第7話 新入りメイドの女子力は高い

 

 着替えを済ませ部屋を出た私が1階に降りると、何やら楽しげな声が聞こえてきた。

 最近にしては随分と騒々しい。


「? ……何かしら?」


 食堂の方から聞こえてくる声に誘われるように歩いていく。


(いや食堂……じゃなくて)


 どうやら声の出所はその奥のキッチンのようだった。


 そして。

 

「おおおおおいしい!!」

「こ、これが宮廷料理人の実力!?」


 実に騒がしい使用人達の声が聞こえてきた。

 普通の貴族の屋敷ならばこれほど使用人が五月蠅くしていたら主人に怒られるものであるが、ここではそのようなことは滅多にない。

 この家の住人達は皆家族も同然だった。

 お母様も客人の前以外の場で、言葉遣いや振る舞いを(よほど野卑でなければ)咎めたりしない。

 故にこの屋敷の使用人達は他家の使用人に比べると、良く言えば元気で明るい、悪く言えば落ち着き無くやかましい。

 

 まぁそんな雰囲気を私も気に入っているのだけれど。


(とはいえ)


 ここまで大騒ぎするのは流石に珍しい気がする。

 そう思いつつ私がキッチンへと足を踏み入れると、4人の使用人に囲まれているルノワールがいた。

 現在の彼女はメイド服の上からエプロンドレスを羽織っている。

 純白のエプロンドレスが長く艶やかな髪と見事なコントラストを描いていて非常に映えている。

 美しい容姿に加え、立ち姿が立派な事もあり、どこか不思議な存在感を放っていた。


「いえ。私は宮廷料理人に料理を教えてもらった、というだけで、私自身が資格を持っているわけではありませんよ」

 

 ルノワールが遠慮がちにそう言うが、


「いやいやでもこれはちょっとすごくない!?」

「お嬢様の護衛が仕事って言ってたけど、もしも手が空いてる時があったらルノワールにご飯作って欲しい!」

「それいいっ!」


 周囲は大盛り上りである。


「うんうん、今までうちの屋敷ってちゃんとした料理人いなかったし」


 使用人の一人であるエトナが呟くと、


「え、そうなんですか?」

 

 ルノワールが意外そうに首を傾げた。


「やっぱり信頼している人の作ったものしか安心して食べられない、ってことなんじゃないかな。私達も料理作れるけど、それはあくまで一般的なレベルでしかないからね」


 別に屋敷の使用人達だって料理が出来ない訳では無い。

 というか当番制で全員が調理を担当しているのだから当然だ。

 だけどまぁ……確かに突出した技量を持っている人はいないかもしれない。


「なるほど」


 ルノワールは一つ頷き、視線を私の方へと向けた。

 彼女はそのまま優雅な動作で歩いてくる。

 他の使用人達はルノワールの視線を追っていき、ようやく私がいることに気づいたらしい。


「おはようございます、お嬢様」


 ルノワールが低頭するのと同時に、他の使用人達も一様に頭を下げ、朝の挨拶をしてくれた。

 ルノワールの堂々とした佇まい。

 女性にしては背が高く、メイド達の中心位置から礼をしたこともあり、なんだかとても新入りの使用人には見えなかった。


「ルノワールに早くも貫禄が……」


 使用人オウカが冗談混じりにそう言うと、ルノワールは途端に狼狽し、慌てふためいた。


「えぇっ!? け、決してそのような……っ」


 頬を赤らめながら抗議するルノワールだったが、そのままほっぺたをつつかれて、ワタワタとしている。


「慌てちゃってか~わいいっ」

「あ、あんまりからかわないでくださいっ」


 笑い合う屋敷の使用人達の顔。


(……ぁ)


 ここには楽しげな雰囲気が漂っていた。

 誰もが微笑んでいる。

 明るい場だ。

 

 今朝方、最悪の夢を見た私だったけれど。

 

