第18話 想いを形に


「うわああぁぁぁぁ!!」

「と、都季君!?」

駿炎しゅんえんと……千早?」


 木々の合間から見えたのは、見事なまでの純白の馬。そして、その首にしがみついて悲鳴を上げる都季だ。

 彼の後ろで手綱を握る千早は若干、迷惑そうな顔をしている。白馬もとい駿炎も都季に近い分、かなり煩いはずだ。

 駿炎は千早の神使であり、本来、人が交代した際には変えられるはずの名前を紗智がつけた名前のまま引き継いでいる。

 緊迫した空気を裂く出来事に唖然としていた二人だったが、突然、花音が張った結界よりも強大な結界が辺りを包んだことで我に返った。


「ようやったの、花音」

「月神……!」


 花音の目の前にやって来たのは、駿炎の頭に乗っていた月神だ。彼は花音を労ったあと、申し訳なさそうに言った。


「消耗したところ悪いが、結界の維持の半分を頼んだぞ」

「は、はい!」


 一瞬にして張られた強大な結界は月神の力によるものだ。維持には相応の霊力を消費するために辛いが、文句を言っている場合ではない。

 再び地に手をつき、目を閉じて感じ取った結界に力を送る。神器である大玉の数珠から、神使が力を貸してくれているのが伝わってきた。


吹雪ふぶき。もう少しだけ、お願いね)


 茜や千早、月神も来た今、周囲は気にしなくても問題はない。

 神使、吹雪に心の中でそう呟けば、紅白の注連縄を首に巻いた白い牛が力強く頷いた気がした。


「うっ……。気持ち悪……」

「全体重を預けるからだ。舌を噛まなかったのが奇跡だな」


 千早の手を借りて駿炎から降りた都季は、力になるのかすら危うい顔色だ。片手で口元を覆っているが、今にも吐きかねない。

 小さく息を吐いた千早に頷くように、駿炎も呆れ気味にブルル、と鳴いた。

 店から現場まで千早の転送能力を使うと思っていた都季だったが、それは山の麓までの話だった。山全体を花音の結界が包んでおり、下手に転送の能力で進入すると力が反発して壊しかねないとのことだ。

