偽りのルノワール
小美里 戒
第1章 公爵家の事情
第1話 依頼
「護衛依頼……ですか?」
窓辺から陽光が降り注ぎ、テーブル表面の木目がキラキラと輝いている。
外からは鳥達の可愛らしい囀りが聞こえ、緩やかな風に流れるようにして木の葉が宙を舞っていた。
ここは少しばかり人里から離れた山脈の中にひっそりと佇む小さな山小屋。
うららかなお昼時、食後のティータイムである。
「そう。まぁ護衛だけをお願いしたいわけじゃないんだけどね」
「なんでもユリシアの娘が先日誘拐されそうになったらしいぞ」
丸テーブルを囲むようにして、三人の人間が木椅子に腰掛けている。
一人は少年で、二人は女性だった。
身長はそれなりにあるものの、どこか幼い印象を与える容貌の少年と妙齢の美女が二人。
「そうなの。今うちの子は外出も控えてもらっているわ」
女性の内の一人が悲しげに瞼を伏せた。
彼女の名はユリシア=ファウグストス。
既に30代も後半へと差し掛かっている女性であるが、年齢を感じさせない若々しい雰囲気を携えていた。
未だに肌は瑞々しく、髪には潤いがある。
目元がくっきりとしているのも相まって、初対面の人間であれば、とても一児の母とは思わないだろう。
少女、と形容したほうが適当かもしれないほどである。
「思春期にそれはストレスが溜まりそうだな」
そう言ったのはユリシアの対面に腰かけた女性。
マリンダ=サザーランドだった。
彼女は外見こそ美しいものの、ユリシアとは随分と雰囲気が異なっている。
男性のような口調や切れ長の鋭い瞳に加え、身長が成人男性ほどもあるのだ。
修羅場をくぐり抜けてきた人間だけが持つ研ぎ澄まされた気配を身に纏ったマリンダからは、周囲を押し込む様な威圧感が放たれていた。
「いやでも……今日は帝国の調査依頼が目的なのでは?」
疑問を呈しつつ少年が首を傾げた。
彼の名はルークという。
中性的な顔立ちをしたルークは訝しそうな顔でユリシアに問うた。
隣国『メフィス帝国』が北大陸に侵攻を開始したのが、10日前の話だ。
3人が住まう『ミストリア王国』と『メフィス帝国』は昔から折り合いが悪く、何かと対立することが多かった。
だが両国共に北大陸に侵攻の手を伸ばしたことはない。
理由としては単純明快。
侵攻によるメリットがあまりにも少ないからだ。
北大陸は寒冷地帯であり、お世辞にも肥沃な大地とは言い難い。
北大陸の国家は規模としては小さく、軍事力がそれほど強大な訳ではないが、それでもいざ戦争になれば、地の利は当然向こうにある。
付け加えるならば、装備や兵数こそ大したことは無いと言っても、厳しい大地で生きる北国の兵士達の練度は高い。
攻め込めば戦闘に特化した優秀な魔術師達が迎撃に赴いてくることは必至である。
つまり侵攻すれば無事では済まない上に侵略した際の見返りが少ないのだ。
しかも北大陸に攻め込んでいる間に、ミストリアにとってはメフィス、メフィスにとってはミストリアが攻めてこないとも限らない。
この条件ではわざわざ北大陸に労力を割こうとは早々思うまい。
侵攻するぐらいならば、友好関係を築き流通を図った方が遥かに良い政策である。
しかし。
帝国は北大陸への侵攻を開始した。
去年皇帝が代替わりしたことは大陸全土の知るところであるが、まさか一年足らずの内に北大陸へ攻め込むほどの方針転換をするなどとは他国にとっては予想外の事態だった。
その意図も不明。
国民に対しては大陸統一を目指すなどと声明を発したそうだが、果たしてどこまで本気なのかもわからない。
ミストリア王宮でも帝国に対してどのような対処をするかで日夜会議が行われている状況だった。
「ミストリア王国がいくら軍事を軽視しているとはいえ、隣りの国の話だからね~。軍部は軍部で情報収集をしてくれてるし……そっちはマリンダに任せるわ」
