第6話 悪夢

 

 窓から屋敷の庭を見下ろした僕は両腕を掲げ、大きく伸びをした。


「うう~んっ、と」


 穏やかな風が木々を揺らし、美しい緑色に映えた葉がまるで踊るようにそよそよとなびいている。

 花壇では色とりどりの花々が日光を浴びて元気に咲き誇り、木漏れ日に反射した青々しい芝生が太陽に負けじと煌めいていた。

 上空を見上げれば視界いっぱいに広がる澄み切った青空。


「良い天気……」


 雲一つ無い晴天を見ていると、たったそれだけのことで心が洗われるような気がする。

 今日みたいな日は是非とも洗濯物を干したいな。洗濯日和だ。

 おまけにベッドは自宅のものよりも遥かに上等でふっかふかだったし、ずいぶんぐっすりと眠ることが出来た。

 朝の気分としては最高なんじゃなかろうか。


「よし」


 今日から気合を入れて頑張らなくちゃ!

 そんなことを思いながら僕は寝間着から素早くメイド服へと着替え始めた。

 

 ファウグストス家2階の北から3番目の部屋は僕に宛てがわれた個室だ。隣にはメフィルお嬢様のお部屋がある。

 万が一の際にお嬢様の元へとすぐに駆けつけられるように、とのことらしい。

 とはいえ結界の事もあるし、屋敷内では万が一すら起こりえないような気がするけれど。


 僕の荷物は昨日の朝に届いたばかりであり、実の所まだ荷解きをしていなかった。夜中にゴソゴソと部屋の片付けを始めるとメフィルお嬢様のご迷惑になる可能性がある。

 まぁ遮音結界を張ればいいのだけれど、無闇矢鱈に屋敷で魔術を使うのはよくないだろう。

 故に少し散らかっているが、今だけは致し方なし。

 結構な量の私物があるため、今日から空いた時間を見つけて少しずつ片付けていかなくちゃいけない。


「うーん、と」


 鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。

 薄く化粧を施し、長い髪を首の後ろ辺りで縛った自分の姿をしっかりと見つめた。

 特に目立ったおかしな点は無い。

 メイド服の着こなしもばっちりである。

 どこからどうみても女の子(のはず!)だ。

 最近はこの辺り、実に手馴れてきた。


「よし」

 

 うんうん。

 一通りのチェックを終えて僕は頷いた。

 

「……なんだか悲しくなってきた…………」


 うぅ……泣いてなんてないんだから。




   ☆   ☆   ☆




 その日の早朝。

 ファウグストス家の広間には7人の人間が集まっていた。

 ユリシア様とシリーさん。

 そして僕と4人のメイド達だ。

 

 驚くべきことにファウグストス家の屋敷にはたったこれだけの住人しかいないらしい。

 これほど大きな屋敷であるにもかかわらず、管理を請け負っている人間はビロウガさんと僕、そして療養中のウェンディさんを含めてもたったの8人だ。


 なぜこんなに少人数なのか? 

 その答えは簡単で、ユリシア様が中々他人を信用出来ないからだ。


 ユリシア様は大変疑り深い人である。

 屋敷にいるのは肉親もしくはそれに準ずる人(ローゼス夫妻)か、過去に絶対の信頼をおける、とユリシア様が判断した人間だけなのだ。

 ファウグストス邸は国内の機密資料だけではなく、ユリシア様個人の研究成果なども保管されている。ファウグストス家にとって安全を確保出来るいわば聖域のような空間でなければならない。

 

 故にファウグストス邸の屋敷の使用人は、規模に比して少人数体制らしい。


 これだけの少人数でどうやって屋敷を管理しているのかと疑問に思う僕だったけれど、実は管理などしていなかったという驚愕の事実が顕になった。

 いや言いすぎか。

 していないわけじゃない。

 ただ完璧に仕上げていない、というだけだ。


 結界と屋敷設備の管理がローゼス夫妻両名に一任されており、その他の家事全般業務が他5人に宛てがわれている仕事らしい。

 ユリシア様が客人を招く部分さえ整えられていれば、その他の掃除などは、別に常に完璧にする必要はない、と仰っており、使用人達に厳しく清掃を命じたりすることなどないそうな。

 そもそもユリシア様自身が大して家事に関心がないことも関係しているのかもしれない。


「……」


 見渡せば誰もが興味深そうな顔で僕を見つめていた。

 少しばかり恐縮してしまう。

 とりわけ自己紹介を済ませていないメイドの方々4人の視線が気になった。

 当然ながら4人ともが僕と同じファウグストス家のメイド服に身を包んでいる。


「えーっと今日から……というか実は昨日の夜からいたんだけどね。この子がメフィルの護衛を務めることになりました。うちの使用人として一緒に屋敷で過ごすしてもらうことになるから、皆よろしくね」


 うぅ……よくよく考えてみれば、ビロウガさんを除いて全員が女性。


 そう、女性だ。

 そして僕は女の格好をした男子。

 うぅ、またしても不安と緊張感と罪悪感がなんだかすごいムクムクと湧き上がってきた。

 だ、大丈夫なのだろうか、本当に。


「この子の護衛としての実力はわたしが保証するわ。今日は屋敷の中をこの子に案内してあげて欲しいの。後は各自で自己紹介ね。わたしとビロウガはこれから少し出かけるから」


 ユリシア様が使用人達に向かって話している間も、メイドさん達の視線はチラチラと僕に向けられている。

 普通の貴族の屋敷ならば、その仕草だけでも叱責されそうなものだけれど、ユリシア様には気にした様子は全くない。


「じゃあそうね。はい、自分で自己紹介しなさい」


 ユリシア様に促されて僕は一歩前に出た。

 居合わせた人々の目を見つめる。


 僕は護衛という立場で雇われているから厳密には使用人とは少しだけ違うけれど、屋敷での生活を考えれば彼女達は皆先輩である。メイド服も着ているし。

 女性社会は縦社会だという。

 上手く馴染めるように頑張ろう!


