第2話 道中

 

 馬車に揺られて王都アゲハへと向かう途上。

 僕達はいくつかの街を見て回っていた。


 無論遊び歩いているわけではない。

 目的は領内の様子を確認すること。要するに監査だった。


 王国北東のコーミル地方はファウグストス公爵家に与えられた領地であり、現在の当主はユリシア様だ。

 ミストリア王国では王族がそれぞれ公爵家に領土を与え、さらに公爵家は自分の領土を侯爵や伯爵に与え、直接的な政治を行わせることとなっている。

 つまりコーミル地方の最大領主はファウグストス家であるが、実質的な支配者はユリシア様から領土の一部を委譲された侯爵や伯爵であり、ユリシア様が直接干渉することはほとんどない。


 とはいえ定期的に領内を監査することは公爵家の義務だ。

 特に現在は帝国が不穏な動きを見せている以上、領内の様子に目を光らせる必要がある。


 僕とマリンダの家に来るまでにもユリシア様は監査に回っていたらしく、王都へと向かう道中における残りの監査地は数える程しか残っていなかった。

 そして現在最後の監査地であり、王都アゲハからもほど近い、『シェーレ』という街に僕達はやってきていた。




   ☆   ☆   ☆




「さて、と」


 うーん、手持ち無沙汰だ。

 というのも、本来僕はユリシア様の監査には必要無い。

 監査の内容に僕のような一使用人が入り込むべきではないからだ。

 もちろんユリシア様が一言告げれば僕も領主達の話し合いに交じることは出来るが、何らかの事情がない限りは、あまりそういった特例を認めるべきではない。

 公爵家といえども権力を笠に着て余計な波風を立てるのは、よろしくないのだ。


 そして。

 宿をとったはいいけれど、ユリシア様が領主の屋敷に赴いている間は特にやることがなかった。

 食事は宿の方で用意されているし、日課の訓練も既に終えている。

 僕の趣味は絵を描くことだけれど、ここには画材道具は無いし、この街でそんな物を購入していたら旅の邪魔になってしまう。


「……散歩でもしよっかな」


 明確な目的があったわけではないけれど、とりあえず外に出た。

 せっかく訪れたのだから、街中を散策してみよう。


 シェーレは街全体を通して住宅地が目立つ。

 そして行商人の姿を多く見かけるのが特徴だった。

 王都にほど近く、王都に比べれば物価が安く、しかも交通の便も良い。

 利便性が高いシェーレの街は商人が家を構えるには中々理想的な環境だと言える。無論財産が貯まってきたら王都へと繰り出していくのだろうけど。


 街並みを楽しみつつ、歩くこと数分。

 僕はある事に気付いていた。


「ん~……」


 時折街中を歩いていると視線を感じることがある。

 特に若い男性から。

 既に女性として過ごすようになってから幾日か経過したが、こればかりは中々慣れるものではなかった。

 

 そしてどうしても考えてしまう。


(どど、どうして僕を見ているのでしょうか)


 貴族の屋敷であればメイドを雇っている家など別に珍しくもなんともない。

 だから服装のせいではないだろう。


(ももっ、もしかして……)


 もしかして……バレてる?


 僕が本当は男だと?

 いやでも肉体は女性のはずだし。

 だけどもしかしたら……なんというかこう、男らしさのようなものがにじみ出ているのかもしれない。

 女性になっているという罪悪感と羞恥心による緊張感が僕の中にはあった。


 正直男だと思われてるんじゃないかと考えると気が気ではない。

 女性としておかしいところは本当にないのか?

 いやきっとあるはずなんだ、僕は本当は男な訳だし。


 まぁ……今のところ問題は発生していないけど。

 そう言えばユリシア様は絶対にバレないと豪語していた。


 でもあの人結構いい加減なところがあるからなぁ。


「あの君……」

「えっ!?」


 こ、声をかけられた!?

 やや、やっぱりバレてらっしゃる?

 指を指されて「なんで女の格好してるんですか?」とか聞かれたらどうしよう。

 うわぁ、それすっごいきついよ!