そう言ったのは今回の依頼主であり、ミストリア王国貴族における最高位――公爵家現当主たる女性、ユリシア=ファウグストスだった。
彼女は今日、優秀な魔術師であるマリンダとルークにそれぞれ依頼したい仕事があり、話し合いの場を設けたのだ。
その内の一つが不穏な動きを見せる帝国の調査依頼である。
そしてもう一つの依頼が。
「ルークにはうちの娘の護衛をお願いしたいの」
とのことだ。
それを聞いたルークは初め訝しげな表情を作っていた。
「帝国の方へ手を割かなくてもよろしいんですか?」
現在の状況を考えれば至極真っ当な意見である。
ユリシアの娘が危険だとは聞かされたとしても、帝国の調査は国家規模の危機的状況を招く可能性に対する重要な任務だ。
「なんだ、ルークはユリシアの娘の護衛は嫌か?」
「そういうわけじゃないけど……一応これって国家の危機に繋がるかもしれない話だし」
「馬鹿ねマリンダ。ママだけを帝国に行かせるのが心配なのよ」
ユリシアが楽しそうに言った。
その声色は茶目っ気に満ちている。
マリンダ=サザーランド、ルーク=サザーランド。
血の繋がりこそないが、彼らは立派な親子であった。
「は……っ!?」
ユリシアの言葉を聞いて、「なななっ、なにを!?」と動揺するルークを諭すようにマリンダがゆっくりと口を開いた。
「……まぁ聞けルーク」
ルークは頓狂な声を上げていたがマリンダは冷静なまま。
息子にはまだ、それほどの情報を開示していない。
状況を整理するためにも、マリンダは順序よく話していくことにした。
「ユリシアの娘が襲われたのは1週間前の話らしい」
鋭い瞳がルークを射抜く。
とりわけ真剣な表情になった母の言葉にルークも居住まいを正した。
そして今更ながらの疑問に思い至り彼は尋ねる。
「その……娘さんは無事だったんですか?」
「メフィル、っていう名前があるのよちゃんと。わたしがつけたんだから」
何故か誇らしげに胸を張るユリシア。
「あぁはい。それでその……」
「命に大事はないらしい」
「そうですか……」
母の言葉に安堵の息を漏らしたルークだったが、それは少しばかり早計だった。
「でも実はその時にお供につけてた従者が重傷を負っちゃってね。今も治療院で絶対安静。しかも近くにいた民間人も目の前で殺されちゃったし」
「……ぇ?」
ユリシアの口からさらりと紡がれた言葉の内容は中々に重い物だった。
少女の目の前で殺されてしまったのだろうか?
いや、それよりも。
「従者の方が重傷とのことですが……誘拐されなかったんですか?」
結局誘拐犯をどうやって迎撃したのだろうか。
それが気になりルークは尋ねたのだが、マリンダの答えは少しばかり予想外だった。
「返り討ちにしたそうだ」
「は?」
一瞬意味がわからずルークは首を傾げたが、
「ユリシアの血は伊達ではない、ということだ」
肩を竦めつつ横目でユリシアを見ながら話す母を見てルークも理解した。
「……なるほど」
つまりその誘拐犯は従者ではなく、メフィルに撃退された。
そういうことだろう。
血は伊達ではない。
見た目からは大凡想像することが難しいがユリシアは国内でも最高クラスの魔術師なのだ。その娘ともなれば実力は推して知るべし、ということだろう。
「うーん、でもあの子は魔術が上手に使える、ってだけで戦闘訓練を受けてるわけじゃないし、次も上手くいくとは限らない。というか今回は運がよかっただけよ。そもそもお付きの子は重傷なわけだし」
いつになく真面目な口調でユリシアは嘆くように言う。
彼女は更にこう続けた。
「犯人は既に捕まっているんだけど……彼には動機がなかったの」
「動機が……無い?」
それはどういうことだろうか、とルークは思った。
変質的な殺人だったとか?
