第3話 屋敷

 

 芸術の都、王都アゲハ。

 この街には多種多様な文化が入り混じった芸術品が溢れている。

 それはたとえば名工の手による美しい建築物であったり、宮廷画家が描いた王都の街並みの絵画であったり、北大陸の民族衣装であったり、南方の珍しい楽器であったり、はたまた学生達が拵えた珍妙奇天烈なアクセサリーであったり、子供達が母へのプレゼントとして自作した小物であったり。

 芸術の都、と呼称されるだけあり、街並みは美しく、なにより人々の顔には笑顔が溢れていた。


 既に時刻は20時を過ぎる頃であるが、隣国がもうじき戦争状態に突入するにもかかわらず、人々は活気づいており王都は平和そのものである。

 時折酔っ払い達の喧騒が酒場から聞こえてくるが、それもご愛嬌といったところだろう。


 久しぶりに訪れた王都であったが、変わらない王都の様子に思いを馳せる間もなく、僕はユリシア様に連れられて、早速ファウグストス邸へと赴いた。




   ☆   ☆   ☆




 夜半故に僅かな光源に照らし出されるのみであるが、遠目からでも屋敷の大きさは十分すぎるほどに分かった。

 周囲にもいくつか貴族の所有物と思われる屋敷が散見されたが、その建造物は別格だ。


「そういえばお屋敷を見るのは初めてです僕」


 屋敷の正面で馬車から降り、僕は改めてファウグストス邸を見上げた。

 決して雑多過ぎないシンプルなデザインであり、華美な装飾などが張り巡らされているわけではない。

 しかし柱の一つ、壁の一枚に至るまでに、丁寧に作り込まれており、粗さは微塵も感じなかった。

 一見、アンバランスな色使いがされているように見える箇所も、全体のバランスを見た時には上手く合致している。


 塀から覗く木々の緑すらも屋敷の一部なのだろう。

 一つ一つのパーツではなく、全ての要素を包括した上で成り立つ一つの作品。

 さぞや高名な建築家が手掛けたに違いない。

 きっとこういう建築物を調和が取れている、というのだろう。

 門前から見上げただけでも圧倒される造りだった。


「おぉ~……」


 感嘆の声もむべなるかな。

 まさに芸術の都に座する大貴族の屋敷に相応しい。

 屋敷の中はどうなっているのだろうか。


 なんだかちょっとワクワクしてきちゃった。

 

「まぁうちはあんまり人を招かないからね」


 言いつつユリシア様は門の横に備えられている詰所へと向かう。

 別に警備兵が詰めている訳ではない。

 しかし常に少なくとも一人は侍従が詰所に待機しており、基本的に外来からの客人には彼女たちが対応するらしい。

 あらかじめユリシア様の下命があった場合、もしくは許可が出た場合以外は誰であろうと屋敷への入場は許さないそうだ。


 許さない、というのは言葉だけの意味ではない。


 物理的に入れないのだ。


 ファウグストス邸には強力な結界が屋敷全体を覆うようにして張り巡らされている。

 それはマリンダ=サザーランドお手製の結界であり、熟練の結界魔術師が30人がかりであっても突破不可能とまでいわれているそうだ。

 効果は単純明快。

 魔力の侵入を防ぐ。


 あらゆる生物は一定の魔力を内包している。

 それは当然人間も例外ではない。

 つまり屋敷の結界は魔術は当然として、魔法具や生物が立ち入ることを許さないのだ。

 屋敷唯一の外界との通用口としての機能を持っているのが門の横に設置された詰所というわけである。


 もちろんそれだけの規模の結界であるから維持するのにも苦労はする。

 結界を維持するためには純度が高い魔石が必須であり、その出費は馬鹿にならない。とてもではないが庶民では賄えるはずもない。

 このあたりはさすがは公爵家、といったところだろう。


 さらに結界を管理するために高位の魔術師の存在も必須だ。

 毎日ではないだろうが、定期的な点検は行う必要がある。

 つまり現在も屋敷内には、少なくとも一人。

 これだけの結界を制御することが出来る魔術師がいることになる。


 やがてユリシア様が詰所から出てくると門がゆっくりと開いていった。

 そして同時に門前部分の結界だけが解除されていく。


「いくわよ」

「はい」


 詰所の使用人らしき女性に軽く会釈をしながら僕はファウグストス家の門をくぐった。


 そして。


「夜も遅いから皆には明日の朝紹介するわ。ただ――」


 僕は失礼ながら、ユリシア様の声を聞くよりも――。


「うわぁ~っ」

 


 ――屋敷内の威容に圧倒されていた。


  

(広い! 綺麗!)


