第17話 記憶
――『悪足掻き』というものを、僕はまだやるみたいだ。
審問、と呼べるものかは定かではないが、先代達との話を終えてから数日。
葵からの予言が気になっていた悠は、ある場所に向かっていた。
「閑静な住宅街」という言葉がぴったりと当てはまる穏やかな場所。塀の上で欠伸を零した猫は、首輪をつけている辺り近所の飼い猫なのだろう。
その一角に建つ一軒家の門前で、悠は鼓動が早い心臓を落ちつけるために深呼吸をした。
(……うん。間違いない)
念のため、表札を一瞥して目的の家であると確認をしておく。引っ越しをされていれば本末転倒だ。
インターホンを押そうとしたとき、一人の女性がタイミング良く庭に出てきた。カバンなどは持っておらず、何処かに出掛けるわけではないようだ。
彼女は門の外にいる悠の姿を視界に入れると、不思議そうに小首を傾げた。
「あら? 何かご用ですか?」
「あ、あの!」
「はい?」
緊張からどもってしまったが、彼女は目を瞬かせるだけで不審がる様子はない。一目で分かるほど人の良さが滲む優しい顔立ちに、よく見知った少女の面影が重なる。
間違いない、と自身の中で確信したと同時に、これから発する言葉に強い恐怖を覚えた。
「ミオ……橘ミオという女の子を、ご存知ありませんか?」
「女の子?」
「はい」
女性は目を瞬かせながら、片手を頬に当てて考える。
悠のことを誰かと考えているのか、それとも、予想していた嫌な結果のほうか。答えは決まっているはずなのに、今はまだ分かりたくないと思った。
不安を潰すように握った拳に力を込める。
しかし、現実はあくまでも異例を出さなかった。
「ええと……ごめんなさいね。うちに女の子はいないの」
「……そう、ですか」
心臓が大きく跳ね、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
答えは分かっていたはずだ。それなのに、もしかしたら、という小さな期待だけで無意味なことをしてしまった。
視線を落とした悠を見て、女性はまた何かを考えた後に言う。
「もしかして、ご近所に住んでた方のことかしら? かなり昔から住んでる方がこの近くだから、どこに引っ越したか訊いてみましょうか?」
「……いえ、大丈夫です。すみません。おかしなことを訊いて……」
「ううん。いいのよ」
初対面の相手に、よくそこまで親切にしてくれるものだな、とまた彼女の姿が浮かんだ。
ただ、知らないのならばこれ以上、ここにいるのはお互いのために良くない。悠の存在が、彼女にどう影響を及ぼすか分からないからだ。
去ろうとした悠だったが、彼女は小さく笑みを浮かべて言葉を続けた。
「その……『ミオ』ちゃんって、あなたの彼女?」
「え!?」
まさかの質問に、去ろうとした足が地面に縫い止められた。
軽い好奇心から訊ねたのだろう。そういったところも、少女……ミオとよく似ている。今は記憶から消えてしまっているが、確かに、ミオは彼女の娘だったのだ。
悠の戸惑った様子に、彼女は無邪気に笑った。
「ふふっ。なんだか、すごく大事そうに名前を呼ぶから、そうかなーって。ケンカしちゃったの?」
「…………」
真実を話すことは禁じられている。最も、話したところで理解が得られるようなものでもないのだが。
しかし、このまま立ち去るのも彼女に悪い気がして、悠は嘘をつくことを選んだ。
役者としての自分を思い出せ、と言い聞かせて、困ったような笑みを浮かべた。
「そうなんです。ケンカして、そのままお互い帰ってしまって……。でも、その日が引っ越す前の日だったみたいなんです」
「そう……」
笑っていたかと思えば、悠の話を聞いて表情を少し暗くさせる。コロコロと変わる表情に、いちいちミオの姿を重ねてしまう。
早く去りたいのに、足は根を張ったかのように動かない。
「あまり家に行ったことがなくて、位置もあやふやだったんです。でも、ちょうど橘さんの表札があったので、もしかしたら……って」
「あら。じゃあ、がっかりさせちゃったかしら?」
「い、いえ! もう引っ越したんだし、いないのは分かっているのに探したオレが悪いんです。本当にすみません」
引っ越しなどという可愛いものだったなら、今頃、自分は彼女を追って会いに行っていただろうか、と少しだけ現実逃避をする。ただし、彼女を追ったとしても、子の役を担っている以上、一緒にはいられないのだろう。
視線を落としてしまった悠に、ミオの母親は優しい口調で言った。
「大丈夫よ。そんなに仲の良い子なら、また連絡が来るんじゃないかしら? 引っ越したばかりじゃ難しいかもしれないけど、ね?」
「……はい。ありがとうございます」
消えてしまったミオから連絡が来ることはない。しかも、もう二年も経つのだ。
それでも、母親であった彼女に言われると本当に来るような気がして、少しだけ胸が軽くなった。
すると、彼女は悠の顔を見て何かに気づいた。
「そういえば、あなた、どこかで見たような……」
「あー……自分で言うのもあれですが、オレとそっくりな俳優さんがいるみたいですね」
似た人ではなく本人なのだが、万が一を考えて先に違うと否定しておいた。大人しい人には見えるが、騒がれては面倒だ。
だが、彼女は予想に反して困ったように笑みを浮かべた。
