その二

 アドルノは四十代後半で、それでも全く衰えを知らない百九十センチ後半の大柄な肉体を、メリノール産の上質な生地で仕立てた一点物のスーツで包んでいる。

 白髪の混じったロマンスグレイと浅黒い肌。品の良い顔立ちは人の目――特に女の目を引かずにはおかない。既に馴染みの相手が五人おり、いずれも他星系からやってきて無聊ぶりょうかこっている駐在員婦人である。

 アドルノは妻帯者ではなかったので、別に何人相手がいても違法ではない。しかしながら、相手のほうは表沙汰になれば大変な醜聞となるから、それなりのメンテナンスが必要になる。

 それは昔からの彼の悪癖で、彼の旧友は口々に、

「手間がかかって大変じゃないのか。玄人か、後腐れのない素人にしておけばいいのに」

 と言うものの、誰も「女遊びは大概にしておけ」と言わない。それが無理なことをよく知っていたからである。

 そして、対するアドルノは、

「そこがいいんじゃないか」

 と笑って答えていた。

 おかげで前職の時は仕事と私事で大忙しだったのだが、都合の良いことに「現地責任者」といってもピースメイカー支店長は、はっきり言って閑職である。実務はろくにないので、仕事をしていてもしていなくてもさほど変わりはない。

 支店所属者も表向きは支店長と外注の秘書だけである。その秘書もやる気のない中年女で、他の支店からの公式な仮想人格通信は、

「支店長なら不在です」

 と、不機嫌な声で軽くあしらわれるのが常だった。

 それで、彼のアドバイスを貰おうと連絡を取ってきた昔の部下達は、彼が遊び呆けているものと思って溜息をついたが、事実は少々異なる。確かにアドルノは遊び呆けていたが、やることはやっていた。

 まず、秘書のところに繋がった連絡の相手が限定登録された人物だと、話は最初から異なる。

「少々お待ちいただけますでしょうか」

 と丁寧かつ適切な言葉遣いで、五秒以内にアドルノに転送された。それは、ピースメイカー支店長が負っている本来業務の依頼だからだ。

 実は、ピースメイカー支店長はイグドラシル社の表に出せない厄介事の始末を、多方面から山ほど請け負うことになっていたのである。

 その厄介事を、自分の手を汚さずに、しかるべき手段を使ってしかるべき方向で決着させる――それが支店長の職務であり、忙しくはないものの大小のリスクがそれこそ無数にある。

 同社の中でもかなり特殊かつ重要なポジションに該当し、そのため職務に見合った高額報酬が設定されていた。

 そして、アドルノ自身も今の立場を存外気に入っていた。

 金なら既に腐るほど持っている。この年でわざわざ危険な仕事を請け負うほど、生活に困ってはいない。

 ただ、メジャーな恒星系にあるイグドラシルのメジャーなオフィスで、お上品な連中とお上品なお仕事をするのは、彼の性分に合わなかった。

 その時点で彼の異動の背景を知っていたのは、彼と出世競争を演じていた執行役員以上の者だけである。そして、彼に頭を下げて厄介事の始末を依頼しなければならないのも、同じ者である。

 つまり、この職務を完璧に全うした暁には、アドルノは競争相手の弱点を全て把握した立場になるわけだから、役員に就任するのになんら支障はない。左遷どころか、実は最短ルートに乗っている。

 ――まあ、自分にはこういう鉄火場のほうが似合っているのだがな。

 彼は分厚い構造強化樹脂製の窓越しに街を見下ろしながら、日々そんなことを考えていた。

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