 う、うわぁ~。

 中も洗練されている。

 そりゃ王宮はもっとすごかったけれど……ここって一応個人の邸宅なんだよね?

 

 玄関をくぐり屋敷の中に足を踏み入れると、そこはもう別世界である。

 外装同様に決して派手すぎないが、それでも、いやそれゆえの美しさだった。

 基本的には白を基調とした内装であり、赤い絨毯と木製の柱の色が映えている。

 揺ら揺らと天井からぶら下がった魔石が揺れる度に、室内を照らす淡い光は表情を変え、その光を受けて階段脇に置かれている一対の壺が煌めいていた。

 丁寧な優しい色使いで描かれた果樹の絵画が壁を彩り、顔が映りそうなほどまで磨き抜かれた床が僕達の靴音を軽やかに響かせる。

 

 少し歩くと廊下からは中庭を見渡すことが出来るようになっていた。

 そこからの景色はまさに……芸術の一言に尽きた。


 磨かれた丸石が敷き詰められ、中央には木目美しい大木がそびえ立っていた。

 まるで自然に生えた葉のように、木の枝に括りつけられた小さな魔石が薄く光っている。

 蒼色の光を放つ小さな魔石。その光源は決して強くはない。

 しかしそれがアクセントなのだ。

 丸石に囲まれた小さな池が水面を揺らし、水の反射によって魔石の蒼色の光が中庭全体を淡く照らし出す。

 月明かりと調和することで浮かび上がるのは筆舌に尽くしがたい幻想的な風景。

 それがなんともいえないほどに美しかった。

 思わず吐息を漏らしてしまったほどだ。 


「はぁ~……」

「聞いてる?」


 若干呆れ成分の混じったユリシア様の表情が僕に突き刺さる。


「はぇっ? も、もちろん……」

「本当にぃ~?」


 あ、あわわ。


「い、いちおう聞いてはいました……よ?」

「な~んか上の空だったけどねぇ~?」

「うっ、も、申し訳ありません」


 僕が素直に頭を下げるとユリシア様は苦笑しつつ言った。


「……ふふっ。いいわよ別に。なんか楽しそうだったし」


 いけない、いけない。

 

 一応ユリシア様の話はちゃんと聞いてはいた。

 しかし聞いてはいたが屋敷に夢中で返事はしていなかった。

 それにどこか上の空の様子でもあったのだろう。

 僕はこれからユリシア様に雇われる立場になるのだから、そういった態度は失礼どころの騒ぎではない。気をつけなくてはいけない。


「えっと、明日皆さんに紹介されるのでしたよね?」


 確認するように僕は尋ねた。


「そそ」


 今日はもう随分と遅い時間になってしまっているので、明日の朝に僕を屋敷の皆に紹介してくれるそうだ。


 ただ。

 

「それでその……先ほど仰っていたビロウガ様とシリー様はどちらにいらっしゃるのですか?」

「あら、本当にちゃんと聞いてたのね」


 ビロウガ=ローゼス。

 シリー=ローゼス。

 この両名にだけは今日中に顔合わせをして欲しいらしい。

 名前の通り、この二人は夫婦であり、既に年齢は50歳を過ぎているそうだ。 

 しかし多忙で屋敷を留守にする機会の多いユリシア様に代わってファウグストス邸を守っている二人であり、それはユリシア様の父の代から続いている。


 ユリシア様にとっては忠臣の中の忠臣であり、それと同時に若くして両親を失ったユリシア様にとっては親代わりの存在でもあったらしい。

 結界の維持・管理も全てローゼス夫婦に一任しており、ユリシア様を除けば、屋敷内で最も強く最も発言力が高い二人。


 なんでも。


「今のうちにルノワールのことを話しておかないと、侵入者として排除しようとするかもしれないしね」


 ということらしい。

 僕は、あはは、と愛想笑いをしたが普通に怖かった。


「それで二人はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「別にこちらから探す必要はないわよ。とりあえずわたしの部屋に行きましょう。さっき詰所で二人に部屋まで来るように連絡してもらったから」