 女性歴(?)が浅い僕としては上手い対処法が思いつかない。

 とりあえず愛想笑いでもするしかない。


「な、なんでしょうか?」


 すっごい上ずった声が出た。


「…………はぅ……」


 は、恥ずかしすぎる。

 今の僕の顔は一体どれほど赤い事だろう。


「いや、その……すごい可愛いね君……どうかな? これから時間ある?」

「ぇ……?」


 な、なにそれ。

 もしかしてナンパですか?

 僕男ですよ?

 いや今の見た目は女性かもしれないけれど。

 でもでも本当は男なんです。


「え、えっとその……」


 どど、どうすれば。

 いやもうどうもこうもない。

 こうなったら逃げるしかない。


「ぴ、ピアノのお稽古がありますので~っ」

「あっ、ちょっ!」

「ごめんなさいぃ~っ」

 

 そして僕は逃げた。

 今までに感じたことのない種類の気味悪さと、ちゃんと女性として見られていてよかった、という謎の安堵感に包まれながら。




   ☆   ☆   ☆




 ナンパ男から逃げてたどり着いたのは広場だった。

 中央に噴水が設置されている、こういった大きな街ではよくある広場。

 そこのベンチで僕は幼い少女と二人で談笑していた。


「まぁ……それは大変ですね」

「そうなの。それでね~、その時パパがね」


 つい先ほど。

 得体の知れない疲労感に包まれていた僕がベンチで休んでいたら一人の少女がやってきたのだ。

 その子は随分と人懐っこい子供だった。

 名前はラト、というらしく、この街で暮らしている5歳の少女だ。

 なんでも両親が仕事に出ており、その間教会に預けられたのだとか。

 今日はこっそりと教会を抜け出してきたらしい。

 とはいえ教会は目と鼻の先……というか広場から入口が見えているけど。


「コラ! って言ったんだけど、ぜんぜんダメで。でもママが言ったらすぐに大人しくなったんだよ」

「ふふっ。そうなんですか」

 

 僕とて何かやることがあったわけではない。

 楽しそうに話をするラトの姿が微笑ましく、同時に僕も彼女と話をするのが楽しかった。

 話しぶりからして、ラトは両親のことが大好きなのだろう。

 そんな彼女の気持ちが伝わってくる。


 天気は快晴。

 陽気な昼時に風を感じながら子供と戯れる。

 たまにはこういう時間も良いものだ。

 先ほどナンパされた時は随分と焦ったけれど、今は大分落ち着いている。


 ラトと話していると、教会の方から一人の男性が歩いてきた。


「おや、ラト。そちらの方は?」

「あ、神父様!」


 ラトに神父と呼ばれたからには、目の前の教会の神父様だろう。彼は聖衣に身を包んでおり、大人びた物腰の清潔感溢れる老紳士だった。


「初めまして。私はルノワールと申します」


 僕が立ち上がり礼と共に挨拶をすると、神父様が柔らかく微笑んだ。


「これはご丁寧に。そこの教会で神父を任されているザッシュです」


 ザッシュ神父は見た目通りの穏やかな口調で自己紹介をしてくれた。


「ルノワールさんは明日はアゲハに行くんだって!」

「ほう」

「本日は主人の所用でシェーレに立ち寄ったもので」

「なるほど、そうでしたか」


 その時、神父様が歩いてきた方角。

 北の方を向いたラトがぼそりと呟いた。


「パパとママ遅いなー」


 一瞬顔をこわばらせたザッシュ神父だったが、すぐさま穏やかな口調で言う。


「そういえばラト。花壇の水やりは終わったのかい?」

「あっ!」

「その様子だと忘れていたね。お花さんたちが喉が渇いてしまうと可哀想だ。今からお願いできるかい?」


 ザッシュ神父の言葉に慌てて教会へと駆けていくラト。

 僕とザッシュ神父はその背を見送っていた。


「……」

「……何かあったのですか?」

「え?」

「いえその……先ほど神父様の表情が曇ったような気がしたので」


 僕の言葉にザッシュ神父はバツの悪そうな顔をした。

 彼は苦笑しつつ、口を開く。


「ふふ。鋭いお嬢さんですね」

「あの、余計なお世話でしたか?」


 あまり立ち入って欲しくない話だったのかもしれない。


「いえ……少し心配事がありまして」

「心配事、ですか?」


 僕が尋ねると、ザッシュ神父は話しても良いのか逡巡した様子だった。

 しかしすぐさま迷いを振り切り、ゆっくりと語りだす。


「……ラトの両親は商人なのですが」


 そう言ってザッシュ神父は教えてくれた。

 ラトの両親は二人共商人として、長らく一緒に行商の旅を続けていたらしい。

 ラトが生まれてからはシェーレの街に家を構え、この場所を拠点にして行商を行うようになった。

 基本的には母はラトの面倒を見るために家に残り、父親が一人で仕事をこなす。最近はラトも成長してきたため、家族揃って行商に行くこともあったそうだ。

 