「ええ。身辺は調査してみたのよ。彼は平民だったけれど金に不自由しているわけでもないし、ファウグストス家に恨みを抱くような出来事もない。優秀な魔術師であり結婚もしているわ。もうじき子供も生まれるそうよ……変な性癖があるとか、酒癖が悪いとか、そういう噂も一切無し。いわゆる順風満帆な人生ってやつね」
ファウグストス家は王国貴族最高の爵位たる公爵四家の一角だ。
その娘に手を出そうとすれば、それ相応の報いがある。
そんなことは誰にだって分かっている筈。
にもかかわらずファウグストス家の一人娘の誘拐などというハイリスクな行動に出た。
「なぜ? いや……そもそも犯人の供述は?」
「獄中で死亡。自殺……だそうだ」
マリンダは実に苦々しげな口調だった。
「だそう……というのは?」
「警備軍に引き取られた。それ以上の情報を開示するつもりがないらしい」
「それって……」
どう考えても怪しい。
国内警備軍の人間の多くは貴族達で構成されており、その内情は汚職にまみれているという。
「……なるほど」
このタイミング。
ルークは少し考えてみた。
帝国が北大陸に侵攻したのは10日前であり、ユリシア=ファウグストスはミストリア王国内においては、時に革新派とも呼ばれる事が在る程の軍拡を唱えている貴族、その筆頭だ。
近年軍縮傾向が国内に広がっているミストリア王国。
軍縮を支持する貴族が大勢を占める中、数少ない軍事拡大を望む勢力で最も強い力を持っているのがユリシアだ。
今回の帝国の動きをきっかけにユリシアが行動を起こすことによってミストリア王国の軍事拡大が進む可能性は大いにある。
というか革新派の立場からすれば、この機を逃す手はない。
つまり。
「……保守派貴族が裏で糸を引いている?」
貴族達が本気になって証拠隠滅を図れば、平民一人との関係を隠蔽することは簡単だろう。
そもそも獄中での自殺などという状況が既に怪しさ満点である。
革新派の勢いを削ぐためにはユリシアを黙らせるのが一番手っ取り早い。しかしユリシアに直接危害を加えるのは危険だ。
こう見えても彼女はミストリア王国を代表する魔術師の一人なのだから。
返り討ちに遭う可能性が高い以上はリスクが大きすぎる。
故に娘を狙った、ということだろうか。
ルークが自分の考えを話すと、マリンダとユリシアは黙考しつつも曖昧に頷いた。
「その可能性はあるな」
「……」
しかしルークの言葉に二人は黙り込んでしまう。
彼女達の表情はとてもではないが、ルークの言葉に賛同しているようには見えない。
「……違うんですか?」
意外そうに問う息子に対し。
マリンダは静かにティーカップに口をつけた後に、ゆっくりと唇を動かした。
「ミストリア王国は私が設置した防衛装置に守られている。あれが起動している限りは優秀な魔術師もただの人だ。国境はもちろんのこと重要拠点の全てが守られている以上……例え帝国が攻めてきたとして。こちらはそれほどの軍事力を配備しなくても撃退は容易だろう」
マリンダはそこで一度目を伏せる。
ルークは黙って彼女の話に耳を傾けていた。
優秀な防衛装置によってミストリア王国は平和が長いこと保持されている。
それの何がいけないのだろうか。
「だが……この状況は危険だ」
「危険?」
「自由や平和などというものは力なくしてはありえない」
マリンダの声色は真剣そのものだった。
「……王国の人間の危機意識が薄れている」
呟く母に対し、不安げにルークは尋ねる。
「何を危惧しているの?」
マリンダの言葉が途切れたタイミングでユリシアがルークに言った。
「確かにわたしは保守派の貴族達にとっては邪魔な存在でしょう。でも今は帝国が実際に北大陸に侵攻したのよ? 防衛装置は機能しているけれど……帝国がミストリア王国にも攻めてくる可能性だってもちろんある。にもかかわらず保守派貴族達はわたしに牙を向けるかしら? 下手したら自国が滅びてしまうかもしれないのに?」
ユリシアは軍縮傾向に真っ向から反論する筆頭貴族。
確かに軍縮を推し進める貴族からすれば邪魔者でしかないだろう。