 あ、なるほど。


 なんというか……ユリシア様が大貴族たるファウグストス公爵家の当主、っていうのは理解は出来ているんだけど。

 僕にとっては大貴族の当主というよりも、気のおける友人という側面が強いため、どうしてもすごい偉い人という意識が抜け落ち気味だ。

 彼女が僕に対して気さくに接してくるのも理由の一つだろう。


 ユリシア様はファウグストス公爵家の当主であり、王国内にも9人しかいない特級魔術師の一人であり、ここは彼女の屋敷である。

 探すのはユリシア様の仕事ではなく、家臣の仕事なのだ。


 やがてユリシア様に付き添って彼女の部屋へとやってきた。

 屋敷の2階最奥に位置しているユリシア様の私室は……はっきり言って整頓されている、とはお世辞にも言えない状態だった。


 というか汚い。

 衛生的に、ではなく書類なんかが乱雑に散らかっているのだ


 僕はついつい。


「あの、書類とかもう少し片付けた方がいいんじゃないでしょうか?」


 と、提言してしまった。

 しかしユリシア様はあっけらかんと言ったものである。


「大丈夫よ。どこに何があるかは全部覚えているから」


 うぅ……このセリフ。


「あぁ……マリンダもいつも同じこと言ってます」


 家での母の様子を思い出し、僕は悟ったように呟いた。


「ふふっ、そう?」

 

 嬉しそうにしてるけど、褒めてはいませんからね?


 大きな執務机と、書物が並べられた本棚が2つ。

 それと大小いくつかのテーブルが一定の間隔で配置されていた。

 衣類はクローゼットの中に仕舞われているようだったが、書類なんかはそこらじゅうに散らかっている。足の踏み場もない、というほどではないにしろ……これは気になる。僕としては一刻も早く片付けたくなるんだけれど。


「言っておくけど、勝手に動かしたら怒るからね?」

「あぁ、 やっぱり……」


 うぅ、それもいつもマリンダに言われてましたよ。

 マリンダもそうだけれど、彼女達はこれだけ散らかっていたとしても本当に、どこに何があるかを覚えているのだ。

 記憶力を褒めるべきなのか、ズボラな部分を諌めるべきなのかは非常に微妙なところである。

 

 僕はどうしてもそういった部分が気になってしまう性格なので、すぐに整理整頓をしたくなる。そもそも掃除などの家事は好きだし。


「あとそうだ。ウェンディのことだけど」


 ウェンディとは以前の誘拐未遂事件の折に重傷を負いながらも身を挺してメフィルお嬢様を守った使用人の名前だ。

 彼女は現在ユリシア様の知り合いの治療院で療養中と聞いている。


 病気など治癒魔術で治せばいいじゃないか、と思うかもしれないがそれは誤りだ。

 例えば戦場であったり、危急の病や瀕死の重体、という状況以外では治癒魔術による治療は行わないのが一般的である。

 理由は簡単。

 治癒魔術に頼りきりになると人間が本来持っている免疫力や自己回復力が極度に低下し寿命が縮まることが判明しているからだ。

 故になんらかの事情がある場合を除き、怪我や病気は魔術に頼らない治療が推奨されている。

 そもそも治癒魔術というのは非常に高度な魔術の為、熟達している人間が少ない、ということもあるけれど。

 

「ウェンディは命に別状はないし、今回のことはメフィルに責任のある事件でもないわ。屋敷の皆はちゃんとその辺りは分かっているから。皆はメフィルに責任を感じさせないようにウェンディのことは口に出さないようにしてる。だから貴女もあまりウェンディのことは触れないようにしてあげて」


 これから屋敷に馴染むために重要な部分なのは間違いない。

 気をつけるようにしなくちゃ。


「はい、畏まりました」


 やがて。

 いくらも待つことなく、部屋のドアがノックされた。

 

「あら、来たかしら。どうぞ」


 ユリシア様の言葉に合わせ、控えめに失礼致します、と断りを入れた後に二人の人物が入ってきた。


 燕尾服を身に纏った執事とメイド服で身を包んだメイドの二人組。

 ローゼス夫妻だろう。


 ビロウガさんは柔和な雰囲気を身に纏った男だった。

 整えられた顎鬚を撫でながら目を細め、ユリシア様の帰りを心から待ち望んでいたような表情をしている。見た目だけならばまさに好々爺といった感じだ。

 しかしそれだけではない。

 立派な燕尾服の上からでも、彼の肉体が年齢に比して強靭なままであることは窺うことが出来る。ただの好々爺ではありえないだろう。

 更に言えば、僕の本能が目の前の老人に対して警鐘を鳴らしていた。

 主の前であるが故に抑えられているのだろうが、僕に対して少なからずビロウガさんも警戒の念を抱いているのだ。


 かたやシリーさんは眼光鋭い女性だった。

 だがキリッとした印象は受けるが、冷たい印象は受けない。

 前髪が決して目にかかることのないように揃えられ、頭の天辺で髪全体をまとめていた。眼鏡の奥の切れ長の瞳はマリンダによく似ていたが、老齢による顔に刻まれた皺が、シリーさんの容貌にどこか愛らしさを生み出している。

