第21話 仲間
アグレイは色濃い焦燥を面に浮かべる。
三方からの喰禍の流れは十字路に入って合流し大河となっていた。物理的圧迫を肌に感じた二人は、足裏を擦るようにじりじりと後退する。
そのまま二人は黒い奔流に飲まれてしまうかに思われたが、後背から騒々しい足音が響いて援軍の存在を知らしめる。
「やあ、二人とも。まだ無事だったか」
「わたくし達もご一緒しますわ」
「ユーヴ、リュー。お前らまで……」
アグレイは不甲斐なさそうに唇を噛んだ。誰にも秘密にしておくはずだったのに、結局キク、ユーヴ、リューシュに助けられている。アグレイは己の無力を責めた。
「リュー、来てくれたんだね。ありがとう」
「ええ。当然ですわ」
「僕もいるけどね」
ユーヴは苦笑を収めると、まだ苦い表情をしているアグレイに向き直った。自称詩人は、年少者を窘めるため心持ち胸を反らした。
「それにしても、アグレイ君。僕達を除け者にするとは、他人行儀に過ぎるんでないかい」
「そうですわ。わたくし達は、同じ釜の飯を食った仲間じゃありませんこと」
「だが、これは俺の問題だ。本当なら俺一人で解決すべきなんだ」
「事ここに至った時点で、君だけの問題ではないのだよ。人々の命数に関わることならば、みんなで協力するのが道理だろう」
「全てを一人で背負いこもうと欲するのは責任や覚悟ではなく、過信と呼びますの。履き違えてしまっては、身の破滅を招くだけでなく、他者まで不幸にしてしまいますのよ」
アグレイは俯いていたが、顔を上げたときには友人の意見を消化した理解が瞳に宿っていた。以前はどこか頑迷であったアグレイも、いつしか進歩しているようだった。
「分かった。お前らに少し甘えてみようか。……早速だが、あの喰禍どもを始末するには、どうしたらいいんだ」
アグレイが顎で示す先には、波濤のように押し寄せる喰禍の大群があった。一行が悠然と会話している最中も喰禍は前進を続け、すでに指呼の間にまで詰め寄られている。それを知っていつつ余裕があるのが、如何にもこの四人らしい。
「うむ。僕に考えがある。まず君達で時間稼ぎをしてほしい」
「分かった。ユーヴに任せよう。じゃ、やるぞ」
彼らは喰禍に相対する。
「では敏捷の詩、守護の詩、それと攻撃力を増強する強力の詩だ。頑張ってくれたまえ。あ、リューシュ君はこっちで僕と一緒に……」
「あんた、リューに変なことする気じゃないでしょうね」
「ははは、僕も時と場合を弁えているさ」
リューシュの手を引いて遠ざかるユーヴは、キクの荒々しい声を受け流して建物の陰に隠れた。キクはその後ろ姿から鋭角的な視線をひっぺがして、それを喰禍に突き刺した。
「キク、行くぞ」
「望むところよ」
アグレイとキクは、恐れることなく喰禍の群れに突入していった。ユーヴによって能力を底上げされた二人には、岩魔など障害にもならない。接触した瞬間、岩魔の破片が宙に飛び散り、アグレイとキクは敵陣の深くまで踏み入っている。
物陰に身を潜めたユーヴは口早に説明を始めた。
「リューシュ君。済まないが、僕を狙う敵は君に任せるよ。何せ、僕はこれから無防備になってしまうからね」
「……分かりましたわ」
ユーヴが万年筆をとりだして手早く文章を書き始めた。手前の空間が文字式で埋まると走り出す。ユーヴが走りながら文字を書き殴り、リューシュはそれに従った。
「どりゃあ!」
アグレイの強化した右手が翻る度に、岩魔の死を具現化した灰が飛び散る。岩魔では相手にもならず、さすがに恐れをなしたのか見えざる壁があるように、アグレイとキクを中心にした空白ができた。
アグレイとキクが背中合わせになった四方を喰禍が囲んで黒い生垣を構成している。業を煮やしたように、その壁を割って舞台上に二体の蟲騎士が邪魔者の討伐に推参した。イフリヤを含む〈曇天区〉では主力の喰禍が、能力向上をもたらす黒衣を帯びて立ち塞がる。
「油断するなよ、キク。こいつら、俺でも手に余る相手だ。それが強くなっているとしたら、相当のもんだぞ」
「何言ってんのよ。私達とあいつらじゃ同じ数でも、質が違うわ。分かるでしょ」
「あ、いや。どういうことだ? って、おっと」
蟲騎士の刃がアグレイの喉元を捉える間際に上体を反らしたアグレイが命を繋ぎ止める。キクは蟲騎士の剣を潜り抜けるが、攻勢に出られるほど彼我の俊敏性に差はなかった。
二人は離れて蟲騎士の攻撃を躱し続け、キクが押し殺した声でアグレイに呼びかけたのは、再び接近した頃合いを見計らってのことである。
「アグレイ、しゃがんで!」