しかしそれは平時の話だ。
いざ戦争に突入するような自体になった時に、彼女は貴族の中で最も頼りになる人間。
にもかかわらずユリシアを害そうとするだろうか。
「それって……」
ようよう二人の言わんとすることが理解出来た。
つまり。
現状怪しい動きがあり、ミストリア王国が弱体化することを望む勢力。
「メフィス帝国が糸を引いている?」
ルークの言葉に静かにマリンダが頷いた。
つまり二人はその可能性を考慮している。
「しかも保守派貴族達の中に裏切り者がいる可能性まである」
ユリシアをどうにかすれば革新派の動きは鈍くなる。
そうすれば当然軍拡は遅れるだろう。
そうでなくてもファウグストス家の威光は国内では大きいのだ。
ミストリア貴族社会にどんな変化が起きるかもわからない。
「何も証拠はないがな。実際に帝国が動き出すまでは、別に何かが起きていたわけでもない。例え帝国が裏で手を引いていようとも。楽観的に考えるならば、北大陸侵攻の邪魔をして欲しくないだけかもしれない」
まるでそうは思っていないだろう口調だ。
本音は次の言葉の中にあった。
「私がこの国全土に防衛装置を配備してから既に10年だ。10年の間に対策が講じられている可能性は十分にある。もしかしたら帝国にはミストリア王国に対する切り札でもあるのかもしれない。そうなれば……」
「近い将来、帝国が攻めて来ると?」
「……まだ分からんがな。それらの調査のためにユリシアが私達の元へ来たんだ」
サザーランド親子に同時に目を向けられ、ユリシアが真剣な表情で頷いた。
「マリンダには直接帝国へと赴いて、現地の調査をお願いするわ。そしてルークにはメフィルの護衛をお願いしたいの。もちろん娘を護って欲しい、という理由が一番大きいけれどもう一つ」
ルークは頷いた。
もしもメフィルを襲った人間達の裏に保守派貴族もしくは帝国の人間がいるのならば、
「犯人の背後関係の調査ならびに、有事の際にわたしの手伝いをお願いするわ」
「わかりました」
ルークが動く、とそういうことだ。
「この依頼受けてくれるかしら?」
ユリシアの言葉に親子は揃って頷いた。
「任せておけ。他人事ではないしな」
「そうだね」
穏やかな表情でルークはそう言った。
国家の一大事。
そして親友からの頼み事。
マリンダにもルークにも断る理由は無かった。
「そう、よかったわ」
ユリシアがほっとしたように言う。
彼女はそのまま自然な動作で足元に置いてあった袋を持ち上げた。
そして如何にも楽しそうな表情で袋の中から何かを取り出す。
「じゃあ……この服を着てくれるかしら?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべたユリシアがルークに向けて広げながら差し出したもの。
それは紺色と白色を基調とした給仕服だった。
生地がしっかりとしている。
裏地の縫い目も細やかで乱れが無い。
ひらひらとしたフリルが舞いながらも、全体的に可愛らしさよりも清楚さを引き立たせたような本格仕様であり、なるほどこれはオシャレと実用性を追求した逸品なんだな、とルークはぼんやりと思った。
そう。
それはメイド服。
「………………」
……へっ?
☆ ☆ ☆
「あっはっはっは!」
「うわぁ……やっぱり似合うわねぇ」
そこに涙まで流して笑っている女性がいるでしょう?
あの人僕の母親なんですよ。
「懐かしい格好だなルークっ」
そんな母の言葉に疑問の言葉を呈したのはユリシア様。
「懐かしい、って?」
うっ……嫌な記憶が……。
僕がそう思っているとマリンダがあっけらかんと言った。
「ん? あぁユリシアは知らないかもしれんがな。ほら私達は一時王宮で暮らしてた時期があっただろう? あの時も姫様の護衛兼執事としてルークをつけてたんだが、時々姫様の遊びの一貫でこうやって女装させられてだな。メイドをやってたわけだ」
「そうなの? 道理で様になってるはずだわ」
如何にも楽しそうな表情で「なっ?」と、同意を促そうとしてくる母が鬱陶しいです。
「もう~~っ!!」
好き勝手言って!
