ゴシック&ロリータ勇者の素敵な日々

ひるのあかり

第1章

第1話 不死ですが、何か?

(今日はどうするかな)


 連日の雨が嘘のような良い天気だった。

 レン・ジロードは澄んだ空気の中、筋骨たくましい四肢を伸ばした。

 身の丈が2メートル近く、均整のとれた体付きのため、遠目には巨漢という感じはしないが近くで並べば、そのしなやかな筋肉の隆起に圧倒される。良く日焼けした肌に、短い黒髪、黒い瞳という北方に多い風貌をしている。

 流れ者だった。

 いつ頃から住み着いたのか、はっきりしたことは分からないが、村人に意識されるようになって3年が経っていた。

 よく眠たげな顔をして、ぼんやりと空など見上げている姿が目撃される。

 右眼は眉から頬に抜ける刃物傷に割られて白く濁っているが、粗暴さは感じられず、穏やかな人柄で滅多に声を荒げる事も無い。

 自然と、村人に受け入れられていた。

 山の中腹に、村の木こりが建てた炭焼き小屋がある。その近くを登った先、山頂付近に小さな小屋を建てて住んでいた。

 村に下りて来た時は、村に一軒だけある食堂に泊まる。

 食堂の2階が行商人向けの宿になっていた。

 

「ジロードか、ずいぶん早いな」


 声を掛けてきたのは、食堂の主人、デーンだった。小柄ながら横幅のあるがっちりとした体格の男で、見かけによらず繊細に味の調った料理を作る。日の出前だというのに仕込みを始めていた。


「いや、なんか眼が覚めてね」


 レンは頭をいた。

 歳は、30まではいってない、20代後半といったところだろう。いわゆる魔災孤児で、自分でも実年齢が分かって無いので、歳を訊かれたら27歳だと答えるようにしている。


「あんたが卸してくれた翡翠ひすい魚なんだが、もうちょっと獲れるかい?」


 翡翠魚とは渓魚で、凍えるくらいに冷え切った水深のある清水に生息する、エメラルドグリーンの背をした美しい魚であった。この辺りだと、山上にある湖にしかいない。


「そうだな」


 レンは空を見上げた。翡翠魚は快晴になると深い水底に沈んで姿を見せない。悪天候、特に滝のような大雨が降る時などに、水面近くで戯れるように泳ぐので、雨魚とも呼ばれていた。


「2日・・3日後なら何尾か獲れそうだな」


「おお、それなら3尾ほど頼んで良いかい?」


「ジタの実も頼まれてるし、ついでに引き受けるか」


「いつも、すまねぇな」


「早起きついでだ。このまま行くよ。昨日頼んだ洗濯物、そのまま置いといてくれ」


「うちのに言っとくよ」


 主人の声を背に、レンはまだ人気の無い村の小道をぶらぶら歩いて行った。

 肌寒い澄んだ空気の中を、袖無しの胴衣にズボン、半長靴という格好でぶらぶらと歩いて門まで行くと、門番をやっている若者が机に突っ伏すようにして眠っていた。門と言っても、丸木の柵でぐるりと囲んだだけの村だ。よじ登ればどこからでも出入りは出来る。

 苦笑しつつ、机をこんこんと叩いて起こす。


「あっ・・と、ジロードさん」


「仕事頼まれたんで、ちょっと山に入ってくる」


 机に置かれた帳簿に名前を書き込みながら、ふと先に書いてある名前に眼を留めた。


「タルトの奴、とうとう出て行ったのか?」


 冒険者になって荒稼ぎするんだと鼻息が荒かった若者だ。


「麓の町に冒険者協会が出張してきたって聴いて、その日のうちに飛び出して行ったよ」


「無茶しなけりゃ良いけどな」


 帰りの予定日を4日後の日付にして、レンは門を出て朝露に濡れた山路へ入った。


 魔災というものがある。文字通りに、魔物による災害のことだ。それで親を失えば、魔災孤児が出来上がる。

 レン・ジロードはその魔災孤児だった。ジロードというのは文字が読めるようになったときにジロロードをくっつけた造語で、何となく似合っている気がして名字のように名乗っている。何しろ3歳くらいで親を亡くしたので、自分がどこの誰だかあまり覚えていない。

 魔物がどうとか考えている余裕も無く、似たような境遇の連中とつるんだり、一匹狼を気取ったりしながら生き延びて、気がつくとちゃんと稼いで食えるようになっていた。


(なんだっけな?)


