第11話 来訪者
「――ありがとうございましたー」
特務自警機関で話を聞いて数日が過ぎた。面談がなんだったのかと思うほどに、あれから特務の接触はなかった。
茜も審査をされているはずだが、何も言ってこないので問題はないのかもしれない。
いつものように月神を肩に乗せてバイトをしていた都季は、事情が変わったのだろうと結論づけて会計の済んだ客を送り出した。
そんな都季に、茜が歩み寄りながら声を掛ける。
「更科。今から紫苑と悠が来る。それぞれで調べていた事の報告なんだが、お前も話を聞いておいて損はないだろ。帰る前、ちょっと残っててくれ」
「分かりました」
日曜日の今日は開店前から夕方までの仕事だ。あと十分もすれば上がるため、そのあとでの話になる。
伝言を終えた茜がカウンターの向こうに戻ろうとしたとき、タイミング良く扉が開いた。
「いらっしゃいま……あ、虎皇さん。こんにちは」
「まるで聞いていたかのような頃合だのぅ」
「いやー、早く来て茜の淹れたコーヒーでも飲もうかと思ったんですよ。で、俺だけじゃないんですよねこれが……」
「え?」
入ってきたのは、つい先ほど話題に上がった紫苑だ。
彼は小さく片手を挙げると、なぜか困ったように首の後ろに手を回しながら言葉を濁す。敬語なのは月神相手だからだ。
他に何かあるのかと紫苑を見ていれば、まだ彼が開けたままだった扉から複雑な表情の悠と、後ろから黒いスーツを着崩した見覚えのある金髪の青年が現れた。さらに、青年の後ろには、小学校高学年くらいの少女が黒いスーツをきっちりと着て佇んでいる。
少女はほどけば腰までありそうな黒い髪をツインテールにしており、チェリーピンクの目は歳に見合わないほどに都季を鋭く見据えていた。
「えっと、局の人? なんか、すごい睨まれてるんだけど……」
「関係者? 三日とせずにストレス性胃潰瘍で入院しますよ」
「は?」
見覚えのある青年は局の者だろうと決めつけていたが、どうやら違うらしい。
嫌そうに眉間に皺を寄せた悠に目を瞬かせれば、都季と目が合った青年はにっこりと笑みを浮かべた。
「どーもー。こないだもおったんやけど、まともに会うんは初めましてやな」
「ど、どうも……」
伸ばされた右手を戸惑いながらも握って挨拶をする。
人当たりの良い雰囲気に絆され、思わず握手を交わしてしまったが、悠の表情は嫌悪感を露わにしていた。
手を離した直後、青年の表情が一瞬にして引き締まった。
「私は特務自警機関、副長の桜庭斎と申します。そして、こちらは同じく特務自警機関、特殊精鋭部隊隊長の
「は、はい」
突然、がらりと変わった雰囲気に戸惑いが隠せない。
しかも、梓は肩書きに『隊長』とついているが、まだ十代前半か、せいぜい半ばに見える。先日、特務内を案内してくれた七海より上の立場とは思えない。
状況整理に頭が追いつかないまま頷けば、都季の肩を掴んで後ろに引っ張った茜が前に出た。
「どこのチビかと思ったら、梓じゃねーか。相変わらずちっせぇな」
「て、店長?」
梓を下の名前で、しかも呼び捨てにした茜は、端から見れば小学生に喧嘩を売る大人だ。
そこまで大人げない人ではなかったはず、と都季がさらに困惑すれば、喧嘩を売られた梓は見下したような笑みを浮かべた。
「なんてガサツな人、と思ったら茜か。相変わらず無駄に大きいな」
「小さいといろいろと困るだろ?」
「大きいよりは困らないさ。大きいよりは」
梓も梓で、大人に喧嘩を売られていることを指摘もせず対等に言い返している。
ただ、その内容は両者共に子供じみてはいるが。
「これ、どういうこと?」
「見たままのことだのぅ」
「あっちゃん、また喧嘩や買うてどないすん……」
説明を求める都季だが、月神の答えは答えになっておらず、斎も説明するよりも呆れが先に出ていた。
放置されて拗ねそうになった都季に、悠が嫌そうな顔をしたまま説明をしようと口を開く。先に漏れた溜め息と嫌そうな顔は斎達に対するものだ。
「この二人、幼馴染なんですよ。所謂、『腐れ縁』ってやつですね」
「へぇー。随分、年齢の離れた幼馴染なんだ」
「せやろー。そう見えるわなぁ」
「『そう見える』?」
どうりで喧嘩の仕方が同レベルなわけだ、と納得した都季に斎は無邪気に笑った。
