第8話 猫と少女
昼食後シリーに画材を買いに行く旨を伝え、メフィルはそのままルノワールを伴って屋敷の外へと出た。
「それじゃ、行きましょう」
「はい」
朝方からずっと良い天気が続いている。
そのおかげも相まってか、街並みはとても賑やかだった。
行き交う人々の顔も概ね明るく、談笑がそこかしこから聞こえてくる。
しばらくアゲハを歩いていると、美しい街並み、麗やかな陽気に誘われてメフィルの気分も随分と高揚してきていた。
早朝こそ忌々しい太陽だったが、今ではそんなこともない。
久しぶりの外出としては悪くない日和である。
そんな道中にて。
「そう言えば意外だったわ」
不意にメフィルが言った。
「イリーがあんなに貴女にすぐに懐くなんて」
確かにイリーは傍から見ていても、まるで憧れの人を見るような眼差しでルノワールのことを見ており、ルノワールとしても自覚していたことなので否定はしなかった。
「あ、あはは……」
「あの子って結構な人見知りなのよ? ご飯の美味しさかしら……まったく魔性の料理ねぇ?」
冗談めかしたように言うメフィルに対して、ルノワールは戸惑ったように答える。
「い、いえ実は昨晩、少しだけ彼女とお話を致しまして……その影響かと」
「へぇ? 興味があるわね。昨晩って私と会う前かしら?」
「いえ。その後になります。実は――」
☆ ☆ ☆
「ん?」
ユリシア様に案内された部屋で、すぐに必要な物だけを荷物から取り出し、そろそろ寝間着に着替えようかと僕が思っていると、窓の外から声が聞こえてきた。
換気のために開け放っていた窓から顔を出す。
夜風が僕の頬を優しく撫で、前髪を攫っていった。
僅かばかりのくすぐったさに目を細めつつも外の様子を確かめる。
声の主はすぐに見つかった。
「あっ……ぁぁ。ひゃっ! ……うぅ~~」
愛らしくも頓狂な声が虚空に響いていたので。
ファウグストス家の屋敷には、門から玄関口へと続く道を右に逸れて歩いていくと、広大な庭がある。
整えられた芝生と種々様々な花々が植えられた花壇、そして大きな木々が立ち並ぶ外縁。
月明かりを反射しキラキラと輝く緑の美しさは幻想的ですらある。
そしてこの庭は昼間になれば、太陽の光の元で、また別の華々しい美しさを見せるに違いないだろう。
そして今宵は。
外縁部、一本の木の下に一人の少女がいた。
何やら可愛らしい声で唸っている少女は、ひたすらに木を見上げながら手を上空へと伸ばしていた。
はて何をしているのか?
視線を少女の見ている方向へと向けても大きな木の枝と葉が視界に入るばかりで……。
(いや……何かがいる?)
「……猫?」
うん、多分そうだ。
屋敷内に外の生き物が入り込むことは出来ないはずなので、あの猫は屋敷の飼い猫だろう。
まだまだ身体の小さな一匹の子猫が木の枝の上に乗っている。
おっかなびっくり下を見ている様子から察するに……登ったはいいけれど、降りられなくなってしまったのだろう。
するとあの少女は、子猫を救おうとしているのだろうか。
それにしては何をしているのかイマイチよくわからないけれど。
「あっ……あぶっ! ……ぅあわわわっ!?」
目を白黒させながら猫を見上げている少女。
「うーん……」
見てしまった以上放っとくわけにはいかない……よね。
僕はゆっくりと窓から外へ飛び降りた。
着地の衝撃を極力殺し、音を立てず。
夜遅いため、自然と足音を忍ばせるような歩き方になってしまっていたからか。
僕が近付いても少女は全く気づいていないようだった。
「あの……」
僕がそう声を掛けた時、
「あぁ~~っ!!?」
少女が大声を上げた。
僕はすぐに視線を上に向ける。
ふわりと風に押し出されるようにして子猫が枝から足を滑らせ――落下していく姿が目に入った。
そして少女は両手を上に向けてなんとかキャッチを試みようとしている。
「ん~~っ!!」
(って……この子目を瞑っちゃってるよ!!)