咄嗟に応じたアグレイの両肩に両手を置いたキクが、倒立した体勢で身体の捻じれを利用した一回転の蹴りを放ち、蟲騎士二体の剣を同時に弾いた。
「アグレイ、立って!」
はい、とアグレイは従順に実行する。
より高さを増したキクの脚が再度円を描き、蟲騎士の剣に金属質の悲鳴を上げさせる。二体の蟲騎士は体勢を崩して致命的な隙を曝け出した。
「そういうことか」
アグレイは叫ぶとキクの身体を蟲騎士に投げつけ、自身はもう片方に詰め寄った。投擲されたキクは、その勢いを殺さずに遠心力を加えた回し蹴りで蟲騎士の胴を断ち切った。アグレイは猛禽のような鋭さで蟲騎士の横を滑り抜け、掌でその横腹を抉りとっている。蟲騎士はその死に様を紗幕のような漆黒の灰で彩った。
アグレイとキクは喰禍との力量差を見せつけたものの、その体力が無尽蔵に存在するわけではない。両者とも、額に玉の汗を浮かべていた。
「これじゃ、切りがないじゃない」
「ユーヴ、俺達だっていつまでも待ってるわけにはいかねえぞ……!」
アグレイに名を呼ばれた男は、膝に手を当てて乱れた呼吸を整えているところだった。
「何をなさっているんですの。早く走って下さいな」
「わ、分かっているがね……リューシュ君、近頃の、運動不足が、堪えて」
ユーヴが長大な文章を練り上げている間、リューシュがそれを援護していた。
喰禍の大群を巨大な円で囲むように移動し、それが四分の三ほどまで完了したとき喰禍に発見されたのだ。二人の行動に作為を感じた敵は、逸早く彼らを排除しようと身を乗り出していた。
ユーヴは冗長な文章に専念しなければならず、殺到してくる喰禍の処理はリューシュが担当している。アグレイとキクに戦力が集中しないのは、ひとえに彼女の功績であった。
リューシュが弦を張ると、番えることなく虚空から矢が出現する。通常と異なり、その矢は茨のような鋭利な破片がついている。リューシュが引き金を爪弾くと、射出された矢は唸りを上げて地面に着弾し、爆心地から放射線状に茨の破片が飛び散った。直撃を受けなかった喰禍も、その破片に薙ぎ倒される。
「リューシュ君は、その優雅な容貌と裏腹に、何てえか厳つい攻めをするよなあ」
「まあ、ユーヴ。誉め言葉は置いといて、走ってもらえますこと?」
首を幾度も縦に動かして、ユーヴはのろのろと足を動かした。しかし、手はその何倍もの速度で文字列を紡いでいる。やっとユーヴは喰禍を一周して元の場所に戻ってきた。彼は最初に書いた文字に辿り着くと同時に朗々と、そして酸素不足による白い顔で言った。
「対象は、範囲内の喰禍全て。効果は、大打撃。これぞ、無謬の空の詩。そりゃ」
ユーヴの万年筆が終止符を打ったとき、円環状の文字式が中心に向けて急速に収束した。狭まりながら光度を増す光の帯が、接触した喰禍を撃滅していく。それが中心部に到達し、微小な球体と化した直後、光のつぶてとなって消え去った。
嵐のような黒き微粒子の乱舞が、一行を襲った。
「わッ。なんだ、こりゃあ?」
正体不明の光が近づいてくると、乱戦の真っただなかで、アグレイはキクを庇うように抱き寄せた。だが、光は大袈裟に騒ぐアグレイを無視して、喰禍のみを掃討していく。世界に黒い幕が下りたような暗黒の視界が過ぎ去ってみれば、それまで視野を埋め尽くしていた喰禍の姿は無く、開けた空間が残っているだけだった。
「ちょっと!」
キクに突き離されても、アグレイは困惑を拭いきれない。キクも、アグレイの胸に抱かれていた数秒の間に風景が一変していることに声を失った。
「だぁーはっはっはっは! どうかね、この僕の力は? 今までひしめき合っていた喰禍どもが、嘘のように消えているではないか。何これ魔法? 否、この僕の成せる業よ!」
ユーヴが誇示するかの如く声高に寄ってくる。リューシュは静かな微笑を携えて、自らの功を主張するなどという真似はしなかった。
「二人とも、ご無事でなによりですわ」
「ああ、済まねえな」
「うん、ありがとう。リュー」
「何で、僕には労いの言葉がないのかね」
釈然としないユーヴの側で、まだ蠢く影があった。他にも、数体の喰禍が息を吹き返している。それらは全部が蟲騎士だった。
「何だ、まだ残ってるじゃねえか」
「うん。この技は雑魚にしか効かないんだ。後はよろしく」
「だから、お前は詰めが甘いんだよ」
絶句するユーヴの前で、三人が蟲騎士を全滅させたのは、その数十秒後だった。
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