「どうしたのルノワール? どこか身体の調子悪いかしら? わたしが作った薬に不備があった?」
僕を思いやるような口調のユリシア様。
でも、表情は正直だった。
その顔は笑いをこらえているようにしか見えない。
「薬に不備はないけど状況に不備はありますね!」
「もう、さっき説明したじゃない」
☆ ☆ ☆
「女の子になれ!?」
「だから若い男の子が苦手になっちゃったのよ」
なんでもメフィルお嬢様を襲った人間はまだ20歳の男性だったそうだ。
そんな彼が目の前で従者の女性に重傷を負わせ、更には近くにいた一般人を惨殺。
凶悪な犯行だったらしく、メフィルお嬢様はその時の光景でショックを受け、若い男性に対し過剰な恐怖心を抱くようになってしまった。
「この国は基本的には平和だからな……少女が見るにはきつい光景だったんだろう」
マリンダがしんみりと言った。
「で、でもそれならば共学の学院ではなく、女学院に入学したほうがよいのでは?」
「どちらにせよ護衛はお願いするから、ルークは女の子よ? それにせっかく国一番の学院に入学出来るのを見送るなんて、あの子が嫌がるだろうしね。男性恐怖症って言っても本人は強がってるし」
いや、「女の子よ?」、って意味はわかんないんですけど……。
「……」
う、ううん……。
なるほど確かにメフィルお嬢様のことを考えれば、男の格好のままで護衛を務めることは難しそうだ。
というよりも彼女にとって耐え難い負担を強いることになるだろう。
「で、でもそれって女装をしろ、ってことですか?」
正直不可能、だとまでは思わない自分がいる。
自慢ではないけど、女装に関してはちょっとした経験があるため、案外すんなりと順応出来る可能性もある。
本当に自慢ではないけど。
いやこれホント自慢じゃないよ、むしろ恥でしかないよ。
僕がそう言うと。
「うふふっ」
ユリシア様が笑った。
とても妖艶な顔で、楽しそうに。
(なんていい笑顔なんだろうか……)
嫌な予感しかしない。
「これを見て欲しいんだけど」
そう言いつつ取り出したのは一つの瓶だ。
中には何やら錠剤が入っている。
「これは?」
僕が聞くと、それに答えるようにユリシア様が一粒を飲み込んだ。
(一体なんだろう?)
しかし待つこと数秒。
変化はすぐに訪れた。
「なっ……」
「ほぉ」
絶句する僕と感心するマリンダ。
そして変化していくユリシア様。
薬を飲んだユリシア様の肉体が少しずつ変化していく。
まるで体内から肉体の構成をやり直すかの如き肉の動き。
ぐねぐねと体が変化していく様は正直少しだけ気味が悪かった。
けれどすぐにわかった。
一体何が起きているのか。
「さすがだな、すごいじゃないか」
「……」
マリンダは称賛したが僕は絶句したままだった。
「でしょう?」
得意げな顔でふんぞり返るユリシア様。
しかし元の彼女の可憐な面影は欠片も無い。
その姿はどこからどう見ても男性にしか見えなかった。
「まぁもうわかったと思うけどこの薬は性別を変化させる魔法薬」
しかも声まで太くたくましくなっている!
(うぅ、僕よりも格好いい声だ……)
「だったらよかったんだけど、ね」
だけどすぐさまユリシア様の先ほどまでの笑みは崩れ、がっかりしたような表情になった。
(……?)
何か問題があるのだろうか?
僕の見る限りユリシア様は完全に男性のように見えるけれど……。
「ふむ、ユリシア」
顎を撫でながらマリンダがユリシア様に問いかけた。
「性器はどうなっている?」
その言葉を聞いた直後。
「それよっ!」
マリンダの問いに対して、「そこなのよっ!」とテーブルを叩くユリシア様の顔は悔しげだった。
「……未完成ということか?」
「残念ながら、ね」
え?
え? どういうこと?
どう見ても男性にしか見えないユリシア様。
しかし彼女(彼?)は未完成だと言っている。
「つまるところ、その薬は肉体的特徴を異性に限りなく近づける代物、というところか」
「そう。完全な性別変換はまだまだ難しそうなのよね」
二人で頷き合っている。
「あの、それってどういう?」
たまりかねて僕が聞くと、ユリシア様が答えた。
「この薬は性別変換を目的に作っていたんだけどね。どうしても性器がね。障害になっちゃうのよね」
「は、はぁ」
「要するに今のわたしは見た目男性だけど……マリンダを相手に子作りは出来ない、ってわけ。生殖器の完全な交換は難しくてねー。そこは男女でも全く作りが違うから」
「あ、あぁ」
な、なるほどね!
そういうことね!
「だが面白い薬だな」
「でしょ?」
盛り上がっている二人。
というかユリシア様は男になりたいのだろうか?