 そのため、麓から千早と都季は駿炎に、茜は本来の姿の牡丹に乗って山道を駆け上がって来た。


「おいおい、大丈夫かよ?」

「多分……」


 向かってきた幻妖を神器の棍で振り払い、都季のそばに来た煉も呆れを滲ませる。都季の心を読んだ琴音も、複雑な状態故に曖昧にしか返せなかった。

 酔いは放っておけば良くなる。しかし、そんな暇があるかないかでいうと「ない」。

 現に、一夜は都季を見るなり、折れた肋骨などないかのように平然として戦闘態勢を取った。


「そっちから出向いてくれるとは、探す手間が省けたぜ。弱ってるからって同情して手は抜かないからな?」

「しっかりしろ、更科。そんなに辛いなら、一回殴り飛ばしてやるぞ」

「いや、気絶したら元も子もないって。なぁ?」

「が、頑張ります」


 茜の提案に頷く人がいたら見てみたい。止めようと口では茜を諫める煉だったが、その手は都季の両肩を掴んで茜に押し出している。

 痛いのは嫌だが、気絶をするのはもっと嫌だ。

 しっかりしろと自分に言い聞かせ、都季は一夜に向き直る。夢で見た一夜と紗智の姿が蘇り、吐き気とは別に胸が苦しくなった。

 木々を燃やしていた炎は鎮火され、雨が止んだ。


「つっきー、頼む」

「不安はあるが……致し方あるまい」


 やや渋ったものの、月神は都季の頭上で宙に浮いて止まる。

 直後、月神の体が光に包まれ、その光が都季へと広がった。


「千早。宝月を」

「――宝月、制限解放」


 千早は月神に頷いてから、ブレスレットを着けた右腕を地面と水平に持ち上げる。普段とは少し異なる言葉を唱えれば、駿炎の体が炎に包まれて赤い光の玉へと姿を変えた。

 神使を出したときや戻すときなどにも見るものだが、今回は普段のそれとは違った。

 光の玉が宝月まで飛び、吸い込まれるように消えてすぐ、宝月から炎が溢れ出す。

 千早が持つ属性は火のみ。複数の属性を持つ者と違って純度の高い強力なそれが、千早を包んで火柱となり、強く天高く燃え上がった。


「都季」

「うん。――宝月、記識形成きしきけいせい!」


 ズボンのポケットに入れていた札を右手の人差し指と中指で挟んで持ち、千早の周りを包む炎に向ける。

 力強く唱えたと同時に、足先や頭の先から腕へと、見えない力が流れていくのが分かった。勢いのあるその流れに、立つ力までもが奪われていくようだ。

 焦れば失敗する。集中しなければ、と思うのに、足から抜けていく力に不安が過った。

 火柱となっていた炎が少しずつ解れていき、千早の前に集まって形を作っていく。

 しかし、都季の不安や焦りを表すかのように、その形が僅かに崩れた。

 それを見て声を上げたのは龍司だ。


「茜さん! 彼は本気ですか!? 素人があの術を使うなど……!」

「黙れ。不安を煽るようなこと言うんじゃねぇよ。それに、アイツは一度、月神の力を具現化してんだ。可能性はゼロじゃねぇ」

「しかし、今の具現化はそれとはわけが違います! 失敗すれば、彼は――」


 真剣な表情で都季を見ていた茜が、まだ抗議する龍司へと視線を移すと片手を上げて黙らせた。

 術に詳しい龍司は、都季のしようとしていることにいち早く気づいた。ただの具現化ではないことに。

 だが、茜も術の使用について易々と頷いたわけではなかった。

 眉間に皺を寄せた彼女も、一か八かの賭けに出ていたのだ。


「だから黙れっつってんだろ。机上の理論で抑えられるほど、アイツの意志は柔じゃねぇよ」

「更科君……」


 その会話を――龍司が続けようとした言葉を聴いた琴音は、幻妖をまた一つ倒してから不安げに都季を見た。


 ――失敗すれば、彼は命を落とします。


(……大丈夫。更科君なら、きっと……)


 確証はないが確信はある。出動命令が出た際、ケガで動けないために局での待機になった魁も信じていると言っていた。

 ならば、琴音は都季が安心して術を使えるように守るだけだ。

 琴音は神器を握り直し、煉と共に襲い来る幻妖を迎え撃つ。茜も加わっているが、花音や都季達の周りの守備が主だ。

 能力である程度一夜を抑えられる紫苑は、都季に被害が及ばないようできるだけ離していく。猫を創造している今、能力を同時に発動できない一夜は無効化能力を使えないのだ。

 龍司は都季の様子を気にしていたが、開かれたままの歪みを塞ぐことに意識を移した。

 琴音達の奮闘により、都季の周りには幻妖が近づけない状態になっている。一夜も、その配下である猫達もだ。

 それでもまだ揺らぐ炎を見て、月神は都季を落ちつかせようと穏やかな声音で語りかける。


「都季、大丈夫だ。我がついておる。そのまま集中しろ。削がれているのは精神力。体力は削がれておらん。お主はまだ動ける」

「う、ん……!」


 月神の檄を受け、再び集中する。崩れかけた炎が形を修正し、段々と人の姿になってきた。

 歪みを塞いだ龍司は、次いで、琴音達が倒した幻妖を「封妖石ふうようせき」と呼ぶ八面体の赤い石に封じていく。後で局の調律部の管理課に回し、幻妖界に送還したり、生体の調査をするためだ。

