第19話 最期の贈り物


 都季が力強く唱えた瞬間、人の形に変わっていた炎が四方八方に弾けるように散った。

 炎の中から現れたのは、千早と面影が似た一人の女性。体は半透明だが、ここまでが限界だ。

 その姿を見た途端、一夜が愕然として動きを止めた。


「な、んで……」


 女性、紗智は、眠るように閉じていた目をゆっくりと開く。そして、視界に一夜を収めると柔らかく微笑んだ。


「本、物……?」

『うん。宝月にまだ意識が残ってて良かった。あまり長い時間は無理だけど、月神やあの子のお陰なのよ?』

「アイツら、の……」

『そう』


 一夜は必死に状況を理解しようと頭をフル回転させながら、紗智の後ろにいる都季を見た。

 苦しそうに胸を押さえて肩で息をしているが、溢れる霊力はその辺の継承組や特体者のものではない。血統組にもこれに匹敵する者は早々いないだろう。

 紗智が本物であることは、具現化している紗智自身が持つ力から分かった。


『まったく。変な術にまんまと掛かったわけだけど、そのせいで私との「約束」を忘れたわけじゃないわよね?』

「約、束……」


 術、と聞いて都季以外の全員の顔色が変わった。

 だが、そこで口を挟まなかったのは、会話に入ってはならないと紗智が無言で圧していたからだ。

 知らず知らずその術に掛かっている一夜は、困惑を隠しきれずに顔を顰めた。

 なにか、とても大事なものに靄がかかっている。

 紗智は悲しげに微笑むと、かつて一夜と話していたことを口にした。


『昔みたいに、人と幻妖が共存するためには過去の過ちを許すことも必要だし、力ある私達が力ない者を脅かすことは避けなきゃいけない。もちろん、いつも妥協しなきゃいけないわけじゃないから、加減は難しいけどね』


 仕返しを繰り返していれば、いつか互いに滅びてしまう。そうならないためにも、どこかで折れることも必要だ。

 紗智は未だ苦しげな呼吸をする都季を一瞥すると、すぐに一夜に向き直って訊ねる。

 あまり時間はない。のんびりとしている場合ではないようだ。


『この子は、あなたが力を振るわなければいけない何かをした?』

「こいつは巫女の子供で、巫女はこいつを守るために死んだ。そのせいで、暴走が各地で起こって、鎮めるために局がお前を……!」

『んー、随分と綺麗に書き換えられているのね』


 当事者である紗智からすれば、一夜が言っていることが偽られたものであると分かる。

 紗智は、掛けられた術の強さに難しい顔をした。まずは縺れた糸を少しずつ解いていく必要がありそうだ。


『あれは本当に仕方がなかったの。これも運命ってやつなんでしょうね』


 悲しげに目を伏せはしたものの、彼女は死を受け入れている。そこに後悔の念はあまり感じられないように見えた。

 予想に反した様子に、多少の後悔はあるだろうと思っていた都季は首を傾げる。

 その理由は紗智自身の口から語られた。


『それに……私ね、今回、十二生肖に選ばれたとき、月神から聞いていたの』

「紗智」

『すみません。でも、術が関わっているとはいえ、あなたや局がこれ以上誤解されるのは黙って見ておけないんです』

「…………」


 何かを止めようとした月神だが、紗智は笑顔でそれを拒否した。

 一夜に向き直った彼女が告げたのは、この場にいる十二生肖や一夜にとって初耳のことだった。


『私は、十二生肖になれば間違いなく死ぬ。嫌だったら、今なら変えてやるって』

「なっ……!」


 あまりにも急で、酷な宣告。もちろん、他の十二生肖達は任命の際、月神から何か言われたことはない。

 愕然とする周囲に、紗智は続けて話をした。


『だけど、それによって他の人達が成長もする。もちろん、私が辞退しても、その成長は違う形で成されるだろうと』

「なら、なんで断らなかったんだ!?」

『私が嫌だって言ったら、選ばれるのはきっと千早よ』

「っ!」


 現に、千早は後任として午の役を背負っている。

 早いか遅いかの問題だとしても、紗智は断らなかった。


『たくさん悩んだ。死にたくはないし、やりたいことだっていっぱいあった。でも、狐さんに会ったときに言われたの』

「狐に……?」

『人の運命は変わらない。中には運命を変えようとする人もいるけれど、どう足掻いても、死だけは必ずやって来る』


 ――死までの道をどう辿るかは、その者次第だよ。


 その言葉がやけに腑に落ちた。生きている限り避けては通れない道。人生の最終地点。

 十二生肖を断れば、別の理由で亡くなる。

 それを想像して、どちらがいいかを考えた。


「なんで……なんで、相談してくれなかったんだよ?」

『だって、言ったら絶対に止めるでしょう?』

「当たり前だ!」

『だからよ』

「どういう意味だ……?」


 止めたくなるのは一夜だけではない。理由を知れば、親しい者であれば止めたはずだ。

 困惑する一夜に、紗智はゆっくりとその理由を説明した。


『私に、「支えてやるから、一緒に頑張ろう」って言ったじゃない』

「そんなの、お前がああなると知ってたら言わなかった!」

『でしょうね。最初は、「私はどうせ死ぬのに、何言ってんだろう」って思ったわ。でもね、あなたと一緒に戦って、同じものを見て支え合って、それで最期を迎えられるならそれがいいかなって』


