第15話 交流


 都季の住むアパートの横を通る道路の端。そこに、一台の黒い車が停まっていた。

 昼間であれば目立っていただろうが、陽がすっかり落ちた今となっては人通りもほとんどないため、問題にもされなかった。

 そんな車の中で、都季の『護衛』と称した監視をしていた慶太は、運転席に座る七海に話しかける。


「七海先輩。僕、買い出しに行ってきましょうか? 少し喉も渇きましたし」

「対象に動きもないし……そうだな。そろそろ休憩にしよう」


 外は蒸し暑いとまではいかないが、今までの気温からするとやはり暑い。まして、エンジンのかかっていない車内ともなればそれも増す。

 七海は買い出しを慶太に任せることにして、内ポケットに入れている携帯電話を取り出した。隣の慶太も同様に携帯電話を確認している。そして、重要な通知がないことを見てから、「何がいいですか?」と七海に注文を訊く。

 だが、都季の部屋を見ていた七海は異変に気づいて慶太を止めた。


「待て」

「ラテ?」

「違う。少し待て。対象が部屋を出た」

「え?」


 視線をアパートに向けたまま、七海は手短に言った。

 ドアに手をかけていた慶太は、運転席側の窓からアパートを確認する。

 すると、部屋にいた護衛の対象者が、外に出てきて階段を下りていた。


「行くぞ」

「行くんですか?」

「当然だ。俺達は護衛だからな。夜間の外出を注意した上でついて行くのが最善だろう」

「分かりました」


 一瞬、護衛をしていると知られてもいいのかと思ったが、任務を命じられた際にはその点については任せると言われている。

 七海が良しとするならば、と慶太も納得して車を出た。

 一方、アパートの階段を下りた都季は、ドアの開閉音で二人に気づいて顔を向ける。


「こんばんは。えっと……お疲れ様です?」

「更科様。夜間の外出はあまり好ましくありません。どこかへ行かれるようでしたら、ご一緒いたします」


 事務的に淡々と述べる七海に、都季は困惑の色を、肩にいる月神は苛立ちの色を浮かべた。

 どこかへ行く予定はなかった都季は、早々に目的を伝えなければ、と意思を固めるように缶ジュースを持つ手に力を込める。


「いえ、外出というか……あの、良かったらこれ……」

「え? わ、えっと……いいんですか?」


 都季が恐る恐る差し出したのは二本のジュース缶だった。

 反射的に受け取ってしまった慶太だったが、すぐに任務中であると思い出し、許可を求めようと七海を見る。

 しかし、肝心の七海は都季の行為に衝撃を受けていた。


「対象に気遣われるとは……俺もまだまだ詰めが甘いのか?」

「あの……?」

「す、すみません。えっと、七海先輩、こうなると面倒でして……」

「そうですか」


 自身の反省をするためか、思考が完全に別の場所にいっている。

 苦笑する慶太はそれでも迷惑がっている様子はなく、都季にジュース缶を返した。


「私達はただの見張りですからご心配なく。ちょうど、今から買い出しにも行きますし」

「買い出し……あ! じゃあ、良かったら、うちに上がりますか? いたっ」


 突然、月神に肩を軽く蹴られ、都季は非難の目を月神へと向けた。

 月神は不満を露にしており、肩を蹴るだけでは飽き足らず、右手でバシバシと叩いてくる。


「そこまで許可はしておらんぞ」

「俺がいいの。狭いですけど、俺が迷惑を掛けてるのに、悠々と室内で過ごすのも気が引けて」


 都季も易々とは引き下がらなかった。

 言い切って慶太を見れば、彼は視線をさ迷わせた結果、助けを求めるように七海をちら、と見る。すぐに七海は一人反省会中だと思い出して視線を再び泳がせるも、望んでいた答えが七海からあった。