「俳優さん……ごめんなさい。私、芸能界には疎くて。可笑しいでしょう? テレビ好きそうな主婦が知らないだなんて」
でも……、と彼女は片手を口元に当てながら、さらに記憶を探った。
「たしか、画面越しではあるんだけど、もっと近くで見たような……あ、そうそう。写真だったわ。でも、あれはなんだったかしら……」
「っ! 他に、よく似た人がいたのかもしれませんよ」
「うーん……。そう言われてみれば、そうだったかも」
悠の脳裏を駆け巡った記憶は、目の前の彼女が保有するものだ。
少女が携帯電話の画面を嬉しそうに見せてきている。顔がほとんど見えないのは、映像の主である彼女の記憶に欠落があるからだ。
しかし、悠には顔の見えない少女がミオであり、携帯電話の画面に映るのが悠とミオだと分かった。
彼女の反応から察するに、原因は不明だが記憶は完全に消えていないようだ。だとすれば、能力を使えば彼女の記憶を元に戻せる可能性がある。
そう思った悠が実践しようとしたとき、家の中から少年の声がした。
「母さーん。僕のシャツ知らない? ……って、お客さん?」
「っ!」
玄関に現れたのは、小学校の高学年くらいの少年だ。悠を見て目を瞬かせている。
ミオに弟がいるとは知らなかったが、能力の行使を踏み留まるきっかけにはなった。
「すみません。長々とお話しして。じゃあ、僕はこれで……」
「いいえー。力になれなくてごめんなさい」
「いえ、おかげですっきりしました。ありがとうございます」
小さく頭を下げてから慌てて家を後にし、角を曲がった所で塀に凭れて大きく息を吐く。
ふと、自分の手を見れば、小刻みに震えていた。走ったわけでもないのに、心臓はまた早鐘を打っている。
(思い出させて、どうするんだ……)
今回、あの家を訪れたのは、ミオの家族が彼女を覚えているかどうか確認をするためだ。本来ならば悠以外の者が様子を見に来る予定だったが、葵の予言が気になっていた悠が頼み込んで仕事を変わってもらった。
忘れていたなら、そのまま自分の中に大切にしまっておこうと思っていた。しかし、多少なりとも記憶に存在するならば、それはそれで異例のため、局に報告しなければならない。その後は、自分が責任を持って今度こそ守ろうと決めていた。
結果としては、ミオの母親に記憶は完全には残っていなかった。思い出しかけてはいたが、きっかけになる悠が離れた以上はまた忘れるはずだ。
「これで、いい……」
葵の予言は外れたが、これで良かったのだと落胆する自身に言い聞かせる。
そんな悠の頭上から二つの声が降ってきた。
『大丈夫?』
『悠、どこか痛い?』
「うん。大丈夫」
近くの塀から肩に飛び乗ってきたのは、物陰から記憶を探らせていた御黒と茶胡だ。
左右それぞれに分かれて乗る二人に小さく笑みを返せば、新たな声がかかった。
「お疲れ、悠」
「都季先輩……」
声をかけてきたのは私服姿の都季だ。その肩には相変わらず月神が、都季の後ろには魁と琴音がいた。
月神は悠がやって来た方向の空を見ながら何気なく言う。
「よく局が許したのぅ」
「念のための確認です。確認なら、局も許可を出しますから」
「『関わった者』は接触してはならぬのにか?」
破綻者が消えると、すべての関係者からは記憶が消え、使用されていた物などもほとんどなくなるか別の理由で存在する物になる。
また、記憶を有する局員で破綻者や関係者に関わった者は、その後の接触を許可されていない。いくら記憶から消えるとはいえ、万が一を考えての処置だ。
もし、接触したことで記憶が戻り、消えてしまった者を探し、その結果、幻妖世界のことを知ってしまう可能性もあるからだ。
それを悠も重々承知しているが、今回は自分で確かめたかった。
「僕は特例ですよ。記憶も弄れますからね」
「……そうか」
だからこそ、月神は悠がミオの記憶を蘇らせるのではと案じていたのだが、それも杞憂だったようだ。
都季は自分達の横を通った悠を、少しだけ駆け足になりながら追いついて横に並ぶ。魁や琴音も後ろではあるがついてきている。
「悠はこれから局に?」
「ええ。一応、報告の義務がありますから」
「真面目になったなぁ」
「僕は最初から真面目ですよ」
魁の茶化しを軽く流せば、「なんか素っ気ない」と落ち込んだ声が返ってきた。
魁達は以前と変わりない態度で接してきているが、反抗していた悠としてはまだ素直に戻れない。
それでも、都季は前と変わらぬ笑顔で言う。
「でも、ちょうど良かった。俺も今から局に行くんだよ」
「珍しい。何かあるんですか?」
都季は学生の間は局に入らないという話になっている。そのため、十二生肖である悠達のように、何かあったときの報告やその他の仕事を義務付けされていない。最後に局に行ったのも、一夜の一件くらいだ。
すると、都季は気まずそうに視線を泳がせた。
「茜さんに、もっと鍛えろって」
「……はっ」
「鼻で笑うな!」
「笑わずしてどうす――」
「あ、あの! 子峰さん、ですよね!? “姉ちゃん”と仲の良かった!」
「っ!」
突然の背後からの声とその内容に、悠の肩が大きく跳ねる。
一瞬、聞き間違いかと思った。
しかし、振り向いた先にいたのは、ミオの家にいたあの少年だった。
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