彼の言葉に引っ掛かりを感じた都季が首を傾げれば、肩にいる月神が小さく息を吐いた。
「都季よ。人を外見で判断するでないぞ?」
「え?」
「あの隊長さん、ああ見えてイノ姐と同い年なんですよ」
「…………」
呆れた悠の言葉に思考が停止した。
茜と梓は未だに言い合いをしている。だが、どう見ても梓は小学生か、せいぜい中学一、二年生くらいだ。
「マジですか」
「マジですよ。幼稚園の頃から大学まで、ずっと一緒だって言ってましたし」
「逆にすごいな」
喧嘩をするほどの仲だというのに、そこまで一緒なのはむしろ仲が良いのではと思ったが、本人達には絶対に言えない。ただ、魁と煉も似たような関係のため、納得できないほどではなかった。
再び二人を見れば、内容は違う方向に走っていた。しかも、紫苑は仲裁しようとしているのか隣で狼狽えている。
「そんなんじゃ、周りには怖がられて逃げられてばかりだろう?」
「あ、茜は怖くねぇよ! ただ、愛情が鞭なだけで!」
「黙れ阿呆」
「はい……」
ここぞとばかりに紫苑がフォローを入れるも、まったくフォローになっていない。そんな紫苑を茜が一蹴すれば、彼は肩を落としながら黙った。
すると、梓は両腕を組みながら勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「はっ。鞭が愛情だなんて、怖がられてるのと同じだな」
「あっちゃんのは鞭が弱くて、ひとっちゃ怖ないもんなー」
「もやしは黙れ」
「はい……」
紫苑のときと同じく、余計な一言を挟んだ斎を梓が黙らせた。
斎の言った鞭の弱さを感じさせない様に、都季は素直に突っ込みを入れる。
「鞭強いんだけど」
「いや、この人達が弱いだけでしょう」
「「うっ」」
冷静な悠の一言が、紫苑と斎の両者にとどめを刺した。
「ほら、テメェも対して変わんねぇよ。むしろ、あたしより悪いだろ。『怖くない』だなんて、上に立つモンがナメられてちゃ」
「お前よりマシだ。同僚の気持ちを掬ってやれないよりは。……ああ、そうか。だから、お前にはろくな男がいなかったんだな」
「うわあぁぁ。やだよー。女の人の陰湿なバトルやだー」
悠は両手で耳を覆いながら本気で嫌がっている。
聞いている側として良い気分ではないが、止めに入る術は持ち合わせていない。
月神も黙想でもしているのか、目を閉じて黙ったままだ。言わぬが仏、といったところか、自身に被害がこない方法をこの神はよく知っている。
「うるせぇよ。一緒にいる男が、保護者やら誘拐犯に間違われすぎて嫌がられるお前よりマシだっつの」
「どこで聞いた!」
「結局、二人とも男に逃げられるのは同じですけどねー」
「「ガキは黙ってろ!」」
「酷くない? ねぇ、都季先輩。酷くない?」
声を揃えた二人は、やはり仲が良いのではと疑ってしまう。
都季は袖を軽く引っ張ってくる悠に、「うん、空気読もうか」とだけ返しておいた。
だが、誰かが止めなければ入ってくる客に迷惑が掛かる。店内の客も出るに出られない状況だ。
ここは自分が怒鳴られるのを覚悟でやるしかない、と都季が軽く息を吸ったときだった。
「はいはい。頼むけん落ちついてや、お二人さん。な?」
「いっ!?」
「うっ!」
先ほどまで落ち込んでいた斎が笑顔で二人の肩を叩いた。その瞬間、触れた手の下で小さく電流が走り、二人は痛みに顔を歪めて口論を止める。
彼は手を離すことなく、笑顔のままで言葉を続けた。
「あっちゃんも茜ちゃんも、大人になりぃや。ここは一応、一般の領域やろ? 従業員さんにはちらほらと“こっち”の人がおるようやけど」
「え?」
「……はっ。さすがは副長さんか」
カウンターの向こうを一瞥した斎の視線が細められる。
斎の言わんとしていることが分かった茜は、彼の手を払い除けてから口元に笑みを浮かべた。
「いいだろう。今日は客を除けば同族しかいねぇんだ。お前の顔に免じて話は聞いてやる。ただし、ここが『一般』じゃなくなってからだ」
「どこぞの犬とちゃうし、『待て』はあんまし得意やないんやけどなぁ。特に、今は外にも待たせとるんや」
帰る気配のない特務は、このまま放置していれば都季の帰宅にもついて行きかねない。
茜はわざとらしく大きな溜め息を吐くと、調理場に戻るために踵を返しながら、従業員である都季に一行の案内を任せることにした。
