第12話 出現した影


 『一般人』と類される人達がいなくなったのは、それから数分も経たない内だった。

 出入り口で火花を散らす茜と梓を見たこともあり、居心地の悪さを感じたようだ。

 これからの集客に問題がなければいいけど、と都季はレジをしながら内心でぼやいた。

 茜はカウンター内から出て、窓際の一番奥の席にいる斎達に歩み寄る。紫苑も席を立って茜について行ったが、悠は向きを変えてカウンターテーブルに背中を預けるだけだ。

 都季もそちらに歩み寄れば、茜が話を切り出した。


「じゃ、お前らの用件を一応、聞く」

「俺らが用あるんは都季ちゃんにや。そちらさんの審査は、残念ながら問題あらへんかったし?」

「ほう?」

「もう一回聞くけど、ホンマに今のまんまでええの? 君自身はどうしたい?」


 斎は挑戦的な眼差しを向けてくる茜を軽く流し、隣の都季を見て問う。巫女の子供や月神の所有者としてでなく、『更科都季』という一人の少年の本心を。

 特務としては、茜の保護者としての問題がない以上、都季の返事を自分達にとって良いほうに答えてもらうしかない。

 僅かに視線を落とした都季だったが、すぐに顔を上げると斎を真っ直ぐに見て答える。


「俺は、今のままがいいです」


 偽りのない、はっきりとした回答に、茜は心の中だけで安堵の息を吐いた。都季の決意を疑うわけではないが、やはり、まだ「巻き込んでしまった」と気後れしてしまう。

 だが、都季の言葉を聞いたはずの斎は笑顔で食い下がった。


「でも、今のままやったら、そちらさんも満足に仕事できへんやろ? 都季ちゃんも迷惑掛けたくないやろうし。それやったら大人しく、大事にしてくれるとこ戻ったほうがええんやないの?」

「そ、れは……」

「ちょっと待った」


 斎の言うことも最もだ。

 揺らいだ都季を踏み留めたのは、カウンターにいる悠から飛んできた苛立った声だった。


「答えを聞くだけなんでしょ? 人の良心を逆手に取るような誘導やめてもらえません? 