 取り出した備忘録に、村で頼まれた"り物"が書き留めてある。


・ジタの実、割れてない青い実

・エトー草の根、紫色が出てないもの

・ガンジンの茸虫、できれば雄

・リーリントの筍、若芽

・鬼面蜘蛛の古糸

・翡翠魚


(ふうん)


 ぼんやりと頭の中で採れる場所を思い浮かべて、山路から草木を別けるように路を外れる。何しろ住んでいる山だ。歩いて回れる範囲に何が居て、何があるのか、ほぼ把握できていた。迷うことも無い。


(そろそろ良い塩梅かねぇ)


 山の小屋では、醤油と味噌を造っていた。昔、旅の仲間に教えて貰ったものを、自分なりに再現した調味料である。材料は違うらしいのだが、味や風味はかなりの再現度だと断言できる。今は、さけこうじの育成に腐心していた。


(お?)


 珍しいこともある。獣道すらない斜面の山肌に、踏み跡があった。わずかに下草が折れ曲がり、何枚かの落ち葉が割れている。

 麓の町へ向かう方向とは逆だ。タルトでは無いだろう。


(村の人じゃないな)


 近隣の猟師が足を伸ばしたのかもしれない。

 ちょうど向かう方向が一緒だから途中で出会うかも知れないと思いつつ、レンは地面に這いつくばるようにして、湿った倒木の影に生えたきのこの傘を覗き込んだ。


(居た)


 平たく黒い甲虫が茸の傘裏にしがみついている。ガンジンの茸虫の雄だった。


(ついてるな)


 用意の小瓶に摘まんだ茸虫を入れてベルトポーチへ収めつつ、別の茸を覗いて行く。

 途中、湧き水が作った小川を渡り、朽ちた大樹のある広場に立ち寄って鬼面蜘蛛の巣から古く乾いた糸を採る。山の稜線へ続く獣道で、麝香じゃこう鹿の糞を見付けて糞の中から未消化のジタの実を採り、斜面に繁った笹を掻き分けてリーリント筍の若芽を摘む。

 山頂に近い、自分の山小屋に着く頃には翡翠魚以外の依頼物は採り終えていた。

 軽く鼻歌を吟じつつ、レンは北の斜面へ向かった。

 南側を巡ると魔物が多い。北にある絶壁を登れば、ほぼ魔物に遭わずに山小屋に辿り着ける。


(会わんかったな?)


 先行者らしき足跡は時々見かけたが、結局、姿を見ることは無かった。

 ほぼ垂直の岸壁の前で、レンは空の様子を確かめた。


(明日の夜・・明後日の朝には降るな)


 雨が降らないと翡翠魚は獲れない。これなら、デーンに頼まれた翡翠魚も数が揃いそうだ。

 安堵しつつ、さあ登ろうかと崖上がけうえへと視線を戻した時、


(は?)


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」


 はるかな崖上から、ほぼ垂直に絶叫をあげながら人が降ってきた。

 手足をばたつかせて口を全開に拡げて叫んでいる。

 ざっと300メートル近い高さの岩壁だ。かなりの時間、自由落下をたのしんだことだろう。眼と鼻と口から液体が糸を引いて伸びているのが見えた。


(女・・子供か)