「お気遣い感謝いたします。ですが、我々も仕事中ですので」

「あ、お帰りなさい」

「? 変なことを言うな。私はどこにも行っていないぞ」

「そうですね」


 不思議そうに慶太を見る七海は、一人反省会の自覚がないようだ。さらりと流す慶太も安心したのか、戸惑いの表情はなくなっている。

 二人の上下関係に、都季は思わず笑みを零してから言葉を変えた。


「それじゃあ、『少し休憩』ってことでどうでしょうか?」

「えっ。あ、えっと、な、七海先輩、どうしましょう……」

「……はぁ。資料にあった『お人好し』は正解のようだ」


 引き下がらない都季には七海も折れた。

 都季は二人を部屋に招くと、さっそく晩ご飯を作ろうと冷蔵庫にある食材を確認する。


「最近、買い物行ってなかったからなぁ」

「おい、眼鏡と童顔。いらぬことをするな。我が見張っているからな」

「…………」

「童顔……!」


 後ろでは、テーブルの定位置に座って二人を監視する月神と、その前で正座をした七海と慶太がいた。背筋を伸ばす七海に対し、慶太は不安げな顔でやや猫背だ。

 慶太は童顔であることを気にしているのかショックを受けているが、七海は僅かに眉根を動かしただけで黙って月神を見返していた。


「うう……。あ、あの、更科様!」

「あはは。『様』はいらないですよ。俺のが年下ですし」


 空気に耐えきれなくなった慶太が都季を呼んだ。まるで慶太のほうが年下に思えるほど、彼は挙動不審になることがある。特に、慣れない空気になったときにそれが顕著に出ているのだ。

 都季はその態度を見ていると、どうにも軽くあしらうことができない。捨てられた子犬、もしくは迷い犬を見つけたときのような気持ちになる。


「じゃあ……更科さん。僕……じゃなかった。私も手伝います。料理は得意なので」

「え?」

「では、私も手伝いま――」

「七海先輩は座っててください。劇物が出来ても困りますから」

「劇物!?」


 一体、何をどうやったら料理が劇物に変化するのか。逆に気になったが、まだ死にたくはない。

 止めてくれた慶太に感謝しつつ、都季は彼に手伝ってもらいながら調理を進めた。




「――ご馳走さまでした!」

「お手数をお掛けして申し訳ありません」

「いえ、これくらいしかできないので……」


 恭しく頭を下げた七海は、休憩と称した今も仕事中のようだが、「それがデフォルトなんですよ」と慶太は無邪気に言った。

 食事の間、七海は特に喋ることはせず、慶太と都季、月神の三人での会話のみだった。ただ、内容は百澄に触れるものではなく、慶太のムチ打ちの心配や最近のテレビ番組、町内の穴場の店などの世間話が主だ。

 慶太のケガに関しては、治癒の術を施したため、既に痛みもないとのことだった。


「片付け手伝いますよ」

「ありがとうございます」


 食器をまとめて立った都季に慶太が続いて立ち上がる。

 その様子を見ていた七海は小さく息を吐いた。


「馴染んでどうする」

「それに関しては同感だ」


 さすがの月神も呆れ果てていた。

 仲良く食器を洗う二人は、まるで付き合いの長い友人のようだ。やや人見知りの傾向がある慶太だが、慣れれば途端に懐いてくる。

 初めて会ったときを思い出した七海は、今度は深い溜め息を吐いて正座を崩した。


「痺れたか」

「いえ。アレを見ていると、多少は崩したくなるので」

「なるほどな」


 生真面目な性格さえ和らげてしまう。それほどの影響を、あの青年は周りに与えているようだ。

 そんなことなど露も知らない当の本人、慶太はまだ都季と喋っている。


「――だから、俺にとっての特務は、ひとつの家族みたいなものなんです」

(なんの話だ)


 聞こえてきた会話に、思わず内心で「待て」をかけてしまう。

 機密事項を喋ってしまうほど口が軽いわけではないが、特務の威厳を損なわれても困る。

 しかし、聞いていた都季は何かを考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「あの、一つだけお訊きしてもいいですか?」