「更科。この親子みたいな二人と外の二人を、一番テーブルに案内しとけ」
「は、はい」
「なっ!」
「ははっ。親子やってー……え。なぁなぁ、都季ちゃん。俺ってそない老けて見える? まだ二十五なんやけど」
「え? あ、いえ……」
茜の言い様に言葉を詰まらせる梓に対し、斎は最初こそ笑っていた。ただ、それが表す意味を理解した途端、焦ったように都季に訊ねる。
斎は客観的に見てもまだ若いため、都季は素直に否定した。
「せやんな、せやんな。あー、良かった。……あ。いっちゃん、はーちゃん。入っといでー。今日は茜ちゃんの奢りやってー」
「マジで!?」
「おいこらクソガキ。騒ぐんじゃねぇよ。あと、奢らねぇからな」
再び入口の扉を開いた斎が外に向かって言えば、紅色の短髪の少年がオレンジの瞳を輝かせながら入って来た。その後ろからは先日、運転で豹変した伊吹が続く。
少年は身長も小柄で、梓よりもやや高いが悠よりは小さい。百六十あるかないかだろう。
先の梓の件があるため、素直に小学生と疑っていいのか悩む都季に、勘付いた斎が先手を打った。
「一応言うておくけど、はーちゃん……ああ、このちっこい子な」
「ちっちゃくねぇ!」
「本名は『
「……すみません。では、テーブルにご案内しますね」
もはや何も言うまい。
ひとまず勘違いをしていたことを謝ってから、手早くテーブルに案内することにした。
そんな都季を見て、斎は無邪気に笑った。
「ははっ。順応性高いなぁ」
「突っ込むのが面倒っていうのが大きいと思いますよ」
都季は、後ろで溜め息混じりに言った悠に内心で同意する。そして、四人をテーブルに案内し、悠と紫苑はカウンターに座るよう茜が促した。
カウンター内に戻った都季は、気になっていたことを茜に訊ねる。
「店長。ここって、依人の人も働いてたんですか?」
「ああ」
「『ああ』って。俺、初耳なんですけど」
ずっと一般人だと思って月神との会話も少なめにしていたが、月神が視える依人からすれば不思議な光景だっただろう。
つい不満を漏らせば、茜は注文されていた飲み物を用意するため、カップを温めながらあっさりと言う。
「あえて言わなかったからな。気づくかと思って」
「気づくって……どうやったら分かるものなんですか?」
「そりゃあ、あれだ。霊力感じたり、そいつの雰囲気で」
分かりません。と、思わず突っ込みを入れたくなった。
大雑把に言った茜も、他にうまい言い方が見つからないのか、どこか難しい顔をして考え込んでいる。
そこへ、思わぬところから助け舟がやって来た。
「茜ちゃん。それは難しいんじゃないかなー?」
「泉川さん?」
「ごめんなさいね」
穏やかな声がした方を見れば、調理を終えた女性、
彼女は依月で働く女性陣の中では最年長で、三人の子を持つ母親だ。優しく面倒見も良く、何かと都季の一人暮らしを案じてくれていた。
「私達もあなたの成長に一役買えるなら、と思って黙っていたの。今日、ここにいる従業員は皆、依人だし、事情を知っているから大丈夫よ」
「全員……ってことは、
事情を話したのは茜と花音だろう。月神の器が都季にあるとは公にはされていないが、長く一緒に働いていればいずれ気づくときがくる。
ならば、先に話しておいたほうが下手に混乱を招かなくていい。
都季がカウンター越しにホールの方を見れば、控えていた青年、
「そうそう。あー、やっとこれで気兼ねなく接してやれる」
「アンタは気兼ねしたことないでしょう?」
「うわ、心外だなぁ」
皐月は、隣でホールを見たまま表情一つ変えずに言った女性、
唖然としたままの都季を現実に連れ戻したのは、肩にいた月神だ。
「お主は依人になる前から一緒だったから、こやつらの『人とは違う』空気に慣れていたのだろうな。だが、仕方がないとはいえ、依人か一般人かは見極められるようにはならんといかんのぅ」
「うっ」
「なんなら、僕らが手伝いますよ?」
「またスパルタか……」
周囲によく知る間柄で依人がいたことに安心はできたが、自身の成長のなさと新たにできた厳しい特訓に肩を落とした。
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