第3話 消えない過去


「子峰君。この間休んでたときのノート、コピーして机に置いてるからね」


 いつものように屋上で寝転がり、ぼんやりと空を眺めていた悠に声をかけてきたのは、少し話すようになったミオだった。

 悠の顔を覗き込む彼女は、青空を背景に無邪気な笑顔を浮かべている。


「……ありがとう」


 また、過去の夢だ。しかも、今回はここが夢であると気づいた上での。

 夢の中での過去の自分と現在の自分の意識が混濁して、少し気持ちが悪い。

 先に見たものより日にちは流れているが、一ヶ月は経っていないくらいだろう。

 わざわざ言いに来なくても、と思いながら上体を起こし、気分の重さから溜め息を吐く。

 その理由に気づくには時間は掛からなかった。


 ――最悪だ。紗智姉が死んだ後の夢だなんて……。


 悠は夢でミオと会話する自分とは別の場所でそう呟く。

 依人達をその存在だけで抑えていた巫女が亡くなって半年と数ヶ月。その間、悠達は先代から十二生肖の役を受け継ぎ、暴走が多くなった依人や幻妖を取り締まるために日夜、町中を駆け回っていた。

 そんな矢先、依人や幻妖の一斉取り締まりの話が上がった。これが成功すれば、暴走は収まるだろうと。

 しかし、その作戦の中で一人の犠牲者が出た。

 十二生肖、午。梛午紗智。

 人見知りでなかなか打ち解けなかった悠にも優しく接してくれた女性だった。


(人が一人死んだってのに、なんでじいさん達は平然としてるんだよ)


 いちいち構っていられる状況ではないのも分かる。だが、亡くなったその日に後任を決めるのは時期尚早な気がしたのだ。

 渋面を作る悠を見て、隣に両膝をついていたミオが心配したように訊ねた。


「お仕事、大変?」

「……おかげさまでね」

「……だよね。子峰君、頑張ってるもん」


 仕事の内容は言えないが、彼女の中では芸能界の仕事と取られているだろう。実際、学校を休んでいた表向きの理由は「俳優業のため」だ。

 彼女が寂しげに笑っていることに気づき、夢と知っている今の悠は心の中で顔を顰める。


(ああ……。このとき、少しでも異変に気づいて、意地でも突き放していたら、『あんなこと』にはならなかったかもしれないのに)