 その光景はありがちだが、都季がやろうとしていることを初めて見る一夜は危機感を覚えた。


「何すんのかは知らないが、終わる前に終わらせてやる!」

「おわっ!?」


 具現化していた猫を一瞬で消し去ると、無効化の能力を発動する。紫苑の牽制の効果がなくなり、体の自由を取り戻した一夜は紫苑と雪丸にナイフを投げた。

 いくら無効化が一時的なものとはいえ、ナイフによる威嚇が加わったことで紫苑の能力の発動はさらに遅れる。

 一夜にはその一瞬でも十分だった。


「逃がすな、紫苑!」

「こ、の……っ!」

「紫苑!?」


 茜の怒声に押されるように追おうとした紫苑だったが、脇腹から全身を突き抜けた痛みに動きが一瞬だけ鈍った。

 雪丸も主の異変に気づき、反射的に動きを止めて紫苑を振り返って見る。

 龍司は紫苑の脇腹に滲む血を見て顔を顰めた。


「傷を狙われましたね」

「やっぱり、完治するまで閉じ込めておくべきだったな」

「こんくらい……なんてことねぇ! 雪丸、あいつ止めろ!」


 月神や都季は発動のために動けない。千早も同じだ。

 誰もが幻妖で手を塞がれている今、一夜が都季に襲い掛かった。

 紫苑は痛みを押し込めつつ雪丸に指示を出す。だが、能力を切り替えて猫を出現させられ、雪丸の行く手が阻まれた。

 素早く距離を詰めてきた一夜が、新たなナイフを取り出す。


「こうなったら……!」


 策を諦めるしかない、と判断した月神が動こうとしたときだった。


「させない!」


 今まで幻妖を相手にしていた琴音が跳躍し、都季を庇うように腕を伸ばす。

 その左腕を、一夜のナイフが容赦なく切り裂いた。


「っ、うああぁっ!」

「卯京さん!?」


 都季の目の前で血飛沫が宙に舞う。

 刻裏に庇われた光景がフラッシュバックし、咄嗟に駆け寄ろうとした都季を月神が制した。


「琴音の痛みを無駄にするな!」

「でもっ!」

「だ、いじょ、ぶ……だから、更科君も……止めないで……!」

「ちっ」


 放ってはおけないと反発する都季を宥めたのは、痛みに顔を歪めながらも立ち上がり、飛び退いた一夜を牽制するように小太刀を構えた琴音本人だ。

 しかし、一夜は怯む様子もなく、呆れたように言う。


「ケガしたウサギなんて、格好の餌食じゃないか」

「それが一人ならな」

「っ!」


 頭上で空を切る音がした。

 そちらに向きながら、視界の隅に入った棍を跳んで避ける。そして、得物の主に向かってナイフを投げた。

 加勢に入ったのは、幻妖を相手にしていたはずの煉だ。


「女に手ぇ上げるなんて、男として見過ごしておけないなぁ」

「煉、男前ー!」

「ヘタレは黙りなさい」

「うっ」


 囃し立てる紫苑を龍司が一蹴すれば、一瞬にして大人しくなった。

 茜は幻妖を封じ込めた封妖石を片手に都季のそばに立つ。

 千早の前に形成されている炎は、まだ目標の形には程遠い。


「更科。まだ時間は掛かりそうか?」

「あと、少し……っ!」


 苦しげな答えに、石をぎゅっと握り締めて瞑目する。

 恐らく、都季のしようとしていることを妨げているのは、茜も少しだけ聞いた夢の光景だろう。彼が見たものは、素人が見慣れているものではない。

 子供に辛い役目を背負わせるわけにはいかない、といつか言っていた都季の母親が脳裏に浮かぶ。その姿に、「そうだな」と心の中で頷いた。

 茜は目を開いて前を真っ直ぐに見据える。


「そうか。なら、その間は保たせてやる」

「女に庇われてんだ。このままじゃ、お前まで男が廃るぜ?」

「大丈夫。周りは私達に任せて」

「そうそう。俺、まだいいトコ見せてねぇし」

「いつもでしょう?」

「うっ」


 都季達が来る前から戦っていた煉も花音も、体力が限界に近いのか表情には余裕がない。

 紫苑は龍司に再び痛いところを突かれてやや落ち込んだが、猫を薙ぎ払う手は動かしたままだ。

 左の上腕を手早くハンカチで縛った琴音は、都季の前から動かない。まるで、その身を盾にしているかのように。


「何も、心配いらない。更科君は、守ってみせるから。もう、一人で戦わせたりしない」


 普段の自信のない口調ではなく、強く言い切る言葉。

 都季が夢見で過去を視たことは知っている。あの日の晩、隣の部屋にいても都季の心が耳に届いていた。

 怖い、苦しい、辛い。

 誰もが逃げ出すであろう惨劇を見ても尚、都季は目を逸らさずに受け入れて立ち向かっている。

 ならば、自分も逃げているばかりではいけないと、琴音は痛みで遠退きそうな意識を賢明にこの場に繋ぎ止めた。

 琴音の言葉に一つ頷いてから、都季はゆっくりと目を閉じる。


(流れてくる力を、形に変えるんだ。千早さんが伝えてくる想いを、形に――)


 焼きついていた夢の光景が薄れていく。

 その代わりに出てきた姿に集中する。


「都季、今だ!」


 炎の安定を見た月神が叫びに近い声を上げた。

 閉じていた目を開けば、今まで不確かだった形が脳裏で具現化した。


「――残思ざんし、具現!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る