第20話 新たな動き


 太陽は頂点を少し過ぎ、地上を容赦なく熱し続けている。

 夏も近づく今、暑そうに歩く人々を悠々と見下ろしながら、三対の翼を持つ烏は誰の目に触れることもなくビルとビルの間を滑空していた。

 やがて、烏は一つのテナントビルに飛び込んだ。フロア全てが空いているそこは、電気が点けられていないせいで昼間でも奥に行けば薄暗い。

 それでも、烏は目の利きづらい奥へと飛ぶ。向かう先の部屋の隅には、以前入っていた店舗の関係者が残したであろう机があった。

 その上には、テナント関係者とは思えないラフな格好の人物が、片膝を立てて座っていた。Vネックの黒いシャツは体のラインがよく分かり、無駄な脂肪などは一切ついていない。顔は影が掛かっているせいで烏には認識できないが、滲み出る気配で目的の人物と一致させた。

 烏は徐に伸ばされた片腕に止まると、その人物に向かって羽をバサバサとさせながら三度鳴く。


「……あァ、そう」


 まるで烏の言葉を理解しているかのような返事。

 まだ若いであろう男の声に、烏は肩に移動してからまた短く鳴いた。

 彼はニヤリと笑みを浮かべると、ゆっくりと机から降りる。


「長年、待ち続けていたんだ」


 烏が出入りできるようにと、唯一、開けていた窓に歩み寄る。

 見渡した町は、特に大きな異変もない平和な日常を繰り返していた。


「いよいよこの日が来た」


 窓の縁に置いた手を握りしめる。

 あの日から、彼はずっと待ち続けていた。当時を思い出せば、今でも古傷が痛むほどに。

 自分に傷を残した巫女は死んだ。だが、もう一人、ずっと表に出てこない者がまだ残っている。


「引きずり出してしまえば、あとはこちらのものだ」


 彼の背後で、影に潜んでいた複数の存在が蠢いた。

 烏はそれらを一瞥した後、再び男に向き直る。


「さァ、やろうか。『神喰らい』を!」


 肩にいた烏が鳴いて空に羽ばたく。それを追うかのように、背後の暗闇に潜んでいた影が飛び出した。

 空を飛ぶ烏と複数の黒い影を見ながら、彼は何かを抑えるように服の上から左胸を掴んだ。



   * * *



「十二生肖による局の襲撃の手引きに、裏支の離反、局を襲撃した十二生肖による月神への反逆。……ははっ! 『反逆』やて。恐い言い方するなぁ。ま、実際、そうなんやけど」


 整った顔立ちの金髪の青年は、手にした書類から目の前の大きな机に座る同世代の青年を見た。

 彼もまた端正な顔立ちをしているが、遊んでいそうな金髪の青年に比べると、少しばかり真面目さが滲んでいる。

 二人がいるのは、中世ヨーロッパの貴族が住んでいそうな広い室内。天井から吊り下がる照明はアンティーク調で、青年が使用している机も脚や縁にも細やかな装飾が施されている。足下の深紅の絨毯は靴底が埋もれるくらいには毛足が長い。

 南向きの大きな窓を背にした青年に、金髪の青年は晴れた空を見てから小さく肩を竦めた。


「さぁて、どないする? 巫女さんの子供は、決意固めたみたいやで。このままでええのん?」


 おどけたように言うと同時に、書類を机の上に軽く放った。

 机に肘をついて顔の前で手を組んでいた青年は、手元に滑ってきた書類を一瞥すると、淡々とした……しかし、はっきりと通る声で言う。


「あちらからの要望はただ一つです。『かの人』に危険が及ぶようならば、ただちに実行に移すようにと」


 机に片手をつきながら立ち上がった青年は、背にしていた大きな窓から外を眺めた。

 広大な庭には、様々な種類の木や花が植えられている。どれも手入れが行き届いており、建物の正面玄関から真っ直ぐに伸びる道を中心として、左右対称の美しいバランスを保っていた。

 数日前のある人物との話を思い出しながら、青年は言葉を続ける。


「これ以上、彼らに任せてはおけません」

「ほなら?」

「ええ。こちらも動きましょう。……皆さんも、よろしいですね?」

「「「「はっ!」」」」


 金髪の青年の後ろに控えていたスーツ姿の五人が敬礼をしながら短く返事をした。最も、一人だけ声を出していなかったが、それが常のことであるため、誰かが指摘をすることはなかった。

 青年は振り返ると、六人に指示を出す。


特務自警機関とくむじけいきかん、特殊精鋭部隊に、これより百澄もずみ宗家末裔、『更科都季』の保護の任を命じる」






三章 終


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