 ただの十二生肖の家系の一人として生きるよりも、健康であるのに十二生肖を辞退した臆病者と後ろ指を指されて生きるよりも、少しでも同じ立場で同じものを見ていたい。

 だから、紗智は十二生肖の役を受け入れた。


『私が死んで、あなたは悲しんでくれるとは思ったけど……まさか、こんなことになるなんてね。私、本当に局の罠に嵌められたんじゃないのよ?』

「でも、俺は……納得できない」

『うん。無理だと思う。綺麗に術に嵌められてるくらいだし』

「なっ!」


 あっさりと言ってのけた紗智に思わず絶句してしまう。

 せめてフォローくらいはしても良かったのでは、と聞いていた都季も思ったが、彼女には彼女なりの考えがあっての発言だった。


『だからこその裏支なのよ。外から見ることができて、意見ができる立場にある。今のあなたが納得いかないなら、無理に納得する必要なんてない』

「それじゃあ、一夜さんがずっと局に戻れないんじゃ……」


 紗智の死を除いても、今の状態が嫌だからこそ一夜は局を離れている。彼に納得してもらわなければ、問題は片付かないのだ。

 しかし、彼女はにっこりと綺麗な笑みを浮かべると、期待を込めた目で都季を見る。


『そこで、あなたにお願いがあるの』

「え、俺?」


 突然の申し出に、苦しさを一瞬忘れてきょとんとした。

 都季は夢で見たために一方的に彼女のことは知っている。だが、紗智と互いを認識した上で会話をするのはこれが初めてで、頼み事をされるほどの信頼関係はない。最も、彼女は都季の両親を知っている。そこから頼もうと思ったのかもしれないが。

 彼女は「うん」と頷いてからその内容を言った。


『あなたに、局を変えてほしいの』

「俺が、局を!?」


 一人の高校生にそんなことができるのか。それも、都季はついこの間、幻妖世界のことを知ったばかりだ。

 愕然とする都季を庇うように、茜が口を挟んだ。


「無茶言うなよ。コイツはあくまで元・一般人扱いだ」

『でも、結奈さんと和樹さんの子供なんでしょ?』

「ダメだ。血縁者とはいえ、本人からの頼みだろうが」

『そりゃあ、家族だからって押しつけられるのは嫌だろうし、結奈さんも言ってたけど……』


 やはり、両親繋がりで頼んできたようだ。茜の言うことも最もであるせいか、紗智は躊躇ったように言葉を濁した。

 だが、すぐに説得しようと気を取り直して言葉を続ける。


『今のままじゃ、きっと同じことを繰り返す。また、誰かが犠牲になるときがくる。そうならないためには、新しい風がいると思うの。局の考えに染まっていない、局の意志に縛られない、新しい存在が』

「…………」


 今の十二生肖では局の考えに偏りやすい。別の視点から物を見られる人が必要だ。

 だが、それを茜が良しとして頷くわけにはいかない。結奈達から託された都季を、幻妖世界から切り離していた彼を、ますますこちらに引き込んでしまうからだ。

 躊躇を振り払ったのは、他でもない都季だった。


「あ、あの!」

『え?』

「その役目、やらせてください」

「本気か?」

「だって、つっきーはまだ離れないし、俺にできることならやりたいんです」

「…………」


 言いたいことがありすぎて言葉が出ないのか、それともただ呆れただけなのか、茜は開いた口を言葉を発することなく閉じた。

 都季が紗智を見れば、頼んだ彼女自身も唖然としていた。


「変える方法はいろいろとあると思いますし、俺はまだ未成年だから時間も掛かると思います。でも、あの時みたいに、十二生肖の皆が犠牲にならなくてもいいような……一夜さんが、『これなら戻りたい』って思うような局にしてみせます」

「なっ!?」

「ははっ! やるなぁ、都季!」

「これだからガキは面倒なんだ……」

「局に大きな不満はあまりありませんが……良くなるなら、少し見てみたい気もしますね」


 急な展開に驚く一夜に、感心したように笑う紫苑。茜は疲れたような溜め息を吐いてはいるが否定はしなかった。それは龍司も同様だ。

 それらを聞いてから、都季は自身の発言の意味を――変えるのは「特殊管理局」という大きな組織だと再認識して急に焦りと不安が襲ってきた。


「えっと……うーん、でき、るかなぁ?」

「我に振るでない」

「ええっ! だって、つっきーがいるなら大丈夫かなって思って……」

「我は一言も『協力する』とは言うておらんぞ」

「あ」

「……やれやれ。向こう見ずなのは父譲りかのぅ」


 月神は今まで黙っていた。確かに、彼は「協力する」とは言っていない。

 そもそも、局は彼の意志に従ったものでもある。一部は違うかもしれないが、それでも、その局を変えるということは、月神と意見が異なるということになるのだ。


「ご、ごめん。局はつっきーや皆が作ってきたのに、よく知りもしない俺が簡単に変えるとか言っちゃダメだよな」

「好きにやればいい」

「うん。だから……え? 好きにって……」


 予想だにしない回答に思わず聞き返す。

 月神は腕を組んだまま、どこか遠くを見ていた。まるで、過去を思い返しているように。


「時の流れは良くも悪くも進む。その中で、我が知らぬ間に、局内には望まぬ部分もできてしもうた。いいや、我が知らぬ間にではない。見て見ぬ振りをしておったのだろう。それが、良くも悪くも今代を選定する際に表れてしまった」