「おじっ……いや、今はええわ。俺は誘導しよんやなくって、ホンマにええんか聞きよるだけやで」


 わざとらしく強調された呼び方にダメージを受けた斎だったが、すぐに気持ちを切り替えて返した。ここで「おじさん」発言に対して食いつけば、そのまま話が流されてしまう。

 対する悠は、腕を組んで斎達を見据えたまま、さらに抗議を続ける。


「大体、なんで今さら特務がでしゃばるわけ? 今まで散々ほっといたくせに」

「そりゃあ、都季ちゃんに関する依頼が百澄からあったんと、あとは都季ちゃんがウチに来たときも言うたやろ?」


 斎が席を立って悠の元に歩み寄ったかと思えば、悠の後ろにあるカウンターの縁に片手をついた。

 近くなった斎の顔に悠は動じることなく、腕を組んだまま彼を見返す。


「そっちの『不祥事』が続いたから、と。なぁ、元裏切り者さん?」

「…………」


 『不祥事』が指すものは言われなくとも分かった。

 悠の眉間に皺が寄る。もちろん、悠だけでなく、月神と紫苑、茜も表情を険しくさせた。

 特務に都季が行った際、誠司も知っていた局の内情。掘り起こされたくない事だが、事実であるために返す言葉も見つからない。


「内部からの手引きによる局の襲撃。月神の盗難と一般人の器化に、裏支の離脱。最も、裏支に関しては以前からの問題だったが」


 カウンターから手を離した斎は、悠に体の側面を向けて意味深な笑みを浮かべた。

 一体、どれほどの情報が流れているのかと考えていると、斎が思考を遮るように言葉を続ける。


「月神から指示はなかったかい? 内通者を探せって。ああ、そうか。裏切り者だから言われなかったか」

「ほんっと、性格悪いよね。あんたって」

「それはどちらやろうなぁ? そっちも巧妙に隠しとったみたいやけど、ウチの総長もアホとちゃうねん。ナメるんも大概にせえや?」


 後からできた場所だからと、遅れているわけではない。『先駆者』を見て自身に活かすこともできれば、現代の考えを組織全体が統一して持てるメリットもある。

 悠は溜め息を吐くと、小さく肩を竦めた。


「あーあ。虫酸が走るほど手際が良くて嫌になるよ」

「おおきに。それじゃあ、褒めてくれたついでにええこと教えといたる」

「褒めてないし」


 すぐに人当たりの良い笑顔を浮かべた斎に、悠は鋭く切り返した。

 しかし、彼は微塵も気にした様子はなく、都季のそばに歩み寄ると、その肩にいる月神を見て言う。


「俺達はある可能性も疑っとんや」

「我が都季を誑かしていると?」

「あははっ! ご自分で仰るとは、ある程度の自覚がおありで?」


 眉間に皺を寄せた月神の反応は誰もが共感できる。目を細めた斎が突いたように、地雷を踏んだと取れることも。

 月神はさらに嫌悪感を露にして返す。


「あるわけなかろう。我は体を借りたこと以外、強要はしておらん」

「左様ですか。……まぁ、うちも簡単に審査通ってしもて焦ってるんよ。堪忍な」

「ただの粗探しじゃねーか」

「そうとも言うけど、はっきり言われると堪えるなぁ。悪いとは思っとるけん、ホンマは言うたらあかんことを特別に教えたったのに……ん?」


 表情ひとつ変えずに言う茜に小さく肩を竦めた斎は、携帯電話が振動したことに気づいて口を閉じた。

 ディスプレイに出た名前に表情を引き締めると、やや離れてから通話ボタンを押す。


「桜庭だ。どうした」


 真剣さを帯びた声音に、残された特務の梓達も互いの顔を見合わせる。

 すると、茜もポケットに入れていた携帯電話の振動に気づいた。


「悪い。あたしも電話だ」

「茜にも?」

「悠は何かきてるか?」


 特務の副長と十二生肖の、形式的にはリーダーに掛かった電話。

 嫌な予感しかしないが、周りはただ二人の電話が早く終わることを祈るしかない。

 そんな中、都季は実質のリーダーたる悠にも連絡がきているのではないかと訊ねれば、彼からはあっさりとした答えが返ってきた。


「残念。僕、今日は不携帯なんです」

「携帯の意味ないよな!?」

「忘れたんだと」

「あっ。言わないでくださいよー。支証はあるし、必要最低限の連絡は可能なんですからー」


 自らの意志で持って来ていないと言う悠だが、呆れ気味の紫苑によって真実を明かされると、唇を尖らせて拗ねた。

 張り詰めた空気がやや和らいだかと思った直後、それは斎の言葉によってあっけなく崩された。


「『奴』が出た? 場所は?」


 何かは明確になっていないものの、黙ったままの梓達の表情が強張った。

 そのとき、月神が何かに気づいたように顔を上げた。


「ん? これは……」

「また歪み?」


 歪みに気づいたときと同じ様子だったため、都季は今回もかと訊ねた。

 だが、彼は今までとは違って、やや焦りも滲む険しい表情のまま悠を振り返って言う。


「悠。すぐに配下を集めよ。多くの記憶を弄らねばならんぞ」

「今すぐですか?」