 しかし先日近場の鉱山で、大量の魔石が発掘されたらしい。

 またそれと同時にアゲハの商店から急ぎで可能な限り多くの魔石が欲しい、と依頼された。

 それもアゲハの商店から提示された魔石の買取額はかなりのものだった。

 これを逃す手はないと考えたラトの両親は、昔馴染みのザッシュ神父にラトを預け、夫婦揃って大急ぎで鉱山へ向かった、とのこと。


「予定通りならば、二日前の朝には帰ってきたはずなのです」

「二日前……ですか」

「ええ。ラトの両親は商人ということもあり、時間はきっちりと守る性格ですので。何かトラブルがあったのではないかと心配で」

「なるほど」

「……それに最近この辺りに盗賊がはびこっているらしく」


 これは初耳だった。


「そうなんですか?」


 僕が聞くとザッシュ神父は無言のまま教会の入口に目を向けた。

 そこにはやつれた顔で歩く一人の男性の姿がある。


「彼は先日盗賊の被害を受け、積荷を全て奪われ、ほとんど一文無しにされたそうです」

「えっ……」

「幸い隙を付いて逃げることだけは出来たそうですが……彼は最近になって仕事が軌道に乗ってきたらしく……ショックが大きかったのでしょう。近頃は毎日のように教会にいらっしゃっています」


 一目見ただけでもその男性は、生気があまり感じられないほどまで落ち込んでいた。

 人生に希望を抱いていた最中、理不尽にも絶望に叩き落とされた男の姿。


「そう……なのですか」


 彼には何一つ罪は無かったのだろう。

 その後ろ姿を眺めていた僕の胸は痛んだ。


「若くしてこのような目に遭ってしまい……今後の人生をどうすればよいのか迷っておられるのです」


 神父は悲しげに目を伏せる。


「彼は命があっただけでも幸いだったのでしょう。聞くところによると、帰らぬ人となった商人もいらっしゃるとのこと。警備軍も動いてくださってはいるようですが、状況は芳しくないようです」


 ザッシュ神父は物憂げな表情だった。


「ラトの両親の馬車は大量の商品を運んでいますので、移動速度は遅いはずです。考えたくはありませんが盗賊からしてみたら……いえ、よしましょう」

「……」


 格好の獲物、というわけか。


「ミストリア王国は平和な国と言われていますが、それでも犯罪者がいないわけではありません」

「そう……ですね」


 青年が去っていった後。

 再びザッシュ神父の視線の先へと目を向けると、おっかなびっくりではあっても、楽しそうに水魔術を駆使して花壇の水やりをするラトの姿があった。

 子供らしい無邪気な笑顔。

 しかしその顔を見ていても僕の心は晴れなかった。


「……神よ、どうか」


 ザッシュ神父の祈りを聞きながら僕は一つの決心をしていた。




   ☆   ☆   ☆




 僕は宿に帰ってすぐさま地図を取り出した。


「鉱山の場所はここ。シェーレまでの道程を考えれば……」


 主要な街道はたった一つしかない。

 しかも街道は整備が行き届いており、警備軍による巡回も行われているはずだ。

 単純に考えるならば安全な行路であり、盗賊団も行動しにくい。


(とはいえ)


 警備軍はあまりあてにできない。

 貴族が大勢を占めている警備軍は汚職にまみれており、ろくに仕事をしていない可能性もあるからだ。

 コーミル地方はユリシア様が目を光らせているため、他の領地ほどには乱れていないが、それでも警備軍を僕は信用していなかった。


 あとはもう一つ。

 街道のすぐ傍には川が流れており、その川を上流まで登っていくと山がある。

 考えてみればこの山は盗賊が根城を作るにはもってこいの場所ではないか。

 

(ルートは確認出来た)


 僕は現在ユリシア様付きの使用人として明日の朝にはアゲハへと発つ身だ。

 時間をかける訳にはいかない。

 明日の朝までには帰ります、と宿に書置きを残し。


(ちょっと本気で頑張ろうかな)


 宿を出た僕は全身に魔力を漲らせる。


 そして。


 疾風の如き速度でシェーレの街を飛び出した。




   ☆   ☆   ☆ 




 が、無駄に終わった。


 何がどう無駄だったのか?

