第19話 あの日から、もう一度


「俺さ、前に依月で、辛い記憶は消してしまえばいいのにって言ったことあっただろ?」

「ああ」


 局に向けて歩いていた都季は、先ほどの澪の言葉に依月での自身の発言を少しだけ後悔した。


「悠に関しては、悠の能力上、後で面倒事になりそうって理由もあるけど、あの子の意思を聞いて、残しておく道も大事なんだなって気づかされたよ」

「いや、お前の意見も間違いじゃねぇよ。忘れることで、救われる人間だって必ずいるんだ」


 苦笑を零す都季に、魁は小さく肩を竦めた。

 記憶を消すことについて、考え方は人それぞれだ。都季の考えも間違いというわけではなく、消したほうが幸せになるパターンも確かにある。ただ、それがすべてではないだけだ。


「うん。場合によると思う。けど、俺は両親のことを忘れたくない」

「都季……」


 思い出すたびに喪失感が襲いかかってくる。一人で泣いたことも両手では数え切れないほどにある。

 しかし、その記憶を忘れて辛さから解放されると言われても、都季は頷かないだろうと思った。


「大事な人の死は辛いけど、消してしまえばその人との思い出もなくなってしまう。良いことも悪いことも」

「……そうだな」

「それって、極端に言えば、大事な人の存在を否定してしまうんじゃないかって思ったんだ。だから、忘れちゃいけないって。まぁ、あの子はちょっと特殊みたいだけど……」

「存在が同一だからのぅ」


 澪には「ミオ」が姉である認識は曖昧にはあるが、これといった思い出はない。さらに、澪はミオと同一の存在であると気づいている。その上で、ミオのことを「姉」と呼んでいた。存在を知っているだけの彼女を、それでも彼は覚えておくことを選んだ。

 それは、彼女と周りの『思い出』を大事にしたいからだけではなく、彼女の『意思』も大事にしたいからだろう。

 あくまでも憶測だが、月神は澪を思い浮かべながら空を見上げて微笑んだ。


「幼いながら、しっかりした子だ」


 澪も、悠も、同じ『想い』を抱えて。

 一時はその命を捨てようとした悠だが、『澪』という存在を知った今なら、また捨てようとすることはないはずだ。


(辛いけど、その辛さを糧にして生きることだってできるんだよな)


 都季は両親の姿を思い浮かべ、二人の想いを噛みしめる。そして、改めて、自分も両親の意志を守りたいと思った。

 そこで、後ろから声をかけられた。


「先輩!」

「あれ? 意外と早かった」


 走って来たのは、しばらく一人にしておこうと思っていた悠だった。両肩には御黒と茶胡がしがみついている。外されたはずのヘアピンも、すっかり元の位置だ。

 彼は都季達のもとまで駆け寄ると、一旦、胸に手を当てて呼吸を整えた。さらに一拍置いてから、真っ直ぐに都季を見て口を開く。


「僕は、破綻者をけしかけて局を襲わせました。そして、一夜さんの記憶を書き換えて都季先輩を襲わせました。その後、一夜さんのもとに向かうために依月を出るとき、手遅れなんじゃないかって煽ったのも僕です」


 これまでに悠がしたことを本人の口から告げられ、再度、彼の局を変えようという意志の強さを感じた。同時に、彼自身も変わろうとしていることも。

 悠は都季から視線を落とした。下げられた手は握りしめられ、眉間には少しだけ皺が寄る。


「まだ、都季先輩がやろうとしていることに対して、本当にできるのかって半信半疑です。でも……だからこそ、これを切っ掛けにしたいんです。だから――」


 再び都季を視界に入れた悠は、片手を差し出した。浮かべた笑みは作り物ではなく、心の底からのものだ。


「僕は子峰悠と言います。ちょっと人見知りで天才肌なAB型。誕生日が一月なのでまだ十四になったばかりです。これから、よろしくお願いしますね?」

「……ああ。よろしく」


 もう一度聞いた自己紹介は、あの時と変わりない。

 彼は出会ったあの時からやり直そうとしているのだと、都季も理解した上で頷いて手を取った。




「片は着いたようだね」


 天降神社の、戦闘によって崩れた見晴台。

 千早や一夜、警邏部によって幾分か片付けられはしたものの、まだ一部の地面が大きく抉られ、転落防止用の柵は壊れたままだ。そのため、現在は立ち入り禁止になっている。ただし、表向きには「地盤が緩んだことによる崩落」と説明しているが。