 状況を理解できていない悠は、月神の指示に首を傾げる。宝月越しに神使に何があったかを問いかけるも、返ってきたのは「連絡がつかない」という戸惑いだけだ。

 月神の言う「配下」とは、悠の神使のみにいる、神使から生まれた分身のような鼠達だ。普段は町中で普通の鼠として暮らし、様々な情報を神使の御黒や茶胡に伝えている。

 以前、佐藤圭介が町中で暴れた際にも、町中に散らばる配下を集めて記憶を一斉に操作した。今回もそれと同規模の記憶操作を行うことになるようだ。

 配下の異変を訝る悠に、月神は真剣な表情のまま頷いた。


「ああ、今すぐだ。千早に移動を頼む。場所は――」

「中央区、中央通り。そこまで転送します」

「うわぁっ!?」


 月神が言い終えるより先に、突然、紫苑の傍らに赤い光と炎の渦を起こして現れた千早が口早に場所を告げた。

 千早の出現に一番驚いたのは、眼前で炎が出現するという危険を体験した紫苑だ。


「びっ、ビビらせんな! 千早!」

「すみません。紫苑さんの力が分かりやすいから目印に……」


 彼は申し訳なさそうに謝ると、目を閉じて左手首に着けたブレスレットに右手を重ねた。

 これからどうするのかという説明や紫苑を宥める時間も惜しいのか、千早の行動は手早く、先を急かすかのようなものだ。


「――目標地確認」

「泉川! 店は任せた!」

「はぁい。行ってらっしゃい」


 電話を切った茜は、カウンターにいる瑞希に声を張り上げて言った。

 返された瑞希の声音は、突然の事にも関わらず普段と同じおっとりとしたものだ。

 以前も似たような状況があった、と都季は一夜での一件を思い出す。あのときは、息を切らせた千早が店に飛び込んできて、茜と共に店を出た。泉川があっさりと見送ってくれたのは、彼女が依人であり、事情を知っているからだった。


「動ける奴は全員向かうぞ」

「お、おう」

「仕方がありませんねー。あの辺りの僕の鼠達も連絡つかないですし」

「て、店長。一体、何があったんですか?」


 千早の足元から広がる光のサークルに茜が入り、促された紫苑と悠も続く。

 都季はその縁で戸惑いながら茜を見た。何が起こっているか分からないが、ただ事ではないことは確かだ。

 茜は都季を見てやや迷った後、特務を一瞥すると、都季の手首を掴んでサークル内に引き寄せた。


「更科。かなり危ないけど、お前も来い」

「え?」

「大丈夫だ。あたしがいる」

「我もの」


 何があるのか分からない不安はあるが、茜や月神の言葉は何よりも心強かった。


「はい。お願いします」

「転送って俺らも入れたりは?」

「……――転送」


 笑顔で自分達も、と便乗しようとした斎に対し、珍しく千早が不機嫌さを露にした。どうやら、彼もあまり特務を好んでいないようだ。

 千早は特に返すことなく、視線を斎から外して唱える。直後、浮遊感が陣内にいる全員の体を襲った。

 この後にくるジェットコースターのような感覚を想像した都季は、思わず茜の服の裾を握って目を強く瞑る。真っ暗な視界の中、緊迫した梓の声を拾った。


「副長、もしや……」

「ラグナロクのお出ましや。それも――」


 斎の声がブツリと途切れた。

 襲いかかる急上昇の感覚の後、それは急降下へと変化する。やがて、全身に掛かる重力が少しずつ軽くなった。

 足が地に着く。

 飛び交う悲鳴で騒がしい場所だ。

 恐る恐る目を開いた都季の視界に映ったのは、真っ赤な目をした巨大な狒々が自身に食らいつこうと大きく顎を開いた姿だった。


「避けろ!」

「っ!」

「ギィアアァァァァ!!」


 やや離れた位置から上がったのは、茜の怒号にも近い声。

 都季は反射的に地を蹴って横に飛んだ。

 がちん、と固い物同士がぶつかる音がした直後、車が激突したような激しい音がする。

 振り返ればそこに狒々の姿はなく、道路を挟んだ向かいのビルの壁にめりこんでいた。

 唖然とする都季の肩で、月神はのんびりと狒々を眺める。


「派手にやったのぅ、茜」

「あれ飛ばしたの茜さん!?」


 狒々の体は縦にも横にもかなりの大きさがある。それを、茜は易々と槍で殴り飛ばした。

 当の本人は狒々を飛ばしたことなど気にしておらず、槍を肩に掛けて、駆け寄ってくる千早を睨むように見た。

 視線を受けて肩を跳ねさせた千早の背を、後ろについて走っていた悠がぽん、と叩いた。


「おい、千早ぁ。なんで更科だけ離れてんだ」

「茜さんが離したから」

「あ?」

「……俺の修行不足です」

「ったく。次あったら承知しねぇぞ」

「…………」


 ふい、と茜から視線を逸らした千早には誰もが同情した。

 千早が他者を無事に転送するには、サークルに入っておく以外にも条件がある。転送される者が、千早が先導して創った『道』をきちんと通れるかだ。

 都季のように道の通り方を知らない者は、通り方を知る者か千早に掴まるしかない。

 もし、途中で離してしまった場合、今回のように目的地より離れた位置に到着してしまう恐れがある。


(転送も便利なものじゃないんだな……)