素朴な疑問が沸き上がり、僕が尋ねると彼女は不思議そうな表情で言った。
「ん? 別にそういうわけじゃないけど」
「えっ、ではどうして?」
「いや……面白そうだから」
そ、そうですか。
(う、うーん……)
なんというかマリンダもユリシア様も真面目な時はとても格好いいんだけど、普段の彼女たちはなんというかあれだなぁ、掴み所がないよね。
「そ、それでその薬を使って女性になり、護衛をして欲しいと?」
僕が確認をするように尋ねると、ユリシア様は我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。
「そそ」
「どうしてメイド服を……?」
「いやだってメイドさんの格好をしていればいつも傍にいてもおかしくないでしょ? あの子一応公爵家の一人娘だし。わたしの家で暮らすにあたって、使用人という形にしたいと思ってるのよ」
な、なるほど。
確かに筋は通っている。
(う、ううん……)
でも本当にそれだけですか?
面白そうだから、とかそういうこと考えてないですか?
「来月からその、メフィルお嬢様は学院に通われるんですよね?」
「ミストリア王立学院はいいとこよ。私達の母校でもあるし」
「あぁ懐かしいな」
「そういえば卒業式の日――」
なんかしみじみと語り始めた。
(あぁっこれは長くなりそう!)
そう思いすぐさま僕は話を戻した。
「その話はまた今度で! そ、そうだ! 学院にも僕はついていくんですか?」
「もちろんよ」
「こ、この格好で、ですか!?」
「そんなわけないじゃない。学院用の制服もちゃんと用意するから大丈夫。あなたの入学手続きは既に終わっているわ」
そ、そうなのか。
(って)
「……えっ?」
えっ、いやいやいつの間に!?
おかしくないかな?
だって僕まだ了承してない時ですよねそれ?
あ、それと!
「効果時間! 効果時間はどうなんですか!?」
これだけは絶対に確認せねばなるまい。
メイド服を着たまま男の姿に戻ったら大問題だと思うなぁ!
「あぁこれ? 見てて見てて」
言うなりユリシア様が瞳を閉じ、何やら体内の魔力操作を始めた。
すると見る見るうちに元の姿に戻っていくではないか。
えっと、これはどういう?
「この薬は対象者の体内の魔力を使ってるんだけどね。戻そうと思えばいつでも戻せるし、戻そうと思わなければいつまでもそのままよ。本人の魔力が尽きない限りだけど」
「……そんなに簡単に制御出来るんですか?」
思わず単なる好奇心で尋ねる。
「いや結構難しいけど……多分マリンダやルークだったら1時間もあればマスター出来ると思うわ。だからとりあえず……はいっ」
「んぐっ」
口の中に錠剤が一粒放り込まれる。
反抗しようと思えば出来たが、正直な話を言わせてもらえば性別変換という魔法に大いなる興味があった。
「お、おぉ?」
そして――。
☆ ☆ ☆
「その、ルノワール、っていうのは……」
「あなたの名前よ! あなたは今日からルノワール! うぅ~ん、可愛いわ! 名付け親はわたしよ!」
まぁ女装する以上偽名は必要だろうけど。
うぅ……ユリシア様のテンションがめちゃくちゃ高い……。
「ほらルーク。鏡だ鏡」
「うっ……」
そこに映っていたのは確かに女性だった。
全体的に丸みを帯び、筋肉は残しつつも細くしなやかに伸びた手足。
身長は変わっていないが元々それほど長身だったわけではない。170センチほどであれば女性としても多少背が高いくらいだろう、つまり違和感がない。
黒髪は腰辺りまでまっすぐに降りてきており、心なしか艶が増したような気もする。
ただ。
「だけどユリシア様の時と違ってあんまり顔は変わってないですね」
「そりゃ元々女顔だったからな。そもそもルークはそんな薬使わなくても立派に女装出来てたんだから。薬のおかげで完璧じゃないか」
「…………」
グウの音も出ない……。
「というか今更ですけど……その、女のフリをしながらの護衛ってどうなんですか? メフィルお嬢様に対して失礼というか騙してる気がするというか」
僕はほらっ! 男ですし!?
「まぁしょうがないな」
「しょうがないわね」
「えぇ~……」
……軽いなぁ。
「なんだルーク……じゃなくてルノワールだったか。ユリシアの娘に手を出すつもりなのか、ん?」
えっ!?
「へっ? あぁいやそういう意味じゃ!」
手をわたわたと動かしながら否定するも、何故かユリシア様は喜色満面になった。
「いいわよ~。合意の上なら全然問題無し! 別にあの子を政治の道具にするつもりないし」
「はっ!?」
「正直ルークだったらわたしとしても嬉しいなぁ~。どうどう?」
「いやそれは……ってまたからかってますね!?」
そのニヤニヤとした笑みをやめてください!