 それは僕がシェーレの街を飛び出した直後に、大量の魔石を積んだ馬車を見かけたからだ。

 馬車に駆け寄り名前を尋ねるとラトの両親であると判明。

 僕は二人を探しに行こうとしていた経緯を話し、そのまま二人と共に教会へと向かうことになった。


 教会に着くなり笑顔のラトが出迎えてくれた。

 どうやら魔石の仕入れも万事上手くいったらしく、ラトの両親も終始笑顔だった。


 遅れが出ていたのは盗賊のせいではなく、街道近くの山が土砂崩れを起こしており、一時的に鉱山とシェーレを繋ぐ街道が通行不可能になっていたことが理由らしい。


 少しだけ肩透かしを喰らった気分ではあったが、笑顔のラトを見ていたらそんな思いは吹き飛んでいった。

 自然と口元がほころぶ。


「……」

「一人で捜索に行くつもりだったのですか?」


 ザッシュ神父が僕の隣までやってきて言った。


「……はい」

「何故?」


 彼は真剣な眼差しを僕に向けている。


「えっ?」

「貴女はラトとは今日初めて会った。それも僅かの時間会話を交わしただけでしょう? にもかかわらず貴女は危険を顧みず捜索に行こうと思ったのですか? 盗賊の話はしたはずですが」


 危険……危険、か。

 多分その辺りで僕とザッシュ神父の認識は異なっている。

 マリンダと共に幾多の修羅場を潜ってきた僕からすれば、そこらの盗賊の集団など何ら脅威にはならない。そもそもその程度の輩に手こずっているようでは、ユリシア様から娘の護衛を依頼されたりなどしないのだ。


「貴女の行動は勇気ある慈愛に満ちたものであって、責められるべきものではありません。しかし」


 しかしザッシュ神父は本気で僕の身を案じている。

 そして無謀な若者に対する怒りも同時に感じている。


「そう……ですね」


 僕は両親に囲まれて幸せそうな笑顔を浮かべるラトを見た。


 すると僕の口からは、自然と言葉が漏れた。


「実は私……両親がいないんです」


 静かにゆっくりと。

 僕は言葉を紡ぐ。


「捨てられたのか、それとも私を残して死んでしまったのかは知りませんけれど」


 顔も全く覚えていない。

 両親に対する愛情も、両親から愛された証も何もない。

 それを悲しむという感覚すら幼い僕は持ち合わせていなかった。


「だから……かもしれません」


 楽しそうにパパとママの話をするラトを見て。

 もしかしたら手遅れかもしれなかったけれど。

 それでもじっとしてはいられなかった。


「そう、ですか」


 悲しげに目を伏せたザッシュ神父は実に申し訳なさそうな顔をしていた。

 僕の事情を聞いてしまい、無遠慮な自分を恥じているのだろう。

 しかしそれはザッシュ神父が気に病む事ではない。


 だから僕はことさらに。


「あ、でも今はちゃんと母がいるんですよ」

 

 笑顔で。

 元気に。

 胸を張って言った。


「血は繋がっていませんけれど、この世で最も頼りになる人で。私はとても尊敬しているんです」


 僕の言葉を聞いたザッシュ神父は一度目を見開き、そしてすぐに穏やかな表情になった。


「それは大変素晴らしいことを聞きました」


 ザッシュ神父に僕も笑みを返す。


「ルノワールさんっ」


 と、そこでラトがこちらに向かって駆けてきた。


「どうしましたか?」

「ルノワールさんがパパとママを探してくれた、って聞いたから」

「……結局私はなんにも出来なかったですけどね」


 苦笑しつつ言う僕だった。


 そうだ。

 今回の僕はただ空回ってしまっただけ。

 何一つとして成し遂げてはいない。

 ラトに付き合ってちょっとした会話をしただけだ。

 