 小さく息を吐いた都季は、改めて辺りを見渡した。

 歪みが発生しているのか、多くの幻妖が辺りを駆け回り一般人を襲っている。

 局から派遣された警邏部隊や調律師が幻妖と戦っており、中には蒼姫と蒼夜、アッシュ、シエラの姿もあった。紫苑も早々に混ざっている。

 ふと、都季は黒いスーツを着た人達が、刀や銃を手に幻妖と交戦しているのを見つけた。


「あれ? あのスーツの人達……」

「特務だな。大抵、決まりで両組織は集まらないようにしてんだけど、今回はこっちが当たるって先制通達してなかったしな。たまにあるんだよ」

「今まで特務をほとんど見なかったのは、それができていたり、向こうが発生を知らなかったからなんですよ。他にも理由はありますが、そんなところですかね」

「そうだったんだ」


 局と特務の組織が一つのものに当たれば指揮に乱れが生じる他、破損物の修繕などの責任の所在についても面倒になる。それを避けるために、対処する際は通達するようにしているのだ。

 都季は茜と悠の説明に納得しつつ、再び戦闘へと目を向けた。

 のんびりしている場合ではないが、都季の周囲の幻妖は茜が威圧しており、先ほどの狒々のように飛び掛かってくるものはいなかった。また、紫苑や戦闘に加わった千早が奮闘しているため、幻妖の数は随分と減っている。


「一般人のケガの手当てはどうなっておる?」

「局の治療班が当たっています。場合によっては近くの病院に運びますので、後でそちらも操作しておく必要はありそうですね」

「そうか。辛いだろうが、お主に頼る他はないしのぅ」


 悠は適宜、配下から情報を集めていた。先ほどは謎の不通状態だったが、今はきちんと伝わってくるのかすんなりと状況を話せている。

 月神の労りの言葉に、悠は目を瞬かせてからにっこりと笑った。


「大丈夫ですよ。簡単なのは局の情報部にも任せますし、何より、月神が僕を案じるなんて、明日は雹が降りますよ」

「人がせっかく案じてやったというのにそれか!」


 悠の失礼極まりない発言は通常運転だ。

 声を荒げる月神を都季が宥め、茜が悠に「さっさと準備しとけ」と注意した。

 軽い返事をしてから準備のために移動した悠に変わり、紫苑が戦線を離れて茜のもとに駆け寄ってくる。


「なぁ、茜」

「なんだ?」

「ちょっとおかしくねぇか?」

「何がだ?」


 戦いの中にいた紫苑は、違和感を拭いきれずに一度抜けてきたようだ。

 主語のない彼に問いただすも、返ってきたのは答えではなく、確認のための問いだった。


「暴れてるのって、『ラグナロク』の一員なんだよな?」

「報告ではな」


 質問の応酬にならないよう、茜は問うのをやめて答える。

 ここに到着する前は相手が何か分からなかった紫苑だが、戦いの最中に聞いたようだ。

 都季は以前、ラグナロクについて悠から聞いていたため、説明は受けなくても分かった。


「でも、ラグナロクって破綻組だけだろ?」

「ああ。『破綻者集団』だからな」


 実態はまだ完全には解明されていないが、構成は破綻者のみだ。幻妖が現れているのは、破綻者の誰かが故意に歪みを開けたのだろうと推察している。

 しかし、戦闘の真っ只中にいた紫苑は、違和感という名の気持ちの悪さに顔を顰めた。


「けどよ、さっきから破綻者っていねぇんだよ」

「幻妖に紛れているんじゃないのか?」

「俺も最初はそうかと思ったさ。幻妖が多いのは、歪みが近くにあるからだろって。でも、歪みを塞いで、捕獲とか討伐で幻妖が減ってきても、肝心の破綻者がいねぇんだ」

「…………」


 騒動に紛れて逃げ出したか、あるいはラグナロクが出たという情報に誤りがあったか。ただ、後者ならば同時刻に報告のあった特務も間違えていたことになる。また、悠の神使の配下と連絡がつかなかったこともおかしい。

 思案する茜だったが、現れた人物の気の抜けた声で、それも途絶えることになった。




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