 彼女は僕に対しては警戒よりも戸惑いの色が強いようだった。


 どこか対照的な二人であったが、しかし50歳を超えた年月に基づく成熟した人間としての雰囲気を纏いながらも、年齢に比して若々しい印象を受ける部分では共通していた。


 ビロウガさんが低頭しながら口を開く。


「お帰りをお待ちしておりました」


 その言葉に合わせ、ビロウガさんの一歩後ろに立っていたシリーさんもゆっくりと頭を下げる。

 頭を動かさず、緩やかに流れるような動きで腰を折り、右手を左胸へとそっと当てた。

 洗練された二人の礼はお手本のように美しかった。


「ただいま。何か変わりはなかった?」

「特には何も。ただ……」

「どうしたの?」

「お嬢様にストレスが溜まっているように見受けられます。自由な行動が制限されていることによるものかと思われますが」

「そう……まぁわたしもあの子の立場だったら不満だしね」


 でももう大丈夫、と笑顔で言うとユリシア様は視線を僕へと向けた。

 その視線に合わせるようにして僕もローゼス夫妻に対して低頭した。

 僕とて王宮にいた時には礼儀作法を習った身である。

 誠心誠意、僕は丁寧に礼を見せた。

 とはいえ、少しでも二人に見劣りしないように心がけてはみたが、実際に彼らにどのように思われたかは定かではない。


「紹介するわ。今日からこの子にメフィルの護衛を務めてもらうことにしたから」

「初めまして。ルノワール=サザーランドと申します」


 僕が自己紹介をすると、


「初めまして。私はビロウガ=ローゼスと申します。こちらは家内のシリーです」


 ローゼス夫妻はユリシア様に対してしたように優雅な礼を見せた。


「シリー、と申します」

 

 シリーさんは短く一言。

 ここで僕は初めて彼女の声を聞いた。


「……サザーランド、ですか」


 疑問を呈するようなシリーさんの自問に対して答えたのはユリシア様だった。


「そう。この子もマリンダの子供なの。ルークの妹にあたるわ」


 ルノワールはルークの妹。

 それが偽名を名乗る上で決めた仮初の設定だった。


「なるほど、左様ですか」

「まぁ要するにわたしの個人的な友人なのよ、この子も。だから変に疑ったりしないであげてほしいかな。事件があったばかりだし、神経質になるのはわかるんだけれど」


 ユリシア様の言葉を聞き、ビロウガさんの纏う雰囲気が緩んだ。

 どうやらユリシア様の仰った通り、見知らぬ人間に対して過敏になっていたらしい。


「……そうでしたか。奥様の御友人であるというのであれば、礼儀を尽くしましょう」


 このビロウガさんの言葉に僕は慌てた。

 だって彼はまるで客人をもてなすかのような表情だったから。


「い、いえっ。確かに私はユリシア様の友人ではありますけれど、今日からは雇われの身ですから。この屋敷ではお二人の方が先輩になりますので、過分な礼儀は不要です」


 うぅ、こんなしっかりした人達に畏まられちゃったら、落ち着かないよ。

 早口で言った僕の様子がおかしかったのか、ビロウガさんは眦を下げた。その口元には小さく笑みが浮かんでいる。


「かしこまりました。どうか本日より宜しくお願いします」

「あっ、こ、こちらこそ」


 握手を交わす。

 ビロウガさんが手を離すと同時に、シリーさんも右手を差し出してきた。握手を交わしながら微笑むと、彼女も優しい笑みを返してくれた。

 ビロウガさんからも先ほどまでのような警戒心は感じられない。

 一応、彼ら二人からの最低限度の信頼は得られたようだ。

 

「ルノワールの護衛としての実力はわたしが保証するわ。今まではわたしかビロウガかシリーの誰かが必ず屋敷に残るようにしていたけれど、今後はそこにルノワールも含めます。わたしが屋敷にいない時は夫婦水入らずでの外出は遠慮してもらっていたけれど、ルノワールが屋敷にいる時なら出かけても構わないわ」


 この言葉に意外そうな顔をしたのはシリーさんだった。

 いやビロウガさんも少しばかり目を見開いている。


「彼女はそれほどに優秀なのですか?」


 失礼に当たると思ったのか、シリーさんはどこか遠慮がちではあったが、そう尋ねた。

 だけどその疑問は尤もだと思う。

 彼女達からすれば僕など若造もいいところだろう。しかも初対面だ。


 しかしシリーさんの言葉にユリシア様は自信満々の表情で頷いた。


「えぇとびきり、ね。というか真っ向から戦ったらわたしだって勝てないわ。それにマリンダと一緒に魔術の研究もしていたから、屋敷の結界魔法陣についてもすぐに適応出来るでしょう?」