 女の歳はよく分からないが、まあ十代前半だろう。

 レンは少し足場を移動して落下場所を空けた。

 土を被っているが足下も岩である。何とも言えない柔らかさと重さの交わった湿った衝突音が鳴って、色々と飛び散った。


「ぅおっ・・汚ぇなっ!」


 文句を言いながらレンは跳び退って飛沫を回避した。

 巨躯に見合わぬ身軽さである。


「あぁ~あ・・どうすんだ、これ?」


 大変な惨状がそこにあった。

 人の体というのは水袋みたいなものだ。つまり、そういう事になっていた。

 あまり見かけない、黒い絹のような光沢のあるドレス調の衣服で、幾重にもヒダのあるスカート部分には、同じく黒く透けるようなレース地が縁、縁を飾っている。その細く絞れた腰回りも、ほっそりとした筒袖も、黒いレース地の長手袋も、内から噴出した真っ赤な液体を水芸のように細く高く噴射している。


魔犬ヘルハウンドが寄るじゃないか。勘弁してくれ・・」


 レンは力なく首を振りながら嘆息した。

 明日以降に降って来そうな雨に期待するしかないだろう。


「・・さて」


 気を取り直して崖上を振り仰ぐ。


「ちょっと、待ったぁーーーー!」


 いきなりの大声に辺りの空気が揺れた。


「ぅおっ!?」


 レンはぎょっと眼を見開いて振り返った。

 そこに、黒衣の少女が立っていた。両手を腰に当てて何だか勇ましい顔付きで胸を張っている。紅い瞳がぎらぎらとして妙な迫力である。

 それが、先ほど落ちてきて飛び散ったアレだと気づくまで時間がかかった。


「・・何で生きてんだ?」


 素直な疑問が口をついた。

 途端、ニヤリと少女が口元を歪めた。


「くふふ・・聴きたいかね?」


 何やら籠もった笑い声をたてながら俯く。


「まあ良い。気をつけて帰れ」


 レンは面倒になったので、無視して崖を登り始めた。


「待ってぇぇぇぇーーー!」


 声を張り上げながら銀髪を振り乱した少女が背後から飛びついてきた。

 レンの振り向きざまの拳がカウンター気味に少女の顔面に炸裂した。むろん、加減はしている。加減はしていたのだが、お互いに勢いがついていたのが不幸だった。


「あ・・」


 柘榴ザクロが割れたようなことになった。頭部がそのまま、真後ろに反って折れ曲がり、少女の華奢きゃしゃな体が地面に叩きつけられはずむ。


「ちゃぁ・・」


 やってしまった。よりによって、年端もいかない少女を殴り殺してしまった。

 レンは苦虫を噛み潰したような表情で元少女だった死骸を眺めた。

 

「げぇ・・!?」


 レンの眼が驚きに見開かれた。

 視線の先で、ぐちゃぐちゃに粉砕されていたアレが、みるみる復元されて生前の少女の姿へと戻ってゆく。

 

「化け物か?」


 レンは困った顔で少女を見ていた。


「お・・乙女の顔を何と心得るかぁっ!」


 少女がレンに向けて突きつけるように指を突き出して苦情の声をあげた。

 まあ、もっともである。


「どこの子だ?」


「いやいや・・お兄さん、ここでそれは無いでしょ?無いわよね?こんな可憐な娘さんをぶん殴っておいて、どこの子とか無いんじゃない?」


「まあ、どこの子でも良いか。山に魔獣モンスターが増えてくる季節だ。気をつけて帰れよ」


 レンはくるりと向きを変えて崖に取り付いた。


「ちょ、ちょと・・だから、待って?ねぇ?ちょっとで良いから話を聴いてクダサイ?」


「む?」


 後ろから近づく気配に、レンは振り返った。


「はいっ、触ってませんよぉ~、これ以上、近寄りませんよぉ~」


 少女が作り笑い全開でひらひらと手を振って見せる。

 レンはまじまじと少女の顔を眺めた。

 対する少女も、懸命の愛想笑いで対抗する。

 

「おまえ、いくつだ?」


「へ?・・この流れで、それでありんすか?」


 少女が呆然とした顔で眼と口を開いた。


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