 なんだか少しだけ――救われた気がした。


「おはよう、みんな」


 私は無理をすることもなく。

 自然と頬が緩み、笑顔を作ることが出来た。


「随分と盛り上がっていたみたいね」


 私が挨拶するなり、元気な返事が返ってくる。


「聞いてくださいお嬢様っ!」


 拳を振り上げながら、迫ってくるのは最年少のイリーだった。

 隣ではイリーの姉であるアリーも何やら頷いている。イリーが9歳でアリーが16歳。

 彼女達姉妹は7年ほど前に屋敷へとやってきた使用人だ。

 屋敷で一番背の高いアリーと一番背の低いイリーの凸凹姉妹コンビ。

 どちらかというと寡黙なアリーに比べて、いつも元気いっぱいのイリー。

 この二人は何かと対照的な姉妹だった。


「すごいんですよお嬢様! ルノワールさんはすっごく料理が上手なんですっ! ねっ! お姉ちゃんっ!」 

「はい、私もびっくりしました」


 イリーの言葉にアリーが頷く。


「すっごくですよ、すっごく!」


 その言いぶり、興奮した顔を見れば分かる。

 二人はどうやら心底感心しているらしい。

 というかこの場にいる全員がルノワールの料理はすごい! と褒めていた。


「へぇ」


 そこまで言われれば流石に気になるというものだ。


「私も見ていいかしら?」

「あっ……はい、こちらです」


 促され目を向けたテーブルの上に置いてあったのは、小さく切り分けられているパイとスープだった。

 遠目から見る限り有り触れた料理に見える。

 とはいえ近づくとパイは見た目も美しく、焼き加減もちょうど良さそうだった。こんがりと程良く焦げ目の付いた表面部分が煌めいている。

 切れ目を見てみると、中は2段の層になっており、少しの歪みもない。

 鼻腔をくすぐる香ばしい焼いた肉と香草の匂いが私の食欲を刺激した。

 なるほど、これは美味しそうなミートパイだ。


「一つもらってもいいかしら?」

「どっどうぞ!」


 緊張気味に私にパイの一つを手渡すルノワールにありがとう、と礼を言い、私は口へとパイを運んだ。


 もぐもぐ。


「……ど、どうでしょうか?」

「っ!!」


 そして私に衝撃が走った……っ!!


「…………」


 こ、これは……っ!?


「あ、あの~?」


 不安げなルノワールの声が聞こえる。

 しかし私は返事をしなかった。


 なぜなら感動していたから。


「お、美味しい……っ!」


 なにこれ美味しい!

 生地はサクサクで、具材は柔らか、焼き加減は完璧だ。

 噛んだ瞬間に甘辛で味付けされた餡と肉汁が口いっぱいに広がった。

 1段目の肉汁の溢れる部分は蒸した餡だろうか。2段目の甘辛の餡と絶妙にマッチしている。

 香草の優しいアクセントも光っていた。

 肉だけ主張しすぎて、クドくなり過ぎないように香草が口の中に清涼感をもたらすと同時に、臭みも完全に消しきっている。むしろ良い香りがほどよく口内に広がっていくではないか。

 これならばいくつでも食べられそうだった。


「スープも……スープも飲んでみて下さい!」


 真剣な声音、真面目な顔でイリーは言った。

 イリーの言葉を受け、私はごくりと喉を鳴らす。


「す、スープもあるのね……」


 ミートパイだけでも衝撃的だったのだ。

 こ、こちらのスープは一体どうなっているのか!

 刻んだ香草をまぶした一切の濁りのない白いスープを見下ろす。

 波打つ液体からほかほかと湯気が漂っていた。

 ゆっくりと私はスプーンでスープを掬い上げ、口へと運んだ。


 そして。


「あ、あの~」


 再び不安げなルノワールの声。

 しかし私は返事をしなかった。


 なぜなら感動していたから。


「お、美味しい……っ!」


 なにこれ美味しい!

 舌の上を流れるスープの熱さはほどよく、口内にその香りがまずは広がった。

 優しいクリームスープだった。

 少しだけ薄味だったが、そんなことは何の問題でもない。

 深いコクがあり、染み渡る味わいのあるスープだ。

 そしてこちらもまた、香草がよい仕事をしている。コクが強いということは、人によってはクセのあるスープだと感じてしまうこともあるだろう。しかし香草が柔らかくスープ全体を包み込むことで、深い味わいと爽やかな喉越しを体現している。要するに後味がさっぱりしているのだ。

 

「わぁっ、よかったです! 私は料理と絵を描くことが趣味ですので……その料理がお嬢様のお口に合うのでしたら光栄です」


 ホッとしたような表情をした後に、はにかみながらルノワールは言った。

 私もハッとして彼女の言葉に耳を傾ける。


「実はこのレシピはオリジナルのものなので……皆さんに気に入って頂けてとても嬉しいです」


 自作料理!

