第16話 急転
「ありがとうございましたー」
女子高校生グループの会計を終えた都季は、はしゃぎながら店を出る彼女達に言う。そして、受け取った代金をレジに入れてテーブルの片づけに移った。
今日のバイトは休みだった都季だが、茜に話したいことがあったため、学校が終わってから店に来ていた。その際、本来バイトだったスタッフが体調を崩して休みだと知り、短い時間だが代わりに入ることになったのだ。
バイト中は何もすることがない月神が、退屈そうに都季の肩を叩く。
「都季や。我は暇だ。構え」
「あとちょっとだから我慢して」
「む」
月神を宥めつつテーブルに残った食器を下げようとした瞬間、閉められたばかりの扉が勢いよく開いた。他の客がいなかったことが不幸中の幸いか。
やばい、と冷や汗が流れる。マナーを知らない騒々しい客は、問答無用で茜が注意に来るのだ。
彼女が出てくる前に入って来た客へと顔を向ければ、見覚えのある顔に挨拶も尻すぼみになった。
「いらっしゃ、い、ま……あれ? えっと、たしか……」
「千早、どうかしたか?」
都季が名前を出すより早く、肩にいた月神がそれを口にした。
騒々しい来客は、マラソンでもしてきたのかと聞きたくなるほどに肩で息をする千早だった。表情はどこか緊迫しており、一般の客として来たにしては様子がおかしい。
千早に歩み寄れば、彼は都季の姿を見て安堵の息を吐いた。
「良かった……。……茜さんは?」
「ええと、店長なら奥に――」
「なんだ?」
「うわぁ!? でっ!」
千早の様子を不思議に思いながらも振り返れば、今までいなかったはずの茜が目の前にいて声を上げた。が、すぐに手刀が頭に落とされた。
思いもよらぬ出現と衝撃に、意識が一瞬だけ遠退いてしまった。
現れた当の本人は、やや不機嫌な口調で手刀の形はそのままで言う。
「化け物を見たような声出すんじゃねぇよ殴るぞ」
「もう殴ってます……」
叩かれた頭を手で押さえながら、次の手が出てくる前に彼女の後ろに下がった。
茜は都季には目もくれず、千早の前に歩み出て怪訝な顔を隠さずに問う。
「どこの誰が騒々しく入ってきたのかと思えば……何かあったな?」
「一夜に会いました」
「どこで?」
「学園です。アイツは、もう自分で自分の力を制御できないと言っていました。だから……都季」
「は、はい」
茜から都季へと視線を移され、真剣な声音に思わず姿勢を正す。
ただならぬ空気に、茜も月神も黙ったまま千早の言葉を待った。
「お前には、事が収まるまで隠れていてほしい」
「嫌です」
「は?」
「ちょうど良かった。俺も千早先輩にお願いがあるんです」
即答で断られるとは思っていなかった千早は、間の抜けた声を出した。困惑から茜を見れば、「聞いてやれ」と目だけで返されてしまった。
再び都季へと視線を戻せば、彼は近くに客や従業員がいないこともあって迷わずに話した。既に茜には店に来たときに話した、月神から聞いた方法を。
すべて聞き終えた千早は、半信半疑で月神を見る。
「……大丈夫、なんですか?」
「我の力からいえばな。あとは、それを使うお主ら二人の意志と、一夜次第だの。『制することができない』とは、『最悪の事態』が起ころうとしているのかのぅ?」
「分かりません。けど、その可能性は十分にあると思います」
一夜は詳しく話さず、忠告だけして去って行ってしまった。
だが、月神の言う最悪の事態は千早も想定した。だからこそ、標的になるであろう都季を探して局や学校、彼のアパートと、月神の気配が残る場所を駆け回っていたのだ。今になって、月神に直接連絡を取れば良かったと、焦っていた自分の行動を後悔している。
都季は急を要する事態になっていると察し、手を握りしめて意を固めた。
「なら、尚更、俺はやりますよ。元はといえば、俺が招いたようなものだし」
「違う。お前は――」
「『知らなかったから、仕方がない』」
「っ!」
「卯京さんにも言われました。でも、今の俺は知ってますからね」
言おうとしたことを先に言われ、驚きから肩が跳ねてしまった。
対する都季は、昨日の晩のことを思い返しながら苦笑を浮かべている。
横で聞いていた茜も千早と同じことを言ったのか、呆れ混じりの溜め息を吐いた。
「諦めろ、千早。コイツ、頑固なのは母親譲りだ」
「そうなんですか?」
「ああ。結奈そっくりだ」
「……そう、ですか」
頑固だと言われているのに、なぜか嫌な気はしない。今は亡き母と似ていると言われたからだろうか。
噛みしめるように呟いた都季の肩で、月神が「まだ親が恋しいか」と茶化すように言ってきたが今は流しておいた。
「でも、都季の言う策をやるなら、一夜が出てこないと意味がない」
