その十五

 マリアはドウエル園の屋上に寝そべると、自動光学補正機能付きの照準器に右目に当てた。

 レインタウンの端にあるドウエル園からは、クリアタウンにある建物の日当たりの良い窓側であればだいたいが観測可能な距離にあるから、実に都合が良い。

 まず低倍率でサトルから指定された建物を探し、倍率を上げて目標物に照準を合わせてゆく。

 照準の中央部に標的を固定すると、光学計測された目標物までの距離が視界の右上に表示されるが、センチ以下の単位で数字が変動するのが鬱陶しいので、ざっと見たら設定を外す。

 狙いが概ね確認できたら、照準器のふたを閉じてその場で待機。いつもの通りに仰向けになって、風の動きを見る。

 今日は右から左に暖かい空気の流れがあるので、その影響を考えて照準を僅かに右方向に補正したほうが良いかもしれない。

 そんなことを考えながら息を、吐くほうを長めに、吸うほうを短くする。

 これは照準を除いているときと同じ呼吸法である。荒っぽくならないように注意する。

 ひきがねは常に吐く息だ。


 そして、サトルの合図を待つ。


 レシーバーから彼と交渉相手とのやりとりが聴こえており、マリアはその声に、いつもの事務的なもの以外の感情が含まれていることに気がついた。

 ――兄様、楽しんでいる。

 普段のサトルは仕事に感情を左右されることはない。相手が知り合いであっても事務的に対応して、事務的に排除する。

 しかし、今はかなりリラックスした声だ。

 こういう時のサトルのほうが強いことをマリアは熟知していたので、仕事のほうは心配していなかったが、このような相手だと、今後も何かと関係することになるのも熟知していた。

 ――仕事が終わったら相手のことを調べておいたほうが良いかもしれない。

 マリアは心の手帳に記録しておくことにした。

 そうこうしているうちに、サトルがクレーター人形を机の上に置いた音がする。マリアは腹這いに戻ると、照準器のふたを開けて覗きこんだ。

 いつもながらの人形のとぼけた顔が視界の大半を占める。

 ――別に本物でもいいんだけどな。

 マリアはこれまで何度も繰り返した感想を頭の中に浮かべる。

 そこでレシーバーから、

「まあ、黙ってみていてごらんよ」

 というサトルの声が聞こえたので、マリアは連続してトリガーを引いた。


 *


 サトルはマリアを決して現場に連れて行かない。

 マリアはそのことが大層不満だったが、サトルに面と向かって言ったことはなかった。

 サトルならばその事に当然気がついているだろうと確信していたから、というのが理由の一つ。

 もう一つの理由は、マリアが現場にいても、何の役にも立たないことを分かっていたからである。

 マリアはサトル以外の人間とは殆ど話が出来ない。

 話せないわけではないが、話そうとすると言葉に詰まる。

 普段は何を言ったらよいのか分からなくて混乱する。

 条件さえ整えば大丈夫なのだが、別に話すことは好きではなかったし、それに小さい頃に、サトルから、

「あまり人前で話さないほうがいいと思う」

と言われた。

 ――兄様がそう言うのだから、そうに違いない。

 とマリアは考える。彼女はサトルの言葉に対して、基本的に従順である。


 ただし、常にというわけではなかったが。

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