第10話 居場所
――なんで、今さら。
茜の後ろを歩いていた都季は、苛々する気持ちを噛み殺すように歯を食い縛る。
肩にいる月神にも器を通じて伝わったせいか、彼は何か言いたげに都季を見たものの、小さく息を吐くだけで何も言わなかった。
すると、建物の出入り口の脇に停めていた車の前で、茜が足を止めて振り返る。逆光のせいで表情は分かりにくいが、重い雰囲気から彼女も考え事をしていると分かった。
「更科」
「……はい」
少しの間を開けて返された声に、茜はここに来るまでに考えていた事を口に出そうとして止めた。
まだ、茜には都季に話していないことがある。
しかし、どれから話せばいいか、何と声をかけていいか分からない。
「……帰るぞ」
「っ、はい」
今の都季にとって、茜の何気なく出た言葉は救いだった。
帰る場所が、ちゃんとあるのだと。
そっと安堵の息を吐いた茜は、助手席のドアを開けてやってから、自らも運転席に乗った。
「まぁ、帰るっつっても、今からバイトだろ? しょーがないから迎えに来てやった。また遅刻決定だけどな」
茜はすっかりいつもの調子だ。それがまた、不安と恐怖に押し潰されそうだった都季にとっては良かった。
「……ありがとうございます」
『ボクも!』
礼を言いながらドアを閉めようとした都季の視界を、突然、下から生えるように現れた御黒の姿が埋めた。
都季は、来てくれたのが茜だけではなかったことに唖然とする。
「御黒と暮葉も来てたのか?」
『てへっ。来ちゃった』
まるで、彼氏の家に押し掛けた彼女のように照れた御黒の真下で、彼を頭に乗せた暮葉も存在を主張するように「キュウン」とか細く鳴く。
そして、二匹は期待したように茜を見た。
御黒の目は、「せっかく(暮葉が)自力で頑張って来たのに、また(暮葉に)走らせて帰るの?」と語っている。
ここで置いて帰れば、後々で面倒になるのは目に見えていた。
「……ちっ。シート汚すんじゃねぇぞ」
『やったー!』
「え。暮葉、その体格じゃ俺の膝は無理だって」
大型犬であるボルゾイの姿の暮葉は、とても人が座った助手席に収まりそうにない。
だが、本人には自分のサイズ感が分からないのか、目を潤ませて都季を見た。
「……うん、分かった。頑張るからおいで」
「おい、暮葉。我もおるのだ。足元にいかんか」
助手席を最大限後ろに寄せ、足元の空間を開ける。が、暮葉はやはり膝がいいのか乗ろうとしてきた。
そんな暮葉の頬を月神が鬱陶しそうに押すが、暮葉は非難するように「キュウン」と鳴くだけだ。
「暮葉、足元にいろ。ケガするぞ」
「クゥゥ……」
やや語調を強めた茜の一言で、やっと暮葉は都季の足元に渋々ながら収まった。ただ、やはり窮屈なのか、上体は都季の膝に乗せるという器用な収まり方だ。
車が動き出し、都季と茜、月神は再び口を閉ざす。
唯一、空気を読めていないのは、よく分からない鼻歌を歌いながら暮葉の毛を三つ編みにしている御黒だ。
「……はぁ。黙ってるほうが苛々するな」
「すみません」
「お前じゃねぇよ、御黒だ」
『え』
「で? 総長さんはなんだって?」
固まった御黒を無視して、茜はようやく本題に入った。
都季は膝にいる暮葉を見下ろしながら小さく返す。
「俺の保護を、したいそうです。でも、今は書面が有効だから、俺が頷かないとできないって……」
「ほー。ご苦労なこった。で、お前は?」
「え?」
茜は、今は書面のことには触れず、都季の答えを訊ねた。
書面上の『後見人』である彼女にとって、今は都季の出した答えが重要だからだ。
「どう答えたんだ?」
「まだ、はっきりと答えてはいません。それに……」
茜は運転のために前を向いたままで、都季が言葉に詰まっても無理に催促をしない。
肩にいる月神も、口を閉ざした御黒も、膝で落ちつく暮葉も、空気を読んでいるのかずっと口を閉ざしたままだ。
「これは、母方の祖父が依頼したことらしいんです」
「百澄か」
「はい。だから、どうしたらいいか迷ってて……」
「マジか……。厄介なモンにバレちまったかなぁ」
茜は百澄の当主を思い浮かべながら、大きな溜め息を吐いて後ろ頭を掻いた。
百澄は元々、局との繋がりがあった。だが、巫女が産まれなくなり、さらには霊力もない者が増えてきている今、関わりは年々薄れつつある。唯一の繋がりだった結奈も、もうこの世にいない。
そんな彼女に、月神は根本的な問題を指摘する。
「隠した事が間違いだったかもしれんのぅ。百澄や特務には知らせておくべきだったか」
「バラしたら、それはそれで厄介でしょうに」
「……すみません」
「お前まで琴音のクセが移ったんじゃねぇの? 謝るな」
元はといえば月神が都季に入ってしまったことから始まるのだ。誰が悪いのかと元凶を問いただす気も探す気もないが、何にしても都季が謝るところではない。
「一応、後見人として確認しておく。お前は百澄と今と、どっちがいい?」
「……百澄に、帰りたくはないです」
誠司の「家出」という単語が脳裏を横切る。確かに、他人から見ればただの家出と思われても仕方ない。
駄々っ子のように思われたくはないが、それでも、あの家に帰る気にはなれなかった。
もし、茜にまで「帰れ」と言われたら……と、不安が沸き起こる。書面の効果で後見人となっている彼女がそれを口にすれば、他に居場所のない都季は百澄へ帰らざるを得ない。
そんな都季の不安を吹き飛ばすかの如く、赤信号で停車した茜は、あっさりと言ってみせた。
「よし。それなら、あたしは使える手はすべて使って、お前を『後見人』としても守ってやる。局も書面がある限り、最善を尽くす」