 だけど。

 幼い少女は言ってくれた。


「ありがとうっ!」


 満面の笑顔で。

 真っ直ぐな瞳で。


 そこで僕は気付いた。


「……ぁ」

 

 何も出来なかったからなんだというのだ。

 ラトが今笑っている。

 この笑顔が失われなかった。

 不幸な家族が生まれなかった。


 これ以上に価値があることなどあろうはずもない。


「ルノワールさんはアゲハに行くんだよねっ?」


 朗らかな気持ちで。

 心からの笑顔を浮かべて僕は答えた。


「えぇ、そうです」

「わたしも今度パパとママと一緒にアゲハに行くんだよっ」

「そうなのですか」

「うん、だからまたねっ」


 僕はラトの頭を一度撫でて言った。


「えぇ、是非とも。また逢いましょう」


 僕が教会に背を向け宿へと帰ろうとした時。

 背後からザッシュ神父の声が微かに聞こえてきた。


「この先の貴女の人生に幸あらんことを」




   ☆   ☆   ☆




 翌日の朝。

 僕はユリシア様と二人で馬車に揺られていた。


「はぁ~っ、ようやく家に帰れるわ」


 大きく伸びをするユリシア様。


「お疲れ様でした」


 あとはもうアゲハへと向かうのみ。

 まぁアゲハに帰ったら帰ったで監査の書類整理だとか、帝国への対策とか、王族や他の公爵家との政治的なやり取りだとかが待っているのだろうけれど。

 ううん、そう考えるとやっぱりユリシア様って大変なんだなぁ。


 ガタゴトと街道を駆けていく馬車。

 馬車の外へと目を向けると小さな森が視界に入ってきた。


「そういえば最近この辺りに盗賊が出るらしいですね」

「はっ? なにそれ?」

「いえ、昨日教会の神父様から聞いたのですけれど。なんでもそれなりに被害に遭った人がいるそうですよ」

「……わたしそんな話聞いてないわよ、ってこの気配……」


 ユリシア様が目を鋭く光らせ警戒態勢をとった。


「ええ、まさにこの人達でしょうね」


 その時。

 馬車の外で大きな爆発音がした。

 周囲に誰かが魔術で爆発を起こし、馬の動きを止めたようだ。


「止まれっ!!」


 同時に怒号が聞こえてくる。

 僕達の馬車の周囲には20名近い男達の姿があった。

 馬車の御者をしていた男性は両手を挙げ降参の構えだ。


 しかし僕とユリシア様は互いになんとはなしに顔を見合わせている。

 おそらく同じようなことを考えているに違いない。


 よりにもよってこの馬車を襲ってしまうのか。


「積荷を全て置いていってもらおうか……まずは馬車の中にいる奴出てこい!」


 僕とユリシア様は言われた通りに馬車の外に出た。

 途端に盗賊団の何人かが機嫌よく口笛を鳴らす。


「おいおい……超上玉じゃねぇか!」

「こいつはラッキーだな!」


 下品な笑い声をあげる男達。

 おそらく財産を奪うだけではなく、日頃から若い女性も攫っては嬲りものにして楽しんでいるのだろう。

 

「おとなしくしてりゃあ可愛がってやるよ」


 ニヤついた表情。

 下卑た声音。

 嫌悪感しか募らないし、同情の余地など皆無だ。


「なんだその顔は?」


 首領らしき男が目を細めて苛立たしげな表情をしていた。


 僕のことかな。

 うん、僕の方を見てるし。

 きっと僕は今物凄い冷めた表情をしているのだろう。


 僕はチラリと横目でユリシア様の顔を見た。

 彼女は小さく頷く。


「いえ、別に。ただ……因果応報、という言葉を知っていますか?」

「あぁ?」


 訝しげに問い返す盗賊。


「例え貴方達が今からどれだけ大人しくなろうとも」


 僕は目を細め、身体にグッと力を込める。

 そして冷え冷えとした声音で言った。


「私は可愛がったりはしませんので」


 言葉を発すると同時に魔力を開放する。

 途端に迸った魔力による淡い光が僕の全身を包み込んだ。

 躊躇なく放った殺気に気圧されたように盗賊達の中に動揺が広がっていく。

 彼らは突然の僕の変容に戸惑っているようだった。


 だが関係ない。

 そして無意味だ。


 この馬車を襲った時点で彼らの運命は決したも同然なのだから。


 前方にいた盗賊がナイフを片手に僕に迫り、後方にいた男達は魔術の呪文詠唱を始めた。

 なるほど、慣れたものであり、必要最低限の連携は取れている。


 だが。


(遅すぎる……)


