第16話 踏み出す決意


 翌朝の魁達の迎えは、騒々しさのない、一般的に普通なものだった。

 久しぶりに聞いたインターホンの音を懐かしみながら、いつもこうであってくれと願う。

 手早く戸締まりを済ませてドアを開ける。


「おはよ、う……ん?」


 だが、いつもと違う光景に、都季はドアを開けた態勢のまま首を傾げた。


「おっはよー! 昨日はよく寝れたか?」

「……んん?」


 ドアの前にいたのは、紅の短髪にオレンジの目をした小柄な少年だ。

 無邪気に挨拶をした彼には見覚えがある。

 都季が思い出そうとするより早く、少年は隣にいた悠に押し退けられた。


「もう。ちびっこは朝から元気だなぁ」

「誰がちびっこだ! お前に言われたくない!」

「僕に身長勝ってから……ああ、すみません。もう伸びないんでしたっけ? 傷口を抉ってごめんなさーい」

「抉るどころか、塩塗り込んでるけどな」


 笑顔に加えて挑発するように言う悠に、後ろにいた魁が冷静な突っ込みを入れた。

 すると、魁のそばにいた琴音がぽつりと呟く。


「消毒液、いるかな……」

「ううん。いらないから。さらに痛いから」

「特務の童と二重人格がどうしておるのだ」


 例えを本気に取った琴音にまたもや突っ込みを入れる魁は、几帳面なのかはたまた特務を視界に入れたくないのか。いや、両方か、と結論に至った。

 月神は月神で、昨夜と続けて特務が現れたことにげんなりとしていた。


「…………」

「童じゃねーし!」


 鳶色の髪の青年が黙ったまま頭を小さく下げ、その前で紅の少年が強く切り返す姿を見て、都季は誰だったかを思い出した。


「あ! 不知火さんと城木さんだ!」


 少年に見えるが実は二十二歳の不知火疾風と、ハンドルを握ると豹変する城木伊吹だ。

 名前を出されて、疾風が嬉しそうに笑みを浮かべた。


「さっすが、更科君はオレのこと覚えてくれてた!」

「いや、たった今思い出したって言動ですよ。忘れてましたよ」

「いーや! 覚えてるから名前出たんだよ。分かれよガキんちょ」

「…………」

「ん? 伊吹、『低レベル』って?」

「…………」


 いがみ合う悠と疾風だったが、疾風は伊吹の小さな変化に気づいて言い合いを止めた。伊吹が声を発した様子はないが、疾風には彼が何を言ったのか分かったようだ。

 だが、その言葉を届ける気はなかったのか、伊吹はふるふると首を左右に振った。

 終わらない様子に痺れを切らせたのは、丁寧に突っ込みを入れていた魁だ。


「あー、もう。うっせぇな。さっさと行くぞ」

「はーい。じゃ、お二人はもう帰ってくださーい」

「お前に指図される覚えはない! オレ達も行くしな!」

「え、学園まで来るんですか?」


 鍵を閉めた都季は、まさか十二生肖がいる間も見張りがつくとは思わず、驚いて確認のために聞き返した。

 すると、疾風が誇らしげに胸を張って答える。


「もちろん! 交代はあるけど、事が解決するまでは二十四時間一緒だぜ!」

「いちいち煩いなぁ」

「お前はいちいちねちっこい! 小姑か!」


 悠と疾風は馬が合わないようだ。最も、悠とまともに付き合える人は局の一部に限られてくるため、疾風といがみ合うのも不思議ではない。

 アパートを出て、都季と琴音を先頭に歩く。後ろにいる悠と魁は、さらに後ろに続く疾風達に警戒心を抱いたまま様子を伺う。


「いつまでいるんです? 事の解決ってそんなに難しいんですか?」

「更科君が『戻る』って言ってくれたら終わりだぜ」


 悠は特務が都季を百澄に連れ戻そうとしていると知っているが、確認のためと嫌味を込めて直接訊いた。

 疾風の言葉に伊吹も頷く辺り、他に目的はないようだ。

 ふーん、と小さく呟いた悠は、にっこりと笑みを浮かべる。


「じゃあ、一生無理だ。あはは。ご愁傷様ー」

「おまっ、さらっと笑顔できっついこと言うよな! テレビじゃ『可愛い弟系』なのに、俳優って皆そんなのか!?」

「違いますよ。全世界の俳優に土下座してください」

「悠、自分で言うな」


 喚く疾風に悠はあっさりと返す。だが、その言い方では、悠の性格が普段と仕事でまったく違うと自ら認めているようなものだ。

 事実ではあるが、自分で言うようなことではない、とすっかり突っ込み役となっている魁が言った。

 すると、悠は自身の発言の意味を訂正させた。


「僕は『特別』ですから、僕と同レベルにしてあげないでください」

「「そっちの意味かよ!」」


 確かに、悠はいろいろと特殊ではあるが、まさか自分でそれを出すとは思わず、魁と疾風は同時に声を上げた。


(うるさい……)

