第一話 夜中に迷い猫を拾っても、感謝されるとは限らない。 五

 精神融合は、ドアノブに触れた途端に指先で静電気が走った瞬間とよく似ている。触れて、衝撃を感じ、慌てて指先を引っ込めた時にはすべてが完了しているからだ。


 その瞬間、まず真は放心した。

 続いて、自分の中に流れ込んできた情報の圧倒的な量に震撼した。

 同時に、北条真という存在領域が曖昧になることを恐れた。

 ただ、それを避けるための手段もまた、流れ込んでくる情報の中に含まれていたから、彼は即座にそれを試みた。

 脳内領域分割――今まであったものを右へ、新たに流れ込んできたものは左へ。

 この左右の区分は決して便宜的なものではなく、実際に真の脳はパソコンのデフラグのように左右に整理されてゆく。

 これまで乱雑に詰め込まれるだけだった記憶も、整然と関連付けられて、アクセスにかかる時間は大幅に短縮され、再生時の負担も軽減されてゆく。

 それゆえ、今まで目をそらし続けていた事実もまた、最高画質で再生されることとなった。


 休日の繁華街。

 妻と娘が街角のベンチに座って、笑っている。

 二人の手には店で買ったばかりのソフトクリームがある。

 真は先に二人にそれを渡すと、自分の分を受け取るために店の前に移動していたのだ。

 娘の手元のソフトクリームには、我慢しきれず舐めたらしい痕跡が、鮮明に刻まれている。

 真はその時に感じた温かい思いまで再生した。

 と同時に、次に起こる出来事によって脳を掻き乱された。

 視界の片隅には既に制御を失った車が入ってきている。

 それはひどくゆっくりとフレームインし続けていた。

 運転席に、ハンドルにもたれかかって気絶している初老の男性の姿が見える。

 彼が起き上がる気配はない。

 妻と娘はまだ気がついていない。

 車は二人の視界の外にある。

 車は笑っている妻と娘に、悪い冗談のように近づいてゆく。

 真は「素早く動けば助けられる!」と強く思う。

 しかし、かれの身体はぴくりとも動かない。

 指先一つ動かない。

 いや、ごく微量にしか動かない。

 気配に気がついた妻が左を向こうとしている。

 真は思わず「そっちを向くんじゃない!」と切に願う。

 しかし、妻は顔に笑みを浮かべたままで左へと向いてゆく。

 そして、絶望的な位置にある絶望的な車の状況が彼女の脳まで達する。

 途端、妻は娘のほうに向かって身体を倒した。

 ためらう素振りすらない純粋な反射。

 悲しい防御本能。

 娘の顔にも驚きが現れる。

 その間に車はベンチへと達する。

 木製のベンチは大きくたわみ、裂け、弾け飛ぶ。

 その勢いで妻と娘がどこか安全なところに飛ばされてくれないかと真は思う。

 しかし、物理学はそう都合の良いものではなかった。

 車は進行方向にいた妻と娘を捉える。

 妻の身体がゆっくりとゆがみ、ありえない方向へと捻じ曲げられてゆく。

 娘の身体が、妻の必死の防御の甲斐もなく、ゆっくりとゆがみ、ありえない方向へと捻じ曲げられてゆく。

 やめてくれ!

 やめてくれ!!

 やめてくれ!!!

 真の脳裏が声にならない叫びで満たされる。

 振り切れる。

 っすらとした恐怖をにじませた妻の顔が、車のボンネットに叩きつけられそうになったところで――


 唐突に場面が切り替わる。

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