「はい。何でもどうぞ!」

「では、総長の弱点を聞こうかのぅ」

「は?」

「ありません」

「ないのか」


 思わぬところからの思わぬ質問に、素っ頓狂な声を上げた慶太だが、七海がすかさず否定する。

 つまらなさそうに口を尖らせた月神だったが、次の七海の説明を聞いて納得した。


「少なくとも、我々が突けるような弱点はありません」

「なるほど」

「話の腰を折らないでよ、つっきー」

「「つっきー?」」


 初めて聞いたあだ名に慶太も七海も声を揃えた。

 そこで月神も今まであだ名で呼ばれていなかったのを思い出し、すぐさま強く反発する。


「人前ではそのあだ名で呼ぶなと言うただろうが!」

「もういいだろ。諦めろって」

「いーやーだ!」

「神様が駄々を捏ねてる……」


 不満を露にする月神に愕然とする慶太。

 都季は月神の不満を取り合う気もなく、放置していればこの平行線のままだ。

 そこで、七海は素早く話題を切り替える。


「更科様は、我々に何かお訊きになりたかったのでは?」

「あ、そうでした。えっと……断っておきながら訊くのも気が引けるんですけど、その……百澄って、今はどんな様子なんですか?」

「百澄、ですか?」


 七海達にとって、それは予想外の質問だった。

 確認のため聞き返した七海に頷けば、彼は数日前に会った百澄を思い出すため、しばしの間を開けてから答えた。


「ご当主様やご夫人はお元気ですよ」

「そうですか……」

「先日、機関にお越しになられた際は杖をお使いでしたが、ご自身の足で歩かれていました」

「跡取りの問題があったはずだが、片はついたのか?」

「それに関しては申し上げられません」


 今回の連れ戻そうとしている件に絡んでいるのか、それとも単に部外者に話せないだけなのか、七海はきっぱりと断った。

 ただ、都季を跡取りにと考えている可能性は今の立場からして限りなく低い。

 訪れた沈黙を破ったのは、戸惑いがちな慶太だった。


「お祖父様は、更科さんのことをとても心配されていました。一度、お話だけでもしていただけませんか?」

「心配なんて、あの人がそんなこと……。どうせ、家の心配なんでしょう」


 家を出るとき、「百澄の名は出すな」と念を押されていた。そのため、都季から百澄の関係者だと言ったことはない。

 しかし、都季の素性は局に入る前から一部に知られている。「巫女の末裔」という時点で、百澄の名を出したも同然だ。

 周囲の評判などを気にしているのだと思った都季だったが、七海がそれを否定した。


「どうやら、あなたは思い込みが激しいようですね。考え方が偏っている。もっと単純に考えてはどうですか?」

「え?」

「七海先輩が言いますか」

「余計なことを言うな」


 やや引いた慶太の突っ込みに七海は鋭く切り返した。

 そして、テーブルに手をつきながら立ち上がる。


「では、我々は持ち場に戻ります」

「もう戻るんですか?」

「おお、やっと帰るか」

「「…………」」


 都季と月神の正反対の声が重なり、二人は顔を見合わせた。

 そんな二人を気にせず、七海は眼鏡のブリッジを押し上げながら言う。


「本来なら、我々はここにいるべきではないのです。更科様のご厚意にいつまでも甘えるわけにはいきません」

「ありがとうございました」

「いえ……」


 慶太も笑顔で頭を下げて席を立つ。

 もはや引き留める理由も意味もなく、都季は曖昧に返事をした。

 玄関で別れた後、慶太は階段を下りる七海に続きながらぽつりと零す。


「良い人ですね、更科様って。僕、すっかり休んじゃいました」

「…………」

「何かついてますか?」


 突然、足を止めて振り返った七海は、何も言わずに慶太を見ている。

 目を瞬かせている慶太は、どうやら自覚がないようだ。

 七海は小さく息を吐き、また前を向いてから言う。


「一人称、直すんじゃなかったのか?」

「あ」


 反射的に口を押さえるも、出た言葉が戻るはずもない。

 童顔と周囲に言われる慶太の普段の一人称は「僕」だ。しかし、「それやと子供っぽさが強調されとるな」と何気なく言った斎の一言から、一人称を「俺」に変えようとしているところだった。