「初めまして。昨晩参りましたルノワールと申します」


 僕は出来るだけ丁寧に頭を下げ、笑顔でそう言った。




   ☆   ☆   ☆




 真っ暗な闇の中。

 けたたましい叫び声を上げながら、一人の男が追いかけてくる。

 男は顔に狂気そのものといった表情を浮かべ、目を血走らせていた。


 その様子は悪鬼か悪魔か。

 それほどに恐ろしい形相だった。


 ただただひたすらに。

 私はその男から、がむしゃらに逃げていた。

 

「はぁはぁ」


 息が切れる。

 その理由は走っているからだけではない。


 恐怖だ。


 指先は震え、足取りはおぼつかない。

 額の汗が目に入り視界を遮ろうとする。

 しかし手で払っている余裕もない。

 私は走りながら首を横に振って汗を弾き飛ばした。


 背後が気になった私は思わずそっと振り返る。


「……っ!!」


 すぐ傍まで迫り来る腕が見えた。

 間一髪でその腕を躱し、私は再び全速力で駆けた。


「はぁはぁ……くっ」


 怖い。

 怖かった。

 暗闇の中、いつ果てるとも知れない鬼ごっこ。


 周りには誰も自分を助けてくれる人はおらず、ただただ孤独のままに走り続けていた。


 何故誰も助けてくれないの?

 お母様はどこにいるの?


 どうしてあの男は私を――。


 懸命に涙と悲鳴をこらえながら、私は走り続ける。


 あの腕に捕まると私はどうなるのだろうか。

 雑念が脳裏を過ぎり、集中力が乱される。

 よくない思考ばかりが頭の中を巡っていく。


 どうして、どうして、何が。


「あぅ……っ」


 何かにつまづいて、みっともなく転んでしまう。

 早く逃げなきゃ、早く逃げなきゃとは思いながらも、私は何に足を引っ掛けたのか気になってしまい、視線を後方へと向けた。


 するとそこには――。


「い、いや……」

 

 首を落とされ、内蔵を垂れ流しながら虚ろな目で私を見つめるウェンディの姿があった。

 無残な死体。

 飛び散る血の色が辺り一面に広がっており、不快な異臭が鼻をつく。


 まるで私を責めるような恨みの篭った顔。

 どう考えても死んでいるとしか思えない彼女の口が動く。


《どうして……私が……》


 虚ろな視線のままに呟くウェンディの姿を見た瞬間に血の気が引き、呻き声が漏れた。


 自然と足は止まり、

 

「ぁ……」


 パニックになりかけた、その時。


「捕まえたぁ……」


 私の肩に、男の手のひらが――。




   ☆   ☆   ☆




「……っ!!」


 目を開けると見慣れた天井があった。

 カーテンの隙間から除く陽光が室内を明るく照らしている。薄らと宙を舞う埃が太陽の光に反射しキラキラと輝いているのが視認出来た。

 窓の外はよほど晴れているのだろう。


「はぁ……はぁ……っ」


 あいにく私の気分は最悪だったけれど。


「……くっ」


 身体を起こし、汗に濡れた寝間着を一瞥した私は窓の外を睨みつけた。

 燦々と輝く太陽がどこか忌々しい。


 周りには何も変わったことなどない。

 代わり映えのしない部屋の内装をぼんやりと見渡した。


 必要以上の華美な装飾が排除された空間だ。

 天蓋付きのベッドだけは立派だったけれど、机も椅子もソファの類もどれもシンプルなデザインで作られており、大貴族の娘の部屋としては随分と簡素で味気ない部屋だった。

 いつも通りのただの私室である。


 深呼吸を繰り返しつつ、私はゆっくりと自分の両肩を抱きしめた。 


「……」


 あの男の手のひらが私の肩に乗っていることもない。

 当然だ。

 あんなものただの夢。

 そう、夢なのだ。


 なのにどうしてか。

 嫌な感触が肩に残っているような気がしてしょうがない。


「……怖くなんか」


 ――ないんだから。


 そう呟き、私はベッドから出た。


 ウェンディは実際には死んでいない。

 あれはただの悪夢だ。

 目の前で殺された市民の姿がウェンディと重なったのだろう。


「……」


 その時現場で惨殺された青年はまさに先ほどの夢の中のウェンディのような状態だった。

 彼の家族の人達は……今どのような心境なのだろうか。

 

 屋敷の皆は私のせいではないと言ってくれる。

 確かに悪いのは犯人達であり、私には当然非はない。

 それはそうかもしれない。

 そんなことは分かっている。


 分かっては……いるけど。


 だけど。

 だけどそれでも。

 どうしても気になってしまう自分がいる。


「……いけない」


 暗い顔を晒してみんなに心配をかけるわけにはいかない。

 可能な限り元気に、明るく振舞うのだ。

 それが今の私が心がけなくてはいけないこと。


 私はもう平気なんだ、と。

 怖がってなんかいないんだ、と。

 そんな自分にならなくちゃいけない。


「……」


 晴れ渡る空にもう一度目を向け、私は立ち上がった。


 今日は早速外出をするつもりだ。

 いつまでもメソメソと引きこもっていたくはない。


 お母様のように強く立派な人間になりたいのだから。

 周囲を安心させるような人間になりたいのだから。


「……切り替えなくちゃ」


 それが――公爵家の娘の責務なのだから。




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