 迫りくるナイフが僕に向かって振り上げられる。

 しかしその時には既に男の肘から先は宙を舞っていた。腕が引きちぎられた痛みに顔をしかめる暇すら与えずに下顎に向けて掌底を打ち込み、意識を刈り取る。

 今しがた打ち倒した男には目もくれずに近くにいた男の鳩尾に肘を鋭く打ち込み、背後に迫った一人には遠心力をたっぷり乗せた回し蹴りを放った。

 一瞬たりとも停滞せずに僕は次から次へと襲い来る男達の攻撃を躱し、反撃を繰り出す。

 前衛盗賊の全てが地に倒れた頃になってようやく盗賊後衛が呪文詠唱を終えた。


 合計8人分の魔術。

 全て炎の魔術だ。

 豪炎が僕に向かって襲いかかる。


 だがその炎は僕に触れる寸前になって、見えない壁にせき止められた。

 

「……馬鹿な」


 呻き声を上げた盗賊達は驚きに目を見張る。


「なんだそりゃ……無詠唱で結界魔術だと?」


 しらけた気分で僕は言った。


「正解ですよ」


 僕が最も得意としている魔術がこの『結界』魔術だ。

 様々な効果を持つ結界があるが、戦闘で最も役に立つのは今使った、相手の攻撃を防ぐ魔術遮蔽結界。

 そして目の前の盗賊如きの魔術であれば、一瞬で構築することが可能な瞬時結界でも十分に防ぐことが出来る。


「うっ……」


 前衛が一瞬で壊滅し、後衛盗賊達の8人分の攻撃魔術が無効化されたことによって、盗賊達は恐怖心に身をすくませた。


「ユリシア様」

「ん?」


 目の前の光景に対してもユリシア様は涼しい顔をしていた。

 彼女は盗賊達の有様が当然のことだと思っている。

 愚かな盗賊が報いを受けているだけ。

 平時と変わらず美しい顔でユリシア様は言った。

 

「なに?」

「全員殺しても?」


 僕が伺いを立てると、盗賊団は明らかに動揺した。

 現在は一応前衛の盗賊達も全員息がある。

 というか血の一滴も零れてはいなかった。

 相手の腕を引きちぎったり攻撃を放った際に止血の魔術を相手に施したからだ。これも結界魔術の応用である。


 血の匂いは悪臭を長いこと放つ上に血痕というのも消えにくい。

 何らかの痕跡を残さないように、なるべく血が出ないように戦闘を行うのが僕の癖だった。

 まぁ相手が強敵であればそんな余裕はないけれど。


「な、なぁおい……」


 どうせ命乞いだろう。

 聞く耳を持つとでも?


「黙りなさい」


 自分でも分かるほどに冷たい声が出た。

 今の僕の表情にはラトと話していた時の面影は微塵も残ってはいないだろう。

 一人がこの場から逃げようとしたので周囲にもう一つ結界を張る。


「あっ!? なんだこりゃ! くそ、出られねぇっ!」


 逃がすつもりなど毛頭ない。


「周囲に結界を張りました。もはや一人たりとも逃しませんよ」

「な、なぁおい勘弁してくれよ。そ、そうだ。宝なら山ほどあるんだ! そいつをあんたらに譲るから!」

「……」


(勝手な……っ)