 これほどのレシピを独自に作るなんて大したものだ。

 昨夜出会ったばかりだが、私の中でのルノワールの好感度が急上昇しちゃうくらいには美味しかった。


「あっ、じゃあ今日はルノワールが昼食を作るの?」


 私が期待を込めて聞くと、


「いえ、今日の昼食は既にアリーさんとイリーさんが仕込みを終えていますので」

「うぅ……わたしたちが作った料理でごめんなさいぃ……」


 イリーが縮こまっていると、ルノワールが慌てて言った。


「そっそのようなことはありませんよっ」


 しかしアリーもどこか肩を落とし気味で呟く。


「いやいやルノワールの料理と比べられちゃうと流石に、ね」

「アリーさんまでっ」


 落ち込む姉妹の様子に狼狽するルノワールだったがやがて良案を思いついたようだった。


「そっ、そうだ! じゃあ今度私でよろしければお料理をお教えいたしましょうか?」

「えっ!」


 イリーが嬉しそうな顔をし、アリーは遠慮がちな表情をしていたけれど。


「迷惑じゃな――」

「いいんですかっ!?」


 アリーの言葉はイリーの大きな感動の声の前に消し飛んだ。

 大げさなイリーの反応に苦笑しつつルノワールは言った。

 

「えぇ、もちろん。余計なお世話でなければ、私は誰にでもお教え致しますよ」


 感じの良い笑顔でルノワールは言い、ちらりとアリーの顔を伺う。

 先ほどは固辞しようとしたアリーだったが、小さく吐息を漏らしながら今度は、


「ふふっ。そうだね。料理上手なのは女としてポイント高そうだ」


 と言った。

 何故か一瞬ルノワールは「うっ……」と呻いたが、すぐに元の笑顔を取り戻した。

 アリーの言葉に触発されたように、私も私も、と使用人達が言い始める。

 

「ルノワールさんのお料理教室ですねっ!」

「ふふっ。そうですねイリーさん。しかしちゃんと仕事の合間じゃなければ駄目ですよ?」

「もっちろんです!」


 ルノワールを見上げながら、大はしゃぎでイリーは言った。


「なんというか……ふふ、イリーさんはとても元気ですね」

「元気だけが取り柄なのでっ!」


 なんだかもうイリーが随分とルノワールに懐いている。

 まるでアリーに接する時のようだった。

 というか私の知る限りイリーは内弁慶で人見知りする子だ。

 なのでルノワールとここまで早く打ち解けたのはかなり意外だった。


「そういえば……まだ昼食には早いけど、どうして料理を?」


 私が聞くとルノワールが答えた。


「はい。皆さんと自己紹介をしていたのですが、その折に趣味と特技の話になりまして。私の特技は強いて言えば料理と戦闘になりますが……屋敷内で無闇に魔術を使うわけには参りませんでしたので、料理の方を皆さんにお披露目することになりました」

「なるほどね」


 料理が特技。

 今の私は彼女の言葉に大いに納得出来る。

 彼女の料理スキルは間違いなく本物だった。


 さらに話を聞くところによると、なんでも今日の午前中はルノワールと使用人達との顔合わせ兼自己紹介兼屋敷案内をすることになっているらしい。

 その他の業務は午後に片付けるそうだ。

 つまりルノワールは午後手が空くのだろう。


 私の外出に付き合ってもらうことが出来る。

 いや、彼女は私の都合で手が空くかどうかが決まるのだから、この考え方はおかしいか。


 などと自問しつつ、


「そう。昼食の後付き合ってもらっていいかしら? ……外出したいの」


 そう言った。

 周りの使用人達は少し複雑そうな表情をしている。


 しかしお母様は昨日言っていた。

 ルノワールを連れて行くならば外出も許可する、と。


 ならば少しでも早く外に出たかった。

 少しでも気分を変えたかった。


 私だっていつまでも……屋敷に篭っているわけにはいかないのだから。


 私の言葉に対し、ルノワールは恭しく低頭した。


「畏まりました、メフィルお嬢様」


 



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