 だが、幻妖である刻裏には侵入を防ぐテープなど関係なく、まだ抉られていない場所から町を一望していた。

 正確には、一望しながら遠くの対象者を視ていたのだが。


「かくも人の心は移ろいやすく、実に愚かなものだ。しかし……」


 詠うように述べた刻裏は、言葉を止めて口元だけで笑んだ。


「だからこそ、見ていて飽きない」


 いつもの調子の五人と二匹を視ながらそう言うと、刻裏は目を閉じた。

 すぐに駆け巡った景色は、数秒後からずっと先まで続く未来だ。

 ただし、この未来の断片も『異変』があればすぐに変わってしまう。

 例えば、二年前の巫女の行動によって。例えば、自身の継承行為によって。例えば、一人の少年による突発的な行動によって。

 常に変わる未来は、同じではないからこそ、決して飽きることはない。それを教えてくれたのは、過去に出会った一人の女性だ。

 緩く吹いた風が刻裏の長い髪を靡かせる。

 脳裏に一人の少年の姿を浮かべた刻裏は、彼に伝えるように呟いた。


「あの手紙は、確かに渡したぞ」


 もちろん、少年に言葉が届くはずはない。最も、届いたとしても、応じられるのは少年ではなく、同一の魂を持つ少女、ミオだが。

 局を抜け出したミオの前に現れたのは、先を視ていた刻裏だ。このまま彼女を消滅させてはならないと、彼女のやろうとしていることを叶えなければならないと思って。

 ただ、刻裏の千里眼を知らないミオは、彼が奇跡的に現れてくれたと思い、自宅まで送ってほしいと言ってきた。それを了承し、自宅まで送り届けると、彼女は震える手で、苦しさから息を切らせながら手紙を綴った。


 ――あの、これを……悠君に、渡して、くれ、ません、か……?

 ――何故、私に託す?

 ――前に、悠君が、狐、さん、は……いろんな、じゅつ、を……使うって、言って、たので……。


 普通、破綻者が消滅すればそれに関わった物も消えてしまう。本人が書いた手紙なども当然それに該当する。

 未来を再度、視た刻裏は、なるほど、と一人納得して手紙を受け取った。


 ――利害の一致だ。これは確かに、私が預かった。

 ――あり、がと……ござ、い、ます……。


 ミオとはここで別れた。これ以上、彼女に対して自分が出来ることはもうなかったのだ。『この世界』では。

 刻裏は人間界とは異なる時間の流れを送る幻妖界に還り、手紙に時を止める術を掛けた上で自分にしか分からない場所に保管した。


「まさか、その手紙が、本当に『ことわり』を覆すとはな」


 くつくつと喉の奥で笑う。正直なところ、その未来は半信半疑だった。例外なく消えていた破綻者の物が、果たして残ることがあるのかと。

 ミオが消滅した後、念のため確認をして驚いたものだ。また、少年が生まれたときには手紙がすべてを変えてしまったと。


「手紙が残ることで、消滅は完全ではなくなる。形を変えようにも、彼女の想いが残ってしまっている」


 手紙の存在を正当化するには、彼女に代わる存在が必要になる。そこで生まれたのが『澪』だ。

 今回の現象については、さすがの刻裏も初めて目にした。千里眼でも、ここまでの具体的な内容は視えていなかった。

 世界の理を変えたのならば、未来はまた変わっているだろう。

 目を閉じた刻裏だが、すぐにまた目を開くと小さく笑んだ。


「彼らならば、この先も何があろうとも崩されはしないだろう。そう、例え――」


 視えた光景に、刻裏は笑みを悲痛に歪めた。

 どれほど変えたくとも、変わらない未来に。

 変えようと足掻いても、結果的に辿り着いてしまう未来に。


「――血に濡れようとも」


 未来を視てしまう自身の力を、これほどまでに憎んだ試しはなかった。



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