「あーっと……」


 えっと……あんまり持ち上げられるのはちょっと困る……。


(とはいえ……)


 なんだかむず痒い気分ではあったが、ユリシア様の信頼が嬉しいのも事実。

 あながち嘘を言っているわけでもない。

 それにこれから護衛を務めることになるのだ。

 信頼を得なければローゼス夫妻も安心できないだろうから、ユリシア様もこのように少し大げさに言っているのだろう。


 ユリシア様は魔法薬などの搦め手が得意な魔術師である。実際に戦闘になったらどちらに軍配が上がるかはわからないはずだ。

 遠慮がちに頷きながら最後の問いかけに僕は答えた。


「そうですね。一応私の専門分野ではありますので」


 僕が言うと、ビロウガさんが感心したような表情になった。

 続いてユリシア様が告げる。


「ただ屋敷の皆にはマリンダの娘であることは伝えるけれど、外部に漏らすことは禁止します。警戒されちゃうからね。あくまでもこの子はわたしが拾ってきた平民の子供ルノワール、として扱ってね」

「心得ました。心強い方がやってこられたわけですね」

「そういうこと。みんなには明日紹介するつもり。メフィルの隣の部屋はもう準備出来てる?」


 僕が準備? と首を傾げるとシリーさんが教えてくれた。


「護衛の方を連れてくる、と奥様より伺っていましたので、その方のためのお部屋の用意をしていたのです」


 なるほど。

 つまり事前に送ってもらっていた僕の荷物の運び込みだろう。

 僕がのんびりと馬車に揺られている間に手間をかけさせてしまったことを考えると忍びないが、用意されている以上は好意に甘えよう。


「それはありがとうございます」

「いえ、お気になさらず」


 いつの間にかローゼス夫妻に僅かながらも心を許していることに気づいた。

 無論ユリシア様の忠臣である、という部分が最大の要因だろうが、彼らの人間的魅力も大きな要素に違いない。

 僕は彼らの魔術の腕前であったり、交渉手腕であったり、知恵や知識であったり、を直接見たわけではないのだけど。


 しかし彼らからは確かに、実力者だけが放つ特有の雰囲気というものを感じる。

 その点、マリンダと同種の気配であり、僕としては馴染み深い。

 理屈以外にも、本能的になんとも頼りがいのある二人だと僕は思ったのだ。

 僕も彼らから少しでもそのように思われているのならば非常に嬉しいのだけど……未だ若造たる僕にそういう印象を持つ可能性は低いのかな。 


「さて顔合わせも終わったことだし、ルノワールの部屋に案内するわ」


 言いながら立ち上がろうとしたユリシア様に対して僕は口を開いた。


「あの……」

「ん?」


 いや確かにこの二人に対しての顔合わせは終わったかもしれない。

 だけど一番重要な人を忘れているのでは……?


「その……メフィルお嬢様には本日挨拶をしなくてもよろしいのですか?」


 僕が聞くと彼女はチラリと壁にかかった時計を見た。

 確かに時間は遅い。

 しかし一応その……礼儀として声だけでも掛けた方がいい気がする。

 就寝されている、としたら話は別だけれど。


「うーん、22時か。あの子はまだアトリエ?」


 恭しく答えるのはビロウガさん。


「はい。夕食をお召し上がりになられてから3時間ほどになります」

「そう。じゃあそろそろ一度出てくるかしら」

「気まぐれですから確証はありませんが……」


 苦笑気味にビロウガさんは言った。


「そうねぇ……よし」


 一瞬考え込む仕草を取ったユリシア様だったが、すぐに僕に笑顔を向けると言った。


「じゃあ少し遅いけど……ルノワールにうちの娘を紹介しようかしら」

「立場上、私が紹介される側になるかと思いますが……」


 僕のそんな言葉はどこ吹く風という様子で部屋を出ていこうとするユリシア様。

 ローゼス夫妻もユリシア様に付き従うようにして部屋を後にする。


(メフィルお嬢様、か)


 どのような方なのだろうか。

 ユリシア様の娘。

 彼女のように聡明かつ陽気な方なのだろうか?

 それとも逆?


 ユリシア様の容姿を考えるならば、メフィル様も綺麗な人なのだろうか。

 厳しい人か、優しい人か。

 優しい方だと嬉しいけれど。


(まぁ)


 あれこれ考えても仕方がない。

 もうじきお目にかかれるのだ。


(失礼のないように……)


 それから。

 どれだけ一緒に居ることになるかは分からないけれど。

 できる限り。


(仲良くなれたらいいな)

 

 そんなことを考えながら僕は3人の背中を追った。





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