僕はそこまで確認すると、すぐさま動いた。
子猫に向かって一足飛びで宙へと舞い、両腕を使って優しく子猫を抱き上げる。
そのまま先程窓から飛び降りた時と同様、風魔術を応用して着地の衝撃を消すために落下速度を調整し、ゆっくりと降下していった。
腕の中の子猫の様子を確認する。
毛並みは豊かで外傷は無い。
特に目立った異常は無さそうだった。
(ふかふかだ)
抱いてみると、本当にまだ小さい。よくもまぁこんな小さな身体で木登りをしたものだ。
どうやら怖かったらしく身体全体が固くなっていたが、僕が微笑みながら喉を撫でてあげると子猫はペロリとその指を舐めた。
(うぅ……かか、可愛いっ!)
なな、なんて愛らしい仕草なのか。
思わず頬が緩んでしまう。
地面に降り立ち僕が振り返ると、少女が目をパチクリとさせてこちらを凝視していた。
途中から目を開けていたのだろう。
僕は彼女を怖がらせないように笑顔で歩いていき、少女の前で膝を折り曲げて視線の高さを合わせた。
そして上げたままだった彼女の両手の上にそっと子猫を渡してあげる。
「御無事でなによりです」
そう言って笑いかけると、どういうわけか彼女は顔を真っ赤にさせて、
「ひゃっひゃい!」
と言った。
噛んでしまったことが恥ずかしかったのか、少女はさらに顔を赤くして慌て出す。
「えっ! と、どどちら様でしょうか!? あ、いえその前にありがとうございまし……うわぁああ、ごごごめんねっルビーっ! 潰れてない!? 痛かった!?」
話の途中で子猫を握りしめてしまったらしい。
今度は顔面を蒼白にさせながら、子猫の様子を窺う少女。
どうやら猫の名前はルビーと言うようだ。
ルビーちゃんは少女の腕から逃れるようにして飛び跳ねると、僕の足元まで歩いてきた。
僕の足に身体を押し付けるようにして擦り寄ってくる。
なつかれてしまったのだろうか?
ちょっと嬉しい。
そんなルビーを寂しげな表情で見つめる少女。
「あぅぅぅ」
少女の様子と子猫の様子。
そのどちらにもなんだか可笑しみを覚えてしまって僕は思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
僕が笑うと少女は、なぜかぽーっとした様子で僕を見ていた。
(さて)
このまま、ただ笑っていてはいくらなんでも失礼だ。
同じ使用人の服を着ていることから考えても、明日から僕がお世話になることは間違いない。
「本日より御屋敷に参りましたルノワール=サザーランドと申します。明日からのメフィルお嬢様の護衛を任されました」
とにもかくにも自己紹介をしようと思い、僕はそう口にした。
「あ、あの……わたしはイリーと言います、や、屋敷の使用人です……」
「では私の先輩ですね」
僕の言葉を聞いたイリーさんは目を丸くして口元に手を当てた。
「えっ!? わ、わたしが先輩……?」
「明日から……いえ、今日から、ですね。よろしくお願い致します」
「あ、そ、そのこ、こちらこそっ!」
挨拶を交わし、少しだけ落ち着いたのか。
ようやく彼女も笑みを見せてくれた。
それは年相応に愛らしい笑顔だ。
擦り寄ってくる子猫を抱き上げ、イリーさんの笑顔を見ているとなんだか胸が温かくなったような気がした。
「今度は握ってしまったらいけませんよ?」
「は、はいっ」
僕はイリーさんにルビーを渡す。
今度は優しく、そっと彼女はルビーを抱き上げた。
「あ、あの」
何か言いたそうにしていた少女だったが、それを遮って僕は言った。
「本日はもう遅い時間ですので。お休みになられた方がよろしいかと思います。明日正式な紹介の場がありますので、その時に続きを」
「あ、そ、そうですね」
僕がそう言うと、彼女も頷いてくれた。
だけど最後に一言。
「あのっ! ありがとうございました! お休みなさい!」
笑顔でそう告げ、イリーは去っていった。
☆ ☆ ☆
「なるほどね」
「今日の自己紹介の場でも、仲良くしていただいて。イリーさんに限らず、皆様とても良い方ばかりなので、居心地がよいです」
(それだけが理由ではないと思うけどねえ……)
内心でメフィルは呟いたが、彼女はイリーの件にはそれ以上触れずに別のことを口にした。
「まぁお母様が信頼しているだけある、ってことよ」
「誠に仰る通りかと思います」