 仕事では区別して「私」と自称できているが、それでもたまに本来の一人称が出ている。都季との会話の中でも何度か出ていた。

 指摘された気まずさから会話が途切れたが、七海が難しい顔をしていることに気づいて訊ねる。


「そんな渋い顔をしてどうされたんですか?」

「更科様を見ていて、やけに親近感が湧くと思ったら、俺の周りにもいたなと思ってな」

「周り?」


 そんな人はいただろうか、と慶太は思考を巡らせる。七海は精鋭部隊以外の部署の人とあまり交流を持たない。仕事で話すくらいだ。

 七海は自身のことと気づかない慶太に溜め息を吐いた。


「まぁ、休憩になったならいい。副長から連絡があってから、お前の様子もおかしかったしな」

「…………」


 都季の護衛のため、この場に出発する三十分ほど前に斎から電話があった。

 慶太は彼に言われたとおり、ラグナロクのリーダーが現れたことを総長にはもちろん、七海にも報告している。

 ただ、斎が慶太に連絡を取った理由までは話さなかった。


「ちょっと、驚いたので。桜庭副長でさえ動けなかったって聞いて」

「……そうだな。だが、俺達は完璧ではない。それは副長も同じだ」


 七海は、どこか余所余所しい慶太に違和感を覚えつつ、今は追究するよりも流そうと返した。

 小さく「はい」と返事をした慶太だが、やはりいつもの明るさはない。


「だからこそ、集団で動くことの重要性は高い。一人ができないことを他でフォローできるからな。今回の件は全員が油断していただけだ。次はない」

「はい」


 七海はいつもの堅い口調だが、他の意見を拒むようなものではなく、諭すような言い方だった。

 慶太が特務に入ってから教育係としてついている七海は、言葉こそキツい言い方はあるが、そこに大きな間違いはない。


「さて、気を引き締めろ。今から任務に戻る」

「……あの、七海先輩」

「どうかしたか?」


 呼び止められた七海が振り返って見た慶太は、不安げな表情を隠していなかった。

 返事を待つ七海に、慶太は戸惑いながらも言う。


「死んだはずの親しい人が、実は死んでいなくて、敵として現れたら……七海先輩はどうしますか?」


 違和感の正体はこれか、と七海は確信した。例え話として言っているのだろうが、恐らく、慶太は斎の連絡で近しい事態に直面しているのだ。

 しかし、慶太は七海の意見を訊いている。ならば、彼にとって良いか悪いかはともかく、素直に答えるべきか。


「死んだと確認した人ならば、蘇っていいはずがない。そして、我々の敵はこの世界の敵だ」

「……分かりました」


 どうやら、この答えは慶太にとって救いではなく、苦渋の決断を迫るものになりそうだ。

 七海は、まだ力ない慶太に気づきながらも、もうしばらく様子を見ようと車に乗り込む。

 一方、沈んでいたはずの慶太は、両手で頬を軽く叩いた。


(しっかりしないと)


 七海の答えは間違っていない。あれは、見逃してはならないものなのだと言い聞かせる。


 ――行方不明になっとった君の親友君、ついさっき見つかったで。


 繰り返す斎の言葉を、内心で否定しながら。




「あの眼鏡、頭は固そうだが、毛嫌いするほどの者ではないかのぅ。あの童顔も」

「雲英さんと岸原さんのこと?」


 七海達が部屋を出て気配が遠退いたのを感じると、月神は深い溜め息と共に言った。

 目を瞬かせながら親しげに名前を出した都季に、怒りはもはや呆れに変わる。


「お主、もうちょっと警戒心を持たぬか?」

「だって、無理に連れ出すような雰囲気はなかったし」

「あの狐が部屋に残っていたかもしれんのだぞ?」

「そういえば、刻裏がいないな」

「我らが部屋を出た後に消えたのだ」


 都季は月神に指摘されてから、刻裏がいないことに気づいた。はち合わせていれば、さらに面倒なことになっていただろう。

 刻裏がやって来た目的は分からないが、彼に言われて特務がいることを知れた。そして、彼らと話したことで、都季の中にあった靄のような感情は大分和らいだ。


「今回は大目に見よう。だが、誰彼構わず家に上げたり、親交を深めようとはするな」

「さ、さすがに誰彼構わないことはないって」

「念のためだ。危険は未然に防いでおいて損はなかろう」

「そうだけど……分かった分かった。気をつけます」


 まだ腑に落ちない様子の都季をジト目で見る月神。

 そんな彼にもはや何も返せないと、都季は慌てて頷いた。だが、すぐにあることを思い出して言う。


「あ。夜、寝るのとか大丈夫――」

「お主がもう寝ろ!」


 ついに月神の堪忍袋の緒が切れた。

 都季は襲い掛かる不可視の力の波に圧され、思わず月神から距離を取る。


「うわ!? 分かった分かった! 分かりました!」




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