「魁は……ああ、そうか。屋根から落ちたんだってな? どんくさい戌だな、おい」
「だ、打撲なので、一週間もあれば治るだろうって言ってましたよ。結構、酷い状態に見えたんですけど、そんなものなんですか?」
魁の扱いが雑なことに内心で同情した。
彼は骨や内蔵に異常はなかったものの、右足の打撲は治るまでに時間がかかる。普段ならばまだしも、今の状況には痛い。
歩行でも松葉杖を使っていた魁だが、今日、学校で出会った煉とケガを忘れて喧嘩しようとしたのには胆が冷えた。
「体は丈夫だな。でも、アイツがいなくても神使は出せるだろ。千早、探すときは暮葉を借りてこい」
「分かりました」
「暮葉を?」
「『狩り』ならば、十二生肖の中では最適だの」
「俺、魁の所に行ってきます」
狩りとは違うのだが、戦闘を交える可能性は大いにある。
また、暮葉は鼻が利くため、捜索や追跡にはもってこいだ。もちろん、茜の神使の牡丹も鼻はいいが、出会ったときに対処できるかが問題だ。暮葉ならフットワークはまだ軽いが、真っ直ぐに突き抜ける牡丹はそうはいかない。
早速動こうとした千早だったが、茜は軽く息を吐いてそれを止めた。
「千早、待て」
「え?」
「あたしもすぐに動けと言いたいところだが、千早も策を聞いたばかりだし、都季は力を使いこなせていない。だから、策の実行自体は少し待ってくれ」
「言い出しておきながらすみません……」
「ただ、一夜の身は心配だ。一先ず、身柄を押さえるのが最優先として、あとは調律師に頼んで――」
準備が整うまで力のバランスを整えてやらないと、という言葉は、鳴り響いた二つの携帯電話の着信音にかき消された。
次いで、ハッとした月神がいつかのごとく声を上げる。
「歪みだ!」
「このタイミングで!?」
歪みの発生は日常茶飯事であるが、月神の様子からして通常とはレベルが違うと分かる。
困惑する都季の傍らで、茜や千早は電話に出て連絡事項を聞く。通話の内容は月神も気づいた歪みのことだ。
東北の方を見ていた月神は、感じ取った力から表情を険しくさせた。
「いや、これはただの歪みではないぞ」
「ただの歪みじゃないって?」
「以前、一夜が開けた歪みがあっただろう?」
「まさか……」
都季が住むアパートのすぐ隣に作られた歪みは、一夜が開けたものだ。
名前を出されたことで、都季も歪みが誰によるものか見当がついた。
「さすがに分かったな。今回のもあやつが開けたものだ」
「そんなことが分かるのか?」
「だから、お主は我を何だと……」
目を瞬かせる都季に、さすがに月神も呆れを滲ませる。
だが、その先は通話を終えた茜によって遮られた。
「――よし、行くぞ。更科、千早」
「え? でも、店長。店は……」
「んなこと言ってられる状況じゃないみたいでな。泉川ー! ちょっと更科と出てくるから、あとは頼んだぞ!」
「はぁーい。行ってらっしゃーい」
厨房にいた女性スタッフに声を張り上げて言えば、あっさりと見送られた。しかも、駆け寄って来た別の女性スタッフは理由を聞かずに茜と都季のエプロンを受け取った。
これでいいのかと思いつつ、他のスタッフにあとを任せて都季達は依月を出た。
外に出て、茜は真っ先に千早を見て言う。
「千早。お前の能力使うぞ」
「はい。じゃあ、場所を――」
「……ん?」
さすがに大通りで能力を使うのは、千早一人ならまだしも茜や都季がいるのでは目立ってしまう。
従業員用の出入り口もある隣の建物との間の細道に入ろうとした矢先、都季は突き刺さるような視線に気づいて振り返る。
数メートル離れた先、歩道と車道を隔てる金属の柵に寄り掛かっていたのは、見るからに体よりも大きなサイズの灰色のパーカーを着た人だ。目深に被られたフードと黒いマスクで顔のほとんどが隠れており、性別はおろか、どれくらいの年齢なのか判別が難しい。
その人物は都季を見たまま少し下を向くと、指を掛けてマスクを下ろした。俯いたせいで目元は影も掛かって見えにくくなり、代わりに露わになった口元は笑んでいる。そして、都季に伝わるようゆっくりと口を動かした。
「――――」
「なっ……!」
「更科!」
「は、はい!」
驚いた都季の耳に茜の声が飛び込んできた。
そちらに気をとられている場合ではないと、都季はパーカーの人物に背を向けて小道に駆け込んだ。
(なんで、そんなこと……)
声が聞こえたわけではない。ただ、紡がれた言葉が脳内に直接入ってくるかのように伝わってきた。
茜や千早は先に小道に入っていたために気づかなかったようだが、一緒にいた月神すら気づいた様子はない。
――手遅れだよ。
(あいつ、一体何なんだ……!?)
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