 自分達は散々弱者を嬲り、食い者にしてきたくせに。

 いざ自分達が弱者になるとすぐにこれだ。

 そもそもその宝とやらも、他人から奪ったものだろうに。


「弱肉強食を是としてきたのならば、潔く死んではいかがですか?」

「なっ……」


 僕の言葉に絶句する盗賊達。

 その間抜けな表情が僕の神経を余計に逆撫でする。


「貴方達に文句を言う資格などありません」

「まぁまぁ、ルノワール」


 ユリシア様に止められ、僕も言葉を謹んだ。


「そうねぇ。貴方達の宝が置いてあるアジトっていうのはどこにあるの?」

「あ、あぁ。森の中だ。洞窟があって」

「森のどの辺り?」

「北の方だ! 湖があってその近くに大きな洞窟が」

「そう」


 一度頷くユリシア様。

 そして。

 

「ルノワール、もう全員殺してもいいわよ。死体は燃やして近場に埋めましょう」


 平然と言い切った。


「よろしいのですか?」

「えぇ。シェーレの人達を早く安心させてあげたいけど、この人数を街まで運ぶのも手間だし。わたしに盗賊の報告を怠った領主はまぁ……今回ばかりは一件落着ということで許してあげましょう。こいつらが溜め込んだ宝に関しては後で回収して、被害に遭ったと思われる人達及び、その遺族に届けることにするわ」

「ユリシア様がそう仰るのでしたら」

 

 どよめく盗賊達。

 僕とユリシア様の会話を聞いて、一人の盗賊が狂ったように、襲いかかってくる。

 僕は彼の腕を絡め取り、掌を相手の腹に押し付け、体内に直接魔力を流した。 

 強引に男の体内をかき乱す。彼は白目を向いてそのまま倒れ伏した。


「何したの?」

「いえ。内蔵を少々破壊しただけです」

「そう」


 もはや顔は青ざめ、絶望の表情を浮かべる盗賊達。


 そんな表情すらも腹立たしい。

 おそらく。

 いや間違いなく。


 こいつらに襲われた人達も同じような表情をしていたはずだ。


「ミストリア王国のように、真っ当に生きる方法が無数に存在する国で他者を傷つけてきた以上、貴方達を許す道理はありません」


 ふと考えた。

 自分の過去の所業を思えば、もしかしたらこの盗賊達のことを悪く言うのは間違っているかもしれない。


 僕はこの盗賊団よりも遥かに多くの人間を殺めてきているのだから。

 

 それでも。


 シェーレの教会。

 盗賊団に襲われ、路頭に迷った男性の姿が目に浮かんだ。

 若くして絶望してしまった駆け出し商人。


 その他、顔も知らぬ帰らぬ人となった人々に思いを馳せる。

 彼らの絶望、遺族の悲しみ。

 それは決して消すことは出来ないものだ。


 たとえ自分を棚に上げた発言だろうとも。

 エゴイズムの現れであったとしても。


 僕は彼らを許すことが出来ない。

 だから。


「因果応報ですよ」


 静かに僕はそう言った。




   ☆   ☆   ☆




 盗賊達を始末し、再びアゲハへと向かう僕達。

 僕は馬車の中でぼんやりとシェーレの街で出会った人々の顔を思い浮かべた。

 

 教会にいた男性。

 彼は再び商売を始めることが出来るだろうか。


「……難しいのかな」


 例えお金が戻ってきたとしても。

 それでも心の傷は癒えないはずだ。

 それを思うと悲しい気持ちが芽生える。


「……」


 ラトを思う。

 彼女の両親は盗賊の被害には遭わなかった。

 不幸の可能性の芽を今日一つ摘むことが出来た。

 

 そして過去に被害に遭った人達に対しては申し訳ないけれど。

 被害者を悲しむ気持ちよりも、ラトの両親が無事なことの方が嬉しかった。

 あの純粋な少女に不幸が降りかからなかったことに心からの安堵を覚える。

 結局は自分と関係のある人間以外に強い感情を寄せることなど僕には出来ない。


 だけどそれでいいと思った。

 所詮一人の力で出来ることなど限られているのだから。

 万人全てにまで気を使っていたら、人間の精神など簡単に壊れてしまう。


「そろそろアゲハね」


 夕暮れのミストリアの空を見つめながらユリシア様が言った。


「そうですね」


 今後はユリシア様のために僕の力を使おう。

 ユリシア様の娘を守る。

 それが今やるべきことだから。

 

「懐かしいな……」


 僕はゆっくりと瞳を閉じ、久しぶりに訪れることになったアゲハの街に思いを馳せた。





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