ルノワールの言葉には世辞の色が無い。
彼女の言い様にメフィルもいくらか気分を良くしたようだった。
「そう言えば、貴女はどんな絵を描くの?」
メフィルに尋ねられ、ルノワールは僅かの間を置いてすぐに答えた。
「えーっとそうですね。私はあまり題材や画材に拘らないタチでして……思い立った画材で思い立った絵を描きたい、と言いますか」
そう、己の心情を吐露しつつも、彼女は小さく苦笑した。
「……このようなことだからあまり上達しないのかもしれません」
「へえ」
しかし、どこか感心したように、いや何かに感じ入ったようにメフィルは頷いた。
「私と同じね」
「そうなのですか?」
「ええ。貴女の描いた絵は持ってきていないの?」
「そうですね。さすがにそこまで持ってきてしまっては御屋敷にご迷惑かと思いましたので。自宅に保管してあります」
ルノワールの言葉を聞いてメフィルは興味深そうに言った。
「……見てみたいわね」
「私の絵を、ですか?」
「もちろん。あれだけ私の絵に感動してくれたんだもの。そんな貴女の絵も見てみたいと思うのは当然じゃない?」
メフィルは楽しげな口調のまま続ける。
「ふふっ。それに貴女は料理の腕は超一流だったしね」
朝方のことを思い出し、メフィルはくすり、と笑った。
「料理ほどには自信がありませんが……機会があればお見せ致します」
恐縮するように言うルノワールに対して、今度はにやり、と悪戯っ子のような笑みを浮かべてメフィルは楽しそうに言った。
「機会はあるわよ」
そしてその顔は――。
「だって無ければ私が作るもの」
とてもユリシア様に似ていて。
あぁ、間違いなくこの人はユリシア様の娘なのだな、と。
ルノワールはそう思った。
☆ ☆ ☆
王都アゲハには東西南北に王都の玄関となる4つの門がそびえ立ち、その門を繋ぐようにして一際大きな道路が整備されている。
もしも街全体を上空から見下ろしたとしたら大きな十字に見えることだろう。
セントラルロードと呼ばれるその大通りは、まさに芸術の都、そして経済大国としての謳い文句に偽り無し、と思わせるほどに賑わっていた。
造詣深い建築物が立ち並ぶばかりか、古今東西あらゆる物品が集まっているのではないかと思うほどの露店がそこかしこに見受けられる。
市場まで足を運べば更なる賑わいが待っているのだから驚きである。
東西を貫くセントラルロードから北側の区画は主に貴族の住居、または貴族達御用達の高級店がある。
特に明確な区分けがあるわけではないが、アゲハ北門の先にはミストリア王宮、そして王城ベルモールが存在しているため、自然と貴族達の住まいも北側に集中する形になったのだ。
もちろんファウグストス家も北門のすぐ傍に位置している。
さて。
街並みを堪能しつつ歩くこと30分ほどだろうか。
今日僕たちが訪れたのは『ノーブル・カラー』という店名の画材屋だった。
メフィルお嬢様曰く、知る人ぞ知る名店らしい。
「よく来るから覚えておきなさい」とのことだ。
店の外装は公爵家令嬢が訪れるにはやや地味だと思ったが、彼女はそんなことは全く気にせずに店の中へと入っていった。
店内はかなり広い。
そして入ると僕の大好きな絵具や木材や画用紙や筆の匂いがする。
メフィルお嬢様のアトリエと同じ匂いだった。
店内には僕達以外のお客さんは女性が一人いるのみ。
店主はいかつい顔をしたお爺さんで、ぶっきらぼうに「いらっしゃい」とだけ告げ、その後はこちらを一瞥もしなかった。
(うぅん……機嫌悪そうだなぁ)
彼は彫刻刀を片手に手のひらサイズの木材を削っている。何やらイメージ通りにいかないのか、むっつりと顔をしかめていた。
「あら、この筆いいわね」
しかしメフィルお嬢様はそんな店主に慣れているのか、全く気にした様子はない。
店内を物色しており、現在は手に取った筆の感触を確かめながら、うんうんと唸っていた。
ここはメフィルお嬢様がオススメするほどの店なんだ。
(僕も少し見て回ってみようかな)
基本的に傍で護衛さえ怠らなければ、僕の行動って自由が効くらしいし。
そうして僕とお嬢様は時折会話を交わしながら店内を見て回り始めた。
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