「はぁもう~」
つ、疲れる……。
「いやでも実際にこれ大事な任務だし……正直わたしが信頼している人ってあんまり戦闘力高い人いないから、頼りに出来るのってマリンダとルーク、じゃなくてルノワールぐらいなのよ」
だからお願いっ! と頭を下げるユリシア様。
「ええと……」
いやなんというか……もう。
ユリシア様は僕とマリンダにとっては数少ない、そしてかけがえのない友人である。
彼女には恩もある。
大切にしたいとも思っている。
だから。
こんなふうに頼まれると断ることなんか出来ない。
溜息と共に僕は言った。
「ふぅ……しょうがないですね」
「あっ、戻れるかどうか試してみる?」
「いや急に話が飛びましたね……いいですけど」
相変わらずマイペースな親友の様子に苦笑を洩らしつつ、ゆっくりと目を閉じる。
体内で魔法薬の効果が自分の魔力を使って生み出されているのを確かに感じた。
自分の支配とは別で発動している術式が体内にあるようなものであり、その違和感は決して小さくはない。
そしてその術式に魔力が消費されているのも感じる。
しかしその消費量は決して多いわけではなかった。
ようするにこの術式に吸われている魔力をカットすればいいということだろう。
「う~ん……」
む、何か突発的な事故で解除されないように、術式の中に弁がある。
おそらく魔力が完全に尽きない限り、気を失ったとしても性別変換が解除されることがないようになっているのだと思う。
なるほど、確かにこの術式ならば自分の意志で魔力を意図的に制御しないかぎり、性別変換が解かれることはないだろう。
それを故意に、術式を破壊しないように慎重に解除する……。
うーん。
こうかな?
「おっ」
身体に変化が起きる。
突然血液が熱を帯び、肉体変化に伴う壮絶な違和感と若干の痛みが全身を襲った。
だがそれもすぐに終わり――、
「ふぅ」
鏡を見ると元の姿に無事に戻っていた。
ほっとしつつマリンダとユリシア様を見ると、何やら呆れた様子のマリンダと拗ねたようなユリシア様。
というか何故かいじけてる?
「あの?」
えっと、何か悪いことしたかな僕。
「こんなに簡単に制御出来るとは思ってなかったんだと」
やれやれ、といった様子でマリンダが言う。
「ぐぬぬ……困りながら慌てるルークをわたしが優しく導いてあげようと思ってたのにぃ」
「あ、あはは」
子供か、この人は!
「そもそも薬を作ったわたしですら最初に戻る時には一時間ぐらいかかったのに……はぁ~あ」
「そう拗ねるな。魔力による干渉と制御はルークの十八番だからな。こういうのは得意なんだよ」
マリンダがよしよし、とユリシア様の頭を撫でている。
そこで僕はふと気づいたことを言ってみた。
「あの、この魔法薬って発動する時だけかなりの魔力を消費しますよね?」
そう、男に戻る時はそうでもなかったが、最初に女性化したときはかなりの魔力を持って行かれたように感じた。
発動してからの消費量は微々たるものだが、発動時には莫大な魔力が必要となっている。
あれでは万人が使うことは出来ないのでは?
「うんそうよ。そのへんも改良の余地あり、ってとこかな。今のとこ被験者はわたしとルークだけだし」
「えっ」
「まぁまだ未完成の代物を、ウチのメイドとかに試すのも可哀想だしね。それに多分今の段階じゃ相当な魔力容量を持った人じゃないとそもそも発動しないからねぇ」
僕ならいいんですか、ユリシア様。
「ルークとマリンダは丈夫だから」
そう言って笑うユリシア様の顔は無邪気でとても美しいのだけど。
(あの~……)
今……結構ひどいこと言ってますからね?
☆ ☆ ☆
こうして僕はユリシア=ファウグストスの一人娘であるメフィル=ファウグストスお嬢様の護衛を務めることになった。
翌日にはマリンダは帝国へと旅立ち、僕とユリシア様は二人で王都へと向かった。
馬車に揺られること4日の行程だ。
大陸一美しいと吟遊詩人が歌う街。
芸術の都と呼ばれる王都『アゲハ』。
1年ぶりの王都で、僕の新しい生活が始まる――。
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