その五

 男が懐に右腕を差し込む。部屋の片隅にいた部下が反応して右足を踏み出したが、アドルノは目で制した。

 男が取り出したのは、ピースメイカーのマスコットキャラクター、クレイター君である。丸い胴体に丸くて黒い目と笑った口が張り付いており、右目があったと思われる位置にクレイターが刻み込まれていた。

 彼はそれを窓際のテーブルの上に置く。

「それがどうかしたのかね。隕石が怖ければこの星にはこないし、ここの窓は強化ガラスを樹脂で挟んだものだから、隕石すら脅威ではないのだが」

「まあ、黙ってみていてごらんよ」


 男の言葉と同時に、アドルノは窓ガラスに何かが当る衝撃音を聞いた。

 子供の頃に聞いた、窓ガラスに小鳥が衝突した時の音によく似ていた。

 見ると、窓にごく僅かなくぼみが生じている。

 そして、さらに衝撃音が続いた。

 二度目の衝撃で外側の樹脂層がさらにくぼむ。

 三度目の衝撃でそれが裂け、ガラスの層に傷が入る。

 四度目から七度目までの衝撃で、ガラスは僅かずつだが確実に削られてゆく。


 アドルノはそれを驚きの目で眺めた。

 正確な射撃。着弾点が全くずれていない。システムのバックアップを受けていたにしても、僅かな空気の流れの変化は狙撃手自身が補正しなければならないから、かなり難しい。

 出来ないことはないし、アドルノも過去に何人か、同じような狙撃の瞬間を見たことがあったが、それにしてもここまで正確なものは初めてだった。


 十度目の衝撃で内側の樹脂層が弾け飛ぶ。

 銃弾は正確にクレイター君の右眼痕を穿った。


 治安維持軍に在籍している最高水準の狙撃手でも二十発は必要だろう。彼らは訓練で腕を上げているから、実戦で叩き上げればもう少しなんとかなりそうだが、それを半分で終わらせてしまうというのは無茶苦茶である。

 こうなるともう、努力ではなく天賦の才だろう。アドルノは素直に感動した。

「おお、これは凄い。実に素晴らしい腕前だ。現代最高と言っても過言ではない!」

 彼はその弾丸が自分の頭を打ち抜く可能性があることを承知しつつも、それはそれとして技術に対する賞賛を惜しまない人間である。この腕前で殺されるならば本望だとさえ考えそうな男である。

 もちろん、それは彼の中にある「最低でもこのぐらいの腕前でなければ、私を殺すことは出来ないよ」という絶対の自信からのことであるが、それが嫌味にならないのもアドルノの人徳というものだろう。

 目の前の男もにやりと笑った。

「今度の支店長さんは実に面白い人だなあ。で、答えを聞かせて欲しいんだけど」

「ああ、そうだな。承知したよ。次の荷からは観光協会を無条件で採用しようじゃないか。それで構わないかな」

「構わないよ。俺の仕事はそれを理解してもらうところまでだから」

「よし、じゃあ契約書を交わしたいから雛形を送るように伝えておいてくれ。それから――」

 アドルノは彼特有の人懐っこい笑みを浮かべる。

「ついでに、他にも君にお願いしたいことがあるんだが」

 男の目が細くなった。

「そいつは依頼という意味かな」

「そうだ」

 アドルノと男は見詰め合った。二人とも、表面上にこやかに笑っているものの、瞳の奥底では凶暴な光を瞬かせている。 

 十秒ほど睨み合いが続いた後、男は小さく溜息をついた。

「内容と条件を言ってくれ」

「依頼の内容は二つ。まず、観光協会のしかるべき人物に次の点を了解してもらうことだ。私はモディリアーニ氏をビジネスパートナーに認める気はない。従って、契約の相手はしかるべき人物でお願いしたい。それだけを伝えて欲しい。報酬は五百万クレジットで、手段はお任せする。先ほどの弾丸のような必要経費は、別に実費を請求してくれ。君はアンジェリカとは知り合いだな」

「ああ、連絡先は知っているから請求のほうは問題ない。それより経費の上限はなしなのか?」

「君達ならば必要ない経費をかける心配がなさそうだからね」

「水増し請求するかもしれないよ」

「その時は、それだけの人物だと思って支払うだけのことさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る