「はは……。案外、不知火さんと魁は気が合いそうかもね」

「……?」


 都季と共に前を歩いていた琴音は、響く大声にやや顔を顰めた。しかし、隣にいる都季の様子に違和感を覚えて首を傾げる。

 肩にいる月神は気怠げな表情ではあるものの、特に何かを言う気配はない。諦めにも似ている。

 琴音の能力を持ってすれば、違和感の正体はすぐに拭えるだろう。だが、常にその行為が正しいとは限らない。会話してこそ得られるものもあると、都季を見て学んだのだ。


「更科君、何かあった?」

「え?」


 いつも心を聴いてそれに答える琴音が様子を訊くのは滅多にない。

 都季も月神も、彼女の突然の問いに目を瞬かせて琴音を見た。


「心は聴かない。でも……」


 驚いた都季から一旦、視線を外した琴音は、再び都季を見て感じたままを言う。


「更科君が、後悔しないなら、いいと思う」

「えっ?」


 的確なところを突いたのか、都季はますます戸惑っていた。

 琴音はその様子に小さく笑みを零してから言葉を続ける。


「『やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい』、だよね?」

「…………」


 以前、都季が言った言葉だ。

 唖然としていた都季だったが、少しだけ考えた後、すっきりした表情で頷いた。


「そうだな」

「今回ばかりは、戻れなくなっても知らぬぞ」


 月神は都季に器を宿しているため、聞かずとも考えは分かる。だからこそ、最後の忠告をした。

 それでも、都季は迷う素振りを見せず、月神を見て微笑む。


「でも、付き合ってはくれるんだよな?」

「……そうだな。お主に器があるからには仕方ない。だから、『何か』あったとしても、お主のそばにいるのは変わりない」

「ありがとう」


 それだけで十分だった。一人ではないと分かっただけでも。

 都季は足を止めて振り返ると、それに気づいた悠達もやや遅れて止まった。


「都季先輩?」

「不知火さん、城木さん」

「なんだ?」

「?」


 名前を呼ばれた不知火は首を傾げ、城木は目を瞬かせながら都季の言葉を待つ。

 ただならぬ空気に、都季が言わんとしていることに気づいた悠が僅かに顔を顰めた。


「俺……」


 どうなるかは分からない。その不安は大きいが、かといって、このまま無視しておくわけにもいかないのだ。

 都季は拳を握りしめ、不知火達を真っ直ぐに見据えて言った。


「祖父に……百澄の当主に、会わせてください」




   * * *




「ああ……。あったまいてェ……」


 廃墟と化したテナントビルの一室。

 放置されたソファーの上で横になっていたルーインは、割れそうなくらい痛む頭に呻いた。

 自身の能力の影響で長らく体調不良とは付き合いがなかったが、今回の頭痛は体調不良からくるものではない。


「逆らうんじゃねェよ、愚者が……」


 頭の中で、自分の意思に抵抗する声が木霊する。

 苦く笑いながらぼやき、力を込めて強制的に声を遠ざけた。


「っ、はぁ……。ったく、手間かけさせんな」


 切れる息を落ちつかせ、明かりの点いていない天井をぼんやりと眺める。

 発作のように突然、湧き起こる自らの中の声。たまに意識が飛ぶほど苦しむときもあるが、最近はその数も減少している。

 ここに至るまで、長い時をかけてきた。

 やっと、悲願を達成する直前まで辿りついた。


「ここで、終わるわけにはいかねェんだ」


 上体を起こしたルーインの瞳が、復讐心に燃えてぎらつく。

 そんな彼の元に、一羽の烏が飛来した。

 差し出した腕に留まった烏は、短く鳴いて何かを知らせる。


「……ああ、分かった」


 ニヤリと笑ったルーインはソファーから立ち上がった。歩くたびに積もっていた埃が舞い、足跡がついた。

 彼は、ビルの階段に向かいながら、演劇の口上のように言う。


「『幕間』は終わりだ。第二幕の開演といこうか」


 それに呼応するかの如く、ルーインの背後で大きな影が蠢く。

 ルーインが振り向くことなく、「『観客』が入ると邪魔だ。きちんと席に着いていてもらおう」と言えば、影は二つの赤い光を灯して姿を掻き消した。




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