「安心してよい。我らは、そう易々と特務に論破はされぬ」
「うん。ありがとう」
普段ならば多少なりとも安心できるはずだが、今は心に重くのし掛かる言葉のせいで、素直に受け入れきれなかった。
――百澄は後悔していますよ。あの日、頷くのではなかった、と。
(俺は、間違ってたのかな……)
百澄を出たことで、気持ちは以前より楽になった。唯一、体裁を気にしてされている仕送りが、切っても切れない繋がりを表しているようで嫌だが、学生の今は仕方がない。
後見人が茜でも仕送りが途切れていなかったのは、百澄と茜の間でそのことについても話し合いがあったのだろう。
そう考えていると、話し合いの内容が気になった都季は、この際、と素直に訊ねることにした。
「あの、俺が百澄に引き取られるとき、百澄とどういう話し合いをしたんですか?」
「んー? そうだな……あのまま、あたしが後見人に立てば、また局に関わる可能性が高いだろ?」
結奈としては、巫女の血筋を重んじていた両親に託すより、幻妖や依人と戦えるだけの力を持つ茜のほうが、安全で自由に過ごせると思ったのだろう。
だが、それではいずれ、都季は幻妖世界に触れてしまい、危険な場所に立たされる可能性があった。
他の十二生肖や局を頼らず、茜一人で、幻妖世界の存在を明かさずに守れるかと言われれば、答えは否だ。
「百澄は、お前を幻妖世界には関わらせないと言ってきた。だから、あたしもより安全な場所を、と百澄に託したんだ」
しかし、今から三ヶ月程前、花音から相談されて耳を疑った。募集をかけていたバイトの面接に応募してきた名前が、都季と同姓同名だったからだ。
まさか、と思いながら面接の日を迎え、やって来た都季を見て愕然とした。
百澄は何をしているのか、と苛立ちさえ覚えたのは記憶に新しい。
「お前が面接に来たとき、はっきり言って断ろうかと思った」
「!」
「下手に関わることになるからな。でも、百澄に聞いたら、『家を出たのは自分の意志で、私達も同意した。書面は有効だ』とかって言うからさ、放っておけるかって思ったんだよ」
あとは、他に来た面接の奴らが気に食わなかったんだけどな。と付け足す茜だが、都季は驚きから頷くことすらできなかった。
「書面のこと、黙ってて悪かった。明かせば幻妖世界について話さなきゃ納得しないだろうし、事態を重く受け止めそうだからな」
「いえ……」
茜の判断が間違っているとは言えなかった。書面の存在を明かされていれば、確かに、気になっていただろう。何故、そんな物が必要なのかと。
今思えば、彼女は以前、都季の両親から「都季を頼む」と言われたと話していた。そこから考えれば、後見人が茜であるのは当然だ。
状況が状況だっただけに仕方がないが、都季は自身の察しの悪さに溜め息を吐いた。
「でも、もう隠すこともねぇし、あとはお前の中で整理ができて、百澄や両親の話が聞きたいって思ったら聞きにこい。時と場合にもよるが、全部話してやる」
「……はい」
都季が知らない部分はたくさんある。それを知って、何かが変わる可能性もあるだろう。
すると、今まで口を閉ざしていた月神が、まるですべてを見透かしているかのように言った。
「人の
「つっきー?」
「お主は、どう足掻いても我らに関わるという不変の運命を持っているようだ。つまり、お主の人生の中で、我らに関わることが大きな意味を持っているのであろうな」
そう言うと、月神は口元に笑みを浮かべ、目を瞬かせる都季の頬を「しっかりせぬか」と軽く叩いた。
「変わらぬのなら順応するまでだ。お主は今までもすぐに順応してきた。変化する運命は成長の過程、不変の運命は成長の試練だ」
「……うん」
しっかりしろと内心で自分に激を送る。くよくよしていても終わりはない。ならば、先に進むしかないのだ。
茜はやや面倒くさそうに、小さく息を吐いてから言った。
「後見人についてのいろんなことは、こっちでうまくやってるから、お前は気にすんな。ああ、でも、お前の三者面談やら何やら、保護者が必要ってときには、これからはあたしが出るからな」
「え。茜さんが?」
「不満か?」
「い、いえ! その……」
母親代わりにしては歳が近すぎるのだ。周囲から好奇の目で見られるのは容易に想像できる。
都季はそんな視線を気にはするが、気に病むほどはいかない。だが、茜はどうか。
心配した都季がどう切り出せばいいかと言葉を濁せば、渋面を作った茜はストレートに言った。
「あたしは不満だがな」
「え」
「一回りしか違わないなんざ、母親にしちゃ若すぎるだろーが」
「……ですよね」
一体、どんな人生を歩んできたのかと思われる。
学園側は事情を知れば理解は得られるだろうが、それを他の人にも説明して回れるほど茜達は暇ではない。
これからを想像してげんなりした都季だったが、茜は意外にもあっさりと言う。
「ま、それはあくまでも『母親』としてだけどな」
「は……?」
「お前は別枠。弟みたいなもんだし、面倒はきっちり見てやるよ」
都季を一瞥した茜は口元で笑んで見せた。
彼女は適当なことを言うときもあるが、いざというときには非常に頼りになる。だからこそ、厳しい性格でも周りは慕ってついてきているのだ。
「ありがとうございます。茜さん」
「どういたしまして」
やはり、今の場所は居心地がいい。
先ほどまであった胸のつかえは、もう忘れてしまうほど消えていた。
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