわらず、だ。


「お嬢様と一緒に学院に通うことになりましたので……これを機会に学び、ちゃんとした資格試験を受けようかな、とは思っています」


 優しい微笑み。

 柔らかな眼差し。

 楽しそうなルノワール。


(……)


 そう、彼女は笑顔だった。

 そこには私に対する遠慮のようなものは感じられない。


「……」


 だからこそ、だ。

 だからこそ私は気になった。


 彼女は。

 ルノワールは。

 

 私の護衛を務めることを……どう思っているのだろうか。



「嫌じゃ……なかった?」



 俯き気味に。

 

 心の中でずっと尋ねたかったことを――私は聞いた。




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