 局には複数の部署が存在する。だが、取りまとめるのは十二生肖が主だ。その能力は局内では群を抜いて高い。

 だからこそ、有事の際は十二生肖が先陣を切ることが多くなる。

 結果、十二生肖の負担ばかりが増えてしまった。また、局内でも十二生肖を頼る節は多い。


「今の代はな、局の軌道修正をするために選んだ者ばかりなのだ。ならば、変えると言うお主の意見に首を横に振る理由はあるまい」

「つっきー……」

「我が望む形は平等な世界。人間も、依人も、幻妖も、すべてが対等に暮らせる場だ。そこに十二生肖だからと先立つ犠牲はいらぬ」


 今は、まだ他がしっかりしていない分、『先導』としての十二生肖は必要だがな。

 そう付け足した月神に、紗智は目尻に涙を浮かべながら微笑んだ。


『……ありがとうございます』

「紗智……?」


 一夜は、彼女の体が最初よりも薄くなっていることに気づいた。存在を繋ぎ止めようと手を伸ばす。

 だが、彼女の手は掴めずにすり抜けた。

 無意味だと分かっていても、もう失う感覚を味わいたくなかった。


『皆と過ごした毎日がね、短い間だったけど、素敵な時間だったわ』

「そ、んな……」

『ごめんね。また、あなたに辛い思いをさせてしまって』

「また、俺を置いて行くのかよ……!?」


 込み上げる思いから声が上擦るのも気にせず、消えかけた紗智を見上げる。涙で視界が滲み、紗智の姿がうまく映らない。

 また泣いてる、と困ったように笑んだ彼女は、一夜を宥めるように優しい声音で言う。


『置いてなんかいかない。私は、ずっとそばにいるわ。宝月には、私の意思が残っているから。……千早』

「……?」


 一旦、一夜から視線を逸らし、口を閉ざしたままだった実の弟、千早を見る。

 本当なら、彼ともゆっくりと話をしたかった。

 けれど、この世界の摂理は姿の維持を困難にさせていく。これ以上は都季を危険に晒してしまう。


『一夜を、お願いね。彼、とっても寂しがり屋で、泣き虫だから』

「……ああ」

「誰が寂しがり屋で泣き虫だ!」

「『いや、泣いてるから』」


 声を上げた一夜に紗智と千早は同時に指摘した。揃った言葉に、姉弟は顔を見合わせて笑い合った。

 そして、紗智は千早の頭を優しく撫でた。


『あなたも、あなたらしい十二生肖の一人であってね。私の後なんて気にしなくていいんだから』

「!」


 紗智は気づいていた。千早が後任に選ばれてから、目指そうとしていた人が誰かを――その人になりきろうとしていたことを。


『あなただからこそ、何かが変わるの。私の真似なんかしてたら、また同じことになっちゃうでしょ?』

「でも、俺は……どうしたらいいか分からない。姉さんみたいに上手くやりたいのに、俺だと言葉が足りないんだ」


 形から入っても、考えまでは同じにはならない。思いどおりにいかず、苛立つ日もあった。

 そんな弟の姿を見かねた紗智は、諭すように言う。


『「どうしたらいいか」じゃなくて、「何をしたいか」よ。正しいかどうかなんて、やってみないと分からないんだから、まずはあなたの思うままにやってみないと。間違っていたら、やり直せばいい。次は間違えないようにすればいいのよ。ね?』

「……頑張って、みる」

『大丈夫。私は、そばで見守っているから……』


 声が薄れ、光の粒子を纏いながら消えていく姿に、胸が締めつけられるような感覚がする。

 紗智はほとんど姿が薄れた中、一夜の頬を両手で包むように触れると、そっと唇を重ねた。

 感触や温もりはあるはずがないのに、一夜は以前と変わらない温かさを感じた気がした。

 何かが一夜の頭の中でパリンと砕け散り、靄がかっていた頭がすっきりする。


『さようなら。私の愛した人』


 一夜から離れた紗智は溢れそうになる想いを押し殺し、それだけを伝えた。

 今でも愛しているが、過去形にしなければ彼の想いを自分に繋ぎ止めてしまう。

 名前を呼びたかったが、呼んでしまえば彼の存在を自分に縛ってしまう。

 これでいい、と紗智はにっこりと微笑んだ。

 散った涙が光を反射して輝いた。


『……またね』

「っ、ああ」


 また、がいつ来るかなど分からない。

 それでも、一夜は驚きで止まった涙を目尻に残しながら頷いた。

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