 彼女の中にある気持ちを汲み取る余裕があれば良かった。もしくは、琴音のように、他人の心を聴くことができれば。

 しかし、夢の中の悠はそんな彼女の本心には気づかず、これまでの学校生活を振り返った。

 僅かに募った苛立ちは八つ当たりか、それとも鬱陶しさからくるものかは難しいところだ。


「……ねぇ、君さ」

「なぁに?」

「前も訊いたけど、僕の気を引きたいの?」

「え?」


 数週間前にこの場所で話をしてからと言うもの、ミオは何かと構ってくる。どれだけ素っ気なく返そうとも、彼女はへこたれなかった。

 だが、今回のミオはなぜか瞠目した。


「あ、ごめん。迷惑だった?」

「迷惑って言うか、気を引きたいなら無駄だから」


 最初にも言った言葉だが、たまにしつこい人も中にはいる。接点を増やせば変わるのではないかと。

 その部類かともう一度念を押すも、ミオの反応はまたもや悠の予想を覆した。

 目を瞬かせた彼女が失笑したのだ。


「ふっ……あははっ! じゃあ、大丈夫! 私、ただ純粋に、子峰君と仲良くなりたいって思っただけだから」

「信じらんない」

「そりゃそうだよ。まだ中学に入って二ヶ月とちょっとだもん」

「…………」


 あっさりと返され、もはや言葉が出てこない。

 ミオの精神の太さに唖然としていることなど露知らず、彼女は言葉を続けた。


「でも、子峰君っていっつも一人でいるか、『遠い親戚』の二年生の人と一緒でしょ? だから、人見知りなのかなぁって」

「人見知り……」

「違うかった?」


 「人見知り」と簡潔に言われ、再び唖然としてしまう。

 ミオの言う「遠い親戚の二年生」とは、魁と琴音を指しているとすぐに分かった。

 確かに、二人とはよく一緒にいるが、それは仕事の関係もあってのことだ。

 知り合ったのも十二生肖として継承を行ったあとで、付き合いは長くない。

 また、「親戚」という解釈については、大きく見ればそうなる。詳しくは口が裂けても言えないが。

 小首を傾げるミオを見て、悠は少しの間を開けてから溜め息混じりに言った。


「……君さぁ。ホント、なんなの?」


 調子が狂う。その一言に尽きる。

 冷たく突き放す悠にも良心はある。そのせいか、段々と自分のやっていることが嫌になってきた。

 さっさと能力を使って遠ざければいいのだが、日夜、依人や幻妖を相手にしているせいで疲労が蓄積されている。こんなことにまで労力を使いたくはない。


「大体の子が僕と話したらすぐ逃げるのに」

「そう? 私は、子峰君とのお喋りは楽しいんだけどな。ここまでハッキリ言ってくれる人って早々いないし」

「変」

「あはは。子峰君が言う?」

「僕が? まさか。僕のどこが変なの?」


 口ではそう言いながらも、内心では「他人と違う血や力を持っている時点で変か」と思った。また、彼女も知れば拒絶をするのだろうと。

 その結論に至った瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。

 初めて感じた痛みであり、このときは正体が分からずにそのまま流していた。


「『変』って言うか、皆と一線引いたままだからさ、何かあるのかなぁって。……あ。『変わってる』って言ったらいいのかな?」

「…………」


 結局は同じ意味だが、もはや指摘する気力さえない。

 自分は一般人とは違う。受け入れられることもないと思うと、周りはどうでもよくなる。

 しかし、ミオが続けた言葉は、まるで悠が隠していることを知っているかのような言い方だった。


「誰にでも開けっ広げにできない事があるのは分かるよ。でも、子峰君は『皆が見ていない部分』を見ているようで、ちょっと羨ましいんだよね」

「……やっぱり変だ」

「あはは。じゃあ、私も子峰君も変でいいじゃん。変なのは悪いことじゃないし」

「場合にもよるんだけど」

「ふふっ。確かに」


 彼女の笑顔に偽りはないように見えた。

 苛立ちが驚くほど簡単に消え、代わりに胸の奥が温かくなる。こんな感覚も、依人以外では初めてだ。

 ここまで言っても引き下がらないのなら、少しは歩み寄ってもいいのかもしれない。

 年上の十二生肖に、「組織の中で働くんだし、芸能界以外での人付き合いの仕方は今のうちに学んでおけ」と言われたことを思い出した。


(……『歩み寄る』? まさか、この僕が――)


 ――ね。お近づきの印に、名前で呼んでもいいかな?


 ふと、なぜか紗智と知り合った頃が思い浮かんだ。


 ――人見知り屋さんみたいだし、仲良くなるにはやっぱり名前で呼ばないと! 苗字だとあなたの家族全員が同じだもの。


(名前……)


 ――でも……嫌ならいいのよ? 知っているだろうけど、名前は個を縛る。だから、嫌がる依人や幻妖も多いしね。


 苦笑気味に言った彼女に、悠はなぜか即断した。

 名前で呼んでほしい、と。

 すぐに答えた理由はまだ分からないが、結果的に悠は十二生肖とは大分、打ち解けることができた。まだ冷たいと一部には言われるが、最初に比べるとマシになったほうだ。

 そして、悠はその一歩を自ら踏み出した。


「……『悠』」

「え?」

「名前」

「ん?」

「っ、だから! 僕の名前! 苗字は長いから、名前で呼んでもいいって言ってんだけど!」

「…………」


 名前を呼んでもらう方法が思い浮かばない末の発言。

 記憶力の良い頭は、このときばかりはオーバーヒートでも起こしているのかうまく働いてくれない。

 おかげで、半ば怒鳴るように言ってしまった。しかも、苗字も名前も大して長さは変わらない。

 さすがにこれはないだろう、と後悔してももう遅かった。

 ミオはぽかんとしたまま固まっていた。


「……呼べないとか言わないでよ。僕が気まぐれで『いい』って言ったんだから、呼ばないなら二度と呼ばせないから」

「……ふふっ。あはははっ!」


 ミオから視線を外した悠は、慣れない空気に顔を真っ赤にしていた。

 押し付けがましい言い方にまたもや後悔するも、ミオは気にした様子もなくまた笑いだした。


「な、なんだよ! 人がせっかく……だ、第一! 君が、僕が他人と一線引いてるからって言ったから譲歩してやったんだよ!」

「ふふっ。お、お腹痛い……!」

「……もういい」


 お腹を抱えて笑うミオから逃げるように立ち、背を向けて歩きだす。

 勇気を出して言ったものの、まさか笑われるとは思わなかった。ほんの僅かな揺らぎだけで即断した過去の自分を殺したくなる。


「ああ! 待って、『悠』君!」

「!」


 唐突に呼ばれた名前に、小さく肩が跳ねた。

 名はその人を縛ると紗智や他の人が言っていたが、本当かもしれないと少しだけ思った。

 再び顔に熱が集まる。胸が温かくなったのは、日差しで体温が上がったせいだとしておく。

 悠は振り向かずに、後ろにいるミオに言った。


「早く来ないと置いてくからね。……『ミオ』」

「……え。今――」

「知らない。もう置いてく」

「い、今行く!」


 慌てて追いかけてくるミオは、見なくても顔が赤いのは分かった。

 込み上げてくる感情に、久しぶりに小さく笑みが零れた。





「――もう、なんだって言うんだよ……」


 目を覚ませば嫌でも現実だ。

 枕元に来た灰色の子ネズミが小さく鳴く。

 知らせてきた内容に頭痛がした。

 息苦しさから逃げるように、起き上がった悠はふらつく足を叱咤しながら病室を出た。




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